人生のあまりの遠さ

脳幹 まこと

人生のあまりの遠さ


 実家にいた頃、母がよくドーナツを買ってきた。適当に選んだという割りには、チョコも塗られていない、無地プレーンなオールドファッションが少しだけ多かった。

 家族が何かを食べているところなんて意識して見やしないが、あのパサパサのオールドファッションを食べる時の母の顔だけは、はっきり憶えている。心ここにあらず。誰も決めてないのに、あの状態の母を邪魔してはならないと独自のルールを定めた。

 後で当人に聞いた限り、淡泊な味つけが好きだったとのことだが、何も塗らない食パンやサラダではあの表情を出さなかったので、特別な思い入れがあるのだろうと見ていた。


 上京して十年が経った。

 思い入れなんてなかったのに、乾いた土のようなオールドファッションが無性に食べたくなった。とびきりむせそうなヤツが良い。そういう気分になった。

 色々な店をまわり、結局はコンビニに置いてあったものを一つ選んだ。

 口に頬張ると大体予想していた味が来て、何となく死にたくなった。ぼんやりとした孤独の輪郭が、はっきりと見えた気がした。 

 何口かで食べ終わり、再び孤独は雑踏に紛れていった。


 がむしゃらに空走し続けた十年だった。

 一人が怖くて、置き去りにならないよう、ただ走っていった。目的地にはみんなが待っていて、苦労話が出来るものとばかり思っていた。

 大変だった。みんなもこんな苦しみを味わってきたのだと、自分に言い聞かせてきた。大丈夫だ、必ず道はあるはずだ。みんなも通ってきた道だから。そうだ、そうでなくちゃ、とても納得いかない。

 走り続け、水に飛び込み、深い底まで達した時、自分が正しい道を外れてOBに突っ込んだことを悟った。

 そうして、オフィスの離れ小島に一人、自分の席がある。誰からも声をかけられないし、声をかけてはいけない。死体役のような仕事だ。

 仕事は山のようにある。誰も見ていないだけで、年がら年中仕事をしている。はじまりもおわりもない。

 そんな様になってもやっていけるほど、強くなっていたのがどうにも悲しい。

 強くなったのは、一人になっても生きられるようにするためで、決して一人になりたいからではなかったのだが。


 あれから、定期的にオールドファッションを買うようになった。

 別に死ぬ予定はない。ただ、随分遠くまではぐれたものだという浮ついた感覚を、喉の渇きとともに味わっている。色々と食べてきたが、オールドファッションが一番だった。

 食べている自分の顔を鏡に映してやれば、あの母そっくりなのかもしれない。

 もしくは、とんだ間抜け面か。


 陽気に食べていた頃と比べると、人生はずっと先にいってしまって、あれだけ大きかった背中も見えなくなってしまった。

 深い底で、水面越しのぼやけた空を見上げる。

 外で行われているであろうゴルフは、いつになったら終わるだろう。優勝は誰かな。最初はヘタクソだったアイツは少しは上達しただろうか。

 まあ、心ゆくまで楽しんでくれ。

 気が向いたら拾いに来てくれると嬉しい。

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