月とおやすみ。

神無月 雄花

月とおやすみ。

 いつからだろうか。

 完全に光の閉ざされた夜道の中、こうして、月を探し歩くようになったのは――


 

 この世に存在する、全ての生物が寝静まるような時間。

 指先でくうをかき混ぜながら、荒れたコンクリートの上をただひたすらに歩いていく。

 申し訳程度にほどこされている街頭には、よくわからない虫がたかっていて気持ちが悪い。

 そのせいか、等間隔に立ち並ぶ会社や住宅からは、常に誰かに見られている気すらもしてくる。


「こんなにいても、君はどこにも――」


 切り裂くように険しく目をすぼめながら、小さな声で苦言を吐く。

 自分の存在が、できるだけ周囲の闇に溶け込むように。


「もう、ここに用はない」

 

 夜は有限だ。

 刹那の思考でさえ、積み重ねればあっという間に時は過ぎていく。

 できるだけ無駄な時間を費やさぬよう、少し足早に向かいの大通りへと歩みを進める。

 

 しかし、そこに予期せぬ問題が生じた。

 

 向かう道の先にあるのは、歪なほど堂々とそびえ立つ信号機。

 そいつは僕を、ケージの中の虫を眺めるように覗き、その赤い目で嘲笑あざわらう。

 

 気味が悪い。

 

 というか、命の危機すらも感じる嫌悪感が、風を伝播してこだまする。


「どうにかして、このままこの道を行くことは……出来なさそうだな」


 そう考えた僕は、あの悪魔をどうにか回避しようと周囲を見渡す。

 すると、偶然1本の細道を見つけた。 

 しかし、そこは今立っている場所とは何もかもが異なるあぜ道。


「いくしかない……か」


 急遽路線を変更し、国道の垂直線上にある道を切り開いていく。

 足元に咲く花も、草木も何も認識できない。

 ただ、昨夜の雨でぬかるんだ土が、靴底を伝って訴えてくる。

 強く、けたたましく「こっちに来るな」と。


「――うるせぇよ」


 小さき先祖の抵抗に苛立ちを覚えながら、ゴミを踏みにじるように強く歩く。

 1歩。

 また1歩。


 前に進んでいるのか、それとも後ろに下がっているのか。

 時空が歪む程の幻覚が、酷い頭痛を伴って襲う。

 

 それでも――

 

 1歩。

 また1歩と進む。 

 体が熱い。

 多分38度以上、細胞が機能を停止する程の高熱を出している。

 足が重い。

 下半身の皮膚、その大半は削がれただろう痛み。

 目から血が垂れる。

 しかし、この足を止めることはない。


 たとえ己が灰になっても。

 この世の誰にも認知されず、死んでいくとしても。

 僕という存在すら消えたとしても。


 君に合うまでは、まだ。



 

――今から6年前、僕には愛した1人の女性がいた。

 その人はとても綺麗で、美しい。

 満月のような肌を滑らし、星空のような目で世界を見渡す。

 一見なにも考えていないようであり、しか、一方で全てを悟ったような顔をする。

 僕は、それが大好きだった。 


 日本全国都道府県。

 そのどこにでも存在するような田舎、同様の道。

 僕は、鼻歌を歌いながら歩いていた。


 それに理由なんて相応としたものはない。

 

 ただ、与えられた平凡な暮らしに飽きてしまったのか。

 はたまた新しい出会いを求めていたのか。

 満開の晴天を見上げて、煌めく太陽にそっと右手を翳した。


 今思えば、こんなどうもしないワンシーンすら、何かの伏線だったのかも知れない。

 井の中の蛙が初めて外界へ出るような、そんな感覚。

 生命が日常の枠組みを超えて飛び出して行く、高鳴り続ける波動と共に。

 

「――おはよっ!」


 翌日の高校入学式直後、たまたま席が隣だった彼女が声をかけて来た。

 最初はただうざったらしいなと思うばかりで、好きになるなんて微塵も思いすらしなかった。

 どうせ今日限りで存在を忘れられ、もう関わることのない人種なのだろうと。

 

 いままでだってそうだ。

 あまり関わりのない人がたまたま同じ班になったとしても、最初はやれ”嬉しい”だの”よろしく”だの。

 そうは言っても、3日も過ぎれば空気のように扱うくせに。

 今回もまた、いつもと同じようになるのだろう。

 そう、思っていたからだ。

 

 しかし彼女は違った。

 雨の日も、晴れの日も、曇りの日も、台風の日も。

 どんな日だって、1年中毎日、毎日毎日毎日。

 僕に、何気なく話しかけてくれた。

 それはそれは嬉しかった。

 人生始まって16年間、誰1人として気にもかけてくれなかった僕を、初めてちゃんと見てくれたと感じたから。

 

 そして時が経ち、2年に上がった春。

 またもや同じクラスで隣の席だった彼女に、今度は僕から話しかけてみることにした。

 内容は、”今年もまた隣だね”というなんとも言えない平凡なもの。

 だが、彼女は僕から話しかけてくるとは想像もしていなかったのか、あっけにとられてぽかんとした表情を浮かべていたのを今でも覚えている。


 それから、きっかけを得た僕たちは、2人で色々な事をするようになった。

 

 ある日は、遊園地に行って絶叫系のマシンに乗ってみたり。

 またある日は、放課後の教室で笑い合ったり。

 映画も見に行ったし、手も繋いだ。

 キスだってしたし、もちろんそれ以上も。 


 これまでの人生からは、考えられないほど充実した生活。

 いつまでもこのまま……そう、ずっと一緒だと思っていた。


 あの日までは。


「今朝、ses54fhuu彼女が転校したらしい。先生も悲しいが、アイツの思いを背負ってより良いクラスにしていこう!」


 朝のホームルーム。

 筋肉質な体育会系の教員が、涙を流しながら訴える。

 唐突に伝えられた事象に、僕は耳を疑わずにはいられなかった。


tgchtdfh467彼女が転校? そんなの嘘だろ? いや、絶対に嘘に決まってる。だって、ずっと一緒に居るって、ずっと一緒だって約束したんだから!!!」


 受け入れがたくも坦々と過ぎ行く事実に、いても立ってもいられない。

 そういえば、あの日もそうだった。

 今日のように君を探して、町の至るところを駆けて回った。


 君と遊んだゲーセン。

 君と夢見た遊園地。

 君と別れた交差点。


 どれも、もう跡形も無いけれど。

 あの時は、君と僕の記憶の共通点を掘り返しては探した。


 でも。 

 それでも、君はどこにもいなかったんだ。

 

 僕のことなんて、彼女からしたらもうどうでもいい存在なんだ。

 最後くらいは、僕のことを想って煩ってくれるとどこか期待していた。


 もう、諦めよう。

 

 泣きそうになる瞳を押しつぶして、どうにか帰路についた。

 視界がぼやける、思考がおぼつかない。

 しかし、これは運命の始まりだった。


 深くうつむきながら登った歩道橋の上、偶然逆の階段から登ってきた君を見つけた。

 この時ほど安堵したことは他に無い。

 "僕のことを忘れないでいてくれた"、”本当に僕たちは運命で繋がっているんだ”と、心の奥底から数えきれない量の感情が溢れ出てきた。


 目を輝かせる僕を、彼女はただ静観する。

 驚きの声も出さず、瞬きもせず、その場に立ち止まって。

 彼女を前に、今何かしら声をかけなければ、また居なくなってしまうのではないか。

 でも、どんな言葉を並べれば良いか浮かばない。

 嬉しさを表す前に、そんな事ばかりが脳裏によぎる。


 だが、その直後。

 不自然なあの静止が、彼女の意思ではなかったことを僕は初めて認識した。

 反射的な思考よりも、行動が先に出ていたのだ。

 

「ここで再会するあうのも運命なんだ。君と僕は、そういう運命で繋がれているんだ! だよね? 君もそう感じたから、僕に話しかけてくれたんでしょ?」


 素早く発せられる言葉の残響が、日が照らすの大通りに響き渡る。

 そう、向かいの彼女は、別に感動をして立ち止まっていたのではない。

 はたまた絶望をして立ち止まったのでもない。

 

 彼女は僕の言葉を元に、動けなくなっていたのだ。


「……そう思ってたのは君だけだよ…………。私は、そんなこと望んでなんか無かった! でも、貴方が脅したんじゃない。rff46ghなら、d75yyvghだって!」


 彼女は声を震わせながら返答をする。


「……は? いやおかしいだろ。なんで、なんでわかってくれないんだ! 君だって楽しそうにしてたじゃないか……遊園地の時も、映画の時も!」


 興奮のせいか、無意識に声が張ってしまう。

 彼女のこれから、彼女の全て。

 彼女の、彼女のための、僕から送ることのできる最後の通告。

 2人で夢見ていた光景を、世界を、また独りになんてしたくない。

 そんな思いが、体を支配する。

 

「――――そんなの全部、演技に決まってるじゃん」 


 ffhghug66は、鳴き声混じりの声で言う。

 ありえない、あってほしくない。

 そんなこと、あってはならない。

 だから――――





「――――はっ!?」 


 次に気がついた時、僕はすでに目的の大通りへとたどり着いていた。

 長い夢を見ていたような浮遊感に襲われ、記憶が曖昧でぱっとしない。


 しかし、そんな状態も長くは続かなかった。

 遠方からでもはっきりと認識できるわかる、低く高鳴る走行音。

 

【目を覚ませ】


 と言わんばかりに、運搬用の大型トラックが背後から通過する。

 乗用車が1台、また1台と連なる。

 その度に、背筋をなぞる謎のシンパシー。


「……行くか」

 

 そうして、何者かに引っ張られるかのように、僕の体は動き出した。

 脳が、いや魂が。

 過ぎ去る鉄箱に、君の香りが途切れぬ内に……と。


「まさか、ここだったとは」


 に映るは、田舎では珍しい大きな歩道橋。

 軋む螺旋階段を登った先、国道の真上に位置する場。

 錆びた柵に寄りかかって、空の星々を眺める。


「――あぁ、この世はこんなにも美しい。君も今頃は、あの輝きに酔いしれている頃だろうか……」 

 

 そう。

 結末から言うと、

 

 だって仕方がないじゃないか。

 一緒に居る為には、そうする他なかったのだから。

 あの時、君を僕だけの物にするためには、を出すしかなかったのだから。

 

 そう自分自身を肯定して、街頭からそっと目線をらす。

 別に、何か見たくなかった物があるわけじゃない。

 

「ただ――」

 

 続ける言葉を言う前、不意に背中を突かれた。

 よろけた僕の体は、前方の柵に身を任せ、抵抗する力もないまま揺れる。

 

 次の瞬間には、僕は宙に浮かんでいた。


 どうやら死ぬ事が確定したようだった。

 しかし、こんな絶体絶命の瞬間にでも、特に動揺しない自分がいる。


 だって、それもそのはず。

 僕に最後触れたのは、あの時から何一つとして変わらない、柔らかくて優しい感触。

  

「あぁ……なんだ。君はずっとそこにいたのか」


 地に落ちる寸前、そこに映る君に、優しく頬を撫でるように手を伸ばす。

 ずっと探し続けて来た、見えない君からの最後のプレゼント。

 

「うん……向こうでも、また会えたらいいね」


 そうして、僕の生命は幕を閉じた。

 享年26、更けきった夜に向かい思う。

 

 おやすみ、ルナ――――



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月とおやすみ。 神無月 雄花 @kannazukiYuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画