第2話






「はい」

 中和薬を注いだカップをリアンに渡す。緊張したようにごくりと喉を鳴らしたあと、一気に飲み干すリアンを横目に、テーブルの上に王国の地図を広げた。

「……頭のモヤが晴れていくぞ」

「……そう、よかったわ」

 ちゃんと効果が現れたことに、心から安堵する。リアンへ視線を向けると、彼はじっと私を凝視していた。居心地の悪さを感じて、そっと視線を地図の方へ逸らす。

「……これからは三日に一回、この中和薬を摂取して」

 視線を遮るように咳払いして、私を見つめるリアンの意識を地図へ促したあと、机に広げた地図に対して、向き合うように座る。

「俺の名はリアンだ。お前が助けてくれたことは理解している、ありがとう」

 その一瞬、少しの間に見慣れた琥珀色の双眼はなりを潜め、黄金の美しい目が私を捉えていた。その目の強さに思わず息を呑む。

「…………私はクレアよ。これからはそう呼んでほしいわ」

「よろしく頼む、クレア」

「……ええ、それじゃあ地図を見てちょうだい」

 手で視線を誘導すると、リアンが前のめりになった。

「ラフェリエール領はここ、この屋敷はここね」

 ある北部領土を指さして教える。

「王都まで逃げるのなら、大体馬車で二週間ってところよ」

 リアンは静かに長い睫毛を伏せて、私が指さしたラフェリエールの屋敷をじっと見つめていた。

「馬は乗れる?」

「ああ」

「だったらもっと早く着くと思うわ」

「なぜ、王都なんだ?」

「……え?」

 リアンが私の思惑を探るように目を細めた。

「クレアは俺のことを知らないと言った。なのになぜ、素性が分からないやつを王都に逃がそうとするんだ」

 目を逸らして口ごもる私に対して、リアンの目はだんだん険しくなっていく。

(……失敗した。リアンの正体を知っていることは墓場まで持っていくつもりだったのに)

 リアンの瞳が再び黄金に光り、口を開く。

「もしかしてお前、俺のしょう」

「当然じゃない」

 遮るように声をかける。

「あなたが誰で、どこに住んでいたのかも分からないけど、その顔立ちや苦労知らずの手を見れば、貴族か裕福な家の子どもだと簡単に推測できるわ」

 ぎくりと肩を震わせるリアンにため息をつく。

「別邸が沢山ある王都は、あなたの知り合いと再会できるだろうし、一番安心安全でしょう?」

「……ああ、確かに」

「疑問は解消したかしら?」

 バツが悪そうに頭を搔くリアンに微笑する。

「正直に話すけれど、今あなたが置かれている状況は安全とは言えないわ」

 私を見つめる琥珀色の瞳が揺れる。

「お父様は私が中和薬を作れることも、あなたに飲ませたことも知らないの。だから絶対、お父様の指示には反抗しないで、命じられるまま行動して」

「分かった」

 固い表情で頷くリアンに笑いかける。

「大丈夫よ、必ず逃がしてあげるから」

 刹那、廊下に響く靴音が耳を掠めた。素早く机に広げた地図を丸めて、寝室へ放り込む。

「ごめんリアン、ちょっと我慢して」

 部屋がノックされてドアが開いた瞬間、リアンの首輪に付属された鎖を引っ張って口づけた。

 リアンの瞳が驚愕に開かれる。

「おっと……失礼しました」

 執事のダンがそう言うも、外に出ていく気がないのか、扉を閉じて部屋の中で一礼する。

「あら、いいのよ。それで……何か用かしら?」

「お嬢様、公爵様との約束の時間でございます」

 分かりやすくリアンに視線を向けて告げるダンに、思い出したように、ああと声を漏らす。

「そうだったわね、じゃあ連れて行って」

 リアンの鎖を外しながら、彼にだけ聞こえる声で「絶対に逆らっちゃだめよ」と念を押す。

 リアンが私を見て頷き、ダンに近づいて部屋を出ていった。




 一人になった部屋の中で、使っていないノートを取り出して欝小説の内容を絞り出すようにして書き留める。何度も頭を捻ったけれど、最初に思い出したこと以上のことは何も思い出せなかった。それでも、書き記すことで頭の中を整理していく。

 まず前提として、王家に殺されないようにリアンが公爵家に囚われている間は、敵だと思われないよう優しくする。かなり不憫な主人公だったので、私としてもできるだけ辛い思いをしてほしくない。

 いくら優しくして心象を良くしても、実際の問題はラフェリエールの毒が問題だった。解毒剤の無い毒なんて、厄介極まりない代物だ。中和薬のレシピを覚えていて本当に良かった。忘れた時のために、作り方もノートに書き記す。

 中和薬はいくつあっても足りないくらいだろう。書いたノートを隠して、時間が足りなくて作れなかった傷薬と中和薬の生成に精を出した。




 夜が深くなった頃、自室の扉が開く音がして微睡みの中、寝室を飛び出す。

「……リアン!」

 部屋の中で倒れているリアンに駆け寄った。腕や背中に刃物で切られた細かい生傷があり、血で服が、滲んでいた。

 痛みで唸るリアンの乾ききった唇を見る。

「とりあえず水飲みなさい」

 コップに注いだ水を渡すと、リアンは一気に飲み干した。また注いでコップを渡す。

「……ゆっくり飲んで」

 作ったばかりの傷薬や包帯、水桶とタオルを手繰り寄せる。

「リアン、何があったのか教えて」

 かすかに開いていた瞼が閉じ、私の質問に答えることなく、リアンは意識を失ってしまった。真夜中に起こすのも忍びなくて、傷の手当をしてソファーに寝かせる。

 寝室に戻ったあと、ベッドの中で腕の中にいたリアンの重さや熱そして血を思い浮かべる。

 存在する人間の生暖かさに少し意識が変わるような、そんな感覚があった。






◾︎◾︎◾︎






「流石はクレア様。腕は鈍ってございませんね」

 間者に見られないようにカーテンを締め切った部屋の中で目の前に立つ女が蛇のような笑みを浮かべている。

「そうかしら? ふふ、マダムの扱きのおかげよ」

 普通の令嬢ならマナー講師や裁縫を教わっているところ、私は今、暗器の講習を受けていた。


 あの日から、リアンがラフェリエール家に来た日から三年が経った。


 一人娘である私は後継者教育が始まり、ラフェリエール家の陰の仕事の補佐や、暗器の講習などの護身術をこの三年間で身につけることになった。現在は最も、毒を慣らす訓練や、毒を作ったりばかりだ。

「クレア様が当主なら、ラフェリエール公爵家も安泰でしょう」

「あら、マダムは私の憧れですのよ」

 今日は久しぶりに暗器をドレスに仕込み、いかに対象を無力化させるかという授業を行っていた。


 ーーコンコン


 ノックがして重厚な扉が開く音がする。

「だれ?」

 マダムと二人、静かに扉を見つめると、薄い紫水晶の瞳をした男がこれまた大きな薔薇の花束を携えて笑顔でやってきた。

「やあ、ご機嫌麗しく。クレア嬢」

 さぞや自信があるのだろう自分の顔面を近づけて男は微笑んだ。

「ルーク様、いらっしゃるなら連絡下さいませ」

 この三年の間に何度か偶然を装った、遠縁の次男であるルークと出くわしている。父親は遠縁のラフェリエールの嫡子を婿入りさせようと考えているのだ。何回も遭遇するが、その全てが接待や大事な用事の無い日のため、すぐにこの考えに至った。

 何とか粘っていたのについこの間父親は、私の預かり知らぬところではこの男と婚約の約束をしてしまった。まあ小説ではあと二年後に没落する公爵家では、私が継ぐなど叶わない夢なので、婚約していたところで特に支障はない。

「サプライズですよ。クレア嬢」

 ルークに手を取られてそのままキスされる。

 マダムは完全に存在感を消して壁の花となっているも、がっつりこちらを眺めている。

 平静を装いながら、引き攣る顔でルークへの疑問を口にする。

「……それで、ルーク様。私になんの御用ですか?」

 さりげなくドレスの裾で手を拭う。

「おや、貴女と私は婚約者なのですから。会いに来るのに理由など不要です。それに……男として愛する方に会いに行くのは当然でしょう」

 薔薇を差し出して、絵画ような顔に笑みを浮かべ、ルークが距離を詰めてくる。

 ルークもやはりラフェリエールの血が混ざっているからか、美しい容姿に薄い紫水晶の瞳を持っている。私ほどとは言わないけれどなかなかの美貌だろう。

 現実逃避にそんな事を考えながら、扉の方へ後退る。

 いくら今は婚約者だからといっても予定を潰されてはかなわない。

「……確かにお父様たちが約束をされた様ですが……ルーク様も私のような田舎娘ではなく、王都の美しいご令嬢がよろしいでは?」

「まさか、クレア嬢よりも美しい令嬢など、存在しませんよ」

 私の髪をひと房取ると、リップ音を立てながら口づけた。壁に寄ったマダムが歓声をあげる。

「――それに、こんなに美しいあなたと結婚出来るのなら、わたしの人生にも意味があるというもの」

「まあ」

 適当な愛想笑いを浮かべながら、扉を潜る。

「ルーク様、わざわざ薔薇の花束をありがとうございました」

 これ以上つきまとわれないように捲し立てる。

「お父様のところへ行かれるのですよね。男性同士難しいお話でもなされるのでしょう? ふふ、案内させますわ」

 廊下に立つ侍女にルークを押し付けて微笑む。

「私はお稽古がございますの。それではルーク様、ご機嫌よう」

 何か言いたげの顔を遮るように背を向けて部屋へ向かった。




 ひっそりと、どことなく暗い屋敷の中。

 長い廊下を歩けば、ヒールが軽やかな音を奏でる。ちょうど花瓶の周りを掃除していた侍女に声をかけて、無駄に大きな薔薇の花束を渡す。

「これ、適当に生けておいてくれる?」

「かしこまりました」

「ありがとう」

 部屋に戻った瞬間、我慢していた毒の効果でずるずると、かがみ込んだ。自室で気持ちが落ち着いたのか頭もぼうっとする。

「……やっぱり慣れないわね」

 おそらく熱も出ているのだろう。視界も白くぼやけて、ついに力が抜けて倒れてしまった。

(床で寝たら絶対に悪化するのに)

 言うことを聞かない身体に辟易していると、後ろで戸が開く音がした。

 聞き慣れた靴音がすぐ近くで響く。

「大丈夫か、クレア」

 抱き起こして私の顔を覗き込む、心配そうな視線がぶつかる。

「……大丈夫。いつものだから」

 そう呟くとリアンは眉根をぎゅっと寄せて私を見た。

「そう怒らないで。この家に生まれたからには、通らなければならない道なのよ」

 リアンは無言でじっと私を見つめたあと、抱えてベッドに下ろした。

「ありがとう」

 リアンはそのまま、私のベッドの隣に置かれた彼専用のソファーに寝転がって、いつも通り手を繋ぐ。

 リアンは精神的に過酷な仕事によって、発作を起こしたことがある。その日から少しでも気持ちが安定するように一緒の部屋で、手を繋いで眠ることが習慣化した。

「私、もうリアンがいないと生きていけないかもしれないわね」

「何言ってんだ、さっさと寝ろ」

 弱音を吐いてもリアンはいつも通り、少し冷たいと取られるような態度だ。

「……ねえ、リアン。もう少しのところまで、来ているわね」

 リアンの方へ向けていた顔を、天井の方へと向け、繋いでいない方の腕を瞼の上にのせる。

 リアンが身じろいで、衣擦れの音がする。

「早くあなたを逃がしてあげたい」

 そう言うと、リアンと繋がれた手の力が少し強まった気がした。




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