地下研究所での目覚め

 目が覚めると時間を確かめるのがいつもの習慣だ。

 俺は時計を探すつもりで、人の手を握っていた。

 ストレス解消グッズ。シリコン素材のスクイーズ。それを思い出した。不眠症だったときに握っていた。

 でもそれよりも落ち着いた。


 柔らかい時計?


 頭がはっきりして、右手をサッと引っ込めた。右を見た。裸の女が隣にいた。

「はっ?」

 体を勢いよく起こしてまじまじと眺めてもやっぱりそこに女が寝ていた。

 ベッドではなかった。鈍色の(ステンレスみたいな)作業台の上に俺と女がいた。体を動かすとスプリングではなく金属音が鳴り、何かが床に落ちて派手な音をたてた。

「えっ?」

 薄暗かった。天井には白色の常夜灯がぽつぽつと並ぶ。オフィスのような空間だろうか。かなり広い。仰向けの女の体が青白く照らされる。眠っているようで、まったく動かない。



 急に明かりがつく。目が眩む。

「起きた?」

と声だけが聞こえた。瞼を上げ、声の方を向くと、女が歩いて来るのが見える。

 一見メイド服を身につけているのかと思ったが、よく見れば現代のフォーマルな服装に似ていた。白のブラウスに黒のスカート。二十代ぐらいで、顎のところで揃った黒髪も現代的な装いに見える。


 しかしここは異常だった。無数の人間が、この空間に寝かされていた。同じような台に、男女問わず、服も着ていたりいなかったり、雑多な人間が並んでいる。俺は裸ではなく、灰色の作業着を身につけていた。女はそれらの腰の高さの台を避けながらやってきた。

「誰だ?」声がかすれる。

「アリシア」と女は言った。意志の強そうな目が俺を見た。桜色の小さな髪留めが耳の上に留まっている。

「アリシア?」

「そう。私の名前。ここで働いてるの」彼女は頷く。きれいな丸い瞳は揺らがない。

「……ここは?」

「地下研究所の二号棟安置室」アリシアはわかりきったことかのように端的に言う。その態度とこの空間に圧倒されてしまって、「二号棟安置室」がいかなる場所なのかを聞かないままなんとなく受け入れる。頭の中にすでにたくさんの名詞がつめこまれていた。レイテンシア、レイテンシア、『レイテンシアの天使たち』。


「なんでこんなところに……」多くの人間が寝ているというのに、静まり返っていた。隣で寝ている女も身じろぎ一つしない。裸ではあるが、こうして横たわる人間たちの最中にいると美術品のようで、冷静に眺めてしまう。その肢体はまぎれもなく人間のものだったが、一つだけ人間と違うところがあって、それは頭の上に猫のような耳がついていることだった。

「それは模型」とアリシアが言う。

「耳が?」

「全部」

「これが」俺は寝ている女をぐるりと囲うように指先を動かす。

「この部屋はそういう部屋なの」

 ここは人形の工場なのか?

 おそるおそる手首をつかみ、脈をとる。よくわからない。感触は皮膚そのものだ。手を顔の前にかざす。息をしていない。どうやら精巧な模型……なのだろうか。妙な気分になりそうなので手を放す。

「あんたの名前は?」とアリシアが言う。

「トリヤ」俺はそう名乗る。でもこれが本当に俺の名前か確信が持てない。もしかしたら苗字かもしれない。名付けてくれた親はどこにもいない。覚えていないことばかりでわからないことばかりだ。

「トリヤ、ね」とアリシアが言う。そう呼ばれると、そんな屈託はどこへやら、この名前でよかったという気がしてくる。まあ気のせいだが。


 そもそも、アリシアと名乗るこの女をどれほど信頼したらいいものか。

 蓮っ葉な物言いで、バーのカウンターに座って人を品定めしているかのような雰囲気の女。いや、雰囲気というよりも、そういう映画のシーンに似合いそうな整った顔とその双眸がそう思わせた。

 やはり、今は彼女に情報をもらうしかないだろうか。

 

「なあ」とか「あの」とか「ちょっと」とか言おうとするのと同時に、奥の扉が開いて、俺のまだ言葉になってないかすかな息がかき消された。

 入ってきたのは、鋼色の角ばったロボットのようなやつ。キャタピラの下半身に人型の上半身がつながって、移動するとキュルキュルと音が鳴った。

「グェイグー」とアリシアが呼んだ。

 呼ばれたキャタピラロボットはそばまで来ると「客人がお目覚めなら、こちらをどうぞ」と、意外に滑らかな声で言い、アリシアに何かを手渡す。アリシアは無言で俺へと差し出す。白い茶碗。

「粗茶ですが」とグェイグーが言った。茶碗の七分目まで茶の色合いの液体が入っている。俺は喉が渇いていることに今気づいた。茶碗を受け取ると、一息にその中身を飲み干した。味はまさしく麦茶。


 俺は一息つく。この状況に慌ててもいいはずだ。しかしそういう気にならない。

「俺は何があってここに?」と改めて訊く。

「私もよくは知らない」とアリシアは言う。「あんたはどこかに倒れてたんでしょ。それを他の誰かが運んできて、ここに寝かせた。私はあんたの世話をするようにと命じられたから来ただけ」

アリシアはため息をつきながら、周りを見回す。

「こんなところに運ばれるなんて、もしかして重要人物?」

「さあ」と俺は言う。「……なあ、場所を変えないか」

「ああそう? ここ好きなんだけど……じゃあ応接間にでも」

「地上に出れないのか?」

「別に問題ないわ。だったら酒場にでも行きましょう」

 ついてきて、と歩き出したアリシアの背を見ながら、俺は腰掛けていた作業台から立ち上がる。

「お客様」とグェイグーが言う。

 このロボットのことを忘れかけていた俺は呼びとめられて驚く。

「なんだ?」

「こちら、落とされたようですので」と差し出されたのは一冊の本。

 題名は『ブルルバラン』。

 グェイグーに感謝を伝えて受け取る。

「ちょっと、何してるの?」と扉の前にいるアリシアが言った。俺は早足で彼女の元へ向かう。グェイグーはついてこなかった。

「あいつはいいのか?」

「いいの。グェイグーは出れないから」扉が開く。

 細長い通路。真っ白い壁面。床には格子状の線が入っている。

 歩いていくと、左の壁がショーウィンドウのようになって、マネキンが立っていた。いや、マネキンというより、理科室の人体模型だ。骨、筋肉、血管、神経、臓器がそれぞれむき出しになった五種類の模型が流行のファッションに身を包んでいるかのようにポーズをとっている。アリシアは何を言うこともなく進んでいく。見慣れているのだろう。


 突き当たりに着いた。T字路で、左右に同じような細長い通路が続いている。

 どちらに行くわけでもなく、アリシアはその突き当たりの壁に触る。すると、壁が黒く染まり、左にスライドする。二人分の入り口が現れた。アリシアが俺を招き入れる。小さなエレベーターのようだ。四人も乗ったら狭いだろう。中はクリーム色の空間。何のパネルも表示もない。アリシアは壁に指先を当て、上にスワイプする。指先の軌道が薄い青の上矢印となって残った。体に振動が伝わり、おそらくは上へと俺たちを乗せた箱が動き始めた。

 俺は本を開いてみる。最初のページには、こんなことが書いてあった。



  ◇◆◇◆◇



 これはあなたが聖剣を抜くまでの物語。



  ◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブルルバラン ポシェルタのロケットとレイテンシアの聖剣 佐田ほとと @sadahototo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画