ラフェリエールの毒

春宮 絵里

第1話






 四大公爵家その一つに属する、ラフェリエール公爵家。スクワイア王国の北部地域を領土とする大貴族だ。

 ラフェリエール家は代々美しい美貌の子が生まれることからその血を引くものが多い。

 現在本家筋に一人、娘がいた。その名はクレア・ラフェリエール。白く輝く肌と、波打つ純金を溶かしたような金色の髪を持ち、ラフェリエール家特有の、紫水晶の瞳が煌めく美少女だ。


 その広い北の領地の屋敷で私は思わず頭を抱えた。というのも、つい先程前世の記憶が蘇り、とんでもない事実が発覚したからだ。






◾︎◾︎◾︎






「なんの御用でしょうか、お父様」

 久しく記憶になかった父親の顔を見上げる。若い頃はさぞ綺麗だったのだろうと思われる顔に、人好きのする笑みを浮かべて、紫水晶の瞳をこちらに向けた。

「そろそろクレアに家業を教える年頃だろう」

 そう公爵である父親に言われて連れられたのは、ずっと秘匿されていた地下室だった。

 父親について行き、地下室に入る。まず目に入るのは陳列された、武器や何に使うのか考えたくもない拷問器具たち、そして簡易的な温室だ。その奥には、厳重そうな扉がおびただしい数配置され、その部屋の中には目の焦点が合わない、薬漬けにされたと思われる多くの男が小さな硝子越しに見えた。

 いつも暮らしていた屋敷の地下室のあまりの光景に無言で放心していると、にこやかな顔をした父親が私の顔を覗き込んだ。

「良かったよ、クレアが拒絶することなくて」

 その言葉に視線を父親に向ける。

「もしも吐いたり逃げたりしていたら、殺してるところだった」

 いつの間にか手に持っていたナイフが鈍色に光る。

 呆然としていたことを、都合よく解釈してくれたようだ。

 ふふ、と艶やかに微笑んで、そっと視線を外す。父親を視界に入れたくなくて、自然に一番手前の部屋を見る。

「ああ、これはまだ投与してないから近づいちゃ駄目だよ」

 青みがかった銀髪に、琥珀色の瞳。年の近い彫刻のように美しい男と目が合った瞬間、頭に膨大な数の記憶が戻ってきた。ふらりと倒れそうな体を、父親の存在に叱咤して外側に出さないように手を握り込んだ。もう一度、琥珀色の瞳を睨みつけるように見つめる。


 間違いない、ここは、この世界は………………前世で読んだ鬱小説の世界だ。


 囚われている彼は、リアン・スクワイア。この国の王子で継承権第一位の紛れもないロイヤルだ。


「お父様、投与ってなんですの?」

「ああ、これさ」

 父親がポケットから取りだした小瓶をクレアの前に掲げた。

「これは……毒ですわね」

「流石、私の愛しい娘クレアだ。そう、これはラフェリエールの毒だよ」

「我が家名がついているのですね?」

「そうだよ。一般には流通していない、精神操作を可能とする毒なんだ」

 やはりそうか、とクレアは愛らしい笑みを浮かべて思い出した鬱小説を頭に思い描く。


 この鬱小説の内容は十五歳の主人公、リアンが誘拐されるところから始まる。王子だと知られずに誘拐され、人身売買を生業としたラフェリエール家で買われたリアンは、その精巧な美貌を気に入った息女のクレアから徹底的に虐め抜かれ、心身共に壊れていく。

 ラフェリエールは人身売買を筆頭とした、闇の商売で栄えてきた一族であり、その対称に、光の王室とも呼ばれるスクワイア家が描かれ、あの手この手で主人公のリアンが酷い目に遭うのだ。

 二十歳となったリアンがクレアの隙を見て逃げ出したことで事態は発覚し、ラフェリエール家は没落、一族は全員処刑された。

 しかし処刑されたあとも、リアンはラフェリエールの毒に精神を蝕まれ続けた。

 光の聖女であるアリスティアが、祈りや薬を使ってラフェリエールの毒を極限まで弱らせることができて、やっとリアンと結ばれると思いきや、次はヒロインがその毒に侵され、結婚前にポックリと死んでしまったのだ。

 前世の私はヒロイン推しだったからそこで読むのをやめてしまった。


「ラフェリエールの血族には無害な薬だから、クレアも欠かさずに持っていなさい」

「はい。ありがとうございます、お父様」

 ぎらついたリアンの視線が刺さる。彼の瞳を見て全て思い出せた。リアンの琥珀色の瞳は王家に伝わる擬態であり、その実、王族を示す黄金の宝石眼が隠されている。小説では、どんな宝石よりも美しい瞳だと描かれていた。それならば是非とも見たいと現実逃避を続けていると、父親がある程度ラフェリエールの家業について説明が終わったようだった。


 このままでは小説通り、クレアは殺されてしまうだろう。それでも、きっと、まだ間に合う。


ーーまだ、間に合うのだ。


 人身売買で知らずに未来の王を買った父親はもう処刑確定だろう。別に悲しくなんてない、特にこの地下室を見たあとでは尚更。今さっきも、公爵家お抱えの暗殺部隊で使えるから買ったと言っていた。

「ねえ、お父様。私、このペットが欲しいわ」

 リアンを指差して、父親を見上げる。

「へえ、なぜだ?」

 父親はにやりとした顔つきで、片眉を上げた。

「だって、綺麗な顔をしているじゃない。私のペットにぴったりでしょう?」

 ふふ、と可愛らしく微笑んで、駄目押しにお父様、おねがいしますと上目遣いする。

 それだけで父親は破顔して、「クレアがそんなに欲しいなら、しょうがないなあ」と了承してくれた。

「でもクレア、このペットは夜に仕事があるから、夜以外の時間にクレアのペットでもいいかい?」

 疑問形で笑った父親の目の奥は笑っていなかった。

「もちろんです、お父様」

 怯えの表情をおくびにも出さずに返答する。

 父親は満足そうな顔をすると、片手を上げて従者を呼び、リアンの首輪に繋がれた鎖を私の前に引っ張った。リアンの威嚇している視線を感じながら、屈んで微笑む。

「おっと、忘れるところだった」

 父親が胸元から小瓶を取りだして、従者に渡す。従者はいつの間にか手に持っていた注射器で小瓶の中身を吸い出し、嫌がるリアンの首元に刺してラフェリエールの毒を投与した。

 眼前で行われる行為に虫酢が走る。

(ごめんなさい、リアン。あとで中和薬を作るから今は我慢してちょうだい。ラフェリエールの毒を投与されていない者は一生地下に閉じ込められるのよ)

「お父様、この温室も使ってもよろしいですか?」

 父親は面白そうに口の端を釣り上げて私を見た。

「ああ、好きに使いなさい」

 そう言うと、ひらりと手を振って先に地下室を出ていった。

「ありがとうございます」

 父親の背中が見えなくなると、くるりと振り向いて従者に微笑みかける。

「私は薬草を摘んでから行くわ。先にこの子を私の部屋に連れて行って」

「かしこまりました」

 従者は一礼して、暴れるリアンを引きずっていった。

「あれは……傷薬も必要みたいね」

 温室の前に置かれた籠を持って、中に入っていった。

 ラフェリエールの毒に解毒剤は無い。それでも、症状を緩和する、中和薬は存在した。詳細はラフェリエールが代々秘匿してきたけれど、記憶が戻った私にはその中和薬の知識がある。ラフェリエールの毒は精神干渉の毒だ。つまり、精神汚染や興奮することを抑えれば中和できる。中和薬の主な材料はカモミールだ。その精神鎮静作用が肝となる。必要な薬草をぽいぽいと籠に入れていく。

(そろそろ良さそうね)

 摘むのをやめて、地下室を出る。鬱小説の内容の記憶や、これからどう行動していくのか覚えているうちに纏めておきたい。急ぎ足で自室の戸を開けると、従者とリアンがいた。

 報告しようとする従者をさっと手で制する。

「ありがとう、もういいわ」

 従者は一礼して部屋から出ていった。

 リアンは首輪に、手枷と口封じをされて部屋の真ん中に座っていた。何か言いたげなリアンの口封じをとって、すぐに離れる。琥珀色の両眼が私を鋭く射抜いて、下手をしたら噛みつかれそうだ。

 鋭い視線を無視して、腕まくりをして早速部屋にある机の上で薬を作り始める。

「あなた、名前はなんて言うの?」

 リアンの名前も、王子だということも知らない体を装う。質問しても何も答えないリアンに苦笑する。

「まあ、いいわ。少し待っていて」

 全てのことを忘れて夢中で薬効を抽出していると、背に声をかけられる。

「おい。ここはどこだ、お前は誰だ」

 振り向いて、リアンの強く瞬く瞳を正面から受け止める。

「打たれた毒は何だ」

「一つずつ答えるわね」

 静かに答えて、琥珀色の瞳を真っ直ぐに射抜く。

「まず、ここは王国北部、ラフェリエール領にある屋敷。私はその領主の娘クレアよ」

「…………ラフェリエール」

「あら、知っているのね」

 片眉を上げて不思議そうな顔を作る。

「俺が注射された毒はなんだ」

「ラフェリエールの毒よ。聞いたことくらいあるでしょう?」

 毒の効果を思い至ったのか、また暴れ始める。相手取るのが面倒そうだから、また背を向けて中和薬作りを再開する。ひとしきり暴れたからなのか、肩で呼吸して唸るように呟く。

「お前たちは最低だ、いつか絶対に暴かれる日が来る」

「ええ、そうでしょうね」

 私が冷たく答えると、怪訝そうに思っている雰囲気が伝わってきた。

「傷を治して、逃げられる機会があったら、早くここを出ていきなさい」

「俺が逃げ出したら、公爵家が潰れるぞ」

「構わないわ」

「何を言う。父親の公爵とお前は親子だろう」

 本気でそう言っているリアンを、鼻で笑う。

「お父様は私を愛しているように見えるけれど、違うわ。ラフェリエール公爵家の一人娘という利用価値のある娘を愛しているのよ」

 記憶が戻ってから、クレアが生きた十八年間の記憶を客観視できるようになった。

 絶句するリアンが可笑しくて、くすりと笑う。

「随分甘い世界で生きてきたのね」

 彼の大きな瞳から溢れんばかりの動揺と怒りをまた無視して、小説に書かれた毒の症状を思い出す。

「頭にモヤがかかったような気がするでしょう?」

 その通りのようで、無言が続く。

 出来上がった薬をカップに注ぐと、カモミールの花の香りが鼻腔をくすぐった。リアンの元へ持っていく。

「これは中和薬よ、ラフェリエールの毒の効果を中和するの」

 不審そうに私とカップを見比べてリアンは横を向いた。

「飲まないと、あなたは一生ラフェリエールの奴隷よ」

 少し脅して、手枷を外してカップを渡そうとすると、リアンは自由になった手でカップを振り払った。

「要らない、どうせ毒が入っているんだろう!」

 中の熱い薬が手にかかる。

「痛っ」

 咄嗟に出た私の声に、リアンの瞳がゆらゆらと揺れた。それも一瞬で、火傷した手を胸に抱え込んで、リアンの彫刻のように冷たい美貌を見ると、目の縁に涙が盛り上がっていく。

「……私だって、好きでここにいるわけじゃないのに」

 声に出ていたようで、驚いたようにリアンが私を見る。それでも、今はどうでもよかった。

 ついさっき、いきなり記憶が戻って、それも凶悪な父親と二人きりの状態に加えて、目の前には既に掴まった主人公がいて。私だってまだ現状把握していないのに、とりあえずリアンを助けよう、って必死に綱渡りをしてきたのに。

 リアンに親切心で渡した中和薬を拒否されて、メンタル維持の均衡が決壊したようだ。

 ぽろりと涙が手の甲に落ちる。

 ようやくリアンの目の前で泣いたことに思い至って、濡れた手の甲で涙を拭う。

「……中和薬はまだ残ってるわ、好きにして」

 寝室へ行こうと立ち上がると、火傷した方の腕をリアンに取られて、引かれていった。

「ちょっと……何なの?」

 私の疑問には答えずに、リアンはずんずんと歩いて水を出すと、無言で私の手を冷たい水につけた。

「……悪かった。何も出来ない歯痒さをお前に当たっていた」

 リアンの横顔を見上げる。

「……そう」

 本当に申し訳なさそうな横顔になんとも言えなくて、目を伏せて冷たい水が流れる手を見つめた。

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