シニフィアンな彼女
廃棄予定の夢分子発生装置
第1話
少女は階段で遭難していた。
改行によってしか前へ進むことが出来ぬのだと、フィクションが、妄想が、現前する階段の物質的な連続性に遠慮していた。
彼女がただ今跳躍して、飛躍すればそれで済むことをしないのは、階段における事物の一つとしての彼女がいたからである。
有るかも知れないという約束事を予め守っておいたただ一人の彼女が、この今、強迫的に、留まっている。瞬きをしたその隙に消えてしまうことさえしない。
それ以上割り切れないところの距離を思ってしまった為に、数ミリメートルの瞬間移動を諦めてしまった為に、彼女は全く動きを止めてしまったのである。
私は階段で遭難したという少女を発見した。
例によって訊いてもいないこの者についてを語り始めるという朝が要請されている。私の勝手ではない。寧ろ勝手にしてよいのであればそうする。ただこの口を開いたというその以上、無条件でそうした物事を受け入れてしまうという有難迷惑に配慮してのことである。つまり私は、この口とはこの口のことであるとここに明記するに至った。
一切の素性については以上である。特筆すべきことの無いこの朝に、しかし既にその様にして特筆されてしまっていたのは空間の狭さによってのことである。この空間ではない。
特筆されたこの口が、未だ楽しくない物事について浪費されていくのが惜しいというのは私ではないが、事態を変えるために、私は楽しくない自己紹介を始めなければならない。こうして私がそれを語らなければ始まらない以上、つまり、私が語るそれ、がそうしない以上は始まらない以上、そこにおいては初めからそうしていれば良かっただけの話である。最初から始まっていたとは当然であるから。
部屋が水浸しになって、寝台の底に秘めたる青春、取り分け、耐水性ではない諸々を損失した気分になって、再び左腕は奇怪なゴムの塊に落ち着いて、垂れ下がっていたところのものといえば、本当のところは私である。
何だって構わない。そうした幽霊という類のものが出て、靴の踵を踏みながら、しかし律儀に履き直して飛び出して行った部屋というものは、よくよく考えてみれば確かに今のこことは違っていた。
余計に広かった。余計に引き伸ばされたのだとしたら、曖昧な身の上話を語るに相応しい。今朝のこれはといえば、もう十分に解像度を保持している。
現在は大学生である。現在は、である。夢から覚めた時にそうであったからである。きっと違うと言ってくれる者が私には必要である。今はいない。
最近は、一級河川を漂流していた疲れからサナトリウムという気分であったが、不名誉除隊の方が似ていたところの私の外骨格における気分である。ともかく、運動会に逆上せた午後の昼寝に夢見るポストアポカリプスにおける心地良さの投影である。結局のところ、注射終わりに十分に安堵してしまい、以降いつ死んだとしてもそれ自体特に問題は無いという気分である。しかし既にナースはいない。
最近は大学生である。恋人はいない。
シニフィアンな彼女 廃棄予定の夢分子発生装置 @surume-dynagon
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