展覧会の列から外れる
香久山 ゆみ
展覧会の列から外れる
私には芸術が分かりません。
けれど、分かりたいと思うから、話題の展覧会には必ず足を運びます。作品の前に立ち、キャプションをじっくり読みます。なるほど、と納得します。けれど、分からないのです。
芸術至上主義の芥川はじめ著名人の芸術に関する著述も拝読しました。それらでは芸術をどのように取扱うべきかという論は展開されますが、そも芸術とは何ぞという点において私は解を見つけることができませんでした。人間ならば当然知ってしかるべき感覚なのかもしれない。けれど、その感覚が私には欠落しているということかも知れません。
焦燥感と諦念、そして雀の涙ほどの希望とともに、今日も美術展を訪れます。
新聞やテレビやネットで話題になったこともあり、開館前からすでに長蛇の列ができています。昨日は平日にも関わらず建物に入るまで一時間待ちだったとか。夏の日射しにくらくら目眩がして、私は列を離れました。いいのです。どうせそこまでの情動ははなからないのですから。
溜め息を吐きながら美術館の門を出ます。並ぶ人々は私のことを芸術への情熱が薄い人間だと蔑んでいるでしょうか。薄いどころか、ゼロなのですけども。
美術館を出てすぐ、小さな看板を見つけました。近くの画廊で個展が開かれているようです。案内板に従って進むと、路地を曲がった先に地下に通じる階段があり、そこが画廊の入口でした。
少し落とした照明、狭い入口の奥は思ったより広そうですが、鰻の寝床のような造りのためその全貌を推し量ることはできません。
受付カウンターには誰もおらず、そのまま中へ入っていきます。見つけにくい場所柄のせいか、他に観覧客は誰もいません。
一人の作家の作品展のようですが、展示内容は多岐に渡っていました。
壁面には、油絵や水彩画、エッチングや素描だけでなく、写真も飾られています。彫刻もあり、電子工作のようなものまであります。なんだか誰かの夢の中にでも迷い込んだ不思議な心持ちで室内を進みます。
統一性のないばらばらの作品群から人物像を窺い知ることはできませんが、作品点数の多さから、老齢の作家だろうと想像しました。なんとなくピカソが頭に浮かびます。
突き当たりの展示室に、職員の方でしょうか、スーツ姿の若い男性がスツール椅子に座っており、私の姿を見るとはっと驚いた顔をして慌てて立ち上がりました。
「いらっしゃいませ」
「受付に誰もいらっしゃらなかったので、勝手に失礼しています」
構いません、と男性は微笑みました。彼こそが、個展の作者だといいます。
「お若いのに作品数がすごいですね」
「母の影響です」
彼の母もまた芸術家で、寝ても冷めても芸術のことばかり考えていて、幼い彼を置いてある日ふっといなくなったと言います。
「芸術は普通では目に見えないものを表現するものだと言っていました。例えば人の心の中。だから僕は、色んな人との対話を通してその人の内面を写しとる作品をつくっています」
なので各々ばらばらの意匠なのだと。あなた自身の頭の中を描いた作品もあるのかしらと尋ねると、どれだと思いますかと悪戯っぽく笑う。
「芸術家として母は悩んでいたようです。自分は空っぽの人間だから、表現したいものが見つからないのだと」
母に会えたら、母をモチーフにした作品をつくりたい。けっしてあなたは空っぽではないと伝えたいと、彼は静かに言います。
「あなたの作品には心があるのね。こんなに素敵なのに、お客さんがいないのは残念ですね」
「今回の美術館の展覧会は、あの巨匠の作品群が一度に見られると話題ですからね。こっちは見向きもされません」
「けど、あの作品群こそ統一性がなく、作家の信念がないのではないかしら。観覧客は皆、一体何を見ているのでしょう」
「そのとりとめのなさこそが素晴らしいところですよ。彼女の作品からは、迷いながらも芸術に向き合うひたむきさが迫ってきます」
そういうものかしらと呟くと、そういうものですと彼は笑う。
もし良かったら、いつか僕の作品のモデルになってください。彼から受取った名刺をポケットにしまって画廊を出ると、美術館の行列もずいぶん短くなっていた。
「先生!」
列に紛れていると、私に気付いた学芸員から声を掛けられました。
「今回の先生の展覧会も大盛況ですね」
私はただ黙って微苦笑を返します。私には芸術が分かりません。分からないから、たくさんつくりました。けれどやはり私には、私のつくった作品の何がよいのかまるで分からないのです。
展覧会の列から外れる 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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