オーマイガーが叫べない

横谷昌資

プロローグ

0-1

 影響力。それは人間の証明。


「なー早く行こうぜ」

 彼氏の晴翔はるとに急かされ、彼女の紗夏さなはとかく面倒臭くて仕方がない。何でまた恋人だからってこんなことに付き合わされなければならないのだろうと頭の中は疑問符でいっぱいだった。確かに時間はあるし自分自身好奇心はある。しかし、いまから行くというその“店”には不安感と猜疑心が止まらなかった。

「ねえ、ほんとに大丈夫なの?」

「なにが」

「何でも屋って言ってるけどヤバい店じゃないんでしょうね」

「さあ」

 あっさりとそう言い退ける晴翔に紗夏は呆れた。

「さあ、って」

「まあいいじゃん。何でも屋ってぐらいだから悩み相談のアドバイスぐらいもしてくれるんだろたぶん」

「なんか最近、隼人はやとの口癖が移ってきたね」

「なにが」

 紗夏はため息をついた。

「まあいいじゃんって」

「えーそう? おれそんなにまあいいじゃんまあいいじゃん言ってる?」

「不定期だけど」

「じゃ、いいじゃん」

「だから」

「まあとにかくだよ。隣のクラスのやつだけど、その何でも屋のご店主さまに庭掃除してもらってついでに話聞いてもらったら結構聞いてくれたんだって。じゃあおれのこの深ーい苦悩話も聞いてくれるかなーって。一人じゃ答え出せないから」

 再び、紗夏はため息をついた。

「だから学校辞めることないじゃない。卒業すればいいじゃない」

「でも音楽活動を本格的にしたいんだよ」

「じゃ辞めればいいじゃない」

「えらくあっさり言うな。人生の一大事だってのに」

「あんたはどうしたいのよ」

「それがわかればね〜。おれのコアの部分は“辞めちゃいな”って叫んでるんだけど、しかしどうにもこうにも……」

「いやだからあたしも辞めちゃいなって言ってるつもりだけど」

「な〜んか紗夏じゃパワーが弱いんだよな」

「失礼な」

「まあいいじゃん。というわけで、えーとこの辺りらしいんだが……」

 そう言って晴翔は街をキョロキョロと見渡す。仕方がないので紗夏も、その「よろずやつかさ」なる何でも屋の看板でもないかと辺り一面に目をやった。するとそのうち、一階が喫茶店、二階に店名の書かれた雑居ビルを発見した。

「あれじゃない?」

「お、さすが」

「なにが」

「じゃ行くかー」

 そして二人はビルに入り、階段を上っていく。

 辿り着いたドアの前には達筆の毛筆で店名が書かれていた。本当に大丈夫なのかな、と、気が気でない紗夏と違い晴翔はひたすらのほほんとしている。付き合い当初からこの彼氏はのほほんとしており、それが小うるさい(と言われるのはつくづく甚だしいのだが)紗夏とは妙に馬が合い二人の恋はひと月目を迎え始めていた。いまでははっきりと恋愛感情をお互いに抱いているものの、紗夏はどうも彼氏に対してガールフレンドというより姉のような存在に自分が思えていたのだった。

 というわけで、二人はドアを開け、中に入る。

 受付には競馬新聞を読んでいる一人の老婆がいた。部屋に入ってきた二人を一瞥して、「いらっしゃいませ」と挨拶する。それが笑顔で柔らかい声だったのでやや紗夏は安心した。一方の晴翔はどうもどうもと頭をペコペコと下げる。もっと男らしくしなさいよ……と紗夏はつくづく思う。

「ご予約の方?」

 と、その老婆に問われ、晴翔は答えた。

「いえ、予約はしてないんですけど」

「そうですか。じゃ、こっちへどうぞ」

 と、老婆が先導する。ということはいま先客はいないようだった。

 誰がなにをしているんだろう……という疑問と、そして不安が紗夏を襲う。そしてその不安は半分は当たっていた。

 フロアに入ると、長椅子に寝転んでゲームボーイをしている中年男性がいた。

隆起りゅうきさん。お客様ですよ」

 その言葉に彼は、

「ん、んー?」

 と、ゲームにひたすら熱中気味で生返事をする。

「お客様ですって」

「いまいいとこなんだけどな」

「いいからさっさと対応してくださいな」

「んー、はいはい。セーブしてからね」

「もう。……じゃ、しばらくこっちのソファにお座りになっててください。セーブが済んだら対応してくれるそうなので」

 と二人にそう声をかけ、老婆はキッチンへと入っていった。

 という一連の流れを見て、紗夏の不安は極大へと拡大していた。どうやらこの「隆起」という人物が、前後の状況から見てこのよろずやつかさのご店主様のようだが、紗夏の彼に対する感想は完全に「ダメな大人」だった。まだ明るい時間帯に特別仕事もせずダラダラとゲームをしている大人に対して紗夏はそういう印象が止まらない。こんなことでこの店は生計を立てられているのかしらとまさに他人事の感想を抱き、一方で自分はどうすればいいのだろうとちょっと立ちすくんでしまった。

 一方の晴翔は促されたままソファに座り、ゲームボーイをしている中年をなんとなく眺める。紗夏は早く帰りたいなと思いながら早く接客してくれないかなと中年を見つめる。

 すると——彼の手が止まった。

 ゴロリ、と頭だけ動かし晴翔の方を見る。

 晴翔は笑顔で手を振ってみた。すると彼もそのように対応する。しばらくそうしていたら彼はゲームを机の上に置いて、よっこらせと言いながら椅子に腰掛けた。

「ようこそ、よろずやつかさへ」

 にこにこと笑ってはいるが目の奥が真剣に見えたのは紗夏の勘違いだろうか。

「あ。はい、どうもですぅ」と、晴翔。「何でも屋と聞いたので来ましたぁ」

「そうなんだよね。何でもお任せを。君、君。君も座んなさい」

「はあ」

 促されたので紗夏も晴翔の隣に座る。

「さて。というわけでおれが所長の津笠つかさ隆起と申す」

 というわけで二人も自己紹介する。

春元はるもと晴翔です」

佐々木ささき紗夏です」

 隆起はくすっと笑った。

「あ、失礼」と、紗夏は抗議する。

「いや、失敬」

 とはいえ二人が同時に自己紹介した場合、こういった反応は予期していたことではある。

「えーとそれじゃあね」

「はいっ」

「何のご用?」

「あ、はい。実は学校を辞めるか辞めまいかで迷ってるんですよおれ」

 あっという間に本題に入った晴翔に、こいつすごいなと紗夏は感心する。

「ほう。君は何年生?」

「一年生っす」

「じゃ、まだ入学したばっかりだね」

「でも本格的に音楽活動をしたいなと」

「音楽をやってるの?」

「キーボーディストですぅ」

「ピアノが弾けるんだ」

「なのでキーボード」

「なるほど。でまあ、学校を辞めたい気持ちと、それから辞めたくない気持ちがあるのかい」

「そうなんですぅ」

「なるほど」

 うんうんと隆起は頷く。紗夏は、ダメな大人ではあるが一応大人である隆起がどのような返事の仕方をするかなとちょっと期待する。

 やがて隆起は口を開いた。

「まあ君の根幹の気持ちとしては辞めちゃいたいんだろうけどね」

 あっさり言われ、晴翔は複雑な表情。

「まあまあまあ」

「しかしそれなら相談なる行為をする必要はない」

 そう言われ、晴翔は難解な表情。

「そうなんすよね」

「君、彼女?」

 突然自分に話を振られ紗夏はやや緊張する。

「一応」

「一応て」と、晴翔。

「彼女です」

「よし」

「彼女さんはもう辞めればとも辞めるなとも言ってるんだろ」

「まあ、そうですね。あたしじゃパワーが弱いんですって」

 どこか含みのある言葉でそう言われ、二人はきょとんとする。

「晴翔くんや」

「ハルって呼んでください」

「じゃ、ハル。いいかい。辞めたい気持ちと辞めたくない気持ちがせめぎ合っている。しかしコアな部分では辞めたい気持ちの方が圧倒的。しかしいま辞めずにここに相談に来ているということは」

「いうことは?」

 瞳をキラキラ輝かせ隆起の言葉を待つ。

 隆起はのんびりと言葉を紡ぎ始めた。

「いいかいハルくんや。君はどうして夢見る少年だっていうのに学校辞めたくないの?」

「それは、まあ」と、少し考えてからすぐに説明を始めた。「せっかく入ったし、せっかく猛勉強して入れたんだし、ていうか言っても入ったばっかだし。学校自体が嫌なわけじゃないし、そんな殊更に嫌なことがあるわけじゃないし。それに」

「それに?」

「こう、あれなんすよね。“高校生”って、なんかかっこよくないですか」

 紗夏は呆れた。

「かっこいいから通ってるの?」

「いや割とマジで」

「退学はかっこ悪い?」

 という隆起の質問に、晴翔はう〜んと唸った。

「かっこ悪いというか、フリーターって肩書きより高校生って肩書きの方がときめきありません? 少なくとも人様に自己紹介するとき、楽」

「そうだね。自由ではいたいけど所属もしていたいという矛盾が人間だ」

「そうそうそんな感じですぅ」

「だからまあ君は、“かっこいい方”を選んでいたいわけだ。それが少なくともいまは高校生っていう肩書きを名乗れる方なわけ」

「ふむふむ」

「だからま、要するにいまの君は」

「はい」

「保留にしておきたいんだな」

 え、と二人は目を剥く。

 隆起は続けた。

「ハルとしては、他人に対して自分の悩み相談をぐちぐち言い続けていたいんだよ。それがいまの君の状態であり、それについて他人たちがああでもないこうでもないと言い続けているのがいまの君の望み」

「はあ」

「どうせ辞めるなとも辞めればとも言ったところで、どちらにせよその結果後悔したらそいつのせいにしてしまう。それは要するに自分のことを自分で決めることもできないってことだ。それが君は嫌なんだ。だから自分で決めたい、自分の中で明確に“これだ”という答えが出るまでおそらく君はうだうだと同じ話を他人たちに繰り返してゆくのだろう。どうせパンチの弱い辞めろ辞めるなじゃハルは動かないだろうしね」

「——う〜ん……」

 晴翔は腕を組んで考え込む。

 そんな様子を見て紗夏は、そういう結論もあるのだろうな、と、なんとなく頭で納得し始めていた。そうなのだ。はっきりとした決定的な唯一の答えが欲しいときと、そうではないときがある。とにかく人に話を聞いてもらいたい、コミュニケーションを取ってもらいたい、そこでパンチのある一言を言われはしたいがはっきりとこうしろああしろとは言われたくない。そういうときは間違いなくあるし、そういう気持ちなら自分も確実に持っている。このダメな大人は意外とカウンセリングの能力があるようだとちょっとリスペクトしてやってもいいかなと思ったと思ったら、

「じゃ、相談料一万円ね」

 と言われ、焦った。

「えっ」

 同時に声を上げる二人をよそに隆起は再び寝転んだ。

「うちは時価だから」

「そんなお寿司屋さんみたいな」

紫乃しのさんに払っといてね。あ、受付の老婆が紫乃さんね」

「誰が老婆ですか」

 と、紫乃がお茶を持ってやってきた。

「相変わらずお茶出すの遅いね」

「お茶は時間をかけないと美味しくなりませんから」

「もうこの子たちの用は済んだよ」

「そうですか。じゃ、お客様、どうぞお帰りください」

「いや待って料金を、代金を」

「そんな暴利な話がありますか」

 どうやらこの「紫乃さん」はまともな人のようで二人は安心した。

 しかしそうは言っても代金自体は支払わなければならないのではないだろうか、と思う真面目なカップルであった。

「でも、話は聞いてもらえたから」と、紗夏は晴翔の方を向く。

 うんうんと頷きながら晴翔は答えた。「さすがに一万はキツいっすけど」

「しょうがないな」と、起き上がり、隆起は言った。「じゃ、まあハルくん。ちょっといいかい」

「はい?」

 おいでおいでと手招く隆起の方に不審がりながらも晴翔は近寄る。

「ま、おれの活躍を代金ということにしておいてあげよう」

「?」

 そう言って、隆起は晴翔の頭に手を置いた。

 なんだ? と、二人は思う——すると。

 晴翔の体がビクッと震えた。そして紗夏にははっきりと、その晴翔の体に電撃のようなものが走ったのが

 なんだ?

「おっけ」

「え、え?」

 二人は挙動不審。

 そんな様子の二人をよそに、隆起は再び長椅子に寝転びゲームボーイを再開した。

「ハルに強烈なが及んでいたから、それを抹消させてもらったよ」

 要するにこれが——紗夏と晴翔と、そして隆起との出会いであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オーマイガーが叫べない 横谷昌資 @ycy21M38stc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ