幼き日のおもひで

ふわりふわりと、森の木々の間を白い綿毛が舞う。


私は、それを追いかけて草の間を駆けていた。

綿毛は茂みの向こう側に飛んで行く。


それを追いかけて、陽だまりの中へ飛び出し――


「え、ちょ、うぎゃぁ!?」


――泉に落ちた。


茂みのところで地面はなくなり、きれいな水がわいていたのだ。


生まれてからずっと、この森が遊び場だったといいうのに、こんな場所があるだなんて知らなかった。


深い水に沈み込んでいたが、目を開けてみれば透き通った光が見えた。

手足を動かして水面に浮上し、長い髪をかき上げたその時、

時が、止まった。


彼は、泉の向こう側のほとりで、木陰に座っていた。

呆けたような彼の手元の本は、風でページがめくれている。

柔らかそうな髪は、陽光に反射して小麦色に輝いていた。

丸みのある顔は、彫刻のように美しく、かわいらしい。

瞳はどこまでも深く透き通った紅。


こんなの、まるで、まるで――


「――天使様?……て、ぶぎゃぁ!?」


見とれてしまっていたからだろう。

ただの人間である私が物理法則に逆らえるはずがなく、あえなく水の中に沈んだ。


あぁ、天使様は、もう行っちゃうかもしれないのに……。


再び浮上して犬のように頭を振ると、天使様はまだいた。

本は、彼の足元に落ちていた。

いつの間にか立ち上がっていた彼は、まっすぐ見開いた瞳をこちらに向けている。


「天使様、消えないで、そこで待っててね?」


「……ぇ?」


声まで透き通っている。


手足にまとわりつく服は脱げるはずがなく、そのまま水に潜って、天使様めがけて泳ぎ出した。

ようやく足がつく場所まで泳ぎ着き、立ち上がると、天使様は目と鼻の先にいた。


「大丈夫?ほら、こっちおいで?」


手を差し伸べてくれる彼の足は、いつの間にか泉のふちにあった。


ふらふらと、導かれるように歩みを進める。

彼に手を預けようとしたところで、ふと、我にかえる。


「天使様、触ったら、消えちゃわない?」


天使様は、軽やかに笑った。


「なに言ってるのさ。僕は、ただの人間だよ?」


信じられない。

浮世離れした彼は、人間だというのか。


壊れ物に触るように、そっと、手を預ける。


「へぶぇ……!」


想像以上に強い力で手を引かれ、彼の乾いた服の胸元に、顔が当たる。

同時に、ぱさ、と上着が頭からかけられた。


手を引かれるままに草に座り込み、彼と向かい合う。


「ねぇ、きみ、お名前は?」


「わたしは、ペルペトゥア。ぺティって、みんなは呼ぶよ!」


彼は、柔らかく微笑んだ。


「そっか。僕は、レオンだよ。」



それから毎日、たくさんお話をした。


来る日も来る日も、時には走って、時には馬を駆って、会いに行った。


春が過ぎ、夏が過ぎ、秋も過ぎ、冬を越して、また春も夏も過ぎて、秋になってきたころ。


彼は、来なくなった。


その時には、すでに、わたしの中では彼はなくてはならない存在になっていた。


『大好きだよ。僕のこと、忘れないでね。』


あの日、彼が陰に座っていた木。

そこに残された、言葉。


それを見たとき、わたしは涙とともに悟った。


わたしは、彼の事が、好きだった。


『わたしもだよ。待ってるから、絶対に、むかえに来てね。』


彼の文字の下に彫り込んだこの言葉を、私の大好きな人――レオンは、見たのだろうか。

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死ぬなぁ~っ‼ Mase. Kaoru @2731341

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