貧民のメイドが貴族の夜会で隣国の王子を射止める

牧嶋 駿

貧民のメイドが貴族の夜会で隣国の王子を射止める

高い天井を仰ぐ広間は、無数の燭台に灯された揺らめく光で照らされ、金と銀の装飾が輝いていた。


場内には、装飾に負けずとも劣らない高貴な衣装を身に纏った貴族たちが集う。


広間の中央、光り輝く大理石の床で、華やかなドレスをまとった貴婦人たちと、豪奢なベルベットのジャケットを着た紳士たちが、軽やかなステップで舞い踊っている。


バイオリンとリュートの音色が優美に響き、音楽のリズムに合わせてスカートの裾が宙を舞い、鮮やかな布が波打つように揺れる。


笑顔を浮かべた人々は、流れるような動きで互いに手を取り合い、軽やかに旋回する。


甘い香水と音楽に包まれた会場は、まるで夢の中の光景のようだ。


今宵もアルベニア王国で開催された大規模な夜会。

その様子を、会場の入り口付近に立って観察するひとりの女。


さてさて……。


皆が食事や談笑を楽しむ中、メイドとして貴族たちに給仕をするソニア。


周りの令嬢が身にまとっているドレスに比べたら見劣りしてしまうメイドの制服だが、ソニアはその制服を丹念に手入れし、少しでも魅力的に映るよう工夫していた。


彼女の自慢の黒髪も、クシで丁寧に梳いて艶を引き出し、控えめながらも美しさを引き立てている。


強気で男勝りな性格を持つソニアだが、メイド服を纏った姿は決して他の令嬢たちにも劣らない。

彼女の自然な美貌は、華やかな装いに勝る内面の強さと品を感じさせ、目立たずとも確かな存在感を放っていた。


ん? 見ない顔だな。


メイドという立場でありながら、彼女もまた、夜会で婚約者を探す女性のひとりだった。


見るからに名門の子息と思われる青年が、従者の老人と低い声で何かを話している。

時折、女性たちに視線を投げかけているところから察するに、彼女たちの家柄やどのように接近するべきかについて作戦を練っているのだろう。


よし……。


制服に忍ばせた小さな手鏡を開き、髪とメイクが乱れていないかヘーゼルブラウンの目でしっかり見た。


ごほん、と喉の調子を整えると、普段よりワントーン高い声と笑顔で話しかけに行った。


「お飲み物はいかがですか?」


ソニアの提案に対し、男は一瞥をくれただけで無言で飲み物を取ると作戦会議を続けた。


「どうぞごゆっくりと」


ソニアはお辞儀をするとその場を去った。


貴族との婚約を目指すソニアだが、当然ながらメイドということが足かせとなり、アピールしてもほとんど見向きもされなかった。


何度もこうした扱いを受けていると、女としてという以前に、そもそも同じ人間として見られていない気がしてきた。


一ヶ月分の給料をつぎ込んで買ったメイク道具も、視界に入らないのであれば何の役にも立たなかった。


この世界では、生まれながらにして決まる身分で人生のほとんどが決定してしまう。

貴族に生まれた人間は一生を華やかに、逆に貧しい家柄に生まれた人間は一生を泥にまみれて。


ソニアは貧しい家庭に生まれながらも健やかに育ち、ささやかながらも幸せな毎日を送っていた。


彼女が王国でメイドとして働くことを決意したのは、母親が病気で倒れてしまったことが理由だった。

働き手が減ったことで家計が苦しくなるだけでなく、貧しい村では充分な治療を受けることが出来ないのだ。


今までの仕事に比べて特別に給料が良いワケではないが、ソニアには若さという武器があったので、それで一発逆転を狙おうと決めたのだった。


今のはほんの予行演習だ。本番はこれからだぞソニア!


お盆に乗せる飲み物を補充しに戻りながら、ソニアは自分を鼓舞した。


それにしても、やはり今夜はすごいな。いつもの倍は人数がいるんじゃないか?


今日の夜会がいつもより賑やかなのは、隣国、バーゼル王国の王子が来るためだった。

バーゼル王国は資源が非常に豊かで、王子も誠実な優しい人物だという噂だ。


ソニアはどうしても隣国の王子とお近づきになりたかったが、それは周りの令嬢たちも同じだ。


「早く片付けなさい!」


鋭い口調で命じたのは、一流貴族の令嬢、ナッシラだ。

彼女が身にまとっている赤いドレスは、今夜のために新調されたものだろう。

白い肌と灰色の髪に見事に調和しており、一層の華やかさを放っていた。


噂では、彼女も熱心にバーゼル王国の王子を狙っているらしい。

そのせいか、今夜はいつも以上にピリピリしているようだった。


「大変失礼いたしました。すぐに片づけます」

「ふんっ! ……あら?」


ナッシラの機嫌がこれ以上そこなわれる前にせっせと動き始めたとき、なにやら周りがざわざわし始めた。

日ごろから夜会で給仕をしているソニアは、すぐその違和感に気が付いた。


お出ましね……。アレクサンドル王子。


会場の空気が一変したような気がした。


バーゼル王国の王子、アレクサンドルが到着したのだ。


シルクのような金髪が流れるように後ろに撫でつけられ、シャンデリアに照らされた翡翠色の目は宝石のように輝いていた。


他の貴族たちに比べたら身に着けた装飾品が少ないにも関わらず、ソニアにはアレクサンドルがこの会場で最も輝いて見えた。


なるほど。これは各国の令嬢が夢中になるわけだ。


周りを見渡せば、先ほどまで涼しい顔して令息たちと喋っていた令嬢たちの目つきが変わっていることに気が付いた。

早く飛びつき過ぎては下品な女だと思われてしまうかもしれないし、かと言って他の令嬢に後れを取ってしまえばチャンスを逃すことになる。

そんな腹の探り合いが水面下で行われていた。


しかしアレクサンドル本人はというと、どこか気乗りしないような、気だるそうな表情をしていたのがソニアには気になった。


今、あくびを嚙み殺さなかったか?


ソニアは自分の目を疑い、そして見間違いだと思うことにした。


「ちょっと、アンタのせいで出遅れたじゃないの!」


小さく舌打ちしたナッシラは捨て台詞を吐いたあと、速足で王子のほうへ近づいていった。


「やれやれ」


当然ながら、最初にアレクサンドルに声をかけるべき女が自分ではないことはソニアには良くわかっていた。

いくらメイドとはいえ、登場した王子にいきなり声をかけてしまっては、いくら感の悪い箱入り娘たちとはいえソニアも王子を狙うひとりかもしれないと思うことだろう。

なのでソニアはゆっくりと仕事を終わらせてから、再び会場に戻った。


「な、なんなんだこれは……」


ほんの少しソニアが席を外しているあいだに、令嬢たちはアレクサンドルへの挨拶のため行列を成していた。


先ほどまで自慢げに自身の経歴や裕福さについて熱弁していた令息たちも、あっさり話し相手をアレクサンドルに取られてしまっている。

そしてバツが悪そうに次々に退出していくと、会場はアレクサンドルの独壇場、異様なハーレム状態になった。


ま、まさかここまでの人気とは……。さすがは近隣で最も裕福な国の王子ということかな。


しかしこの長い行列に並ばなくてもアレクサンドルに声をかけることが、メイドであるソニアには可能だった。


ふむ、これが役得というやつか。


手札が少なかろうが、武器が弱かろうが、それらを最大限に活かして戦う。それがソニアの信条だ。


名だたる令嬢たちが待っている中、涼しい顔でアレクサンドルに近づき、いやらしくならない程度の笑顔で話しかけた。


「お飲み物はいかがですか?」

「ありがとうございます」


王子はメイドの身であるソニアに対しても、しっかり目を見て礼を言ってくれた。

彼の柔らかい声は音量が大きいわけではないにも関わらず、騒々しい会場でもハッキリと聞き取ることができた。


「とんでもございません」


これほど真っすぐに他人から感謝を伝えられたことが無かったソニアは、意に反して頬を染めてしまった。


令嬢は会話の邪魔をされたのが気に食わなかったのか、アレクサンドルが目線を外した隙にソニアを睨みつけた。

視界の端でそれを確認したソニアだったが、それには気が付いていないフリをした。


この男、噂以上だな……。


小一時間ほど経ったあと、一通り挨拶を終えた王子が飲み物を取りに入り口のほうへやってきた。


ソニアの計算通りだ。


「お疲れでいらっしゃいますか。顔色が優れないようですが」

「え? ああ、いや。熱烈な歓迎を受けたもので」


熱烈な歓迎というのが皮肉なのは明らかだった。


「よろしければ、こちらのお飲み物は疲れにも効くと言われております」

「……ありがとう、助かります」


よし、ここまでは順調だぞ! ここからは自然な流れで会話をふくらませていこう。いくら奥の手があるとはいえ、お膳立てはしっかりしないとな。


「アレクサンドル様は……」

「あら王子! 先ほどはどうもありがとうございました」

ソニアがアレクサンドルと距離を縮めようとしたところに、コテコテの笑顔を張り付けたナッシラがやってきた。


「ええ。少し喉が渇いたもので」

「まぁ、それならこちらのソニアが淹れてくれるアイスティーが最適ですわ。私、いっつも彼女には感謝してるんですの。ね、ソニア?」

「はい、お嬢様」


ふっ、使用人に優しいアピールか。見え見えの古い手を使ってきたものだな。


「そうですか。それでは、ぜひ頂きたい……おや? なにやら外が騒がしいようです」


王子の指摘で注意を外に向けると、複数人の男性が怒鳴る声がかすかに聞こえた。


なんだ? ケンカだろうか?


「きゃあ!」


荒々しく開けられた扉の音と、女性の悲鳴。


会場の雰囲気が突然変わった。


音楽が止まり、ざわつく声が一気に消える。


夜会を楽しんでいた人たちの表情が一斉に強張り、悲鳴が聞こえたほうへ視線が集まる。

その視線の先には、小汚い格好をしたひとりの男。


――その手にはナイフを握っている。


そして、入り口付近にいるソニアたちに気が付くと、狂ったように走ってきた。


「い、いやっ!」


突然の出来事に動揺したナッシラが、ソニアを暴漢のほうに突き飛ばした。


「なっ……」


あっという間の出来事だった。

声を出す暇もなく、ソニアは暴漢の人質に取られ、気づいた時には、その刃が自分の喉元に突きつけられていた。


「全員動くな!」

暴漢はソニアに突きつけたナイフを見せつけるように周りを威嚇した。


アレクサンドル王子がゆっくりと前に出る。

「落ち着きなさい。彼女を傷つけても、得られるものは何もない」


「うるさい! 近づくな! この女がどうなってもいいのか!」


興奮状態にある暴漢はアレクサンドルの言葉に聞く耳を持たなかった。


暴漢は荒い息遣いで会場の様子を見渡した。

彼の目にはほとんど手の付けられていない贅沢な食事、綺麗な宝飾品、家財道具の数々が目に入ったことだろう。


「どいつもこいつも……。もう……我慢はたくさんだ!」

暴漢がそう言うとソニアを拘束する手にぐっと力が入った。


「俺は……俺は、欲しいモノは何だって、必ず手に入れるんだ! そのメシだって、お前らの宝石だって、全部! すべてを我慢したまま死ぬなんてゴメンだ!」


ソニアの口端が少し上がった。


今まで散々苦労したあげく、幸せを捕まえようと必死になっていたところ、暴漢に人質として捕まったしまった。


アレクサンドルが再び前に出た。


「目的はお金ですね? この宝石を差し上げます。だから、彼女を離してください」


なるべく男を刺激しないよう、ゆるやかな動作で指から紫色の宝石を外し、差し出した。


「くっ、近づくな! 俺は騙されないぞ! そうやって注意を引いて俺を殺すつもりだろう!」


もともと男は夜会に泥棒に入ったのかもしれない。

こっそり盗みだけ働いて逃げ出すつもりが見つかってしまった今、とにかくこの場所から逃げたそうに見える。


逃走のためじりじりとテラスのほうへ移動した暴漢だが、すっかり囲まれてしまった。


「無駄な抵抗はやめるんだ!」

令嬢に勇敢なところを見せようと思ったのか、夜会が始まったときソニアが声をかけた令息が声を荒げた。


「黙れ! なにもかも、全部お前ら貴族のせいだ!」


もう逃げることが出来ないと察したのか、暴漢は取り乱したようすで叫んだ。


「死ね!」


ソニアを突き飛ばし、アレクサンドルに襲い掛かる。


「王子!」


突き飛ばされたソニアは倒れ込む前に体勢を立て直し、アレクサンドルと暴漢の間に体を滑り込ませた。


「ぐっ……」


ソニアは苦痛に顔を歪め、そしてその場に崩れ落ちた。

――彼女の腹には、深く刺さったナイフが見えた。


「ソニア!」

血相を変えて慌てたアレクサンドルはソニアを抱き起こした。


「クソッ! 離せ!」

暴漢はもがきながらも、すでに城の衛兵によって取り押さえられていた。


「ソニア、もうすぐ医者がくる。それまでしっかり――」

「痛っ……痛いです、王子」

ソニアを助けたい思いの強さがそのまま握力に変わっていたらしく、アレクサンドルは慌てて力を緩めた。


「す、すまない! ……大丈夫なのか?」

「はい。コルセットのおかげで」

そう言うとソニアは自身の腹からナイフを抜き取ったが、血は全く出ていなかった。


「良かった……」


安堵するアレクサンドルに手を引かれて立ち上がったソニア。

すると、今度はアレクサンドルの姿勢が低くなった。


「王子……?」


アレクサンドルは片膝を立て、ソニアに向かって恭しくかしずいた。


「あなたは私の命の恩人だ」


そして、大勢のギャラリーが見守る中で、彼は続けた。


「どうか、私の王妃になってはくれませんか?」


一瞬の沈黙のあと、口火を切ったのはソニアではなくギャラリーのほうだった。


「おほほ。またうまいご冗談を!」

「正気ですか! その娘はただのメイドですぞ!」

「きっとさっきの暴漢事件も、このプロポーズも余興に違いないわ!」

「そ、そうよね! だって……こんなの、普通じゃないもの!」


余興論が令嬢たちのあいだで囁かれたが、次第にその熱も冷めていった。


「王子! あんな娘より私のほうがふさわしいです!」

ひときわ響く声で叫んだのはナッシラだった。


「暴漢に襲われそうになったとき、この子を身代わりにして逃げた君が、私にふさわしい?」


「そ、それは……」


「我が国に必要なのは、愚かで卑劣な者ではない。勇敢で聡明な者ですよ」


****


その後、ソニアはアレクサンドルと婚約し、ソニアは次期王妃となった。

彼女の村は隣国の統治下に入り、以前よりずっと豊かになった。

なによりもソニアが嬉しかったのは、医療が発達した隣国の最先端の治療を受けたことで、病気の母も無事に回復へ向かったことだった。



****


薄暗く寒い地下牢。

壁は湿気を帯び、ひび割れた石材が重苦しい雰囲気を醸し出している。


重い鉄扉が音を立てて開き、ひとりの女が入ってきた。


地下牢の静寂を破るように、硬い石の床を打つ、金属製の靴の足音が響き渡る。


ガチャリ


くだんの暴漢が捕らえられた牢屋のカギを外すソニア。


「今なら裏口から出られる」


そう言って、ソニアは暴漢に札束を手渡した。


「ありがとよ」


――そう、欲しいモノは何でも手に入れなくちゃね。


****


夜の海辺で手をつないで歩くソニアとアレクサンドル。


波の音に耳を傾けながら、静かな語らいを楽しんでいる。


そして二人はそこで、永遠の愛を誓い合った。

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