第7話
そして朝目が覚めるとまだサフルが居た。
同じ部屋の同じソファがベッドになって、男の体温に安心しきって眠っていた。セシリアが飛び起きて、慌てふためく様をのんびりと眺めて、サフルは欠伸をする。そのさまは猫科の肉食獣に限りなく近かった。
シーツを引っ張り上げて身体を隠して、顔を真っ赤に染めて睨んでいると、ニヤリと笑って身体を寄せてキスをひとつ。そしてベッドから下りてスタスタとどこかへ消えた。服は着ている。セシリアもサフルも、薄い一重の夜着だけれど。
セシリアが固まっているとドアがノックされて昨日の薬師が入って来る。
「おはようございます。よく眠れましたか」
「はい、ぐっすり」
「それはようございました。昨日のお食事に少し眠れるお薬をお入れしましたので、お休みになれて何よりです」
「そうでしたか。お気遣いいただいてありがとうございます」
薬師に傷痕を診て貰う。もう瘡蓋になっていて治りは早いし跡も残らないという。ついでにサフルや薬師と同じような、ふんわりとしたズボンにブラウスを着てベストと腰布といった服を着せられる。
支度が済むとサフルが朝食を持って来た。
「サフル様。わたくしも何かお手伝いをさせてください」
「船が揺れると危ないから我慢しな」
「揺れるのですか」
「ああ、慣れるまで大変だな」
朝食の後、船内を見て回る。風をはらんで膨らむ帆を見上げてサフルは「追い風だ」と笑う。船は一隻だけでなく何隻かで隊列を作って進んでいる。青い海に白い波を蹴立てて進む船の横を、白い鳥がスイスイと戯れるように飛んで行く。
(私は船に乗って見知らぬ国に行くんだわ)
隣にはサフルが居る。
「女神のおかげで海路日和だ」
「「「おおーーー!!」」」
船に乗り込んでいる船乗りたちが声をそろえる。
だが船の揺れというものは初心者には恐ろしい。船が沖に出るとセシリアは段々と顔を青くしてサフルに船べりに連れて行かれ、そりゃあもう盛大に戻した。
「ほら水を、口を漱いで、飲んで」
サフルはセシリアをせっせと介抱してくれる。
「コーヒー飲むか。遠くを見ているといいぞ」
抱き寄せて顔を拭いてくれて、何処から出したのかコーヒーの入ったカップを口許に持って来て、何処までも世話を焼く。
そういえば最初からこの男は距離が近かった。近過ぎた。アルスターみたいに沢山の女が突撃してきたらどうしてくれよう。
セシリアの今まで育った環境は消え去って、ここに居るのは貴族という鎧を脱ぎ捨てた裸の自分だ。身一つで誰の庇護もなく飛び出して来たけれど、勇敢というよりは無謀でおバカで考えなしで……。気分が悪いのも相まってセシリアは何処までも落ち込んでいく。
「セシリア、ひとりじゃないぞ、俺がいる」
ああ、こんな口の上手い男にコロリとイカれてしまうなんて。
船酔いにげっそりとして、それでも少しマシになって船室で横になっていると、側に寄り添う男はそういえばと、まるで寝物語でもするように王国のその後を語って聞かせた。
王弟が謀反を起こして国王を弑した。それに乗じた王弟派の貴族と、国王の一派だった貴族との間で泥沼の内戦が勃発して国は纏まらなくなった。
国に捨てられたのか、それとも自分が捨てたのか、もはや帰れもしない国を想うこと暫し、段々船に慣れて、あれやこれやと自分で出来る事を探し、教えて貰う。
船旅は順調に進む。船に乗って海路を一週間、更に大河を遡って一週間。やっと小さな王国ナヒヤーンに着いた。
その昔、砂漠の王国ナジェムにある小さな町ナヒヤーンはオアシスとして人の往来は多かった。ある日、井戸掘りが地下で魔石の大鉱脈を発見した。それを耳にした近隣の大国は軍を仕立ててナジェム王国に押し寄せた。
あわや他国に攻め滅ぼされるかと思われたが、遠国より流刑になって流れ着きナジェム王国で暮らしていた魔術師が軍を立て直し、軍隊を自由に操って、押し寄せた敵をことごとく叩き潰し跳ね返した。
ナジェム国王は魔術師に感謝し、他国に狙われる砂漠のオアシスナヒヤーンを魔術師に褒賞として与えた。ナヒヤーンはこのオアシスの地を賜った魔術師の治める国となった。
セシリアが読んだ本はその魔術師の物語だった。恰好いいと憧れた。
運河と魔石、そして強大な魔力を持つ小さな国は、人の出入りの自由な国だ。
自由の象徴の白い鳥を紋章にする豊かな国だ。
ナヒヤーンに着くと、驚いたことに国民が旗を持って出迎えてくれた。
危惧したサフルの元婚約者とか元恋人とかは現れず、国王陛下並びに王妃様より歓迎されて、あっという間に結婚式が執り行われ、セシリアはサフル王子の王子妃になってしまった。
宮殿をひとつ貰ってそこに住む毎日は、田舎の男爵家のような暮らしで、セシリアは驚くことと、覚えることが連続の毎日だった。
サフルは船に乗って海外に出かけることが多いので、セシリアは大抵一緒に出かける。遠くに行きたいと願った少女は本当に遠くの様々な国に行ったのだった。
おしまい
令嬢は婚約者も家も国も捨てて、遠くへ行きたい 綾南みか @398Konohana
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