第38話『透明な壁』

「そう言えば先輩。雅ちゃんが、先輩とコラボしたいって言ってましたよ」

「え?」


 星奈がなんとはなしにそんな事を口にしたのは、夕食中の時であった。

 Instagramで見つけた、豚バラを使ったレシピ。豚塩ネギ丼は想像よりも美味しく出来上がり、これは夕食の献立表に追加してもいいなぁ〜、なんてぼんやりと考えていた私は、思わず間抜けな顔でシイナに目を向ける。


「……雅ちゃんって、あれだよね? 星奈が憧れてるVtuberの」

「そうですそうです。この前話していた時、先輩の話が出て」


 星奈の口にも合ったのか、ハムスターの如く頬をいっぱいに膨らませ、モグモグと口を動かす彼女。

 ちらりと、気付かれぬよう星奈の顔色を伺う。が、彼女は至っていつも通り。ポヤポヤと目を細め、私の料理に舌鼓を打っているだけだ。

 特段、先の発言に何かしらの意図は無いと悟る。


「えぇ? 雅さんが私とコラボ?」

「はい! コラボもそうだけど、話してみたいって言ってましたよ」

「うーん……」

「あ、勿論先輩の気が進まないなら大丈夫ですよ」

「あぁいや……気が進まないって言うか、私なんかが絡んでいいのかなぁって所がある」


 どうにも私の反応がいまいち良くないのが分かったのか、星奈は慌てた様子で言葉を続ける。

 しかし、次に転がした私の言葉に星奈はピタリと動かしていた箸を止め、じっと私を見た。その表情は何処か呆れの色が滲んでいる。


「いやいやいや。私なんかがって言いますけど、先輩凄いですからね?」

「んぇ? 何が?」

「たった数ヶ月でチャンネル登録者十五万人突破したVtuberが、凄くないわけないじゃないですか」

「え、や、それは」


 はぁっと嘆息し、わざとらしく肩を竦めた星奈。

 私は咄嗟に言い返しそうになったが、すぐに己の口を閉じる。喉元まで迫り上がった思いを必死に嚥下し、別の言葉を脳内で模索。グルグルと胸中で渦巻き始めた感情が決して漏れぬよう、意識的に呼吸を繰り返した。


「だとしても、だよ。まだ私、新入りのぺえぺえだもん。コラボも星奈としかしたことないし、お相手はベテランのVtuberさんってなると、ね」

「まぁそれはそうですけど。別に先輩は誰が相手だったとしても、楽しく話せる性格ですよね?」

「いやぁ、雅さんってなると流石の私も緊張しちゃうって」

「ふふ。初配信の時みたいに?」

「もー! すぐそれ出してくるんだから!」

「あはは!」


 どうやら私の努力は功を奏したのか。星奈に気付かれることなく、私は自分のペースを取り戻し、会話の空気感を掴み取る。ケラケラと笑ってくれる彼女に、私は音を殺してゆっくりと息を吐き出した。


「でも大丈夫ですよ。どれだけ先輩が緊張していようと、相手は雅ちゃんですよ? 先輩が言うようにベテランですから、きっと上手に配信を進行してくれると思います」


 屈託のない笑みを浮かべ、キラキラと眼を輝かせた星奈に。人知れずチクリと私の心臓が悲鳴を上げ、ぐぅっと言葉が詰まった。

 信じて疑わない眼差しは、私に向けられたものではない。彼女がVtuberを目指すきっかけである、憧れの月影雅に向けられたものだ。

 月影雅のポテンシャルに一切の懐疑はない。雅ちゃんなら大丈夫。本心から、星奈は語る。それが、長年共に過ごした私には、分かってしまう。


「それにあたしも一緒にいますから、ね? 心配しなくても、大丈夫ですよ。もし先輩がとちっちゃっても、あたしがカバーします!」

「……ふふ、アンタが私のカバーするの? 本当に出来る?」

「あぁ〜! あたしの事疑ってるんですか!? こう見えてあたし、すごぉ〜いVtuberさんなんですからね!」

「ごめんごめん。ちゃんと分かってるから、星奈が凄い事」

「ふぅ〜んだ。本当かなぁ〜?」

「本当本当。星奈の事、一番近くで見てたのは誰だっけ?」

「…………ずるいなぁ」


 照れた面持ちでちぅっと唇を尖らせた星奈に、私はくつくつと喉を鳴らして笑う。


「まぁ私も雅さんと一度話してみたいって思ってたし、良い機会かな?」

「え? そうなんですか?」

「うん。星奈があれだけ限界化してるんだもん。気になるでしょ」

「……限界化してるのは否定出来ませんけど……なんか解せない」

「なぁに言ってんのさ。恋人の事を知りたいって思うのは、不思議な事じゃないでしょ?」

「……すぅ〜ぐそうやって先輩はあたしが嬉しがる事を言うんだから」

「嫌じゃない癖に」

「そうですよ? めちゃくちゃ嬉しい」


 真っ白な歯を見せて、くしゃっと彼女は笑う。幼気な笑みだ。きゅうっとまたも心臓が鳴く。それは恋の鳴き声だった。


「て言うか、雅ちゃんとのコラボ配信、出てくれるんですか?」

「ん、いいよ。緊張は多分するけど、大丈夫」

「やったぁ〜!」


 私の返事に星奈はきゃいきゃいと子どもみたいに喜んで、ゆらゆらと横揺れをする。私しか知らない、上機嫌になった時の彼女の癖。大人っぽい一面もあるが、やはり小さな子どもみたいな星奈は昔から変わらない。


「じゃあじゃあじゃあ、後であたしの方から雅ちゃんに言っておきますね!」

「うん。よろしくね、星奈」

「はぁ〜い! この桐崎星奈に任せてください!」


 胸を張り、こくこくと星奈は頷く。余程嬉しかったのか、いつも以上に煌めく星奈の瞳。ニコニコと破顔する彼女の姿に私は苦笑し、豚塩ネギ丼を一口パクリ。やっぱり、美味しく出来上がったなぁ。


「ふっふふ、楽しみだなぁ〜。何します先輩。普通に雑談枠取ります? それとも一緒にゲームとか? 企画系とかもいいかも」

「企画系って、例えばどういうの?」

「んぅ〜、そうですねぇ〜。そう言われると難しいんですけど…………あっ! 獄激辛ペヤング食べます?」

「それ、いつ流行ったか覚えてる?」

「五、六年前でしたよね」

「Vtuber業界の時の人であるアンタがやり始めたら、またあのブーム巻き起こされるの目に見えてるって」

「むしろあのブーム、もう一回巻き起こしたいまでありますよ」

「そうなるとアンタのガチ推しである雅ちゃんも獄激辛食べないといけなくなるけど」

「さて、他に先輩やりたい事とかありますか?」


 星奈はあからさまに話題を変える。先のウキウキと悪巧みを口にしていた悪ガキは何処へやら。

 キュルキュルと純粋無垢な表情を作って、あざとく上目遣いをする彼女に、私は二度目の苦笑を溢し、最後の一口を頬張った。


「私はなんでもいいよ?」

「なんでもいいが一番困るんですけど……」

「困るって言われてもなぁ。あんまりな無茶振りじゃなければ、なんでもいいかなぁって」

「あんまりな無茶振りって、例えば?」

「バンジージャンプ動画とかさ」

「バンジージャンプするんですか……? Vtuberが……?」

「いなかったっけ。バンジージャンプしてたVtuberさん」

「あぁ〜。いや確かにいましたけれども。やりませんよ。あたし高所恐怖症だし」


 ご馳走様でした、と手を合わせ、後は隣の彼女を見守るお仕事。丼の残りは三分の一程。すっかり配信者の顔になってうんうんと考え込む星奈に、私は茫洋と瞬きをした。

 星奈は、Vtuberだ。個人勢として活動を始め、今やVtuber業界に於いて名前を知らない者がいない程の、人気Vtuberの一人。彼女の配信の同時接続者数は五千人は堅く、一度彼女がXにて発信をすれば瞬く間にいいね数は四桁を超え、リプライも多く寄せられる。動画であっても再生数は優に十万回。最近だと、オリジナルMVの歌ってみたが百万回再生を突破していたか。個人Vtuberの枠組みから考えると、偉業とも言えるだろう。

 つまるところ、星奈は凄いのだ。誰の目から見ても、星奈は凄い存在だ。Vtuberの中のVtuberと言っても過言じゃない。星奈は、とてもとても凄い人間なのだ。

 それを最近になって、今更に、実感している。彼女の凄さを。本当に、今更すぎる話だ。

 分かっていたはずだ。星屑セナは……いや、桐崎星奈は凄い人であると。分かっていたはずなのだ。

 なんと滑稽で愚かしい事か。今になって、何故私はまた苦しみを抱いていると言うのだ。もう私は、解放されたはずだ。彼女が、星奈が私を解放してくれた。トラウマを引きずって、意固地になって、頑なに己の殻から出てこなった私を救い出してくれて、私はもう透明じゃなくなったと言うのに。

 私は何者かになった。何者かになれた。私の身体に輪郭が描かれ、色が落とされた。無色透明じゃない。私は確かに、明確な名前を持つ事が出来た。

 何も不満はない。だって私は何者かになれた。何にも思う所なんてない。そうでなくてはならない。

 はず、なのに。


「んぅ〜っと、じゃあねぇ〜。うぅ〜ん。どうしましょっか?」

「ありゃ、分かんなくなっちゃったか」

「分かんなくなっちゃったぁ〜」


 見えてしまった彼女との、一枚の透明な壁は、私には乗り越えられない。

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私、人気Vtuberの彼女してます〜配信の切り忘れにはご注意を〜 終夜こなた @yosugarakonata

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