呪いの味とアップルパイ

たまごかけマシンガン

呪いの味とアップルパイ

 おそらく、会いたくなかったろう。


「ひっ……久しぶり……だね……ミカ」

「…………久しぶり、アリエス」


 松葉杖をついた魔法使い。私が抜けたパーティーに、所属していたメンバーだ。


 ◆


 旅を続けた人間は、マトモな死すらも叶わないんだと思い知る。


「……アリエス……アリエス……! 止めてくれよ……! さっきから、全然止まらないんだよ……!」


 地面に転がる生首は、同じパーティのティモーに似ている。似ているだけだと思わなきゃ、とても正気で居られなかった。


「なんで、身体が動かせないんだ……? なんで、ずっと止まらないんだ……? 教えてくれよ、アリエス……! ずっと、痛いまま、終わらないんだよ……!」


 あなたの身体はもう無いんだよ、なんて残酷過ぎて言えなかった。いっそ楽にしてあげようと、手にかけることも出来なかった。半分死んだ脳みそで、謝罪の言葉を連呼する。そんな『ズル』をしていたら、野鳥が彼を誘拐した。不死の呪いを背負った彼が、その後どんな目にあったのか、もはや私は考えたくない。


「………………」


 こんな苦しみを味わうのは、絶対ヤダなと心底思った。


「お前ら。辞めたくなったら、いつでも辞めていいぞ」


 勇者が言ってはいけない台詞。私にとっては甘い言葉。あまりに甘くて吐きそうになる。『お前ら』と言いながら、彼が思い浮かべているのは、私の顔だと分かったから。


 皆、大切な理由があって魔王討伐を目指している。持っていないのは私だけ。最初はちゃんと理由があった。貧しい故郷を救いたかった。王から貰える報奨金で、あの風土病を治したかった。


 しかし、ある時、天才医師が現れて、たちまち村を救ったらしい。それを知ってからも旅したのは、ひとえに惰性によるものだ。正義心だとか、友情だとか、そんなもので旅を続けられればよかったのに、目の前の惨状はそんな装飾を容易に剥ぎ取る。


 吐きそうなまま、搾り出す。


「……私は……もう辞めたい」


 その場の空気が凍りつく。最初にそれを破ったのは、魔法使いのミカだった。


「あんたが居ないと誰が回復するっていうのよ! 私たちに死ねっていうの!?」

「……で、でも………………」

「やめろ。お前の方こそアリエスに死ねっていうのか」


 勇者マハトの掌が怒る彼女の肩に触れる。憤怒の色を一層濃くするだけだった。


「あんただって、アリエスが心配だからそんなフザけたこと言ってるんでしょ! 毎回毎回、アリエスに治してもらってるのに、これからどうするつもりなの!? 馬鹿なことばっか言ってないで、もっと現実を見なさいよ!」

「分かっている。現実を見れていないことは。それでも、俺はアリエスを危険に晒すことが耐えられない」

「私を危険に晒すことは耐えられるの!?」

「でも、アリエスは……」

「アリエス、アリエスって、あんたはアリエスばっか贔屓し過ぎなのよ! デニス、アンタだって困るでしょ! 黙り込んでないでこの馬鹿どもになんか言いなさいよ!」


 濡れる顔も拭わずに叫び続ける。私はというと呆然していた。私が居なくなったら、どうなるんだろう。でも、これ以上ここに居たくない。せめて綺麗に死にたいな。


 色々思考が巡るけど、もう分かんなくなっちゃって、「やっぱ続ける」と言おうとした。言おうとしたけど。


「じゃあな、アリエス。また会おう」

「————」


 喧嘩に混ざらず、黙り込んでいたデニスの言葉。


 一目散に逃げ出した。


「アリエスっ!!! なんでなんでなんでなんで——!!!」


 恨みに塗れた抗議の声は、ちゃんと耳まで届いていたのに。


 ◆


「安いお茶しか出せなくてゴメンね」

「……味なんて分からないからいいや」

「そう……」

「…………」


 モクモクと湯気を立てるそれに、触れようとすらしなかった。


「酷いケガ……ここまで一人でやって来たの?」

「…………私以外は死んじゃったから」

「あっ……それは…………ごめん」


 『ごめん』と咄嗟に出てきたのが、なんだかとっても嫌になる。まるで他人事みたい。私が逃げた結果だが、あまりに重くて目を逸らす。


 彼女一人に押し付けちゃったな。


「………………」

「………………」

「………………」

「……何のためにきたと思ってるの? この松葉杖が見えないの?」

「あ……ああっ! 待って、治癒魔法をかけるから」


 私が回復担当で、彼女は攻撃役だった。身体に傷を付けるのは、ほとんどの場合彼女たち。私が活躍できるのは、全てが終わってからだった。


 手をかざし、目を閉じる。今まで、何十回とこなしてきた。何十回とこなしてきた筈なのに。


「あれ……?」


 彼女の足は治らないまま、私の魔力の方が切れる。


「ごめん! 最近、全然使ってなくて……。完治させるには、泊まってもらわないといけないや」

「ふーん…………」


 そんな目をして見ないでよ。


「よっぽど平和な毎日だったんだね」

「…………」


 彼女の言いたいことは分かる。あの日以来、何度も何度も自問した。その答えは、目の前の彼女だ。


「……ごめん。私が途中で逃げたせいで、すっごい負担かけちゃったよね……」

「…………まあ、アイツが『逃げていい』って言ったんだし、デニスとアイツが死んだのは、私が回復魔法を使えないせいだし……」

「…………」


 曇る少女に声をかけたくて。何もいいものが出なくって。


「…………そんなことないよ」


 机に紅茶がぶち撒ける。


「適当なこと言わないでよ! 死に際すらも見てないくせに!」


 本当なら、暴れてしまいたかったろう。彼女の足では叶わない。二人とも椅子にへばり付き、滴る音がうるさくなる。


「……ごめん。そうだよね」

「……別にいいよ。実際、負けたんだし、アンタの判断は正しかった」

「……」


 やっぱり、旅は失敗か。そうじゃなきゃ、こんな場所には来ないよな。街で病院を探すだろう。


「………………」


 仲間を見捨てて守った『私』。今はこんなに醜くみえる。


 ◇


 冷めたアップルパイをくらう。ミカの好物だったのだが、一齧りすらされなかった。相当嫌われてるのだろう。


「……勧めたら凄い嫌そうな顔してたしなぁ」


 もうこれ以上食べられない。一切れくらいあげたいな。空き部屋で寝ているだろうし、ベッド脇にでも置いておこうか。


「————」


 部屋に彼女の姿はなく、カーテンが風にたなびいていた。


 ◇


 おいしい。おいしいな。あっぷるぱいよりおいしいや。なのに、こんなにみたされないんだ。はらがみちればみちるほど、こころのほうはすりへっちゃうんだ。


 アイツのことをおもいだすんだ。


「ミカ……? 何やってるの……?」

「…………あ」


 最悪だ。よりにもよって、あの女に。


「それ…………人……?」


 私が捕食するところを。


 ◆


 いつものように、バカで幼稚に遊んだあの日。ふざけ半分で引っ張ってたんだ。そしたら、アイツが抜いちゃって、天に向けられた剣先に、村の誰もが釘付けだ。魔王を倒す勇者だけ、引き抜けるんだと言われていた。


『マハト! マハト! マハト!』


 冷めた視線で見てたのは、幼馴染の私だけ。アイツが遠くに行った気がした。


「アンタ。本当に魔王を倒そうだなんて考えてるの?」

「ああ。それが俺の使命だからな。修行して大きくなったら旅に出るんだ」

「じゃあ…………もう遊べないの……?」

「…………」


 嫌だ。アンタが何処かに行くなんて嫌だ。そんな人生、生きる意味が無いもの。


「わっ……私も着いていってあげる!」

「え?」

「アンタ一人じゃどうせ魔物にでもパクパクパクパク食べられて死んじゃうだろうから、私も一緒に旅してあげるって言ってるのよ。それまでに修行しとくから見ときなさい!」


 剣も魔法も全く知らない。才能の有無も分からない。


「ありがとう! ミカが居るなら旅も退屈しなさそうだな!」


 それでも、このトキメキが続くなら、何でもできる気がしたんだ。


 どうせなら、魔法使いがいいな。回復魔法でアイツの傷を癒すんだ。毎回毎回、治してたら私の価値を思い知るはず。そして、魔王を倒したら、とびきりデカい式場を借りよう。


 そうと決まれば、必死に修行だ。


 ◇


「キミに回復魔法の才はない」


 何年分かの努力に対する、死亡宣告を告げられた。


「本当に旅に出たいなら攻撃魔法を使いなさい。そっちの素質は素晴らしい」

「え……? なんで……私、あんなに……」

「魔術は全部、血で決まる。辛いだろうけど、仕方がない」

「そんなの……」


 あまりに理不尽じゃん。


 何度も何度も苦悩に悔いに向き合ったのに。数多の未来を諦めたのに。何一つ報われないなんて。才能の差で負けるなんて。


 あんまりにも理不尽だ。


「彼女の名前はアリエス、回復魔法担当だ」

「やっぱり、旅に回復要員は不可欠だからな。アリエスには期待しているよ」

「ありがとうアリエス。助かった」

「アリエス、いつもいつも申し訳ない」

「アリエスの顔は本当に綺麗だ」

「アリエスは優しいな」

「アリエスが居たら安心する」

「アリエスは料理もできるのか。すごいな」

「アリエス、敵に何かされなかったか?」

「アリエスがいなければ、今頃どうなっていたことか」

「アリエス、君は命の恩人だ」

「アリエス、故郷が救われたのか」

「アリエスと旅を続けたいんだけど」

「でも、それ以上にアリエスには幸せに生きていて欲しい」

「アリエスの選択なら俺は何でも受け入れるよ」

「アリエスは仲間以上に特別な存在だと思っている」

「アリエス、愛してるよ」


「……私は……もう辞めたい」


 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。私が欲しいもの全部持ってるクセに。私の夢全部叶えてるクセに。なんで捨てようとするの。なんで逃げようとするの。一体、何が不満なのよ。アンタが居ないとアイツの命が危ないのに。せめて振り返ってこっちを見ろ。卑怯者卑怯者卑怯者卑怯者。


 だったら、最初から私に寄越してよ。


 ◇


 致命的な状況だ。戦力的にも精神的にも。傷を負った三人組が無言で旅を続けている。特にデニスはひどかった。いっつも前で戦うから、誰よりも血を流している。脳まで届いていないのか、ぼんやりとする時間も増えた。


 それが彼の死因となる。


 敵との打ち合い。普段通りの彼ならば、きっと難なく勝てただろう。だが、魔力の源は血だ。今まで余りに流しすぎた。放物線を描く首。ここでようやく気付いたよ。この旅は間違いだったんだって。


 諦めよう。敵の攻撃がきてるけど、もう避けなくてもいいや。


「ミカ、危ない!」


 久しぶりに、名前を呼んでくれた。せっかく呼んでくれたのに、もう喋れなくなっちゃった。


「————」


 脇腹に穴を空けて、ひゅうひゅうと音を鳴らしている。どくどくどくどく赤い色が侵食する。まだ、生きている。まだ、助けられる。もしも、アリエスがここにいたら。


 非才な私じゃ助けられない。


「やだあ……! 治って……! 治ってよ……! アンタが死んだら……アンタが死んだら、本当に私の人生なんだったの……?」


 敵が近付く。私も終わる。終わることを期待したのに。


 旅を続けた人間は、マトモな死すらも叶わないんだと思い知る。


「また、貴様らみたいな馬鹿どもが現れたら面倒だ。我々の残虐さを伝えるために、最悪な呪いを背負って生きてもらう」

「は……?」


 手を翳される。


「……ぉっ…………!」


 身体の中から泥の味がして、何もかもを吐き出した。


 直後、空腹に襲われる。否、そんな言葉じゃ表せない。飢えだ。食わなきゃ死ぬと本能が吠えた。


 そしてしずかにねむるアイツが、とてもおいしそうにみえたんだ。


「貴様は最早、ヒトの身体しか食べられない。それ以外の食べ物は全て戻してしまうだろう。さあ、食え! 生まれ変わった貴様の初めての食事だ!」

「そんなこと……する訳……!」


 ごりっ、っとねじれる。


「ああああっああああああっっああああっ!!!!」

「早く食え。十秒ごとに骨を折る。次は左の脚だ」

「ああっ……! あああっ…………!」

「十、九、八……」


 いっぽんでもうたえきれなかった。ぱくぱくぱくぱくたべてやろう。


 ふぁーすときすはてつのあじ。


 ◆


 血管をプチプチと千切る感覚。齧り付くと痙攣する肉の動き。ハラワタからそそり立つ湯気の臭い。そのどれもがアイツと同じで、不愉快だ。


 だけど、食べなきゃお腹が空いて、以前よりそれが苦しくて、制御もできずに貪り食う。誰かを捕食する度に、ひどい虚無感に襲われた。段々、ヒトから離れる気がした。


 彼女の怯えた瞳を見て、とっくに離れてたんだなと。


「ほんとに…………? ミカ……?」

「そうだよ」


 なんか、逆に楽になったかも。


「そ…………そんな……人を殺したら……」

「……分かってるよ、そんなの。でも、食べなきゃ生きていけないから、今ぐらいは倫理観を麻痺させて。あの時のアンタみたいにさ」


 その歪む顔が見たかった。アンタの罪を知らせてやろう。


「アンタだって人殺しみたいなもんでしょう? アンタが逃げたらみんな死んじゃうって分かってたのに、逃げたんだから。なんなら、私はもっと酷い目にあったんだよ? アンタが途中で逃げたせいで、私は呪いをかけられた。私はもう紅茶も飲めないし、アップルパイも食べられない。人の血で喉を潤すし、人の肉で腹を満たすの…………! これが馬鹿みたいに旅を続けた代償! 散々、苦しい思いをして、たどり着い先がこの姿! もう、人じゃなくなっちゃった! もう、人として死ねなくなっちゃったんだ! 大好きだった人すらも、欲に溺れて食べちゃった!」


 濁流みたいに溢れる言葉。吐き出すごとに熱くなる。喉が萎んで、視界が滲む。気付けば、アンタはうずくまってた。


「…………ごめ…………なさい……!」

「…………はあ?」

「ごめん……なさい……! 私が、逃げたせいで……! ごめんなさい……!」

「…………なんだよ…………それ……」


 思う存分、苦しめた。でも、違うんだよな。思っていたより、空虚な心地。


 私が見たいのは、そんなんじゃないよ。私が望んだ光景は、また別にあって、その光景にはアイツが居て。


「…………なんだよぉ」


 なんか、しんどいな。


 生きる意味はもうなくなったのに、なんでしんどくなってまで、息を続けているんだろう。


「……ねえ、アリエス。アンタにお願いがあるの」


 理想とは、笑っちゃうほど遠いけど、次点で求めている現実。


「私を殺して」

「…………!?」

「私が食べた死体を見せれば、みんな分かってくれるはず。アンタが悪者になることはないんだからさ。害獣討伐、頼んだよ」


 大嫌いな相手に殺されるだなんて最悪だなと思ったが、このまま生きていくよりかは幾分マシに思えたのだ。


「………………大丈夫」

「はぁ……?」


 顔を拭って、立ち上がる。


「その呪い、私が解いてみせるから、ミカは死ななくて大丈夫」

「………………」


 やっぱり、コイツは好きになれない。



 私は本当に自分の意志で逃げたのか。自分の正義があったのか。ずっとそれが引っかかってた。マハトの台詞がなかったら、デニスの台詞がなかったら、私はそれでも逃げただろうか。


 皆んなの人生グチャグチャになるって分かってた。でも、逃げた。それが確固たる意志によるものじゃなかったとしたら、何と醜いことだろう。


 正義を貫いた結果なら、例え悪行に手を染めても、それは正義の人である。だが、自分の正義もないままに、恐怖のために動くのは、ただの惨めな卑怯者。私はきっと後者だろう。それが心に泥を塗る。


 今度こそ、自分の意志を貫こう。私は彼女を殺すより、呪いを解いて救いたい。


『それは罪悪感を薄めるための、自分勝手な行いだ』


 心の中で誰かが呟く。その通りだと噛みしめる。それでも、私は殺さない。正義を捨てる惨めさが、今なら嫌ほど分かるから。


「……大丈夫って、アンタ解呪魔法は使えるの?」

「今は無理……。でも、習得する算段はあるよ」


 目を見りゃ分かる。全く信用されてない。


「…………あのね、ものごとには才能ってのがあるの。どれだけ頑張っても無理なことは無理なの。もう……これ以上、私に希望を見せないでよ……!」

「……でもっ!」


 夜が明けるような光がした。


「おい! 誰だ!」

「……まずいっ!」


 怒声を背中に無心で逃げる。あの日の夜と違うのは、誰かと一緒である点だ。


 ◇


「…………」

「…………」


 家に着く。手のひらを離す。


「……ごめん。足のケガ広がっちゃったかも」

「……アンタ途中まで忘れてたでしょ。お陰ですごい痛かったわ。私はあのまま捕まって、処刑されてもよかったのに、勝手に助けて恩人面しないでよね」

「別に感謝は求めてないよ」

「……あっそ! じゃあ、遠慮なく、ここの寝室は借りるから。私に食べられちゃう前に、解呪できるよう頑張りなさいよ」

「……うん。おやすみ」

「…………」


 最後まで、不愉快そうな顔だった。


 習得する術はある。これは決して嘘じゃない。


 この家の立地には、苦い未練が表れている。裏の森にて眠るダンジョン。その最奥まで辿り着けば、解呪魔法が手に入るという。


 彼女が続けた旅よりは、きっと、ずっと楽なはず。


 ◇


 まだまだ理性が勝っている。今日一日は保つだろうが、植え付けられた本能がいつ目覚めるかは分からない。毎朝、恐怖と共に起きる。


 玄関の戸が開く音。カーテンの隙間から、僅かな光を覗き込む。旅で見慣れた姿のアイツ。首にかけられた金色は、ダンジョンへの立ち入り許可証。


「……習得する算段って、そういうことね」


 自分の旅すら放棄したのに、いつまで続くことだろう。


 ◇


 夕暮れに鳴るノックの音。怠くて返事を放棄する。しばらくすると入ってきた。


「ミカ、治療しにきたよ」

「…………」


 黙って足を差し出すと、下僕のように跪く。塵同然の魔力を絞り、私の足を治療する。


「……どう? 大分治ってきたんじゃない?」


 こくりと頷く。


「よかった!」


 それが本心かどうかなんて、最早どうでいいと思った。


「そう。今日はダンジョンを見つけたの! 敵が多くて途中で引き返しちゃったけど、攻略できたら解呪できる。だから、それまではできる限り誰も食べないで」

「……できる努力なら頑張るけど、無意味な努力は嫌いだから。早く攻略してきてよね」

「…………分かった」


 戸が閉まる。さっきのが今日唯一の人との会話か。なんか私って最低だな。


 ◇


「……いっ……!」


 痺れる痛みで目が覚めた。シーツが赤く汚れている。汚れのもとは私の腕。粗い傷から流れている。悦ぶ味蕾みらいと鳴るお腹。やっと状況を理解する。


「私……自分の腕を……」


 たった一日。たった一日でここまで壊れてしまうのか。私の尊厳なんてものは。自分の命さえ蔑ろにして欲望に従ってしまう。こんなの、畜生以下じゃないか。


「……ぁあ……ああ……っ!」


 いわかんはあるが、あしはうごく。おとといよりもかんたんだ。こんどはもっとひとめのつかないばしょでくおう。なにをがまんしていたんだ。なにもきにすることはない。だって、しぬのはべつにたいせつなひとじゃない。たいせつなひとじゃ。


「たいせつな……ひと……」


 やっぱ、駄目だ。こんな私、愛してくれるはずがない。無闇に人を殺しちゃ駄目だ。分かってるよ、死んじゃったアイツはもう見てないって。でも、アホな信仰をやめたくない。この気持ちさえなくなったら、いよいよ終わりな気がするから。


 じゃあ、この飢えをどうするの。抑えられる筈がない。


「…………」


 心が塗り潰されちゃうのなら、身体をいじくるしかないな。


 治りかけていたその棒を、自身の腕でへし折った。


 ◇


 こんこんこん。音と同時に覚醒する。


「入るよ、ミカ」


 傷だらけの彼女は血のにおいを纏っている。なのに、獣の檻に入った。必然、狩りが始まってしまう。


「…………ミカっ! ごめん!」


 けれど、彼女は賢明だった。発動する魔術。獣の身体は拘束される。あらかじめ準備していたのだ。暴れたら縛るように。それは自身を守るためであり、彼女を守るためでもあった。


「……フゥゥ……! フウゥゥゥゥ…………!!」

「…………」


 腕を塗りつぶす歯型の赤。痙攣している右の脚。今まで起こっていた地獄を、いやでも彼女に分からせた。こうなった時にどうするか。彼女は既に決めていた。


 覚悟を決めて、刃を向ける。


 ◇


「————」


 淀んだ思考が元に戻る。瞳に映った光景は、正常なことを後悔させた。


「おはようミカ。ちょっとしか食べさせられなくて、ゴメンね」


 左手首のない少女は、汗ばみながら笑っている。粗く千切れた断面が、自身の罪を知らしめた。


「なん…………で……?」


 私のこと嫌いなくせに。なんで、こんなに費やせるの。なんで、こんなに献身的なの。アンタは卑怯な弱虫で、だから私は憎んでいて、憎むことが許されていて。なのに、なのに、こんなんじゃ。


 ひどく惨めな気分になる。


「アタマ……おかしいんじゃない……?」

「ミカだって、自分の足を折ってたでしょ。それと一緒」

「………………」


 アンタはやるべきことから逃げた卑怯者。そう思い込むことが私の心を支える松葉杖になっていた。


 でも、今はどうだ。やるべきことから逃げているのは、私の方だ。自分の呪いを解くことを、他人に任せて引き篭もっている。この苦しみから逃れたいなら、アイツにあの世で会いたいなら、一緒に戦わなきゃいけない。


「……私も着いていってあげる」

「え……?」

「早く呪いを治したいから、私も手伝うって言ってんの。私がアンタの腕になるから、アンタは私の足になりなさい」

「ミカ……!」


 何よ。そんなに嬉しそうな顔して。ために溜めてきた憎しみが、なんだか馬鹿になるじゃない。


 ◇


 それはいつかの冒険のようだった。


 人数は少し減ったけれど、あの風だけはそのままだ。これに吹かれて進んでいると、小さな胸が高く跳ねる。近くにあの世が蔓延る恐怖も、愉快な刺激へ変貌する。どんな無謀な野望でも、今なら掴める気がするんだ。


 ああ。冒険者としての私は復活したのだな。


 ◇


 ダンジョンとは、過去の強者が残した試練だ。その最奥のボスを倒せば、彼らの力を借りられる。世界に度々訪れる、危機に備えてのものだろう。


 苔のむした巨大な扉。


「…………」

「なに不安そうな顔してんのよ。私がいるんだから勝てるに決まってるでしょ?」

「……そうだね。行こうか」


 ◇


 獅子の顔、山羊の胴、蛇の尾。今は滅びた筈の幻獣、キマイラだ。ここはダンジョン。故に、生きているはずのないモノが居るなんて、よくあることだ。


「ぶちかましてあげる!」


 突き出した手から熱を出す。周囲の空気が浮き上がり、悲鳴をあげて旋風する。彼女が繰り出す全身全霊。火の塊が疾走する。岩を赤くして走るそれは、激しい殺意を散らしてぶつかる。


 ように見えた。


「…………は?」


 獣の身体は無傷だった。衝撃に耐えた訳じゃない。全て受け流されたのだ。攻撃されると同時に、身体を雲のように変え、あらゆる打撃を無効化した。


 思考が一瞬止まってしまう。その一瞬の間に跳躍し、獲物との距離をゼロにする。「くる」と思ったその時には、死の爪が腹を抉っていた。


「————」


 世界が回って、吹き飛んだ。腹の質量が軽くなる。身体が異常を訴えるが、おそらく「痛い」と言いたいのだろう。顔の横にぶちまけた腸っぽいものを見て察した。


「ミカ!」


 駆け寄る音が部屋に響く。顔を真っ赤にした少女は必死に魔術を行使する。傷口は狭まり、随分マシな姿になるが、瞳は若干濁ったままだ。


「大丈夫……!? ミカ……!」


 肩を揺らされて覚醒する。


「……ぁあ。そうね、まだまだ、戦わなく——」


 起きあがろうとして見たのは、あまりに眩しく熱い光。獣が口から吐いた火が、アリエスの背に迫っていた。


 爆撃。岩の粉が晴れると、膝に彼女が倒れていた。瞬で溶かされた服と背が一体化してグラタンみたい。


「…………何よ……これ」


 まるで庇われたみたいじゃない。アンタの方が強いのに、アンタの方が大事なのに、私を庇って死なないでよ。私、こんなことされたって、治せないのにどうすんのよ。


「ミ……カ……。ごめんね……私もう魔力が

……」

「…………」

「結局、呪いも解けなくて……申し訳ないなぁ……」


 なんだよ、その声。その台詞。


「…………んなよ」

「…………なに?」

「逃げんなよぉ! 私、まだアンタのこと許してないんだから! 私が許せるようになるまで、あの世に逃げずに生きなさいよ!」


 生きろ。そう強く願った。儚く退場しようとしてる、卑怯で憎いこの女に、醜く生きながらえて欲しい。


 突如、緑の光が少女を包む。


「……!」


 爛れた背中が少し治る。


「アンタ、魔力残ってんじゃない……」

「ち……違う! これは私の魔術じゃない!」

「はあ……?」

「ミカだよ! ミカが回復魔法を使ったんだ」

「はあああ!? 私が使える訳ないでしょ!? だって、あの時に言われたもん。『魔術は全部、血で決まる』って」

「……血?」

「…………あ。アンタの左手」


 アンタの血を吸ったから、私の魔力が変化した。


「………………」

「…………いいよ。ミカ」


 白いうなじを出すアリエス。彼女も覚悟を決めたようだ。


「…………痛いけど、我慢しなさいよ」

「…………っっあっ!」


 まるでヴァンパイアのように、細い首筋に齧り付く。逃さないように、強く抱く。


「はぁ……ああっ! ミカっ……!」

「うるさいわね! 変な声ださないでよ!」


 幼い頃に抱いた夢。アイツと結ばれるまでがセットなんだけどな。あまりに中途半端だが、夢なんてそんなもんだろう。なんだかガッカリしてしまう。それでも私は


「アンタがいない世界でも、新しい夢を見つけるよ」


 二本の足で地を踏んだ。


 幻想のような怪物は、灰と化して消え去った。


 ◇


「結局、私たちって冒険した意味あったのかしらね」


 見知らぬ勇者が現れて、すっかり平和になった世界。ウッドデッキで魔女はぼやく。


「私はミカと出会えたから良かったよ」


 なによそれは、と微笑みながらアップルパイを頬張った。

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