ふりいふぉうる

南 瑞朋

第1話

 どうしてだろうか。どうして橋の上から人を落とそうとしているのだろうか。今の今まで、彼女には良くしていた。校内で見かける姿からは想像がつかないほどの闇を、私に見せてくれた。だからこそ良く相談に乗った。問題を解決しようと奮闘するが、その努力も虚しく、全てが嫌になったのか、卒業式の朝に、彼女は学生寮から忽然こつぜんと姿を消していた。偶然隣の部屋に住んでいたからこそ気付けたのだ。

 そして、卒業式を終えてからは、ひたすら彼女を探し、手掛かりになりそうなものは何をしてでも手に入れる、そんな悪党になってしまった。先の努力は認められたのか、橋の上で彼女を見つけて絶好調。そのはずだった。

 何故、彼女の命をこの手で奪わなければいけないのか。遥か下を流れる川に身を預けそうな、そんな背中を押せなかった。これを彼女は望んでいるのか。そんな疑念と自身の欲が心で混ざっている時、彼女は一つ言い残して私の手を操作した。彼女の背中は静かに脈打っていた。

 目が潤む。疑念と後悔が身体を支配する感覚があった。どうしても認めたくなかった。声帯が揺れる。口が開く。涙があふれる。号泣だ。何も考えたくなかった。今までの努力を自分で否定した事か、彼女の背中を押した事か、人を殺めた事か。どれが原因か分からない。先述の全てが原因だろう。何も考えたくなかった。現実を否定したかった。仕方が無かったと、そう言い聞かせられなかった。そんなわけが無いと、頭が喚く。身体が呼応する。全身がむせび泣く。

 夜の田舎。地方の山奥。更に山奥。私の声は掻き消された。泣いても届かない。感情の思うがままに泣いた。その拍子で空が目に映る。綺麗な空だった。向こう側は快晴で、月は鋭利に抉れていた。後ろは曇天だった。豪雨の様な厚い雲が空を覆っていた。橋は私と彼女を二分している様だった。

 そんな壁が嫌いだ。これが運命だったと言わんばかりで、冷淡に突き放す。したたる涙はその壁に溶けて、いつしか消える。

 空も嫌いだ。快晴と曇天に分けなくても良かっただろう。どんなに混ぜても、晴れなのには変わりないだろう。それなのに何故なのか。天も壁と変わらない。私を見放しているのだ。

 世界すらも憎く思えた。彼女が精神を病んでいたのは、誰の目から見ても明らかだった。私は相談を受けた。毎日の様に受けた。それでも、彼女の症状は日を追う事に悪化するばかりで、段々と手に負えなくなってきた。それでも真摯に応対し、一時は回復の素振りも見えた。それなのに、か弱かった彼女を追い込んだのは誰なのだろう。犯人はインターネットに棲み着く悪だ。だから特定は無理だ。行動できなかった。対症療法しか思い浮かばなかった。

 そんな自分が嫌いだ。

 思い出せば思い出す程に、世界が怨めしい。うらみ、後悔、嫌悪。全てを背負って生きるのは到底無理だと思った。

 私も人間だ。何かしら心の闇を持つ。それを洗ってくれた、洗い流してくれた、笑顔でそれを浄化してくれたのは彼女だった。純粋な目、口ぶり、全てが綺麗だった。清らかだった。そんな彼女に特別な気持ちを伝えられずにいた。妄想は自由でも、現実は自由じゃない。宝に恵まれていた頭の自分は、現実ではただの学生でしかなかった。その差に苦しんだ日も、彼女を想うとどうでもよかった。彼女が受け入れてくれる気がした。それだけで頑張れた。彼女は私を受け入れてくれる。今でもそう信じている。

 強い風が吹く。橋は揺れないまま、私の髪は下から上になびいて、変に心地良かった。彼女の気持ちが分かった気がした。最後の最期まで、自然は裏切る事無く受け入れてくれた。大罪を犯した私を。

 川底は地獄へと続く道に見えるほど赤かった。心は怨みで煮えていた。地獄に着けば彼女は居る。そんな気がした。冷や水が身体を冷やす。彼女の冷えた肌が触れる。お揃いの温度だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふりいふぉうる 南 瑞朋 @TR-Minami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ