同意はアプリから。

渡貫とゐち

全ての同意はここから。


 同意か不同意かで後々面倒なことになるなら、最初に確認を取っておけばいい。


「ねえ、俺と付き合ったらさ、『そういうこと』もしてくれるの?」


 あなたが好きですと告白されて、それを俺が受け入れたら、俺たちは恋人同士になるのだろう。今はまだ子供の口約束でしかないけれど、きちんとふたりの意思を示した証明書を用意すれば、後で言った、言わないの水掛け論になることはないはずだ。


 つまり、これは手前の婚姻届、なのだろうけど、恋人同士の時点で関係性を保証する証明書は存在しない――当然ながら、必要ないからだろう。

 学生の身で婚姻届以前の証明書はいらない。くっつけばすぐに離れるような飽き性だ。そんな俺たちにいちいち証明書なんて発行していれば、止まらない変更手続きが面倒になる。

 だからこそ……ではないだろうけど、大人たちは子供の口約束を重く捉えてはいないのだ。


 大人だって、小さなことにいちいち同意証明書を発行しているわけではない。

 ゆえに問題が多々起こっているのだろうけど……。

 どっちが被害者なのか分からない。冤罪なのか有罪なのかも。同意か否かの証明書があれば、悪人がすぐに見つかっていたはずなんだけどなあ。


 まあ、早々に見つかっても困るのかもしれないが。

 難航しているからこそ必要とされる人材はいるわけで。


「そういうこと、したいの?」

「ああ、したいよ。このまま付き合っていけばきっとそういう場面になるでしょ? でも、その時の空気感で判断してもさ、君が嫌がっていて、俺はそれに気づけなかった――照れているだけかもしれない、と判断するかもしれない。少なくとも嫌がっているわけではないと判断して、そういう行為をしてしまえば、後々に君が声を上げれば俺は犯罪者もどきだ。どれだけ周りに説明しても俺の意見は信用されない。君が泣いて訴えれば、それだけで俺の信用は地に落ちるわけで……だからさ、同意が欲しいんだよ」


 同意。

 でなくとも、後で文句を言いません、という証明だ。


 証明書にサインする? 今時、そんなアナログなことをしなくともアプリがある。確定申告がネットでできる時代に、紙の証明書を発行して――なんて手間がかかることはしない。

 スマホで、アプリで、タップひとつで同意か不同意かを記録できる。記録した回答はサーバーに送られ、第三者に共有される。もちろん第三者とは俺たちの親族だ。

 互いに共有した同意を閲覧することができる。

 同意をタップしたのが本人でなければ? 本人ではあるけど自分の意思ではなく、脅迫されたから押してしまった、という場合もある。

 さすがにそこまでフォローできるアプリではないので、自衛をしてほしいが……。そもそもこのアプリは、後々の「言った言わないの水掛け論」を起こさないだけのアプリである。

 事件になるようなことがあったならば、すぐに警察へ相談した方がいい。こういう時のための警察なのだから、遠慮せずに使った方がいいと思わないか?


「これ、アプリに同意か不同意かの選択肢が出てるでしょ。押してほしいんだよ」

「あー、これね。知ってる。最近出てきたアプリだよね。使ってるんだ?」

「使ってるよ。後で揉めたくないから色々なところでこれを持ち出してる。ひとまず知り合いには緊急時、AEDを使う際に服を脱がしてもいいか、同意か不同意かを選んでもらってるよ……意外と同意が多いんだよね。やっぱりみんな助けてほしいんじゃないか」

「そりゃそうでしょ」


「ただ、聞いたばっかりに、その子が倒れていたら俺がAEDを使わないといけない空気になっちゃってね……いや、いいんだけどさ……。聞かなければ見捨てられたなあ、とは思ってる」

「とか言いながら、見捨てないくせにー」


 脇腹をつんつんしてくる彼女。

 おい、それをしていいと同意した覚えはないんだけど?


「じゃあ、はい。これでいいのかな? タップしたよ」

「ありがとう。これで後々揉めることもな、」


 ――不同意。


「…………あ、ダメなんだ?」

「婚前交渉はしないの。婚姻届が証明書でいいでしょ? だからそれ以前の行為はダメ、だから」

「キスも?」

「うん。あ、じゃあこれも不同意ってことでタップしておく?」


 一応、不同意でも意見を記録するために、アプリの操作をお願いする……。そうか、ダメなのか……。

 一度、不同意と言われてしまえば、俺は手出しができなくなる。したくないと言っているのに無理やりするのは犯罪だ。

 彼女が悲鳴を上げなくとも、既に嫌がっていることが証明されているわけで――――

 あーあ、墓穴を掘った。


 俺は聞いてしまったがために、今後、手出しができなくなってしまった。

 どれだけ良い雰囲気になっても、キスもできない。いや、まだ……手を繋ぐくらいは……?


「不同意です」

「えぇ……。付き合ってるのになにもできなくないか……?」

「付き合ったからと言ってそういうことに終始する必要はないんじゃないかな? 一緒にいるだけで幸せになれるものだよ……。あ、添い寝ならいいよ、同意するね」

「添い寝はいいけど手を繋ぐこともキスも本番もダメ……? 地獄じゃん……」


「一緒にいること、に同意してね」

「そりゃそうでしょ。不同意って、それはもう近づくなってことじゃないか」


 同意か不同意か、で他人の行動を操れてしまうな……強制力は別にないんだけどさ。

 極端なことを言えば、犯罪者になってもいいなら彼女のことを襲えるわけで。もういいやと吹っ切れてしまえば、同意も不同意も関係なく欲に正直になれる。

 捕まる犯人はそういう心境なのかもな。


「はい、これに同意してくれる?」


 彼女が見せてきた質問。


 ――浮気をしません。同意or不同意?


「…………」


 俺はもちろん同意を押そ――うとして、寸前で止まった。

 ふたつの選択肢の下に、もうひとつのボタンがある。

 俺はそれをタップする――保留だ。


「ちょっとっ、浮気するつもりなの!?」

「するつもりはないけど、魔が差して、やってしまうかもしれない。だからそうなった時のために、自分の立場を不利にさせないためにも、ここは保留にしておくよ」


 隠れて舌打ちをした彼女が「いーもん」と頬を膨らませながらスマホを操作。

 別の質問をぶつけてくる。


「私とずっと一緒にいてください!」


 上目遣いで庇護欲を煽る彼女の瞳に、俺は思わず同意を押してしまい――――


「あ、」と気づく。

 一緒にいてください、なら問題はなかった。

 ただ、彼女は『ずっと』、をつけていた。

 つまり――浮気をしないこと、そして既に、この時点で結婚すること(に値するような関係)が決まってしまったようなものだった。


 強制力は一切ない、としても、俺は口に出したわけではないけれど――だとしても。


 男に二言はないよね? と、彼女の圧になにも言い返せなかった。


「もうこれが婚姻届みたいなものだよねっ」


「…………かもなあ」




 ――後々になって気づくことだが。


「ずっと一緒にいてください」は、俺へ向けての質問であり、同じ質問が彼女にも適応されているわけではなかった。

 だから俺は彼女とずっと一緒にいる義務が発生するが、彼女は俺とずっと一緒にいる義務はないわけで……言ってしまえば、浮気し放題なのだった。


 浮気をいつでもできる彼女……否、妻。


 …………不安過ぎる。


「いつでもできる、と思っているとしないものだよ」

「本当かよ」

「ダメだダメだって言われるとしてしまうものなの。事実、結婚してからしてないじゃん」

 してないのが当たり前なんだが……。


「それとも今更ながら、同意してあげようか?」

「今更だな……いいよ、もう。しなくても、信じてるから」


「にひひ。あなたという証明書に、私はキスマークというサインを押してるからねー」

「上手くは……ないんじゃないの?」


 やっぱりそうだよねー、と、彼女は苦笑いしながら、俺の意見に同意した。




 …了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同意はアプリから。 渡貫とゐち @josho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説