第7話 友達になってください その2
午前2時、真夜中の公園、木々の影から覗くその瞳を見ればどんな屈強な男も失禁する。そんな手塚の三白眼はご機嫌だろうと不機嫌だろうと、その鋭さが陰ることはない。少し前までの俺だったなら、彼に目を向けられただけで回れ右して逃走していたに違いない。けれど、今は違う。本当の手塚を知っている。良い奴だって分かっている。だからだろう。どれだけその顔が悪鬼羅列のごとく恐ろしかろうと、いつも通りの平常心で向かい合うことができていた。
しばらくの間、俺の方へ視線を向けて固まる手塚。
俺の右手に提げられた花束を見つけた彼は、地底から悪霊が呻いているかのような低い声を発した。
「……たしか、同じクラスの犬神、だよな。お前も墓参りか?」
相変わらず、深く響くどっしりとした重厚な声音だ。
同じ高校二年とは思えない貫禄がある。
「そっ。びっくりしたんだけどさ、お前の隣の墓石が俺ん家のやつ」
「そうか。偶然だな」
「な」
仏花と婆ちゃんに借りた巾着袋──中には数珠と線香、マッチが入っている──を墓の前に置いて、
「柄杓と桶、取りに行こうぜ」
「……そうだな」
トートバックを肩にひっかけた手塚が俺に付いてくる。
園内の一角、水場の近くには墓掃除用の道具が置いてある。綺麗な雑巾も用意されているので、掃除してあげたいなと思い立てば手ぶらで来ても父ちゃん母ちゃんを労ってやれるのが稲荷山霊園の良いところだ。
蛇口を捻り、手桶に水を汲む。
「ほれ、やるよ」
「ああ、すまん」
「先に行っていいぞ」
「……待つ」
じっと直立する手塚。樹齢千年の大木のごとく不動を思わせる堂々たる立ちっぷりだ。
こんなことくらいで気を使わなくてもいいのに。
自分の分の用意も済ませて、二人一緒に墓所まで戻った。
玉砂利に生えた雑草を抜く。
少し曇った墓石を磨いた。
最中、手塚に何か声をかけようとも考えたが、それよりも父ちゃんと母ちゃんの居場所をちゃんと綺麗にしてやりたかったので余計な口は利かなかった。彼だって掃除中に雑念を混ぜたくはないだろう。優しく丁寧な手つきを見れば、何も聞かずともそう感じとれた。
仏花を備える。
あ、ポテチと苺味のチョコ買ってねぇや。
「お供物、忘れたのか?」
「うっかりしてた。まぁ、また来るし、そん時に持ってくるって謝っとくよ」
トートバックに手を入れた手塚が、焼きそばパンを取り出す。
「これ、よかったら犬神のところにお供えしてくれ」
「いや、わりぃよ」
「大丈夫だ。父さんもきっと渡してやれって言うはずだ」
「……そっか、じゃあいただきます」
「ああ」
貰った焼きそばパンを墓石に供えた。
手塚はジャムパンマンのペロペロチョコとみたらし団子を備えていた。
俺の視線に気付いたのか、彼は大切な想い出を抱きしめるように呟く。
「悠人──弟と母さんが好きだったんだ」
「俺の父ちゃんはうす塩味のポテチが好きで、母ちゃんは苺チョコが好きだったよ」
「……そうか」
線香を上げる。
数珠を手に挟んで手を合わせた。
俺と手塚の思いを乗せて、香りと煙が天国へ渡る。
朗らかな春風がふたりの間を優しく撫でるように吹いた。
※※※
「隣座っていいか?」
「ああ」
墓参りを終えた俺たちはそれから特に会話をすることなく、稲荷山霊園のバス停でバスへ乗り込んだ。故人を偲んだすぐ後は、無性にその思い出に浸りたくなってしまう。おしゃべりをする気分にならないんだ。手塚も同じかは分からないけれど、ふと視界に入った彼の瞳は、遠くに輝く小さな星を茫然と見つめているようだった。
車掌さんが走行中の注意事項を乗客に説明する。と言っても、バスの乗組員は俺と手塚しかいない。こんなに広い箱の中で、わざわざ隣あって座って縮こまっていることを思うと少し可笑しくなった。エンジンが唸りをきかせて車体が発進する。大型車両独特の振動に揺られる俺の脳みそがおもむろに考えを巡らせた。
手塚はいつ、家族を失ったんだろうか。
先ほどの会話から察するに、彼は両親と弟を亡くしている。だとすれば、あのアパートには誰と住んでいるのだろうか。俺と同じように、親戚の誰かに引き取られたのか。そういえば八百屋でカレーの具材を買ってたな。自炊していたのは作ってくれる人がいないからだろうか。だとしたら一人暮らしなのか? 高校生が?
「なあ、犬神」
「どした?」
車窓を流れる景色に目をやる手塚。
彼は口を何度かもごもごさせて、言いずらそうに言葉を継ぐ。
「答えたくなかったら答えなくてもいいんだが、いつ家族を亡くしたんだ? すまん、今日はじめて話したばかりなのに。けど、俺とお前の境遇が似てたもんだから気になったんだ。悪い気にさせたか?」
ずっと黙っていた手塚も、俺と同じようなことを考えていたらしい。
窓から視線をこちらに向けて様子を伺うような目をする彼に笑いかける。
「いや、大丈夫だよ。焼きそばパンをくれたお礼に話してやる。……そうだなぁ、もうずいぶん経つよ。小学高学年のときだった。俺はゲームの続きがしたくて一人で留守番してたんだけどさ、父ちゃんと母ちゃんはスーパーに買い出しに行ってて、ぜんぜん帰ってこねーなーとか、晩飯早く食べてーなーとか、呑気に馬鹿みたいなこと考えてゲームに夢中になってた間に、二人とも交通事故に遭っててさ。……そんでそれっきり、家には帰ってこなくなったよ」
「……そうか。それは、辛いな」
「まあな。最初の頃は、ふとした拍子に二人ともひょっこり帰ってくるんじゃないかって毎日考えてたよ。けどな、待っても待っても誰も帰っちゃこないんだ。そんでようやく理解した。ああ、俺ってもう一人ぼっちなんだなっ。……ま、その後親戚のリリアナが俺を引き取ってくれたから一人ぼっちってわけじゃなくなったけどな」
こうして自分の両親の死を身内以外に話すのは初めてだ。初めてだけど、なぜだろう。手塚になら話しても良いと、すんなり思えた。一緒に墓参りしたからだろうか。彼が良い奴だって分かっているからだろうか。いや、結局のところ、俺は知って欲しかったのかもしれない。晴れることのない心の暗がりを、同じような過去を持つ人間に、受け止めてもらいたかっただけなのかもしれない。
手塚が大きく息を吐いて、バスの背もたれに身を預ける。乾いた唇を舌で舐めて、ごくりと唾を呑んでから、重々しい口ぶりで話し始めた。
「……俺も小学生のときに両親と弟を亡くした。家族でキャンプに行った帰り道、交通事故に遭って俺以外みんな死んじまった。この体の傷はその時にできたものなんだ。ギリギリ一命を取り留めるほどの大怪我だったらしい。俺も一緒に天国へ行けていたなら……なんて馬鹿なことを考える日もあった。リハビリを諦めて一生ベッドで寝てやろうと思う日もあった。けど、みんなは絶対にそんなこと望まない。いつまでも、悠人に、弟に誇れる兄貴でいたかった。だから、精一杯生きることにした。天寿を全うして天国で家族に再会した時、たくさんの思い出話を聞かせてやれるように生きるって決めたんだ。それから、叔母さんに引き取ってもらったんだが、高校からは一人暮らしをさせてもらってる」
「なんでだ?」
「叔母さんにも家族がいたからな。その家族の輪に混じって暮らすことに慣れることができなかった。結局俺は異分子だから。それに、なるべく手間をかけさせたくなかったというのもある。自分でできることは全部自分でしたかったんだ。だから今は叔母さんの家から生活費を借りて、アパートで一人暮らしをさせてもらっている。借金はバイトでもらった金と、将来就職した時に返済する予定だ」
「……なんというか、すげぇな、手塚。俺より全然立派だよ」
俺もバイトはしてるけど、スマホ代を稼いでるだけだ。余った分は好きに使っているし、リリアナに生活費を納めたことなんて一度もない。そんな俺からして見れば、手塚の存在は手の届かない先を走るランナーのように思えた。
けれど彼は、そんな考えをかぶりを振って否定する。
「いや、変わらんと思う。少なくとも、俺とお前は同じ景色を過去に見た。絶望に飲まれず立ち上がったのは一緒だろ。もし俺のことを立派だと思うのなら、犬神も同じく立派だってことだよ」
「なんだぁ、俺のこと褒めてくれてんのか?」
「……ああ、そんな感じだ」
今まで見たことがないくらい雄弁だった手塚は俺が茶化すと車窓に目をやって動かなくなった。
怒ったとか、気分を損ねたとかそういうことじゃない。通常運転に戻っただけだろう。
そもそも、手塚から話題を振るなんてこと自体が前代未聞なのだ。
俺たちはその後、料理という共通の話題があったので、そのことを中心にポツポツと会話を重ねた。もちろん、話題を振るのは俺で、手塚がそれに二、三言葉を返すだけだ。劇的に盛り上がったり、興奮するようなことはなかったけれど、手塚との談笑は陽の当たる縁側で茶を飲んでいるように心地の良い時間だった。
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