光に手を伸ばして

火属性のおむらいす

どんな星よりも綺麗な

『ご乗車ありがとうございました』

がらんとしたバスの中にどこか無機質な女性の声が響く。多少の揺れとともにバスが止まり、前方に乗っていたスーツ姿の男性が立ち上がった。ドアが開く。外の賑わいと冬の冷たい風が少しだけ車内に入り込み、ドアが閉まると同時に空調の暖かい空気の中に溶けて消えた。自分以外の乗客はこれで全部だ。

「…」

ひとりきりのバスの中、彼女はぼんやりと窓の外を眺める。夜色の街は様々な明かりに彩られ綺麗に輝いていた。やけに人通りが多い通りにふと知人を見かけ思わず目で追いかけた。街並みによく馴染んでいる煌びやかな服を着たあの子は、知らない青年と手を繋いで歩いていた。あの子はそれはそれは嬉しそうに顔をほころばせ、少しだけ背の高い彼を見上げていた。

「…いいな…」

思わず出た呟きを隠すようにバスが動き出す。あの子の姿は一瞬で後ろに消え、すぐに見えなくなった。同じような景色が続く。建物と、明かりと、人の姿。夜の闇に溶けるように見えなくなるはずのそれらが余計な光のせいでくっきりと浮かび上がっている。あの子と同じような表情をした人が何人もいることにふと気がついた。人混みを一瞥し、足元に視線を落として小さくため息をつく。身を包むのは煌びやかな服とは似ても似つかないくたびれた制服。大きすぎる鞄はお世辞でも洒落ているとは言い難いくらいに使い古されていてぼろぼろだ。シートに身を預け、窓の外に目を戻す。硝子1枚挟んだ先にある景色は酷く遠くて、眩しかった。きっと、一生あちらに行くことはできないのだろう。あれは自分とは無関係なものだ。

鞄の中から古びたイヤホンと携帯を取り出す。連絡用にと渡されたそれで写真フォルダからいつもの動画を再生する。画面の中のテレビに音楽番組が映る。家に誰もいない日にこっそり撮影したものだ。世の中にはもっと音質の良いアプリなんてあたりまえにあることを彼女は知っていたけれど、そんなものを使うのは誰も許してはくれない。娯楽は制限ばかりされていて、だからこれが彼女の精一杯の贅沢であった。心地よい旋律が流れ始める。何度も何度も聴いた女性歌手の声が頭の中に響いた。

『ひとりぼっちでも、わたしは歩き続ける。わたしがわたしでいる限り。わたしは信じる。わたしだけの道を』

手元の鞄をぎゅっと握りしめる。ライトアップされた街路樹を、イルミネーションに彩られた街並みを、真っ直ぐに見続ける。私は、私の道は…本当になのだろうか。光に向かって手を伸ばす。耳元で歌声がいっそう大きくなる。

『何度だって夢を見よう

誰から何を言われても、私は止まらない

夢の先に、手を伸ばし続けよう』

目の中に飛び込んでくる光は、とても目障りには思えなかった。行きたい、と強く乞う。私の道は、私の世界はきっとあの向こうにも広がっているはずで、だから、

__こつりと軽い音と共に、指の先が窓に触れた。

『次は__です』

バスのアナウンスではっと我に返る。街中を通り過ぎたのか煌びやかだった窓の外はいつの間にか電灯の無機質な白い明かりだけになっていた。降りるバス停はいつの間にかすぐ傍で、彼女は歌声を切り離すように乱雑にイヤホンを取ると、鞄の奥に押し込んでバスのボタンを押した。

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光に手を伸ばして 火属性のおむらいす @Nekometyakawaii

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