第一三編
侵略者にざまぁ
「最後通牒だと⁉」
「そうです。いますぐに無条件降伏なさい、オウシュラ帝国皇帝ゴウマイン。さもなくば、あなた方はひとり残らず死に絶えることとなります」
その言葉に――。
オウシュラ皇帝ゴウマインは己の耳を疑った。だが、それ以上に疑ったのは自分の目だった。
いま、目の前に立つふたりの男女。サラス王国国王アスターナとその妻たる王妃ミクシュナー。そのふたりは本当に自分の知るアスターナであり、ミクシュナーなのか。
ゴウマインには信じられなかった。
サラス国王、弱冠一五歳の少年王アスターナといえば、芝居見物にしか興味のない柔弱者、戦場に出ることもなく王宮の奥深くに隠れ潜んでいたおかげで生き残り、国王の地位についただけの無力で、か弱い子どもではなかったか。
その妻ミクシュナーといえば、我が娘でありながら政治にも軍事にも興味がなく、子どもたちの教育ばかりにうつつを抜かす役立たずの夢想家ではなかったか。
それなのにいま、目の前に立つふたりは、はかなげな姿のなかに静かな強さをたたえて対峙している。三つの国を征服し、祖国オウシュラの版図を一気に二倍にもした一代の覇王、ゴウマインの前に立ちはだかっている。
あり得ない。
あり得るはずのないことだった。
サラスといえば、とうに滅びさった国ではないか。
アスターナといえば、肩書きだけの亡国の王ではないか。
そうだ。この自分、ゴウマインが滅ぼしたのだ。三年前に。
三年前、オウシュラ帝国は満を持して隣接するサラス王国に侵攻。圧倒的な軍事力にものをいわせて全土を制圧。ふたりの王子を戦場にて殺害し、講和の条件として国王クベイラを引退させた。
そして、王家に残った唯一の息子、わずか一二歳の、芝居にしか興味がないと言われていた第三王子のアスターナを玉座に据えたのだ。
自らの
自分の言いなりとなって、自分の意思をかわりに実行するだけの人形として。
そして、自分の娘であるミクシュナー、当時二五歳だった王女をアスターナの妻として送り込んだ。サラス王国を自分の血で支配するために。
そうだ。そのとき、サラスは事実上、滅亡したのだ。『国王』などと名乗ってはいてもアスターナはただの飾り。自分の操り人形。政治にも軍事にも興味がなく、芝居見物さえできていればそれで満足なうつけ者。
そのはずだった。
事実、アスターナは自分の要求に応じて文句ひとつ言わずに自国民をオウシュラの民の奴隷として送り込んでいたではないか。そうして、自分の地位を確保して、各国を飛びまわっては芝居見物にうつつを抜かしていたではないか。
それなのに、なぜ、急にこうも堂々とした姿の若者となって自分の前に表れたのか。
それも、サラス支配のために送り込んだ我が娘ミクシュナーと共に。
しかも、最後通牒とはどういうことなのか。
最後通牒とは一方的な意思の伝達。『我が意思に従え。さもなくば滅ぼす』との
それなのにいま、敗残の王であるアスターナは堂々と自分の前に立ち、最後通牒を突きつけてきた。自分の娘ミクシュナーと共に。
そのことが、ゴウマインにはまるで理解できなかった。
「最後通牒だと⁉ どういうことだ!」
状況を呑み込めないゴウマインにかわってそう怒鳴ったのは、ゴウマインの脇に控える男。ゴウマインの第一子、皇太子ブレイアンだった。
オウシュラの主席将軍であり――。
三年前の戦いでアスターナのふたりの兄を戦場で殺した男。
そのブレイアンが怒りの声を張りあげた。
そうすれば、アスターナが怯えて震えあがり、身の程を知って従うにちがいない。
そう思っていた。
だが、そうはならなかった。サラス国王、弱冠一五歳の少年王アスターナは、その女性的とも言える優しげな風貌のなかに静かな強さをたたえてふたりの兄の仇を見据えていた。
その姿のどこにも『恐怖』だの『怯え』だのは存在しない。むしろ、ブレイアンのように
アスターナは表情ひとつかえることなく答えた。ふたりの兄の仇を相手にしているとは思えないほどに静かな声。しかし、その実、必死に感情を抑えて冷静にふるまおうとしている声だった。
「言ったとおりの意味です、皇太子ブレイアン。あなた方には降伏か死か。それしかない。そのどちらかを選ぶ最後の機会を与えてあげているのです」
「ふざけるな! 我らに征服された亡国の王の分際で! 芝居の見過ぎで現実が見えなくなったか⁉」
「現実が見えていないのは、あなた方の方だ!」
アスターナは叫んだ。叫び返した。見た目は決して大柄でもなければ、たくましいわけでもない。むしろ、細すぎるほどの体型に繊細な風貌、幼い頃からサラスの宮廷でさえ『まるで、お姫さまのよう』と言われてきた美しいが弱々しい少年。殴り合いとなれば一〇人どころか、五〇人いてもゴウマインにもブレイアンにもかなわないだろう。
その少年はしかしいま、体の奥底から真っ赤に熱せられた鋼のような熱さと力強さとをあふれさせ、ふたりの兄と祖国の仇に対峙している。
「オウシュラ皇帝ゴウマイン。そして、皇太子ブレイアン。あなた方は三年前、我がサラス王国を侵略した。すべてのオウシュラ国民を奴隷主に。そのために、他国の民を奴隷とする。その目的のために」
「その通りだ」
ブレイアンは
「オウシュラの支配者として、オウシュラの民を豊かにするのは当然。オウシュラのすべての民を奴隷主として豊かな暮らしを送らせるためには、数多くの奴隷が必要だからな」
「そのために、他国の民を奴隷にする。そのための侵略戦争」
「そうだ」
と、ブレイアンは
自分の行いに一切のためらいも、恥じらいも感じていない。それどころか、自分と自分の為した行為とを絶対の正義と信じて疑わないその態度。その態度こそがオウシュラ帝国の強さであり、そして……ブレイアンたちの知らない間に祖国を滅ぼすことになった要因だった。
アスターナはブレイアンの言葉にうなずいた。
「そう。そして、あなた方はその目的を達成した。我が国は敗れ、オウシュラに征服された。そして、あなた方は我が国の民をオウシュラの民の奴隷として徴用した。私もそれに応じ、我が国の民を奴隷として送り込んだ。だが!」
アスターナは叫んだ。そこにいたのは『芝居見物さえできていれば満足なううつけ者』などではない。この三年間、溜めにためた怒りと憎しみを吐き出す少年の姿の復讐神だった。
「我が国の民が、ただ従うだけの奴隷として入り込んだと思ったか! 我が国の民は殺された同胞の仇を討つために、祖国を踏みにじられた復讐のために、あえて奴隷として入り込んだのだ。
オウシュラの民は、奴隷を手に入れたことで自ら額に汗して働くことを忘れた。仕事はすべて、奴隷たちにやらせるようになった。我が国の民にだ。そのためにいまや、オウシュラの食糧生産と流通のすべては我が国の民が握っている。
オウシュラの食糧のすべては我が国の民の手の内にある。最後通牒を無視して降伏を拒んでみるがいい。我が国の民はオウシュラ中の食糧という食糧を焼き払う。そのための準備はすでにできている。あなた方の返答ひとつでオウシュラ全土で一斉に火の手があがる。命の綱である食糧を焼き尽くす炎がだ。それがなにを意味するか。わからないあなた方ではないでしょう」
「なんだと⁉ そんな報告はどこからもあがっていないぞ」
「当たり前でしょう。この三年間、各地の官吏にはたっぷりと賄賂を贈って、嘘の報告をさせてきましたからね」
「馬鹿な! 我が国の規律は鉄だ。そんなことができるわけが……」
「できるのですよ。金で飼えない人間はいない。それこそが私が芝居見物を経て学んだ千古の鉄則です」
「し、しかし……! すべての食糧を焼き払うだと? そんなことができると思うか⁉ そんなことをすれば、きさまの民とやらも皆殺しだぞ」
ブレイアンの叫びに対しアスターナはしかし、噴きあがる溶岩のごとき激しさで答えた。
「我が国の民が死を恐れると思うか⁉ 家族を殺され、祖国を
オウシュラに復讐するためならば死など恐れはしない。殺されるとわかっていても自分の為すべきことは完遂する。オウシュラからすべての食糧を奪いとる。そして、すべてのオウシュラ人を飢え死にさせる!」
そのなかにはもちろん、皇帝ゴウマイン、皇太子ブレイアン、あなた方も含まれている。
アスターナはそう付け加えることを忘れたなかった。
「ば、馬鹿な……」
はじめて――。
ブレイアンの声が震えた。表情が青ざめていた。知らない間に自分たちがどれほどの
「え、ええい、やれるものならやってみろ! このオウシュラから食糧がなくなるならば他国から奪うまでだ。即刻、出兵し、きさまらの土地に侵攻し、食糧という食糧すべて、奪いとってくれるぞ!」
破れかぶれの蛮勇。
そう言うべきだろう。しかし、それができるだけの軍事力がオウシュラにあるのも事実。飢えの恐怖に襲われたオウシュラ一〇〇万の軍勢が食を求めて決死の覚悟で侵攻してくるとなれば、どれほどの脅威となるかわからない。事実上のオウシュラの一領地として、形ばかりの軍備しかもっていないサラスが抵抗できるはずもない。だが――。
力に対して力で立ち向かう。
そんな幼稚な発想は、アスターナは持ち合わせてはいなかった。
「そのときは、我々は逃げる。国中の水源という水源に毒を入れ、すべての土地を焼き払って他国に逃げる。この三年間、そのための外交交渉をつづけてきた。『芝居見物しか興味がない』と言われながら各国を巡っていたのは、そのため。各国との交渉をまとめ、協力してオウシュラに対抗するためだ。各地の官吏を買収するための資金もそうして手に入れた。
いくら、オウシュラの軍勢が最強であろうとも、敵がいなければ勝つことはできない。焼き払われた土地からはコメ一粒たりと手に入れることはできない。我が国に侵攻したところで、渇きと飢えに襲われてひとり残らず死に絶えることになる。それだけのこと。それでもよろしいか?」
「ぐっ……」
さすがに、ブレイアンも答えに詰まった。
ブレイアンは勇猛な戦士であり、将軍としても有能だった。だからこそ、補給の重要性もよく知っている。水と食糧の充分な用意がなければ戦争などできないことを知っている。
「補給など必要ない! 気合いで押しすすめ!」
などと叫ぶような愚劣さとは無縁。だからこそ、アスターナの言葉の正しさ――自分たちに勝ち目はない――が骨身に染みてわかるのだ。
「ミクシュナーよ」
それまで黙っていたオウシュラ皇帝ゴウマインがはじめて口を開いた。サラスを支配するための道具として送り込んだ娘に声をかけた。
「きさまは我が娘。そのきさままでが我がオウシュラに牙をむくというのか?」
「オウシュラ皇帝ゴウマイン陛下」
ミクシュナーはあえて『父上』とは呼ばなかった。
それは、いまの自分の立場、『サラス王国の王妃』という立場こそがいまの自分のすべてであることを告げる態度だった。
「わたしはもともと、侵略には反対でした。いかに我が国の民を豊かにするためとは言え、他国を侵略して他国の民を奴隷にしようなどとは。でも、あの頃のわたしにはなんの力もなかった。それ以上に勇気がなかった。だから、内心では反対していても表立って反対することはできず、見て見ぬ振りをしていることしかできなかった。
ですが、もう三年前のわたしではありません。いまのわたしはアスターナ陛下の妻。サラス王国の王妃です。その銘にかけてアスターナ陛下とサラスの民は守ってみせます」
「ふっ。言いよるわ。政治も戦争もできず、子ども相手の教師ごっこしか能のなかったできそこないが。芝居見物しか能のないうつけ者にあてられたか」
「ゴウマイン陛下。我が夫、アスターナ陛下はうつけ者などではありません。アスターナ陛下がご幼少の頃から芝居に没頭されておられたのは、そこに描かれる無数の歴史上の教訓を学び、良き王族となるため。今回の計画も、古今東西の芝居を見るなかから多くの教訓を学ぶことで考案したものです。
そして、この三年間、各国を巡って芝居見物をしていたのは『芝居見物にしか興味のないうつけ者』としてあなた方を油断させ、その裏で各国と交渉を重ね、逆襲の準備を進めるため。あなた方はアスターナ陛下の策にまんまとはまったのですよ。愚かな方たちですこと」
「なるほどな。では、問おう。ミクシュナーよ。我らを降伏させたとして、そのあとはどうするのだ?」
「まずは、あなた方を追放します。帝国の最果て、人外の魔境の流刑地へと。そして……」
ミクシュナーは覚悟を込めて言った。
「わたしが新たなオウシュラ皇帝となります」
「なんだと⁉」
そう叫んだのはブレイアンであって、ゴウマインは顔色ひとつかえずに娘を見ていた。
「なにもおかしいことはないでしょう。皇太子ブレイアン殿下。わたしはまぎれもなくオウシュラ皇帝ゴウマインの娘。オウシュラ帝国の帝位にのぼる完全な資格があります」
「そして……」
と、アスターナがつづけた。
「次代の皇帝となるのは私とミクシュナーの子。オウシュラ帝国をサラス王家が支配することになる。勝利するのは我々だ。それができるようになったのもゴウマイン陛下。あなたが私の妻としてミクシュナーを送り込んでくれたからだ。その点だけは感謝します。すばらしい妻をありがとう」
こうして――。
オウシュラ帝国は降伏した。
大陸中に歓喜の声が響きわたった。
サラス王国はもちろん、オウシュラに征服された他のふたつの国、そして、『いまはまだ』征服されてはいなくても『明日は我が身』という運命にさらされていたすべての国が喜びの声をあげ、歓喜の涙を流し、この出来事を祝った。
『征服王』アスターナは大陸中に向かって宣言した。
「我々は勝利した! 非道な侵略者を打ち負かしたのです。ありがとう、我がサラスの民よ。あなた方の汗と忍耐とがこの勝利をもたらした。あなた方こそが勝利者です!」
その言葉に――。
サラスの民は涙を流して、成し遂げられた復讐を祝った。
一方で『敗者』となったオウシュラには逆風が吹き荒れていた。
『先代』皇帝ゴウマイン、『かつての』皇太子ブレイアンは側近であった十数人の閣僚や将軍たちと共に最果ての地へと流された。
オウシュラ帝国の北方に広がる人外の魔境、人知を超えた怪物たちがたむろし、その地に流されて生きて帰ったものなどひとりもいないと言われる伝説の魔境へと。
そして、新皇帝となったミクシュナーは『皇帝として』正式に各国に謝罪。奴隷となっていた各国の人々を解放し、膨大な額の賠償金の支払いを約束した。
さらに、次代のオウシュラ皇帝には自分とアスターナの子が即位することを明言。それはすなわち、オウシュラ帝国がサラス王家に支配されることを意味していた。
オウシュラ国民の受けた衝撃は計り知れないものだった。なにしろ、昨日までこの世に敵とてない絶対王者として君臨し、誰もが奴隷たちに働かせ、自分たちは遊び歩いていればよいという夢のような暮らしをしていたのだ。それが突然、敗者の地位に転落させられ、奴隷たちを失った。自分のかわりに働く手足をなくしたのだ。
それだけでも充分に衝撃だったが、膨大な額の賠償金が支払われることになったために国庫はほぼ底をついた。国民の暮らしも壊滅的な打撃を受け、奴隷以下の生活を余儀なくされることになったのだ。
すべてを手にした勝者から、すべてを奪われた敗者への転落。
それこそはまさに、サラスの神話で言う『いかなる地獄よりもはるかにつらい』失うことの恐怖だった。
その恐怖にさらされたオウシュラ国民に対し、新たに皇帝となったミクシュナーは宣言した。
「生き残りたければ自ら額に汗して働きなさい。これまでの三年間、あなた方を養うために多くの国の民がその労苦を強要されたのですから」
その宣言に――。
オウシュラの国民も現実を思い知らされ、久方ぶりに鍬や包丁をその手に握ったのだった。
そして、オウシュラの皇宮においてサラス国王、弱冠一五歳の少年王アスターナとその妻にしてサラス王妃、そして、オウシュラの新たなる皇帝、二八歳のミクシュナーとはふたりきりで対面していた。
「ありがとう、ミクシュナー。あなたが僕の妻として来てくれなければ、今日のこの日はなかった。本当にありがとう。心から感謝します」
「とんでもありませんわ、陛下。わたしは陛下のご意志に惚れただけ。もし、陛下と出会えなければ、わたしは内心では反対しながらも父上にも兄上にも逆らうことができず、見て見ぬ振りをしながら生涯を送ることしかできませんでした。その弱かったわたしに勇気をくれたのはあなたです。わたしの方こそ感謝しております」
我が君、と、ミクシュナーは一三歳年下の夫に呼びかけた。
「……ミクシュナー」
「……陛下」
アスターナとミクシュナーは見つめあった。そして――。
ふいに、アスターナが視線をそらした。うつむき加減になった頬を赤くしながら言った。
「そ、それで、その……。ミクシュナー」
「なんでしょう?」
なぜ、夫が急にこんな態度を見せたのかわからず、ミクシュナーはキョトンとした表情になった。
「その……僕たちは王族だ。王族である以上、世継ぎを設けなくてはならない」
「はい。そうですわね」
「だから、その、そろそろ……」
「あっ……」
ミクシュナーもようやく、アスターナの言いたいことを理解した。皇族らしい気品ある
一五歳と二八歳。
初々しい歳の差夫婦は互いに真っ赤になってうつむいたまま、立ち尽くしていたのだった。
※ご愛読ありがとうございました。
試しに作った『ざまぁ回だけ切り抜き集』これにて終了です。
ざまぁ回だけ並べちゃいました 藍条森也 @1316826612
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