湖沼の骨

@ninomaehajime

湖沼の骨

 最初は難破した船の竜骨かと思った。

 漁師の男は湖沼でうけ漁を行なっていた。竹で編んだ細長いかごを浅瀬に仕掛け、餌を入れてうなぎがかかるのを待つ。翌朝、獲物が入っていればそれをった。

 朝靄あさもやに包まれ、あまり視界は良くなかった。立てておいた竹竿を目印に、鰻筌うなぎうけを引き揚げる。何匹もかかっていれば、手のひらに重みと細長いものがうごめく感触が伝わってきた。

 この湖沼は海と繋がっており、海水と淡水が混ざり合う。男が漁をする鰻はここで数年を過ごし、産卵のために海に出る。その稚魚がまた戻って育つのを繰り返すのだ。

 鰻が詰まった鰻筌を両手に抱え、自然と笑みをこぼれる。これだけ獲れれば上々だ。ふと、淡い朝日が遮られ、男は頭上を見上げた。

 五丈はあるだろうか。頬被りした男の遥か上で、極端に尖った岩にも似た複数の物体がほぼ同じ間隔で並び、覆い被さらんばかりに湾曲している。頂部から徐々に低くなり、全体として輪郭は丸みを帯びている。男は腰を抜かしそうになった。

 それらは湖水から突き出て、陽光を引き裂いている。岩というより、獣の爪に近いかもしれない。幾分か冷静さを取り戻した漁師の男は、その不思議な物体をまじまじと見上げた。

 はて、沈んだ船の残骸でも流れ着いたか。ただ素材は木材には見えない。その白く硬質な質感は岩に似ているものの、こういった形状の岩石は目にしたことがなかった。

 思案していると湖面が揺れた。湾曲した物体がひっくり返った。波が起きて、小舟が揺れる。男が尻餅をついた。頭上を見上げて、目を見開いた。

 これは船でも岩でもない。骨だ。

 白骨化した人体の巨大な腕骨が、湖面から露わになっていた。よくよく思い返せば、あの尖った部分はあばら骨だったのだろう。小山と見紛みまごう頭蓋骨が半分だけ浮かび上がり、妙に整った歯が剥き出しになった頬骨が覗いていた。片目のくら眼窩がんかが、漁師の男を虚ろに見つめていた。

 男は泡を食って逃げ出した。巨人の黒々とした穴が、その後ろ姿を見送った。

 漁には出れなくなった。漁師仲間からは、あの得体の知れない巨人の骨が見つかったという話は聞かない。そもそもあの湖沼に、あれほど巨大な物体が浮かぶほどの深さはないのだ。

 何より男は怯えていた。あの骸骨の眼窩には、白く蠢く何かがいた。

 一体、海から何が紛れこんだのだ。

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