ライバル

@kurikuriboz

ライバル

 嵐のような拍手の中、カーテンコールが始まる。スポットライトを浴びながら舞台中央に歩み出た。ダブルキャストのもう一人の主役、煌 星香きらめき せいかと手を取り、もう片方の手でドレスの裾を上げて深々とお辞儀をする。星香と共に千秋楽を迎えたこの日を、私は一生忘れない。



 デビューした十代後半は全く売れなくて、回ってくるのは端っこに座る生徒役や主役が立ち寄る店先の売り子みたいな、顔が映るかもわからない端役ばかりだった。アルバイトを掛け持ちして、家にいる時間はひたすら昔の映画を見る。『ローマの休日』を見てヘップバーンの「ローマです。何と言ってもローマです」を鏡の前で繰り返し、『マルサの女』の査察官になって相手をやり込める口調を真似た。


 二十歳のとき、絶対に私がやりたい、と思う役に初めて出会った。台本を見た瞬間目に飛び込んできた、クラスメイトにいじめられて仕返しをする女子高生役。その女子高生は、自分をいじめる子の筆箱からそっと消しゴムを抜き取って素知らぬ顔で窓から捨て、人がほとんど通らない校舎の裏側に消しゴムが落ちていくのをじっと見つめる。地味だけど印象的な役だ。私には似た体験がある。実感のこもった演技ができる自信があった。


 星香に初めて出会ったのは、そのオーディションのときだ。私が欲しかった役が最終的に星香に決まったと知らされたときは、しばらく言葉が出なかった。所属事務所に報告する星香の横を、私は無言で通り過ぎる。嫉妬が渦を巻き、心の中で、消しゴムの代わりに星香自身を窓から突き落とすところを想像した。


 その後、星香とは何度か顔を合わせた。難病を患う役、スポーツ選手の一ファンの役、戦災孤児の役、私が応募するところにはたびたび星香が現れて、彼女が役を射止めていく。星香の顔を見るたびに吐き気がした。星香の後ろ姿を、焼き殺すような視線でにらんだ。あの子さえいなければ手に入れたはずの役を思い、観客がいない鏡の前で一人芝居を繰り返した。


 転機は思いがけなかった。主人公に受診科を尋ねられる病院の窓口役をやったときのこと。看護師役の星香に、撮影現場で偶然会った。撮影の合間に目があったとき、私は思わず視線をそらしたけど、星香の方が私に近づいてきた。


「よく会うよね」


 無視しようとする私に、星香がすれ違いざまに言った。


「あんたがいると気合が入る。役者続けてよ」


 思わず振り返った。星香はまっすぐ前を向いて行ってしまった。あの子にライバル認定されているのか。勝負をつきつけられて、負けたくない気持ちと同志を得たような気持ちが同時に芽生え、わけのわからない闘志がムラムラと湧いた。


 お互いに主役ではなかったけれど、私たちは顔を合わせる機会が少しずつ増えた。現場で一緒のときは、目の端にはいつも星香がいた。決して親しくはならない。甘い友人関係にはなりたくなかった。私の原動力は、「あの子より先に売れる」ことだ。


 ある日、何気なく見たSNSで星香の写真を見つけた。父親は有名な制作プロデューサー、母親は歌手、と書かれた見出しに思わずスクロールする手が止まる。


 なんだ、サラブレッドじゃん。


 オーディションは、選考前から結果が決まっている出来レースだったんだ。私はサラリーマンの家庭で育ち、両親に芸能界入りを反対されて家出同然で飛び出してきた。恵まれた環境で、周りから手を差し伸べられる星香とはちがう。星香に抱いていた闘志が冷め、虚しい気持ちが生まれた。


 そのころを境に、現場で星香と顔を合わせる機会がぱったりと途絶えた。私は当たり役もなく、バイトもしながらその日その日を生きていた。朝が来て夜が来る。季節は移り、肌の張りは明らかに十代の頃とは違う。「あの子より先に売れる」という原動力がなくなり、年齢も二十代後半に入り、そろそろ現実を受け入れなくてはいけなかった。


 この夏は長かった。暑いばかりで何にもいいことのない季節が終わり、数日の秋雨でいきなり空気が入れ替わった。腕をさすりながら街を歩いていたら、公会堂の掲示板にふと目が留まった。『劇団ブルー 特別公演』と書かれたポスターの端に、星香の名前を見つけた。ポスターの前に立ち止まって、名前を凝視する。


 サラブレッドなんでしょ。よく知らない劇団で何やってんのよ。


 公演日時を頭に入れて、その場を離れた。勝手にライバル宣言して勝手に私の前から消えた星香。友達でもなんでもない関係なのに気になるのだ。自分の気持ちをどう解釈すればいいのかわからず、もやもやを蹴散らすようにガシガシ歩いて家に帰った。


 公演日は会場の一番端に座った。星香は準主役の記者役で、演技に深みが出ている。本番後に思い切って楽屋を訪ねてみた。本番の衣装とメイクのままの星香を前にして、言いたいことはたくさんあるのに言葉が出てこない。


「久しぶり」


 星香から言われて、何とか言葉を絞り出す。


「役者続けてたんだね」

「うん」

「親の七光りで売れっ子になるのも早いと思ってた」


 ぴくんと星香の体が動いた。


「それが嫌だからしばらくいろんな媒体から離れてた」

「どういうこと?」

「親の名前を借りて役を手に入れるなんて最低。私は自分の実力でこの世界を渡りたい。だからずっと親のことは隠してたんだ。でも」

「でも?」

「勝手に親の名前を公表されたから、しばらくオーディションも受けなかった」


 勝気そうな眉は、確かに人気歌手の母親に似ている。


「あんたはどうしてたの? まだ役者目指してる?」


 あきらめたわけではない。でも夢を断念する選択肢もある。黙ったままの私に、星香は一枚の紙を突き付けた。


「私はこのオーディションを受ける」


 紙には舞台『風と共に去りぬ』の主役の応募要項が書かれていた。星香は、あまりにも有名な主人公の役に応募するという。


「このプロデューサーは厳しい人なんだ。実力がないとみなせば、有名な俳優も簡単に切る。そのかわり才能を認めれば新人でも取り立てる。チャンスなんだよ」


 星香は紙を私の胸にぐいっと押し付けた。


「あんたも受けるといい」


 呆然と星香を見返した。スカーレット役を私が? 何の後ろ盾もなく、この歳になるまでそれほど売れなかったのに?


「オーディション会場で会おう」


 星香はそういうと、楽屋から私を追い出した。部屋の外で、手にした紙をもう一度眺める。


 これをラストチャンスにしよう。これで売れなかったら、役者はやめる。


 初めて星香に会った時の、あの燃えるような嫉妬心を思い出した。そうだ、私は星香よりも先に売れるんだった。

 すっかり消えていた闘志がまた蘇る。星香には負けられない。


 回ってくる役は真剣に演じながら、オーディションに向けて役作りをした。手に入れた台本を読み込み、スカーレットの心情を想う。今までの体験を総動員して、体や表情はどう動くのかと深く考える。


 一次審査、二次審査、三次審査、そして最終審査の結果が発表される日。


一列に並ばされた中に星香もいた。私がここまで来たからには、星香もいるにちがいないと思っていた。お互いに顔は見ない。でも横に並んでいるのを意識する。


「スカーレット役を発表します」


胸が痛いぐらい脈を打つ。体中の血が湧きたち音を立てて流れる。絞れそうなほど手が湿っている。


「石川 星香」


 星香がすっと一歩前に出る。後ろから見る星香の表情は読み取れないが、肩が小刻みに震えている。一瞬、遠のきかけた意識をかろうじて呼び戻した。


「もう一人」と声がした。


「出口 瞳」


 名前を呼ばれて、ふらつきかけた足を踏みしめてから、星香の横に並ぶ。


「今回はこの二人のダブルキャストに決定しました」


 私たちは握手することも抱き合うこともない。でも心の深いところで認め合っている。多分あの瞬間から、どちらが観客の心をつかむのか、終わりのない競争が始まった。この関係は、どちらかが死ぬまで続くのだ。


                                   (了)

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