第13話 悔悟者
数々の恋人を失い続けてきた。
あらゆる全てに彼女がいた。あまねくものに彼女の面影があった。
気づけば、贖いの日々であった。悔悟し、贖罪の巡礼を重ねるが如く、俺は繰り返し繰り返し、真弥ちゃんを失った。
儚く短い真弥ちゃんを得、失うたびに、ひとつずつ罪過を清めていく。咽ぶ数が清めそのものであった。
芋虫が、かまきりが、やもりが、ハムスターが、その身を挺して俺の罪禍を雪いでいった。
それでも俺は、贖いきれない悔恨の中にたゆたっていた。
逮捕された犯人は制裁を受けている。
刈賀の取り調べで行われた業務上の暴力は、非常に効き目が強く、あらゆることが簡便に進んだ。
暴力に屈し、血を流して咽び泣く犯人を見た俺のこころは、ようやく彼女の葬儀を終わらせていた。
真弥ちゃんは、もう帰ってこなくとも、彼女が今、安らかであるなら良いと思えた。
真弥ちゃんの最初の死から、随分と時間が経過していた。俺は変わらない姿のまま、交番に立ち続けている。灰の山を登る日々は終わろうとしている。
「佐伯さん、休憩。おやつ食べます?」
立番をする俺に、刈賀が菓子屋の箱を差し出しながら聞いた。
「どら焼き?もらおうかな」
刈賀も、また同じように変わらない。貞沼もだ。
時々、仕事をしている間だけ、俺は不死であることを忘れそうになる。少なくとも刈賀と貞沼は、外見上の加齢とは縁がないからだ。
死ぬことがなければ、俺も歳を取るのだろう。いかんせん俺の務めは、死に、そして戻ることに直結している。俺はずっと二十八歳を生きている。
真弥ちゃんが輪廻転生の先に、人間としてやってきた時、俺はどんな姿に見えるだろうか。真弥ちゃんが俺をみつけて、なんというだろうか。
そんな心配を憶えながら、俺はまだ生きている。
春のにおいがする。季節はまたうつろい、死を超えて芽吹きはじめた。
桜が咲き、散り、その頃に、真弥ちゃんが俺の前にやってきた。
それはひどくあっけなく、まるで朝の挨拶のように気さくだった。
「やあ、佐伯さん」
そう言った真弥ちゃんは、出会ったあの日と変わらない姿をしていた。
同じ長さの髪に、同じセーラー服。
陽光が彼女の背中から差し、俺の目をくらませた。
あの頃がそっくり繰り返されている様を見て、俺はめまいを起こして倒れそうだった。
「本当に真弥ちゃんなの?」
愚かにも聞こえるその問いかけに、真弥ちゃんは笑った。
「そうじゃなかったら怖いじゃない。足もあるよ」
笑い方も、全部真弥ちゃんだった。
俺は、その場にへたり込んでしまった。俺を見下ろす真弥ちゃんは、笑って言う。
「身分証、見せようか?」
「あ、ああ……。うん……拝見します」
真弥ちゃんが生徒手帳を出す。住所と生年は違えど、真弥ちゃんと同じ誕生日、同じ氏名が書かれていた。
「佐伯さんも変わらないね。」
「真弥ちゃんもね……。本当に真弥ちゃん……?今まで何をしていたの」
俺は泣きそうになりながら、真弥ちゃんの身体が実在するのか確かめる。手のひらで腕をさすり、指を握って感触を確認する。
生きている。あたたかい。
「普通に小学生やって、中学生やって、高校生になったよ。すっかり忘れたみたいに生活してたんだけど、半年前くらいに、佐伯さんに会いに行かなきゃなって思ったんだよね。でも、バイトもあったし、なかなか」
「バイトは仕方ないね……。いや、真弥ちゃん。学校も同じだよね?毎日またここを通ってるんでしょ……?なんで今まで……」
「未成年のうちに会うと、色々まずいかなって。佐伯さんも私には気付いてないみたいだったから、もうしばらくあとでもいいかなと思って。今年度で十九歳になったし、高校も卒業するから、佐伯さんが未成年淫行に頭を悩ませる必要もないでしょ」
真弥ちゃんはそう言って、汗と涙に湿った俺の頬をハンカチでごしごしと拭いた。
「真弥ちゃん、七月生まれだよね。十九歳の高校生……?」
「学校なんてものは、必ずしも三年だの四年だので卒業するなんてルールはないんだよ。セーラー服、気に入ってるし。もうおしまいなんて残念」
真弥ちゃんはそう言って、交番の中を指差した。
「刈賀さんが、中で声をかけたそうにしてるから、一旦」
真弥ちゃんが指差すのを待っていたかのように、刈賀が大股に近寄り、交番の引き戸を開ける。
「中で話したらどうですか。真弥ちゃんも、ゆっくり座って話がしたいでしょ」
刈賀はそう言って、真弥ちゃんの手に高級どらやきとお茶のボトルを握らせる。
俺は急いで、刈賀と真弥ちゃんの距離を離し、仮眠室へと向かった。
仮眠室の畳の上で、真弥ちゃんと膝を突き合わせる。
俺はなにから話すべきかわからなかった。真弥ちゃんを待っていたこと。真弥ちゃんの部屋は、ほとんどそのままにしてあること。真弥ちゃんの大切なものは、なにひとつ減らしていないこと。俺はずっと真弥ちゃんが大好きなこと。真弥ちゃんをなくして悲しかったこと。
この部屋で、ねこの真弥ちゃんが死んだこと。
どれを話しても野暮な気がした。真弥ちゃんは、俺が待っていたことなんてとっくのとうに知っているし、俺は好きでそうしたのだから、敢えてなにか伝えることで、真弥ちゃんに感謝されたいわけでもなかった。
けれど、なにか口にしたくて、俺は瞬くように脳裏に浮かぶ言葉から、どうにか一言を搾り出した。
「ま、真弥ちゃん。進路は……?」
頭の中を駆け巡る様々な聞きたいことの果てに、俺の口をついて出たのはそれだった。
真弥ちゃんは、あはははっと、声に出して笑った。
「進学するよ。人文学やりたくてさ。でも進路よりもさ、また佐伯さんと暮らしてもいい?」
「そ、それはいいけど……。いや、まだ親御さんに挨拶もしてないから、俺の独断で決めるわけには……」
前回は、どうしただろうか。記憶をたぐる。
真弥ちゃんとのしあわせな日々が断片的によみがえり、俺はまた、ぼろぼろと両目から涙の雫を落とした。
「別段、反対されるようなこともないだろうけど……。でもそうだね。一応、挨拶してもらおうかな」
真弥ちゃんのタオルハンカチが、俺の頬を撫でていく。
「待たせて悪かったね。佐伯さんも、さみしかったよね」
「でも、また真弥ちゃんと一緒にいられるから……」
俺の悔悟の果てにあったものは、変わらない日常であった。
死があろうと、なにが変わろうというのか。
誰もが死を手繰り寄せ、死に触れて生きている。
日々の、生のあゆみは死へのあゆみなのだ。死はいつだって、誰にでも平等に寄り添っている。
しかし、俺だけがその埒外ならば、待ち続ければいいだけなのだ。
悔恨はあらゆることに付随する。津波のような自分への悔恨を、俺はひとつずつ数えていく。真弥ちゃんが輪廻を巡ってくれるのならば、俺は永遠に近い時間を、耐えることができるだろう。
「なんでこんなにも受け入れられないのかわからなかったんだ。でも、間接的とはいえ、暴力が行使されてから妙にすっきりした気持ちになってるんだ」
俺は真弥ちゃんにそう言った。
「佐伯さん、気持ちのやり場がなかったんでしょう?事故で片付けられて、納得できなかったんだよね」
セーラー服を着た真弥ちゃんは、お茶のペットボトルを傾け、一口飲む。
「俺は復讐する場所が欲しかったのかな」
己の中の激情は、塞げば塞ぐほどに燻り、それは後悔として降り積もる。
「俺、あいつが泣くところを見て、ざまあみろと、唾を吐いて見下ろしてやりたかったんだ」
それと向き合う術は、必ずしも道徳的とは限らないのだろう。
真弥ちゃんは、俺の感情のうごめきをどこまで知っているのだろうか。俺の中の暴力性に気づいた時、変わらぬまま一緒にいられるだろうか。
俺の告白に対して、真弥ちゃんは微笑んだ。
真弥ちゃんは、どらやきを半分に割って、俺に差し出す。
「佐伯さんは——」
「次に私が死んだ時、まだ後悔してくれる?」
真弥ちゃんは言った。
「何度でもするよ」
俺は、半分のどらやきを受け取って、真弥ちゃんと一緒に一口かじった。
真弥ちゃんは、俺の道であり、真理であり、命であるのだ。
それゆえに、彼女の終わりは俺の終わりであり、彼女の輪廻は俺の永遠なのだ。
明日もまた、彼女と共に、死にあゆみ寄ろう。生きるとは、まさにそれだ。
——それそのものに、涼やかな音が聞こえる。
何度でも君と生き、死ぬ——畜生道の恋人と不死の俺 宮且(みやかつ) @gidtid
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