口火狩矢の呪楽

一風ノ空

第1話『呪いの“消しゴム”』

■□ (水無瀬篤人.side)


 俺たちはほぼ毎日のように、何かしらの勝負をしている。


 勝負内容は簡単なもので、ジャンケンだったり、トランプのババ抜きだったり、学食の席で俺たちの隣に座る学生が女子か男子のどちらになるかを当てたりとか。

 勝った方は、負けた方に一つだけ命令ができる。一応拒否権はなし。一番多い命令だと、飯の奢りとか映画観のチケット代の奢りとか。まぁ今のところ、拒否したくなるようなえげつない命令はでていない。

 というのも、もう何十回と続けている勝負は俺が勝つことが多いからだ。

 常識的な思考を持つごく普通の男子大学生である俺は、命令だって相手を気遣って優しいものをだす。


 し、か、し。


 勝負相手である男、口火狩矢くちびかりやは違う。

 狂人的な思考を持つ狩矢が勝つということは、俺にとっては地獄を味わわされる絶望感に近いのだ。


 けっこう前に狩矢が勝った時のことを思い出す。…あれは一生忘れはしないだろう。

 学食のテラス席に向かい合って座っていた俺たちは勝負をした。んで、狩矢が勝った。

 俺の目の前で優雅に足を組んだ狩矢はニヤニヤしながら「どうしよっかな〜。あ、じゃあそこにいるジョロウグモを食べてよ」と、すぐそばの木の枝に巣を作っていた一匹の蜘蛛を指差して言われた時は、流石にその綺麗な顔をぶん殴ってやろうかと拳を握って突き出す寸前までいった。


「断固拒否だ!」


「あぁ大丈夫だって。どっかのユーチューバーが蜘蛛を素揚げにして食べてる動画観たけど平気そうだったよ。毒はないから安心して」


「毒とかそういう問題じゃねーよ!!」


 …断固拒否して何とか蜘蛛を食べることは回避した。


 とにかく、口火狩矢という男はヤベー思考を持ったとんでもない人間なんだ。そんな奴と分かっていながら、俺は大学でも外でも狩矢と連んでいることが多いし、毎日のように勝負事を続けている。

 …俺もだいぶヤベェ奴というか、変人なのかもなぁ。




 そんなことを思いながら人混みの中を歩いている俺は、今の現状に意識を戻す。今現在、大学を出て電車移動して来た俺と狩矢は、吉祥寺の街を歩いていた。


 俺の目の前を歩く、細身の体にキッチリとした黒スーツを着こなした狩矢はものすごくご機嫌だ。久しぶりに勝負に勝ったからだろう。負けた瞬間の俺は絶望感に打ち拉がれて「あぁ死ぬな…」って思ったわ。

 どんなエゲツない命令をされるかと思ったが、今回は“喫茶店の飯を奢る”という安心安全な命令だったのだ。いやマジで天にいる神に向かって感謝したわ。


「おい狩矢、歩くの速えよ。浮かれすぎて人にぶつかるなよ」


「篤人が遅すぎるんだよ」


 ズボンに両手を突っ込んでこっちを見た狩矢が睨んできた。


「ずっと気になってた喫茶店のチョコレートケーキだ、売り切れたらどうしてくれる。そうなったら、今度こそ君には蜘蛛を食べてもらうからね」


「なっ…ざけんな! そんなに味が気になるならテメェで食えよ!」


「オレがスイーツや菓子類しか食べないことを忘れたの?」


 そう、この男は超偏食である。

 大学からの付き合いだが、こいつが麺や米、肉や魚を口にしているところを一度も見たことがない。


「あのー、すみません」


 とその時、狩矢の行く手を遮るようにしてジャケパンスタイルの男性が現れた。三十代前半くらいだろうか。わざとらしいほどニコニコ笑顔だ。


「メンズ美容雑誌のスカウトをしている者なんですが、スーツのお兄さん、ちょっとお話いいですか?」


 足を止めた狩矢に合わせて、俺も立ち止まる。


「お兄さん、綺麗な顔してますね。中性的なルックスに色白で透明感もある! うちの芸能事務所に欲しい人材ですよ。学生向けの雑誌モデルに興味ありませんか?」


 狩矢は何を言われているのか分かってないのか、子供みたいにキョトンとしている。狩矢から反応がないことに少し戸惑いを見せたスカウトマンは、その胡散臭い笑顔を俺の方にも向けてきた。


「お連れのお兄さんも、長身でスタイルいいですね。それに–––」


「あ?」


 第一印象で“目つきが悪い金髪ヤンキー”に見られる俺は、今回ばかりはその損な見た目を利用することにした。スカウトマンを上からぎろりと睨みつけて『邪魔だそこを退け』と圧をかける。


「ひっ! え、えぇえとスーツの君! 名前は? 大学生かな?」


 クソ、こいつ粘りやがる…。


「おじさん、オレのことを知りたいの?」


 あざとらしく小首を傾げた狩矢がニッコリ笑う。「お、おじさん…」と頬を引き攣らせたスカウトマンは、狩矢の失礼な発言にも頑張って笑顔をキープした。


「そうそう! 君のことをもっと知りたいから、良かったら事務所の名刺を貰ってくれないかな」


 スカウトマンは名刺を取り出すためにジャケットの内ポケットに手を入れた。そのタイミングで狩矢がいきなり自己紹介を始める。


「名前は口火狩矢。八首はちがしら大学三年生。好きな食べ物は甘いスイーツやお菓子類。趣味は篤人とする罰ゲームありの勝負だね。負けた方が一つ相手の命令を聞くってルールなんだ。あと最近の趣味だと、AV鑑賞かな」


「え」


 AV?と、目を点にして固まってしまったスカウトマン。

 …いやまぁ、そーなるよな。こんな街のど真ん中で、趣味はAVです発言されたらな…。

 周りの目を全く気にしない狩矢の口は止まらない。


「AVは本来、男性なら性欲処理のために利用するだろう。女性ならセックスの勉強のためなのかな。けどオレの場合はどちらも当てはまらない。好きでもないし興味があるわけでもない。単なる暇つぶし、空いた時間にドラマを流し見するくらいのちょうど良いアイテム。でも幅広いジャンルを見てきたし、もう趣味に加えても許されるんじゃないかと思ってる」


「え、え、ちょ、あのっ」


 スカウトマンは混乱している。


「非日常的な娯楽を好むオレからしたら、AVで興奮できる人が羨ましいくらいだよ。心霊スポットに行くとか、事故物件に住むとか、新しい呪物を見つけるとか、まだそっちの方が興奮できるね」


 俺たちの近くを行き交う年齢職業様々な人たちが、狩矢の台詞を耳にしてビックリした顔を向けてくる。

 やべぇ他人のフリしてぇ…。


「おい…狩矢」


「そうそう呪物といえば、オレたちは毎日のように“呪物に侵された人間”を探してて–––」


「おい狩矢ストップ!」


「なに篤人。今いいところ、」


「スカウトマン、居なくなってんぞ」


 後ろから肩を掴んでやかましい口を止めさせると、狩矢はようやく、目の前にいたスカウトマンの姿が消えていることに気づいて「ありゃ?」と不思議そうに首を傾げた。俺はやれやれとため息をつく。

 …まぁ今みたいに、初対面の人間が狩矢に声をかけてそそくさと逃げて行くのは良くあることだ。


 黙ってれば美青年。

 口を開けばぶっ飛んだ言動で周囲を驚かせてドン引きさせる。

 それが口火狩矢という男である。



■□

 吉祥寺駅から歩いて五分ほど離れた中道通りに位置する喫茶店。

 落ち着いた雰囲気が流れるアンティークな店内は、カウンター席も含めてほぼ埋まっていた。ざっと見た感じ、客層も若者から年配と幅広い。

 俺たちは女性店員に案内されて、窓際の二人がけの席に座った。

 狩矢はお目当てのチョコレートケーキと、加えてチョコレートパフェを注文。俺は夕飯も兼ねてサラダとスープがついてくるナポリタンを注文する。ドリンクは狩矢はいらないと言い、俺だけアイスコーヒーを頼んだ。


「呪物不足だ」


 店員が離れて行ってすぐ、狩矢がため息混じりに呟いた。俺はおしぼりで手を拭きながら苦笑いする。


「ハイ?」


「はぁ…」


 いやため息…こっちがつきてぇよ。

 狩矢は優雅に手足を組んで、物思いにふけった顔を窓外に向ける。今の狩矢を目の前にしているのが女性なら、その横顔に見惚れてうっとりするだろう。


「“呪物に侵された人間”が見つからないまま一ヶ月近くだ。…退屈だ。あー退屈すぎて死にそうだよ」


「ンなぽんぽん見つかってたまるかよ」


「ぽんぽん見つかってくれなきゃ困る。オレの娯楽の為にもだ」


 睨まれた。理不尽だ…。


「まぁ今日は俺の奢りだからな。甘い物でストレス発散しろ」


「君が昨日持ってきたAV、あれなに?」


 おい今ここでAVの話はやめろや。


「君、看護婦が好きだったよね。いつから家政婦に乗り換えたの? 最近リアルで家政婦を雇うようになったとか? 君って苦学生だよね?」


「もうお前黙れ…!」


 俺が訴えても狩矢はぺらぺら喋り続ける。こうなったらもう止められない。

 ぐぁあやめてくれ…!

 俺は両手で頭を抱えながら項垂れる。キッチリした黒スーツを着こなした狩矢と、見た目が素行の悪そうなヤンキーの俺は、傍から見たら警察の取り調べを受ける容疑者みたいな光景に見えるだろう。


 …あぁそうだ。誰もがまず気になっているだろう、狩矢の黒スーツ姿について話そうか。すまん現実逃避させてくれ。

 こいつは大学生のくせして私服がスーツという変わり者だ。しかもカジュアルスーツじゃないから余計に目立つ。

 狩矢と親しくなってきた頃に「どうして毎日スーツを着ているのか」と理由を聞いたことがある。狩矢からは「毎日服を選ぶのが面倒だから」という返答が返ってきた。

「高校の時の制服がブレザーでネクタイの結び方にも慣れているからスーツを選んだ」と、狩矢は何でもないことのように言った。そんな理由で周りから孤立していいのかよ、と俺は思った。


 実際、大学内でも黒スーツ姿の狩矢はかなり目立つし、近寄りがたいヤベェ奴に見られている。本人は交友関係が狭くてもまったく気にしない性格だから、俺が心配してやっても「余計なお世話だよ」と鬱陶しがった。


「……ん?」


 急に目の前にいる狩矢が静かになったことに気づいた俺は、不思議に思いながら顔を上げる。

 狩矢はそっぽを向いて真顔になっていた。何もない所を見つめる猫のような表情をしている。

 狩矢の視線は、店内の壁際にある四人掛けのソファ席に向いていた。その席には二人組の男子高校生が向かい合って座っていて、同じオムライスを食べている。

 一人はイケメンの分類に入る爽やかな見た目をしている。

 もう一人は、あまりパッとしない地味で平凡な顔立ち。イケメン君のせいで余計に存在感が薄い印象を受ける。


「狩矢? …まさか」


 狩矢はイケメン君をジッと見つめていた。俺は声を顰めて言う。


「“呪物に侵された人間”を、見つけたのか?」


 そう確信した。

 すると狩矢がちらっと俺を見て、にやりと笑う。


「退屈に殺されることはなくなったよ」


 そう楽しそうに言ってから席を立った。

 あ、ヤバい。

 慌てて止めようとしたが、狭い店内だ。スタスタと歩み寄って行った狩矢はあっという間に男子高校生たちが座る席の真横で立ち止まる。


「こんにちは」


 俺の方からは狩矢の背中しか見えないが、きっと満面の笑顔で話しかけただろう。

 急に話しかけられた男子二人はスプーンを持つ手を止めると、揃って怪訝な顔をして狩矢を見上げた。そして二人はびっくりしたように目を大きくすると、視線を下へ、そしてまた上へとゆっくり戻すようにして狩矢の全身を見た。

 まぁそうなるよな。

 いきなり話しかけてきた見知らぬスーツ姿の男を目の前にした時、良くある相手側の反応である。


「あぁもう…っ」


 狩矢が変な行動をとる前に止めねぇと。

 俺は急いで席を離れて狩矢の背後に近づく。「おい狩矢」と声をかけて肩を掴むより先に、狩矢がイケメン君に手を伸ばして顎を掴み、無理やり上を向かせてぐっと顔を近づけた。


「君、呪物に侵されてるね」


 笑みを浮かべて囁く狩矢に、イケメン君はびっくりした顔で固まってしまった。

 …初対面の男子高校生に顎クイするとかどういう神経してんだよ。


麗音れおんに触るな」


 立ち上がった地味顔君が、顎に触れている狩矢の手首を掴んで引き剥がすと、かなりお怒りな表情をして狩矢を睨みつけた。対する狩矢は不思議そうな顔をして地味顔君を見ている。

 あー…帰りてぇ。

 このカオスな状況の中、俺は顔を片手で覆って深くため息をつくしかない。近くのテーブル席に座っている二人組の女性が「きゃーヤバなにあれ」と好奇心を滲ませた視線を俺たちに向けてくるのがなんか怖い。


「最近変わったことはない? 体調が悪いとか、悪夢を見るとか」


 狩矢は地味顔君を気にせずに、イケメン君に向かって尋ねた。すると心当たりがあったのか、イケメン君は「あぁ」と呟いて「あります」とさらっと答えた。


「お兄さん、霊能者かなんか?」


 イケメン君はテーブルに頬杖をついて狩矢を見上げると、どこか楽しそうな笑みを浮かべる。


「違うよ」


 対する狩矢はあっさりした一言を返した。俺は狩矢の横に並び、その肩を掴んで小声で言う。


「狩矢、こういう場所で目立つ行為はするなって何度も言ってるだろ」


「あれ? 篤人いたんだ」


「いるわそりゃ」


「麗音、もう出よう」


 地味顔君が伝票を持ってそう言ったが、イケメン君は「まぁ座れよ飛鳥あすか」と地味顔君を宥める。


「スーツのお兄さん。俺の話、聞いてくれます?」


 イケメン君はそう言って、にっこりと笑った。


 と、いうわけで。

 俺と狩矢は、二人が座っていた四人掛けのソファ席に相席するため移動してきた。

 俺は狩矢の横に座り、向いには男子高校生二人が座っている。俺たちが注文したメニューも出揃い、食べながらまずは自己紹介だ。


「俺は吉川麗音よしかわれおん、高二です。で、こいつは俺の家の近くに住む幼なじみの三浦飛鳥みうらあすかです」


 麗音から自身の名前を口にされた飛鳥は、黙ったまま軽く頭を下げる。その顔はもう怒ってはいないが、向けられる目つきが俺たちを警戒している。


「オレは八首はちがしら大学三年生の、口火狩矢くちびかりや


「同じく、水無瀬篤人みなせあつひとだ」


 順に自己紹介すると、麗音が興味深そうに俺と狩矢の顔を見た。


「お兄さんたち、見た目ぜんぜんタイプ違いますよね。俺たちみたいに幼なじみ、とかですか?」


「いや、俺たちは大学からの付き合いだ。まぁ…いろいろあって仕方なくな」


「仕方なく?」


 なんだそれ、という風に首をかしげる麗音の隣で、飛鳥は興味なさそうに残りのオムライスを口に運んでいる。俺の隣でも、狩矢がどうでもよさそうにチョコレートケーキを食べていた。

 先にパフェを片付けろよ、溶けるだろ。


「最近、同じ夢を連続して見るんです」


 表情を曇らせた麗音が思い出すように視線を落とす。


「ちょっと意味わからない内容で、けどそれが、不気味というか…」


「いいね。聞かせてよ」


 麗音にあやしげな微笑みを向けた狩矢はフォークで一口サイズにしたケーキを、皿に添えられたホイップクリームと一緒に口に運ぶ。

 麗音はうなずくと、夢の内容を話し始めた。




 夢の中で、麗音は誰もいない夜の学校の廊下を歩いている。

 目的地がどこなのかわからない。

 けれど足は勝手に進む。

 一階から、自分の教室がある二階へ。

 しかし足はそのまま三階へ向かう。

 三階の廊下に出ると、微かな音がした。


 ゴシ…ゴシ…ゴシ…ゴシ…


 ドアが開きっぱなしの教室の前で足が止まる。

 真っ暗な教室内を覗くと、前列の窓際の席。そこに黒い人影が座っていた。


 ゴシ…ゴシ…ゴシ…ゴシ…


 俯いている人影は、机の上に広げたノートを消しゴムで消し続けている。

 麗音は教室内に足を踏み入れて、人影に近づいて行く。

 人影は性別がまるでわからない。とにかく真っ黒なシルエットだ。

 麗音が机の横に立っても、人影は真っ白なノートを消しゴムで消し続けることを止めない。


 ゴシ…ゴシ…ゴシ…ゴシ…


『…ね……しね……死ね……』


 重くこもった声でぶつぶつと呟いている。


『…死ね…死ね…死ね…』


 やばい。

 麗音はそう思って、消しゴムを奪おうと考えるが、体が動かない。

 ノートの上に出来上がる消しカス。

 どんどん小さくなっていく消しゴム。

 あの消しゴムを使い切った時、俺は––––




「“消しゴムの呪物”だ!」


 突然叫んだ狩矢がソファから腰を浮かした。

 その声にびっくりした周りのお客さんと店員の視線が集中する。俺は急いで「すみませんすみません」とぺこぺこ頭を下げた。


「今回の呪物は消しゴムだよ、篤人!」


 狩矢が嬉しそうな笑顔を俺に向ける。


「分かったからいちいち叫ぶなっ」


 麗音と飛鳥は「え、呪物…?」と揃って気味が悪そうな顔をしていた。座り直した狩矢は何も刺さっていないフォークを片手に、満足げに笑って麗音に言う。


「麗音くん。君は、消しゴムという呪物によって呪いをかけられているんだよ」


「え…?」


 麗音がぎこちなく笑う。


「なんですかそれ…。“消しゴムの呪物”なんて聞いたことないですよ」


「麗音は死ぬんですか?」


 と、飛鳥が妙に真剣な表情をして狩矢に言った。

「え、俺死ぬの?」と頬を引き攣らせる麗音。

「場合によったら」とニッコリ笑う狩矢。


「麗音くん。君は誰かに恨まれたり、もしくは殺意を持たれるようなことに心当たりはない?」


 狩矢の問いかけに対して麗音は「殺意って…この歳で持たれたくないなぁ」と嫌そうな顔を見せながら、う〜んと考え込む。「アレか? いやアレかも…」とぶつぶつ言っている。心当たりありまくりかよ。


「…きっと女遊びが原因だよ」


 オムライスを綺麗に食べ終えた皿に視線を落としたまま、飛鳥がぼそりと呟いた。隣にいる麗音が飛鳥を見て苦笑いする。


「え、飛鳥はソレが原因だと思うのか?」


「無自覚なら大問題だな」


 呆れたため息をついた飛鳥は顔を上げると、冷めた表情で俺たちを見た。


「麗音はモテるから、学年関係なく良く告白されています。基本的には断るみたいですけど、場合によっては好きでもないのに付き合ったりして遊んでいるんです。彼女からは浮気されたとか二股かけられたとか言われてよく揉めていましたね。そんなだから恨まれても仕方ないですよ」


「いや、それ中学の頃の話だろ。もう誰彼構わず付き合うのはやめたって飛鳥も知ってるくせに」


「どうだか…」


「–––モテる彼のことが嫌い?」


 突然、狩矢が飛鳥に向かって意地悪な笑みを浮かべて言い放った。ほんとコイツは…。

 飛鳥は息を詰まらせて口を閉じると、眉根を寄せて睨むような視線を狩矢に向ける。

 狩矢は気にせずパフェに刺さっていたポッキーを齧った。気まずい空気感に俺は食欲をなくしながらも、熱いうちにナポリタンを巻いて口に入れていく。


「まぁ〜俺の女絡みで飛鳥には昔から迷惑かけてますから。嫌われても仕方ないです」


 麗音は笑って飛鳥の肩をぽんぽんとたたく。飛鳥は横目で嫌そうに麗音を見た。


「俺の代わりに女子から文句言われたり泣かれたりして、そのせいでちょっと女嫌いになったんだよな。でもまぁ飛鳥には彼女候補の杏菜あんながいるし、問題ないだろ」


「…杏菜とはそういう関係にならないよ」


 飛鳥は鬱陶しそうに麗音の手を払った。飛鳥からずっと冷たい態度をとられても麗音は全く気にしていない。


「杏菜は俺たちと同い年の幼なじみなんです。ちっさい頃はいつも三人で遊んでました」


 麗音は俺と狩矢を見て言った。

 しかし狩矢は興味なさげな顔をしてパフェを食べる手を止めない。こいつの今の意識は完全にパフェに向いてしまっている。完食するまでこの状況を放置しそうだ。俺が代わりに仕切るしかないか…。


「なぁ、その夢ってさ、いつから見るようになったんだ?」


 俺は麗音の夢に話題を戻した。

 麗音は目線を上に向けて思い出すように首をひねる。


「えーと、三日前ですかね」


 三日前か…。

 麗音の顔色を見た感じ、体調が悪そうには見えない。だが呪物の効力はじわじわと対象者の体を侵蝕している。狩矢が言うには、“呪物に侵された人間”は保っても一ヶ月足らずで死ぬらしい。


「直近で告白されたのはいつだ?」


「直近だと、五日前ですね。堀内めぐみって名前の先輩です。昼休みに先輩の教室まで呼び出されて、その場で告白されました。学校一番の美人で有名な先輩だったんで、向こうはかなり自信満々だったみたいですけど、その場で断りました」


 麗音は笑いながら「今は彼女とかほしくないんですよね〜」と言う。俺は「うわマジか…」と若干引いた。


 その自信満々だった先輩は、公開告白をしてフラれたのだ。かなり屈辱的な思いをしたことだろう。俺は顔も知らないそのフラれた先輩にちょっと同情する。


 すると、食べ終わったオムライスの皿をどかしてアイスティのグラスを手元に引き寄せた飛鳥が、浮かない顔をして口を開いた。


「堀内めぐみ先輩が麗音にフラれたって話は学校中に広まっています。プライドが傷つけられた先輩はショックよりも怒りの感情が大きいんじゃないでしょうか。逆恨みの可能性もありそうですね」


「え、マジで?俺いつか刺されたりしない?」


「あの先輩ならもっと違うやり方で麗音を殺しにかかりそうだけど」


「すげーさらっと怖いこと言うじゃん…」


 飛鳥の容赦ない言葉に怯える麗音。

 すると狩矢が急に「なるほど」と楽しそうに弾んだ声を上げた。狩矢の方を見ると、いつのまにかケーキもパフェも綺麗に食べ終わっている。マジかよ…。


「つまり飛鳥くんは、その先輩が呪物を使って麗音くんを呪っているんじゃないかと思ってるわけだ」


「まぁ…はい、そうですね」


 ふうん、と狩矢は楽しそうに口角を上げて真っ直ぐな瞳で飛鳥を射抜く。飛鳥は居心地悪そうに目を逸らした。

 狩矢は麗音に視線を投げる。


「オレもその先輩が怪しいと踏んでいるよ。麗音くんが呪物によって呪い殺されるのも時間の問題だ。明後日…いや、明日かもね」


「ええっ!?」


「あはは、冗談だよ」


「ちょっともー、ビビらせないで下さいよ。…てか、ぜんぶ冗談ですよね? 呪物とか呪い殺されるとか、漫画の世界じゃあるまいし」


 ははは、とぎこちなく笑う麗音に対して、狩矢は目を細めて不気味に笑う。麗音は気圧されたように笑い声を引っ込めた。


「…麗音、そろそろ出よう。映画の時間に間に合わないよ」


 飛鳥がそう言って席を立つ。今から映画を観に行くようだ。

 麗音がスマホで時間を確認して「うわ、マジだ」と焦ると、残りのオムライスを二口で片付けた。


「麗音くん、連絡先を交換しようよ。オレなら君を救う力になれるからさ」


 狩矢は自信満々に胸を張り、高く足を組んだ。

 不安が拭えないのだろう、麗音は縋るような目を向けて「はい、お願いします!」と言った。あっという間に狩矢のペースに飲まれたな。


「飛鳥くんも教えてよ」


「…え?」


 飛鳥は驚いたように狩矢を見て眉をひそめた。


「…僕は必要なくないですか?」


「念の為にも」


 ね?と小首を傾げてにっこり笑う狩矢に、飛鳥は顔を曇らせながらも渋々とスマホを取り出した。

 狩矢と連絡先を交換した二人が店から出て行った後、俺は呆れて狩矢に目を向ける。


「なぁ狩矢。今すぐにでも呪物を見つけた方がよくないか? あいつの命に関わることだろ」


「何言ってるんだ篤人。久しぶりの呪物だ、もっと楽しまなきゃ損だろ」


 やっぱり楽しんでやがる。


「それよりも、その匂いがキツい食べ物をはやく片付けちゃってよ」


 狩矢は眉を歪めて、汚い物を見るような目でナポリタンの皿を見てくる。

 …よし決めた。今度の勝負で勝ったらこの偏食野郎にナポリタンを食わせてやる。



■□

 翌日。

 学食にあるテラス席で、俺と狩矢はいつものように向かい合って昼食をとっていた。

 俺は大学の敷地内にあるコンビニで買ったサンドイッチとカレーパン、飲み物はカップのアイスコーヒー。偏食の狩矢はカップスイーツの中から苺ケーキを選び、それが今日の昼飯代わりとなっている。


「で、狩矢。昨日の呪物の件はこれからどうするんだ?」


 俺はサンドイッチの袋を開けながら、目の前で眠そうな目をしている狩矢に尋ねた。

 スポンジの上の生クリームだけをすくって口に入れた狩矢は、スプーンを咥えたままスーツのズボンの尻ポケットに手を突っ込む。そして取り出したスマホを軽く操作して「ん」と俺の方を見ずに差し出してきた。

 差し出された狩矢のスマホを受け取って、アプリのトーク画面を見る。麗音とやり取りしたメッセージが表示されていた。


「これを読めって?」


「ん」


 …おい、さっきから感じ悪いな。

 食べることに集中したい時はいつもこうだ。対応が雑な狩矢に文句を言うことを早々に諦めて、俺はスマホに視線を戻す。昨日の夜に十五分ほどの通話記録があった。その下に今日の午前中にやりとりしたメッセージが続いている。


【堀内先輩に直接会いたいって件ですけど、今日上手く誘い出してみます!】

《了解》

【今日の放課後デートしませんかって先輩を誘ってみました!】

《うん》

【今更なによ!馬鹿にしてる!? って怒られてビンタされました】

《ウケる》

【頬めっちゃ赤いです、見ます?】

 –––赤くなった頬の画像

《笑》

【その後も粘って誘ってみましたけど、もう麗音くんのことは好きじゃないからって言われました。フラれる側の気持ちがちょっと分かりました…】

《w》


「いや適当だな! もっとちゃんと返事してやれよ!」


「うるさいなぁ。急に叫ぶなよ」


 思わずツッコミを入れた俺に、狩矢が耳を押さえて顔をしかめた。俺は浮かした腰を落として座り直してから、狩矢に向かって説教じみた台詞を吐く。


「いいか狩矢。お前はもっと、自分の為に何かしてくれる人間に対して感謝を示せ。マジで社会人になった時に苦労するぞ」


「あはっ。篤人の口からそれ言われても一ミリも響かないよ」


 けらけら笑う狩矢に軽い殺意が湧いた。眉間を指先で揉みながらスマホを返す。


「…で。どうすんだ」


「決まってるじゃないか」


 狩矢はふふんと緩い笑みを浮かべる。テーブルの上に置かれた苺ケーキのカップはいつの間にか空になっていた。


「高校に行く」


「はあ?」


「向こうが出て来ないなら、こっちから行くしかないでしょ」


「ぜッッたいに止めろ!」


「なんで?」


「絶対に揉める。不審者扱いされて警察沙汰になっても知らねぇぞ」


「まぁ、篤人のヤンキーな見た目だと不審者だって勘違いされちゃうだろうね」


「いやなんで俺も同行する前提なんだよ…」


「うーん、じゃあどうしよっかなぁ」


 頼むから俺を巻き込まないでくれ…。




■□  (三浦飛鳥.side)


 昼休みの残り時間に、僕と麗音は渡り廊下の出入口に設置された自販機までジュースを買いに来ていた。


「う〜、まだ痛ぇ」


 麗音はスポドリのペットボトルで、堀内めぐみ先輩に叩かれた頬を冷やしている。


「…昨日のスーツの人と連絡取り合ってるの?」


 ボタンを押してお茶のペットボトルを購入する。取り出し口に手を入れる背後から、麗音の「おー」と気のない返事が聞こえた。


「先輩に直接会いたいんだってさ」


「あんな変人に関わるのはやめろよ」


「確かに変な人だったよなぁ」


 麗音は呑気に笑っている。

 僕はため息をついて振り返った。麗音の顔をじっと見て眉をひそめる。朝からずっと気になっていたけど…


「もしかして、体調悪い?」


「え?なんで」


「顔色悪いし」


「いやむしろ赤くなって血色いいだろ」


「昼のお弁当も半分以上残してた」


 軽く受け流そうとする麗音に、僕はきつい口調で言い放った。麗音は「バレたか」と困った顔をして笑う。


「眠れないの?」


「まぁちょっとな。寝不足で怠いっていうか、微熱もあるっていうか」


「いつからだよ。…まさか、昨日の喫茶店も映画館も、無理してたんじゃないだろな」


「体調が急激に悪くなったのは帰宅してからだよ」


 麗音はすぐに否定した。

 昨日の休み時間に僕がなんとなく「喫茶店のオムライスが食べたい」と呟いたのを聞いた麗音が「じゃあ食べに行くついでに映画観ようぜ。飛鳥も観たいって言ってたやつ」と提案してきて、それならまぁいいかと思って二人で吉祥寺まで足を運んだのだ。

 …まさか偶然にもあんな出会いがあるなんて。いや、そもそも偶然だったのか?あのスーツの男は一体…


「おーい飛鳥、ぼんやりしてどうした?」


「あ、…いやなんでもない」


「そうか? じゃあ早く教室戻るぞ。確か次は現代社会–––」


 背を向けて歩き出した麗音の足元がよろけて、そのままがくりと両膝を床に突いた。驚いた僕は慌てて麗音の横にしゃがみ込んで顔を覗き込む。


「麗音! …大丈夫? ヤバいなら保健室に、」


「飛鳥、おまえさ……俺のこと嫌いだろ」


 麗音は項垂れたまま暗い声で言った。僕は言葉を呑む。麗音の肩においた手が微かに震えた。


「はい図星〜」


 ぱっと顔を上げた麗音が僕を見て笑った。至近距離にある麗音の笑顔を見るのがつらくて視線を逸らす。


「狩矢さんが飛鳥に言ってただろ。『モテる彼のことが嫌い?』ってさ。あの時の飛鳥の反応見て、あ〜マジかぁって思った。マジで俺のこと嫌いなんだなって」


「……」


 麗音は言いながら立ち上がってズボンの膝あたりを軽く払う。僕は麗音の顔を見れないまま重い口を開いた。


「麗音のことは嫌いじゃない。…嫌いとか、そういうんじゃなくて…」


 …あぁ、だめだ。上手く言えない。

 床に触れていた手を拳にして、ぎゅっと握った。


「…ごめん、麗音」


「なんで謝るんだよ。俺、飛鳥に嫌われても仕方ないことしてきたし。主に女関係でな」


 ははは、とまた無理して笑う麗音の声を聞いて、僕は無意識に唇を噛んだ。マイナスの感情がごちゃ混ぜになって、胸が苦しくて息がしづらい。


「飛鳥、麗音。なにしてんの?」


 渡り廊下の先からやって来たのは幼なじみの名越杏菜なごしあんなだ。見た目からしてボーイッシュで性格も男勝りな杏菜は、片手に乾燥した唐辛子がぎっしり詰まった袋を持っている。それは辛い物好きな杏菜のおやつだ。

 杏菜は座り込んだままの僕と、そばに立っている麗音の顔を交互に見ると、麗音の方をぎろりと睨みつけた。


「麗音、飛鳥に何した? ぶん殴るぞ」


「いや俺なんもしてないけど!?」


「じゃあなんで飛鳥が泣きそうな顔してんのよ。泣かすのはフった女だけにしろよこのクズ」


「杏菜、落ち着いて」


 麗音に詰め寄っていく杏菜の前に僕は慌てて立ち塞がる。


「大丈夫だから。なにも問題ないよ」


「飛鳥は昔っからこのクズ男に甘すぎる」


 僕に止められた杏菜はイライラした顔で袋から取り出した唐辛子をがじがじと齧った。辛い匂いが僕の目と鼻を刺激してくる。

 小さい頃、僕たち三人は仲が良くていつも一緒に遊んでいた。けれど杏菜は中学三年頃から急に麗音に冷たくなり、二人はよく喧嘩をするようになった。今では三人一緒になって過ごす時間はほとんどない。


「じゃあ何があったの?」


 説明を要求してくる杏菜に、僕と麗音は顔を見合わせて苦笑した。

 杏菜に昨日あったことをざっと話すと、驚きと呆れたような、なんとも言えない表情をされる。


「怪しすぎよそのスーツ男と金髪ヤンキー。高校生から金を巻き上げようとか考えてるんじゃないの」


「詐欺ってことかよ」


「あんたってほんと、顔だけで得して生きてるアホよね」


 杏菜は唐辛子をがじがじ齧る。酷いことを言われても麗音は涼しい顔だ。


「そうだ」


 閃いた、という表情を見せる杏菜。


「逆に罠にはめてみない? 悪い奴らだったら警察に突き出してやれるじゃない」


 僕は驚いて目を見開く。


「いや、何もそこまでしなくても…」


「なに飛鳥。こっちはカモにされてるかもしれないんだよ? このまま易々と騙されていいわけ?」


「杏菜…俺のためにそこまでしてくれるのか」


「あんたのためじゃない。巻き込まれてる飛鳥のためだっつの」


「デスよねー」


 その時、三人以外誰もいなかった廊下に誰かが歩いてくる足音が響いた。会話をピタリと止めた僕たちの耳に「麗音くん」という高い女子の声が届く。

 三人揃って同じ方向を見ると、そこには腕を組んで歩いて来る堀内めぐみ先輩の姿があった。

 学校一と言われているだけあってスタイルも良く美人だ。噂でモデル関係の仕事をしていると聞いたことがある。性格がねじくれているところがマイナス点だろうか。

 麗音の目の前で立ち止まった先輩は、麗音の斜め後ろにいる僕をちらっと見てきた。僕は気にしない。


「今朝誘ってきた放課後デートの件。受けてあげてもいいわよ」


 え、と驚く麗音を見上げて先輩は挑発的な笑みを浮かべる。


「私の貴重な時間をあげるんだから、荷物持ちとご飯は奢りで。よ、ろ、し、く、ね」


 女王様気質。人を見下すことに慣れたものだ。僕は眉をひそめ、隣にいる杏菜は嫌悪感丸出しの顔をしている。

 麗音と目が合う。どうしたらいい?とその目が僕に問いかけてくる。僕は黙ったまま頷いた。デートしろ、という意味で。

 麗音は先輩に視線を戻して「じゃ、じゃあお願いします」とぎこちなく言った。先輩はふふんと満足げに口角を上げる。


 …馬鹿な奴。




■□  (水無瀬篤人.side)


 ポン、とスマホが鳴った。

 テーブルの上に伏せて置いていたスマホを手に取った狩矢が、画面を操作してにやりと笑う。


「進展があったよ」


 狩矢はそう言って、スマホの画面を俺の眼前に突き出してくる。俺はアイスコーヒーのストローを咥えたまま、さっき見たトーク画面の新しいメッセージを読む。


【やりましたよ! 放課後に先輩を偽デートに誘い出すことが出来ました!】

【吉祥寺で先輩の買い物に付き合った後に昨日行った喫茶店に行く予定なんですけど、狩矢さん何時頃なら吉祥寺来れます?】


「篤人も行くって言っておくね」


「ちょちょちょッ」


 スマホに返信を打ち始めた狩矢を慌てて止める。


「いやだからなんで俺も行く前提なんだよ」


「行かないの?」


「行かねーよ。夜バイト入ってるし」


「篤人も行くよ…っと。ハイ送信」


「おいコラ」


 頬を引き攣らせて拳を握った俺を、狩矢は涼しい顔をしていなす。


「バイトの時間までに間に合わせればいいでしょ」


 狩矢はにこっと笑って立ち上がると、ゴミをそのままにして行ってしまった。

 あ〜くそっ…まじ腹立つ。


「この流れ何回目だよ…いい加減俺も断れるようになれっての…」


 情けない自分自身にぶつぶつ不満を言いながら、狩矢のゴミも纏めてビニール袋に突っ込んだ。



■□

 狩矢と一緒に電車に揺られ、吉祥寺駅で下車する。

 改札口を出ると飛鳥の姿が見えた。狩矢の方には事前に連絡がいっていたようだ。飛鳥も麗音に付き合わされているみたいで、俺はこっそり仲間意識を感じる。


「ついさっき麗音から『先輩の買い物が終わったから喫茶店に向かう』と連絡がありました」


 飛鳥は相変わらず俺たちを好意的じゃない目で見ながら言った。


「そう。じゃあオレたちも行こうか」


 狩矢はにっこり笑って歩き出す。俺と飛鳥は黙ったままその後に続いた。



 両側に洒落たお店がずらりと並ぶ道路を歩いて行くと、昨日行ったばかりの喫茶店が見えて来る。

 俺は前方を歩く黒スーツ姿の背に向かって声をかけた。


「狩矢。麗音たちが喫茶店に入る前に接触した方が良くないか?」


「そうだね。今はケーキもパフェも食べたい気分じゃないし」


「いやそういう意味で言ってねぇよ」


「あそこの路地に隠れて様子を見ませんか?」


 飛鳥が指さす先を見た。目的地の喫茶店の隣に並ぶ雑貨店との間に路地がある。いい判断だ。

 俺たち三人は路地に身を隠して顔半分だけを出す。左右どちらの方向からターゲットが現れるか分からないため、俺と狩矢は右側を見て、飛鳥が左側を見ることにした。


「なんか張り込みしてる刑事みたいだね」


 すぐ横から狩矢が子供みたいにワクワクした小声で言った。俺は呆れた眼差しを狩矢に向ける。


「お前は格好だけなら刑事っぽいぜ」


「…あ、来ました。麗音と先輩です」


 一人真面目に様子を伺っていた飛鳥の小声を聞いた俺と狩矢は、揃って左側に視線を向ける。

 人が行き交う中に、こちらに向かって歩いて来る制服姿の男女が見えた。麗音の腕に手を絡めてべったりしている女子高生…あの子が堀内めぐみか。確かに美人だ。

 傍から見ると美男美女のいちゃいちゃカップルだが、美男の方はお疲れの様子だ。堀内の買い物袋まで持たされて、ひどく疲れた笑顔を貼り付けている。


「篤人。彼女は呪物を持ってるよ」


 狩矢がいつもの笑顔で囁くと、まるで猫のように音も立てず、滑らかな動きで前に出て行った。あまりにも自然すぎて声をかけることも忘れてしまう。俺と飛鳥は慌てて後に続いた。

 

「やあ、麗音くん」


 二人の前に立ち塞がった狩矢が、にこやかに声をかけた。

 麗音があっと声を上げて立ち止まり、堀内は怪訝な顔をして狩矢を見る。

 狩矢は堀内に視線を向けた。


「君、呪物を持ってるよね。それを使って隣の彼を呪い殺そうとしてるでしょ」


 堀内が驚いたように目を見開く。


「な、なんのことよ…」


「誤魔化しても無駄。“呪物の匂い”が君からぷんぷんしてる」


「貴方、頭おかしいんじゃない?」


 堀内が狩矢を睨みつける。

 俺は狩矢の隣に並んだ。狩矢は薄笑みを浮かべたまま堀内をじっと見つめている。冷たく鋭い目つき。狩矢は確信している。その眼差しは自信に満ちている。


「“消しゴムの呪物”だよ。その呪物を“赤髪の男”から貰っただろ?」


「なんなの? そんな奴知らないわよ!」


 堀内は麗音の後ろに隠れた。


「麗音くん、この人たち怖い。どうにかしてよ」


 わざとらしく甘えた弱々しい声で助けを求めるが、麗音は黙ったまま堀内から目を逸らした。

 麗音が俺たちの仲間だと気づいた瞬間、堀内はぎりッと奥歯を噛み締めて悔しそうな顔をしたかと思うと、後ろを向いて逃げ出した。

「あ、逃げた」と呑気な一言を発する狩矢の隣から俺は走って彼女を追う。麗音と飛鳥も俺のすぐ背後に続いていた。狩矢は知らん。

 駅構内まで逃げられたら周りへの迷惑も考えて流石に追うのを諦めようと思ったが、堀内は狭い路地裏に入って行った。これは好都合というべきか、とにかく一気に距離を縮める。


「おい待てって!」


 必死に逃げる背に向かって声を張った。すると堀内が急に立ち止まり、俺も慌てて急ブレーキをふむ。

 肩で息をする堀内の前方に、麗音と飛鳥の姿があった。この辺りの路地裏に詳しいのか、先回りして逃げ道を塞いでくれたようだ。


「はぁ、はぁ、もうっ、もう最悪! なんなのよ!」


 堀内は焦ったように後ろを振り返ってから俺の姿を見て、もう逃げ場がないことに気づくと、いきなり強気な態度になって叫んだ。


「麗音くんが悪いのよ! この私を…完璧な容姿を持つこの私をフったから! あんたのせいで私は、女子の間で笑い者にされたのよ!」


 堀内は麗音を睨みつける。


「私のプライドをズタズタにした。だから仕返しに呪ってやろうと思ったのよ! ほら! これが目的なんでしょう!?」


 堀内は肩にかけていたスクールバッグを開けて手を突っ込み、握った拳を頭上に突き出すと、俺たちの視界に入るようにソレを見せた。

 その消しゴムは至って普通の消しゴムのように見える。青いケースに入った白い消しゴムは先が丸くなっていて半分近く使用されていた。


「あぁ、やっぱり“消しゴムの呪物”だったね」


 俺の真横に遅れて追いついた狩矢が立った。その横顔を見ると呑気にグミを食べている。手元の袋がゆるふわキャラクターとコラボしたパステルカラーのパッケージで余計に腹立つ…。


「もう一度聞くけど、その呪物は“赤髪の男”から貰ったの?」


 狩矢が言うと、堀内は手をおろして顔をしかめる。


「だから、そんな男は知らないって言ったでしょ。だってこの消しゴムは…」


 微かな笑みを浮かべた堀内が、スッと指先と視線を向けた先には…


「そこにいる彼から貰ったのよ」


 飛鳥がいた。

 俺と麗音は驚いて目を見開き、信じられない気持ちで飛鳥を見る。

 狩矢は平然とした顔でグミを口に放り込む。こいつは気づいていたんだ。最初から。喫茶店の店内で、飛鳥と麗音を見ていたあの時から。


「飛鳥…本当なのか…?」


「……」


 隣に立つ麗音が呆然とした声で訊くと、飛鳥は黙ったまま視線を足元に落とした。その瞳は暗く濁っている。


「飛鳥くんが“赤髪の男”から呪物を受け取ったんだね?」


 狩矢の問いかけに対して、飛鳥は無言のまま僅かにうなずいた。狩矢は笑顔になる。


「そいつが親玉だよ。その男は『呪物を作り出す力』を持っているんだ。そしてオレの幼なじみでもある。昔からあいつは自分で作り出した様々な呪物を、それを必要とする人へ無償で与えているんだよ」


 狩矢は何が面白いのか笑いながら言った。


「あいつが作り出した呪物に触れると、人を呪い殺したくなるんだ。でも飛鳥くんは呪物を手放すことができたんだね。ふつうなら、取り憑かれたように誰かを呪い殺すことしか考えられなくなるのに」


 でしょ? と言って、狩矢は同意を求めるように堀内の方に視線を流した。

 堀内は胸元で握っている消しゴムをぼんやりと見つめると、先ほどとは打って変わって力無い声色で言う。


「…そうね。飛鳥かれからこの消しゴムを受け取った瞬間に思ったわ。…あぁコレは本物だ、本物の呪物だって。一瞬にして取り憑かれたような気持ちになったのを覚えてる」


 だろうねぇ、と狩矢はのんびりとした口調で頷く。まるで縁側で平和にお茶を啜っているかのようだ。口にしているのはグミだが。

 俺はがしがし頭を掻きながら狩矢に言った。


「狩矢、今その話はいいから。とっとと呪物を奪ってあいつを正気に戻させるのが先だろ」


 俺に向かって狩矢はにっこり笑う。


「それもそうだね。よし、行け! 篤人!」


「命令すんな犬じゃねぇんだぞ!」


 まぁ行くけど。こういう役目はいつも俺だって分かってるから行くけど。

 内心うんざりしつつ堀内に向かってズカズカと近寄って行く。堀内は強気な態度を取り戻して俺を睨みつけると叫んだ。


「近づかないで! 私の体に指一本でも触れてみなさいよ。複数人で乱暴されそうになったって警察に話すわよ!」


 ピタッと足が止まる。くそ、そうきたか…。

 この状況だと男は不利だ。迂闊に近づけなくなった俺を見て、堀内がふふんと勝ち誇った笑みを浮かべる。「なにしてんだ早くしなよ」と俺の後ろから狩矢が文句を言ってきた。その口縫い付けてやりてぇわ。


「早くそこを退きなさいよ。退かないなら、助けてって悲鳴を上げるわよ」


 堀内の言葉に俺は為す術がなくなる。と、その時だった。


「じゃあ、女の私ならいいよね」


 突然、知らない女子の声が響いた。

 俺と狩矢は揃って後ろを振り返る。堀内と同じ制服を着た女子高生が立っていた。


「え、杏菜?」


 麗音が驚いた声で女子高生の名前を呼ぶ。


「なんでお前がここにいるんだよ」


「うっさい。クズ男に付き合わされてる飛鳥のことが心配だったからこっそりついて来ただけよ」


 杏菜…あぁ、この子が昨日言ってた幼なじみか。

 杏菜は片手になぜか乾燥唐辛子が詰まった袋を持っていた。その袋から取り出した一本を平気な顔してがじがじ齧っている。見ているだけでも辛そうだ。


「ちょ、なによ、女子だからって許されると思ってるの!?」


 焦って叫ぶ堀内を無視して杏菜が近づいていく。


「近づかないでって言ってるでしょ! だ、誰か! 誰か助け–––」


「いいんですか先輩。こっちはさっきの会話ぜんぶスマホで録音してますよ」


「……!」


 堀内の目の前で立ち止まった杏菜が脅すように言った。堀内はその言葉に愕然とする。


「こっちは先輩の狂言だって警察に証拠を突きつけて言えますから」


 杏菜が冷ややかに堀内を見るのが分かった。堀内がぎりっと唇を噛む。


「ほら、早くその消しゴムを渡してください」

 

「うるさいこのブス! 触らないでよ、ブスがうつるわ!」


 まるで小学生のような暴言を吐く堀内に俺は呆れるしかない。

 その時、ぱんっという乾いた音が響いた。杏菜が堀内の頬に平手打ちを喰らわせたのだ。


「かっこ悪い」


 杏菜がズバッと言い放つ。


「こんな男にフラれたくらいで情緒不安定になってかっこ悪すぎ。寧ろこのクズ男と付き合って貴重な時間を無駄にしなかったことを喜ぶべきよ」


 頬を押さえた堀内は痛みよりも驚いた顔をして杏菜を見ていた。

 杏菜は一旦ふぅと息を吐いて、落ち着いた口調で続ける。


「こんな醜態をさらして、自分の価値を下げる必要なんてないわ」


 凍りついたように動かない堀内はしばし杏菜を見つめていたが、その顔が一気に緩んだ。


「そうね…。私、どうかしてたわ」


 気力を削がれたような、疲れたような笑みを浮かべて堀内は杏菜に謝る。


「ブスは言い過ぎたわ、ごめんなさい」


「私の方こそ、叩いたりしてごめんなさい」


「じゃあ、お互い様ってことにしましょ」


 女子二人が互いを見つめて微笑み合っている、その一方で。

 なんだこれ…と思う俺と、つまらない映画を観ているような顔してグミを食べる狩矢と、俺のことボロクソ言い過ぎだろ…と泣きたそうな顔をしている麗音と、暗い表情で黙り込んでいる飛鳥がいた。男たちのテンションはただただ低い。


 ふいに、堀内が狩矢を見た。

 彼女はその場から動いて狩矢の目の前で立ち止まると、無愛想な顔つきで消しゴムが乗る手のひらを差し出す。


「…はい。この消しゴムが欲しいんでしょ。もう私には必要ないから」


 狩矢は口もとを僅かに緩めた。そして消しゴムにそっと指先で触れる。

 すると、消しゴムが一瞬白い光に包まれた。

 俺以外の全員がびっくりした顔で固まっている。狩矢は消しゴムを白い指先で摘むと、にっと口角を上げてあっけらかんとした口調で言った。


「ハイおしまい。めでたしめでたし」



■□

 堀内はその場で全員に謝罪(特に呪いの対象者だった麗音には何度も頭を下げていた)して帰って行った。


 残った五人で井の頭恩賜公園まで移動する。まだ知り得ていないことを話すためだ。

 広い池を目の前にして、狩矢が無人のベンチに手足を組んで座った。その隣に唐辛子を齧っている杏菜が座り、横木の柵の近くに飛鳥と麗音が並んで立つ。俺は狩矢の隣に立ちっぱなしだ。

 それぞれの居場所に落ち着いて早々に、麗音が飛鳥に言った。


「飛鳥。その“消しゴムの呪物”をくれた男はどんな奴だったんだ?」


 飛鳥は麗音の顔を見れないのか、視線を足元に落としたまま口を開く。


「…赤髪に作務衣を着てて、黒いカラーレンズの丸眼鏡をしてたな。丁寧な敬語で話しかけてきて、一人称が“私”だった」


 俺が過去に狩矢から聞いた“赤髪の男”の特徴と一緒だ。

 実はまだ、俺はその男に会ったことがない。

 幼なじみの狩矢なら連絡を取り合ったり直接会ったりしているだろうと思っていたが、狩矢は「高校を卒業してからは一度も会ってないし連絡も取り合ってないよ」とさらっと答えた。「喧嘩別れでもしたのか?」と訊いても、狩矢は薄く笑っただけで理由を話してはくれなかった。


「あいつ、元気そうだった?」


 狩矢が飛鳥に言った。飛鳥は目の前にいる狩矢を見てうなずく。「それなら良かった」と狩矢は嬉しそうに笑った。


「さっきも言ったように、その男はオレの幼なじみだよ。名前は風上勇利かざかみゆうり。勇利には『呪物を作り出す力』があるんだ。例えば人形やぬいぐるみ、本やスマホなんかの物体に勇利が触れて念じるだけで、それらは人を呪い殺す呪物に変化してしまう」


「マジ?」と呟いた麗音が驚いた顔をして狩矢に言う。


「触れて念じたらなんでも呪物化するんですか?車とか、あそこにあるボートなんかも?」


 麗音はそう言って、池の隅にずらりと並べられているスワンボートを指差した。

 狩矢はにこっと笑ってうなずく。


「もちろん」


「す、すげぇ…」


「けど、勇利は何でもかんでも呪物化させることはしないよ。基本的には小物を選んでいるね。呪物化させるにも体力と気力をけっこう削られるらしいから」


「すげぇけど、やっぱ怖い力ですね…」


 麗音は苦笑いした。

 確かに怖い力だと思う。無闇矢鱈に使用されたらあちこちで呪物が量産されてしまう。想像しただけでも恐ろしい。


「加えて、勇利の作った呪物に触れた人間は取り憑かれたように人を呪い殺したくなるからね。身近にいる嫌いな人や、長年の恨みがある相手なんかがその対象になる」


 狩矢は嫌がらせのようにニコニコ笑顔で麗音を見ている。麗音は苦い顔をして肩をすくめた。

 狩矢がズボンのポケットからあの消しゴムを取り出し、指先で弄りながら続きを話す。


「そしてオレには『呪物の効力をなくす力』がある。勇利の呪物にオレが直接触れることで呪いの効力がなくなるんだよ」


「さっき見た白い光…あれが狩矢さんの力なんですね」


 麗音は思い出すように呟いた。狩矢は消しゴムを軽く宙に投げながらキャッチを繰り返す。


「オレには“呪物の匂い”がわかるんだ。その匂いで呪物が近くにあることに気付けるんだよ」


 軽やかな口調で言う。


「呪物に触れたことがある人間や“呪物に侵された人間”からも同じ匂いがするね」


「じゃあ俺と飛鳥と、あと先輩からもその匂いがしていたってことですか?」


「そういうこと。喫茶店で君たちから“呪物の匂い”がすることに気づいたから声をかけたんだよ」


 麗音は感心したように「へぇ」と声を上げた。

 すると、ずっと黙っていた杏菜が急に口を開いた。


「その呪物を作る親玉をどうにかしないと、同じことがずっと繰り返されるってことでしょう? 貴方の幼なじみなら、なんとかやめさせられないんですか?」


 …ああ、狩矢に出会った頃の俺と同じことを言ってるな。

 俺はぼんやり思った。

 杏菜が狩矢をじっと見ている。

 狩矢は隣に座る杏菜に視線を向けると、緩い笑みを浮かべて答えた。


「これは呪物を使ったオレと勇利の“遊び”なんだよ」


「…遊び?」


「そう。オレたちはその“遊び”をまだ続けたいと思ってる。お互い飽きるまでね」


 杏菜が怯んだように瞳を揺らして狩矢を見つめる。その唇から小さく「…狂ってる」という呟きが聞こえた。


 本当にそうだ。

 狩矢と勇利は、この狂った“遊び”を楽しんでいる。


「飛鳥くん。勇利は君に“消しゴムの呪物”を渡す時に、使い方の説明をした?」


 飛鳥がこくんと頷くと、狩矢は「じゃあ教えてよ」と促した。飛鳥は静かに口を開く。


「…“恋が叶う消しゴムのおまじない”とやり方は同じだと言われました。消しゴムに好きな人の名前を書いて誰にも貸さずに全部使い切ると、両思いになれるというおまじないです」


 あぁ、なんか聞いたことあるなそれ。

 小学生の女子の間で流行るおまじない。流行ったのは俺たちよりもっと上の世代だ。


「呪いたい相手の名前を消しゴムに書いて、誰にも貸さずに使い切ると相手は死ぬ。…そう言われました」


 なるほどね、と呟いた狩矢が消しゴムのケースを外した。俺は狩矢の手元を見る。半分近くになった白い表面には黒ペンで“吉川麗音”と名前が書かれていた。苗字はほぼなくなっている。


「相変わらず勇利は面白い呪物を作るなぁ」


 狩矢が楽しそうに笑う。…コイツは人間の正常なネジが外れていやがる。


「…ねぇ飛鳥」


 杏菜の力ない目が飛鳥を捉えた。


「どうして先輩に呪物を渡したの? もし先輩が消しゴムを使い切っていたら…」


 杏菜は最後まで言い切らずに口を閉じた。

 飛鳥は暗い目をして横を見る。そこには飛鳥と目を合わせず、浮かない顔をして前髪の毛先を弄っている麗音がいた。


「それは…」


 飛鳥は皮肉じみた笑みを浮かべる。


「僕以上に、先輩がこのクズ男を殺したいって思っていたから。だから譲ってあげたんだよ」


「…ハハ、」麗音が笑った。


「飛鳥にまでクズ男って言われると流石に泣くわ」


 麗音はようやく飛鳥と目を合わせた。その顔は泣きそうというよりかは困っていて、なんとなくそこに嬉しそうな感情が見え隠れしている。

 傍から見るとなんとも奇妙だ。幼なじみという関係性だけでこうはならないだろう。危うくて、歪。この二人も狩矢と同様に、どこか正常なネジの一部が外れているのかもしれない。


「さてと。話はこれで終わりにしようか。篤人もバイトがあるしね」


 狩矢の言葉にハッとさせられた俺は、慌てて手首につけたスマートウォッチで時間を確認する。…よかったまだ余裕で間に合うな。


「飛鳥くん。これあげるよ」


 狩矢がにこっと笑って、ケースに戻した消しゴムを差し出した。飛鳥は困った顔をしている。仕方なく飛鳥が手を伸ばそうとすると、横から杏菜が消しゴムを鷲掴みにした。そしてベンチから立ち上がると、少し離れた先に設置されていたゴミ箱に向かって投げる。消しゴムは綺麗にゴールした。


「ナイスコントロール」


 狩矢は笑いながら軽く拍手した。


 その後。俺たちは駅構内で高校生三人と別れてから同じ電車に揺られ、先に狩矢が下車して帰っていき、俺は数駅先で下車したあと急いでバイト先へと向かった。



■□ (三浦飛鳥.side)


 僕を真ん中にして、左右に麗音と杏菜が座っている。三人揃って電車に乗るのは随分と久しぶりだ。

 電車に揺られながら僕たちはずっと無言だった。右側の麗音は長めの前髪の毛先を弄り、杏菜は腕を組んで目を閉じている。

 僕は顎を上げて息を吐く。ふと見た前方のドア横にある電車広告。有名作家のミステリー小説が宣伝されていて、『僕の中にある醜い感情』というキャッチコピーが目に留まった。


 …僕がしたことを、二人はどうして責めないの?


 内心でそう問いかける。

 特に麗音だ。こいつは先輩に呪い殺されかけた。その原因をつくったのは僕だ。僕に何か言うことがあるんじゃないか? ないとしても、今後は距離を置くことくらいは考えろよ。どうしてぴったり横に座っているんだ。


 現実逃避しようと、僕は先輩に消しゴムを渡した時のことを思い出す。思い出そうとして、けど何故か記憶がぼんやりしている。

 次いで“消しゴムの呪物”を“赤髪の男”から受け取った時のことを思い出そうとする。こちらも記憶が朧げだ。公園で狩矢さんから“赤髪の男”について聞かれた時の方がまだハッキリしていた。目を覚ました瞬間は夢の内容を鮮明に覚えているのに、少し時間が経って思い出そうとしても全く思い出せない…そんな感じだ。

 

「…僕がしたことを、二人はどうして責めないの?」


 現実逃避をやめた僕の口は、ついさっき内心で呟いた言葉を声に出していた。

 左右の二人が反応する。…しまったな、別に理由なんて聞きたくないのに。もう遅いけど。


「どうしてってなぁ…」


「そうねぇ…」


 二人はいまさら理由を考えているようだ。呆れた…。


「まぁ俺は自業自得だしな。だから飛鳥を責める気なんてまったくねーよ」


 僕は思わず麗音を見た。麗音は僕を横目に見て微笑んでいる。今までと何も変わらない見飽きたその顔に、何故か安堵する自分がいた。


「そうよ、麗音は自業自得。だから飛鳥は気にしなくていい。むしろ私はスカッとしたわ」


 杏菜がいつもの調子で言った。

 僕は視線を前に戻して肩から力を抜く。


「…僕たちって、ちょっと変かもね」


「だいぶ変よ」


「だな」


 杏菜と麗音が同意して笑うから、僕もつられて笑ってしまった。




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口火狩矢の呪楽 一風ノ空 @ichikazenosora

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