「あっ……いや、えと」



また、余計なことを口走ったのか。紅騎の表情が険しくなって握った手に力が込められるのが解った。


その手を見下ろす。紅騎の手の甲に重ねた自分の手の何とちっぽけなこと。今、簡単に振り解かれて、このたった一枚の生地を捲られて、


気付かれてしまったら。



本当に、今日までのことが終わってしまう?



ボクが嫌悪する女だったと知った時、紅騎は……



紅騎を。どれだけ傷付けてしまうだろう。




「そういうわけじゃなくて、その。大抵皆だめなんだけど」



誰か・・ならいい奴がいるってこと?」



「え?」


そんなつもりで言ったんじゃなかった。寧ろ他の人でもだめなんだということを伝えたかった。でも、紅騎にはそう捉えられたらしい。



「いい……。

寮長さん、なら?」



女だとご存じだし。順を追って、あと牧先生も大丈夫だと思い浮かんだがそこまで言うとそれこそ何で? って話になりそうだったし、それより早く裾から離れない紅騎の手に力が籠ったのに気付き、反応していた。


「紅騎!?」


「何」


「だめだって!! やめて!! ……っおねがい」



震えるちっぽけな手。力で及ばないのなら、頼み込むしか術がなかった。




『 私が、女だから 』



脳裏には、あの時から何度も思い返しては蓋をするを繰り返し続けている黒くて暗い、靄のような嫌な気持ちが胸から溢れて過ぎった。



情けなくて。


やりきれない。



いつの間にか紅騎の力は冗談だったみたいに緩められていて、顔を上げると、悲しそうで、どこか申し訳なさそうな、ボクには図りきれない表情を見た。



「こう、き」


紅騎が、何処かへ行ってしまう感覚に襲われて、思わず名前を呼ぶ。それなのに、髪に伸びてきた指先に、びく、と肩を上げてしまった。



「……悪い」



「違っ、今のは」


違う。


気持ち記憶が、噛み合ってなくて。


紅騎を怖いと思ったことなんてない。



それを信じてもらう言葉が思い付かなくて、「戻るか」と小さく微笑って踵を返そうとした紅騎の水着の端を握った。



「待った。


わかっ、た。



きず、みせる」




信じてほしい。


でも同じくらい違和感を感じられたらどうしようとか、嘘を吐き続けていることへの罪悪感とか、純粋な、人に——しかも、同年代の異性に普段見られない所の肌を見せることへの恥ずかしさがあって。

服を握り締めた指先が震える。



「言わせてる」



「ううん」


もっと、他に云うべきことがあったと思うけど今の自分には首を横に振るので精一杯だった。



ジャリ、とこちらに身体を向け直す紅騎の音に耳が熱くなる。



「純は、何にそんな緊張してんの?」



俯いた視線にいつもの悪戯なトーンで訊くから、弁明しようと顔を上げた、けど。


紅騎は、全然ふざけてなんかいなくて。真っ直ぐこっちを見ていて。



困、る。



その内に長い指先がラッシュガードに掛けられて——波の音が聴こえなくなって、代わりに急激に心拍数が上昇して——捲



「せんせー、俺のビーサン知らないか」



「「!!!!!!!!!!」」



岩陰から突如ビーチサンダルを捜す野生の潮が現れ、ボクらは弾け飛ぶようにお互い一番近い岩に張り付いた。



「えっ、な、え、うしお」


「そうだが?」


「そうだがじゃねーよ……」


岩に張り付いたまま呟く紅騎に首を傾げ、「泳いでたら蟹を捜す二人が見えたから、ついでに俺のビーチサンダルもそういえばどうなったか聞こうと思って上がってきた」とちゃんと説明して真顔だ。



「う、うしおのさんだるなら、かっかいしゅ〜した、ヨ。みんなのといっしょにおいてある!」



バッとパラソルの方を指差し示すと潮の安堵いっぱいの「そうかよかった! 裸足で帰ることになるのかと。ありがとう!」が返ってきた。


「で何故二人して顔が真っ赤なんだ? 日焼けか? 海の汚染を気にしているなら海に優しい日焼け止めを貸すぞ、今更だが」


「っ」


「……日焼けじゃない。純が、怪我して」


「なっ!? 先生が怪我!?」


一歩離れた所にいた潮が脇目も振らず近付いてきて、そのままボクを抱き上げた。


「うわぁ!?」


「潮!!」


打って擦った脇腹は痛いは痛いがそれよりも、上裸の潮の肩に乗っけられて密着している事の方が衝撃で、あと岩場でこの体勢は純粋に怖くて、硬直。


「足でも捻ったか?」


「ううん、足は元気だよ。だから大丈夫——」



「潮」



至近距離で見つめ合う潮のゴーグル焼けに気付いたタイミングで、紅騎の冷静な声が波音の中はっきり聞こえた。



「いくら純が軽くても岩場でそれ・・は危ねーだろ。


降りたら俺が運ぶから」



「確かにそうか」


潮は紅騎の言葉に素直に頷いて、ゆっくりと降ろしてくれた。


「先生、急に悪かった」


「ううん。心配してくれてありがとう」



何だか微妙に気まずい空気を感じつつ、紅騎本人は“いい”と言った指輪の事は頭から離れず、ひょこひょこと岩場から降りた。


どうしよう。改めてそう考え出した時影に覆われ、膝裏と背中に腕が回る感触。


「え」


軽々視界が砂浜から眩しいくらいの青空へと移り変わって、紅騎を見る。


「えぇ……?」



「あれ。触る・・許可下りたよな」




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「純が女だったらどうしよう」 鳴神ハルコ @nalgamihalco

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