第61話

 柱の裏に控えていた廷尉たちが姿を現す。

 彼らは張青磁を取り囲んだ。

「そうです、わたしですよ! 簡単なことだった、蘭家の娘が夜伽で接吻するだけでいいんですからね。わたしに罪が及ぶはずがない。やったのは娘なのだから。蘭氏が皇帝に返り咲けば、わたしは宰相になれる……それなのに! 栄貴妃の邪魔が入り、挙げ句に娘は皇帝暗殺に失敗した! だがまだ機会はあるのだ、また毒の食事を与えればいいのだから!」

 目を血走らせて叫ぶ張青磁は、皇帝暗殺を果たすためにもはや周りが見えていないのだと思えた。

 彼は雪花にまた毒入りの食事を与えれば、皇帝暗殺の機会があると思っている。

「私の食事にだけ、毒が入っているのですね……」

 美味しそうな食事が毒入りと知り、ぞっと背筋を震わせる。

 紫蓮の食事に直接毒を入れたのでは、張青磁はすぐに疑われてしまう。ゆえに雪花を利用しようとしたのだ。

「食え! 毒を食えぇぇ……!」

 突然、取り乱した張青磁は雪花の前にあった皿の料理を鷲掴みにした。

 それを雪花の口めがけて押しつけようとする。

 はっとして、避けようとしたそのとき。

 雪花の眼前に紫蓮が立ち塞がった。

 彼は佩刀していた剣を抜くと、張青磁に峰打ちを食らわせる。

 ぐうっと呻き声をあげた張青磁は頽れた。

 その身を廷尉たちが素早く運んでいく。

「雪花様! お怪我はありませんか?」

 そばに控えていた鈴明と蘇周文が駆けつけ、雪花の身を案じる。

 ほう……と息を吐いた雪花は、ふたりを安心させるため笑みを浮かべた。

「ええ……私は、大丈夫です。紫蓮が守ってくれましたから」

 剣を鞘に納めた紫蓮は、雪花に向き直った。

「蘭家を頭領とした反乱軍は、鎮圧した」

 はっとして、紫蓮を見上げる。

 では、両親は捕縛されたのだろうか。

「……そうだったのですね」

「そなたの両親が企てた、皇帝暗殺のため娘に毒の食事を与えて、暗殺者に仕立て上げるという虐待は許されぬことだ。反乱の罪と併せて厳重に処分する。彼らは幽閉されるだろう」

「陛下に、お任せいたします……」

「雪花。そなたは被害者だ。これからは毒を食べずに、安心して生きていけるのだ」

 その言葉に、雪花は眦から涙をこぼした。

 それは雪花が心から欲しかった言葉を、紫蓮が与えてくれたから。

「ありがとうございます……紫蓮のおかげです」

 雪花は深く頭を垂れた。

 そんな彼女を、紫蓮はきつく抱きしめる。

 毒の娘の闘いは、こうして終わりを迎えたのだった。


 梅の花が見頃の春の日――

 雪花は白銀の旗服に身を包み、清華宮の庭園から梅を眺めていた。

 髪はまだ肩口までしかないので結えないが、楚々とした立ち姿はまさに梅の精のごとく美しい。

 お腹はふっくらとしていて、胎児の順調な生育を表していた。

「春の温かな陽射しは、そなたの体調にもよいだろう」

「ええ、そうですね」

 彼女のそばには常に紫蓮がいる。

 紫蓮は雪花の肩をそっと抱き寄せた。

 寄り添うふたりはウグイスのつがいのように仲がよい。

 雪花は、『雪貴妃』に封じられた。

 後宮の主となった雪花は子が誕生してからもずっと、紫蓮のそばにいられるのである。

 そのように采配してくれた紫蓮に感謝の意を捧げた。

「ありがとうございます、紫蓮。私は貴妃として、この子の母親として、立派に責務を務めさせていただきます」

「うむ。そなたにはいずれ、皇后の位を授けよう」

「まあ……貴妃でも素晴らしい位ですのに」

「そなたは俺の唯一の寵妃なのだから、当然だ。そうだな、子が生まれてから、折を見て皇后に封じようではないか」

「嬉しいです……。あなたの隣に立てるなんて、夢のようです」

 見つめ合うふたりは微笑を交わす。

 感激の涙をこぼす雪花の眦を、手を伸ばした紫蓮がそっと拭った。

「では、今こそ本当のことを言ってくれるな? そなたの想い人は、誰だ?」

「それは、あなたです。紫蓮。ずっとずっと、好きでした……」

「俺もだ。愛している。生涯離さない」

 優しく紫蓮に引き寄せられて、雪花は逞しい腕の中に身を寄せた。

 思いを交わしたふたりの頭上には、つがいのウグイスが枝にとまり、寄り添っていた。

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後宮の毒の寵妃 沖田弥子 @okitayako

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