第3話






 虚ろな瞳でぼうっと一点を見つめて座るリアンがいた。

 そうそう、その日はいつもよりリアンの帰りが遅くて、ついうとうとしていたのだった。

 まだ寝ぼけて目を擦っていた私は、リアンの元へと歩みを進めた。

「……リアン?」

 リアンはへたり込んでいた。私の声にやっとこちらに目を向ける。

「…………クレア、俺、人を……」

 月光に照らされて、リアンの長い睫毛が頬に影を落とし、真っ赤に染まった手のひらが見えた。

「うそ……あ…あああ……あああああ!」

 リアンの血塗れの手から全て理解してしまった。ついに、リアンが人を殺してしまったのだと。

「クレア、俺……」

 呆然とした顔で私を見返したリアンの身体は震えていた。寝間着のまま、すぐにリアン抱きしめる。

「……ごめん、リアン。ごめんなさいっ……」

 腕の中にいるリアンを、きつく、きつく抱き締める。リアンの肩が大きく揺れて、私の肩の辺りが熱く湿る。

「リアンは悪くない。リアンは悪くないわ」

 リアンの手を握り、もう片方の手で背を撫でる。どれほどそうしていたのかは分からない。されるがままだったリアンが動き出して、手を繋いだまま腕をほどいた。

 リアンは、表情が全てこぼれ落ちたような無表情を浮かべている。髪が月光を浴びて青白く輝く。琥珀色の両眼はなりを潜め、濁ったような金色の瞳をしている。

 濁った瞳を私に焦点を合わせると、急激に濁りは消え黄金色に輝いた。それで何か吹っ切れたのだろうか、リアンは意味深な笑みを浮かべて私をじっと見つめた。

「……大丈夫?」

 その問いかけには答えず、リアンは私の頭を抱き込んで耳元に囁いた。 

「クレアは既に俺の目について、知っているんだろう?」

 予想外の言葉に動揺する。

「……っ何のこと?」

「なあ、クレア」

 リアンが私の目を覗き込む。

「俺はクレアを信じてるよ」

 リアンは、はにかんだ笑みを見せて、再び私を抱きしめた。






◾︎◾︎◾︎






 目が覚めると寝室のいつものベッドの中で、部屋には朝日が差し込み、風でカーテンが揺れていた。いつも通りの穏やかな朝だった。

「……夢、か」

 あの出来事は二年前に起こったことだ。

(もうすっかり忘れてると思ったけれど、覚えているものね)

 朝の身支度を済ませ、食堂に入ると、いつもは忙しくていない父親がいた。

「おはようございます、お父様」

「おはよう、クレア」

「久しぶりですね、お仕事の方は大丈夫なのですか?」

「ああ、もう片付いたよ。あそこの老人は頑固だったからね」

「あら、それは災難でしたわね」

「本当だよ」

 父親がはは、と軽やかに笑い、私も愛想笑いを浮かべて紅茶を一口飲んだ。会話が終わり、絶妙なタイミングで父親が口を開く。

「さて、クレア。一ヶ月後にある四大公爵家のパーティーについて、抜かりは無いな?」

「もちろんです。食事もドレスも手配してあります」

「ならば良い。今回はラフェリエールが主催だ、失敗は許されない」

「存じ上げております。今年もお父様にエスコートを頼んでも?」

「いや、もう婚約者がいるだろう。ルークに花を持たせてあげなさい」

 予想通りの言葉に目を伏せ、頷く。

「はい」

「そうだ、エルメナスの倅には気をつけなさい」

「ローレン・エルメナスですか?」

「報告によるとなかなか力をつけているらしい」

「……そうですか、気をつけます」

 父親が気をつけろと言うほど危険なのかもしれない。もう今後の人生で会うことなどない男のことなど忘却の彼方へ放り、父親に腹の底を見せないように微笑を貼り付け、パンを口に運んだ。




 部屋に戻って、すぐにリアンと机を挟んで座る。

「リアン、一ヶ月後にここでパーティーがあることは知っているわね?」

「ああ、使用人が掃除を張り切っているからな」

「当然よ、ただのパーティーではなく、四大公爵のパーティーだもの」

「ラフェリエールにペシュリアン、ルーメンタール、エルメナスか」

「お父様はエルメナスのローレンを警戒しているみたい。それぞれの当主も、もちろんね」

「リアン、ついにチャンスが来たのよ」

 前のめりになって話す。

「どういうことだ?」

「今の冬の季節、この屋敷に近づく人もやってくる客人も皆無でしょう? でも高貴な客人が大勢来ればそっちに目が行き、警戒は薄くなるわ」

「それで俺がここから逃げられるということか」

「その通り、作戦を詰めましょう」

 無地の紙を取り出して、ペンをインクに浸す。

「まず客人がやってくるのは午後、そこから一泊されて帰るの」

 ペン先で丸を囲む。

「この最初の夜がチャンスよ。お父様は接待に追われ、使用人も準備に大忙し。南館へあなたを探す余裕が無いはず、きっと上手くいくわ」

 顔を上げると、至近距離にリアンの顔があって、目を見開いた。

「……どうかした?」

 リアンは私の瞳を強く射抜いて、ぱっと顔を逸らした。

「いや……何でもない」

 目が合わないまま、立ちあがった。

「色々考えてくれてありがとうな」

 リアンはそのまま部屋から出てしまって、私が一人取り残された。実は、この作戦はこれで全てではない。灰皿の上で作戦を書いた紙に火をつける。

 リアンがいなくなったら私の処分は免れない。だから、その前に私もここから逃げる算段だ。リアンにこのことを告げたら、逃げないと言ってしまうかもしれない。もしかしたら、一緒に逃げようとでも言ってくれるだろうか。例え一緒に逃げても、王太子と誘拐犯の娘。周りが許すこともなく、私は殺されてしまうだろう。

 だから絶対に、リアンを逃がす。この目標を果たすのだ。

「だからリアン…………ごめんね」

 燃え尽きていく紙を見ながら、虚空につぶやいた。






◾︎◾︎◾︎






 パーティー当日。

 今日は日の昇らない早朝からメイドに起こされ、すぐに湯浴みに入れられた。体をぴかぴかに洗われたあとは、髪のケアにボディケアを入念に行われ、顔のむくみとりにエステを終える頃には、日が高くのぼっていた。

「お嬢様」

 人前のリアンは私をお嬢様と呼び、丁寧な言葉を使う。

「リアン、お腹空いたわ。パンが食べたいの、口に運んで」

 鏡の前で髪を結われている私を見て、リアンがパンを持ってきた。

「女性の準備というのは、大変ですね」

「まあ、相手が相手だからね。舐められないように気を入れるのよ」

 私とリアンの会話に、メイドは全く意識を向けずに黙々と仕事をしている。腕も良いし、楽なメイドだ。

 コルセットでギチギチに締め上げて用意されたドレスを着ると、時間は正午になっていた。準備に半日もかかった。

 疲れてソファーでぐったりしていると、リアンがやってきた。

「もう公爵家が来たの?」

「いやまだ来ていない…………っ」

 リアンの視線が私で止まると、耳が真っ赤に染まった。

 赤くなるのも無理は無いと思う。波打つ金髪はハーフアップで結われ、薄紫と白い生地で作られたドレスはとても美しく、朝から磨かれたクレアが着ると五割増しに美しいのだ。

「見惚れちゃった?」

「そんなことはない」

「ふふ」

 少し早口で答えて、すまし顔を決めるリアンが面白くて、くすりと笑う。

 そんな和やかな空気の壊すように、ドアがノックされた。

「お嬢様、エルメナス公爵家の方がいらっしゃいました」

 執事の声だ。ソファーから立ち上がる。

「すぐに行くわ」

 通り過ぎる時、リアンに顔を向け口パクでつぶやく。

「この部屋で大人しくしててね」

 頷くリアンを横目に、玄関へと歩み出した。






◾︎◾︎◾︎






 次々にやってくる公爵家を出迎え続け、自室に戻ってもすぐ夜会用のドレスに着替えた。薄紫色は変わらず、シルバーのラメで飾られたドレスだ。昼間のドレスと比べて派手さが桁違いだが、その分重い。

 ドアの向こう側で私を待つ婚約者のことを考えて頭が痛くなる。廊下の話し声は存外聞こえるのだ。だからルークがうちのメイドを口説いているのも丸聞こえだった。

「はあ」

 どうしようもない男にため息をついて、わざと大きな声でつぶやく。

「ルーク、準備出来たわ」

 するとメイドが離れていく足音の後、扉が開いた。

 私のドレスと同じような生地に色で仕立てられたスーツを着用している。何らかの意図を感じる服に苦笑が浮び上がる。

「クレア嬢……すごく綺麗だよ」

 その後も歯の浮くような賛辞を述べようとするルークを止めるように腕に手を添える。

「ふふ、ありがとう。では行きましょう?」

「ああ、しっかり僕を掴んでいてくれよ」

 イラッとする物言いに目尻がぴくりと痙攣する。

 扉付近の壁に控えているリアンに目配せして、自室を出た。




 パーティーが始まり、父親と滞りなく挨拶をこなすと、いつの間にか中盤に差し掛かっている。

 現当主の四公爵は集まり何やら歓談しているようだ。また、ラフェリエール以外の次期当主は全員男であり、三人も同じようにテーブルを囲っていた。パーティーには基本的に直系子孫しか来られないため、奥方や傍系は明日の昼に行う茶会がメインとなっている。婚約者(仮)のルークも今年やっと夜会に参加でき、コネを作ろうと次期当主のテーブルを端から伺っている。

 この中での私の立ち位置は、“次期当主だが顔だけがいい女“というところだろうか。ナチュラルに女を見下す男の中、話すことなど何も無い。私はラフェリエールの発展など、どうでもいいので話しかけられれば受け答えするロボットのように壁の華として頑張っている。

 夜会も中盤の折り返しに達した。

「お酒のせいかしら……なんだか頭が痛いわ」

 念の為に独り言をつぶやきながら、誰も見ていないことを確認してふらりとした足取りで退場する。

 上手くいった!

 淑女の中の最高級の早歩きで廊下のカーペットを走る。長い廊下を曲がったところで見慣れた自室の扉を勢いよく開けた。

「リアン!」

 真っ暗な部屋のどこを見渡してもリアンがいない。

「リアン! どこにいるの!」

「こっちだ、クレア」

 背中から声聞こえたあと、腕を握られた。咄嗟に振り返る。

「よかった、私に着いてきて」

 居住区と今パーティーを行っている広間のあるここは、ラフェリエールの屋敷の中で一番豪華な北館だ。王都から近く、それでいて逃げ出しやすい南館を壁に隠れながら進む。屋敷は長い廊下が多く、パーティーにいるはずの私が見つかったら不審に思われてしまうだろう。

「こっちよ」

 カーペットで足音が立たないことに感謝して、忍者のように南館へと到達する。

 内側から簡単に開く窓を開けてリアンの方を見る。

「ここから逃げなさい、早く!」

 旅費と食糧を詰めた荷物を渡してリアンの背を押す。

「いつまで時間が稼げるのか分からないの。すぐに逃げて!」

 リアンが窓枠に足をかけた。この三年掲げてきた最大の目標が達成されそうだと安堵する。

 外の暗闇の中、リアンの宝石眼が私を捉えた。

「クレアも一緒に逃げよう」

「無理よ、まだパーティーが続いてる。怪しまれるわ」

 そう、私がいないと怪しまれる。そう言えばリアンは何も言えない。

「クレア」

 手を伸ばすリアンに目を伏せて、方肘を握る。

「私は行けないわ」

「それでも、こんな家にいるよりも俺と逃げた方がいい」

 折角逃がす時間を作ったのにも関わらず、リアンはグダグダとここに居残り続けている。

 この三年間、今この瞬間を作るために頑張ってきた。それを無駄にされたようでイラッとする。

「私は行かないと言っているでしょう」

「……クレア」

 我儘な子どもを諭すようなその声に、差し出された手を振り払う。

「ずっと目障りだったのよ、早く消えて」

 リアンは失意と呆然の混ざった表情で私を見た。

 咄嗟に口に手をあてるも、放った言葉は戻らない。リアンに対する本物の怒りを顔に浮かべて、思ってもいないことを告げてしまった。

 背を向けて、歩き出す。決して振り返らないように、リアンが何の躊躇もなくここから逃げ出せるように俯いて廊下を歩いた。曲がる瞬間、横目に見た窓には、人影は影も形も無かった。

 最後の別れがあんな形になってしまった。後悔の波が全身を襲う。

 耐えきれずに角を曲がったあと、膝から崩れ落ちて顔を覆う。

「ごめんなさい、リアン」

 次々と溢れ出す涙を袖で拭う。

 脆くて、壊れそうで、私に失望したようなリアンの瞳が頭にこびりついて離れなかった。




「お嬢様? どうかなさったのですか?」

 途中の廊下でメイドとすれ違った。涙で赤くなった目元を隠すように、頭が痛いというように手で覆い隠す。

「ちょうどよかったわ。体調が悪いの、部屋で少し休んでから向かうとお父様に伝えてちょうだい」

「かしこまりました」

 メイドがいなくなった廊下を全速力で駆けて自室に戻る。重たく動きにくいドレスを脱ぎ捨て、予め用意していた鞄の中に身につけていた宝石を入れる。動きやすい町娘のような服装に着替えて、二階の部屋からロープを垂らして庭を駆け、用意した馬に乗り込んだ。

 ちらほらと降り始めた雪の中、屋敷を振り返る。

 部屋は物盗りの仕業のように散らかし、クレア愛用の毒の塗られた飛び道具が壁に刺さり、宝石類も私が全て持ち出している。

 私は誘拐されたと勘違いして欲しい。


ーーさようなら、リアン。さようなら、ラフェリエール。


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