ライフ②


 明白な理由はない。



 思い返してみても、そうなった理由やきっかけは思い付かない。



 気付けばって感じだから、誰かに説明するとしても、いつからなのかも、どうしてなのかも言えはしない。



 初めて元親君に会ったのは小学生の頃だった。



 お母さんが元親君の事を「ハンザイシャ」と呼んで一ヶ月も経たないうちだったと思う。



 当時まだ金髪だった元親君と、その時初めて会話もした。



 それから両親に内緒で元親君に会いに行くようになって、自分の部屋から元親君の部屋を眺めるようになった。



 そうやって、起きた事と現状までの経緯は分かってるのに、どの段階で好きになったのかは分からない。



 気持ちという部分の経緯が分からない。



 最初から好きだったって言われたらそんな気もするし、一年後だったって言われたらそんな気もする。



 今となっては好きだと自覚した日がいつだったのかさえ定かじゃない。



 だから「何か」があって好きになったんじゃないと思う。



 好きになる為の分かりやすい「きっかけ」はなかったように思う。



 分からないくらい自然に気持ちが生まれ、分からないくらい自然に気持ちが大きくなった。



 明白な理由がないものに対しての理由付けに、「そういうもの」という言葉を使う。



 昔、別の事に関して、ある人に言われた事がある。



 そういうもんだ——と。



 明白な答えを求めている時に言われると釈然としないその言葉は、時にとってもしっくり来る時がある。



 だからあたしはその時も、その言葉がしっくりと来て頷いた。



 そして元親君を好きになった理由に対しても、その言葉はしっくり来る。



 あたしはどちらかと言えば白黒はっきりさせたい性格の方だけど、曖昧模糊あいまいもこな感じも受け入れられる。



――ううん。



 この世の中には、曖昧模糊とした感じが必要なのかもしれない。



 その必要性を認め、乗っかってるだけなのかもしれない。



 だって真実、曖昧模糊なものはこの世の中にはない。



 突き詰めて考えれば必ず答えは出る。



 それを「そういうもの」だという所で終え、その先を考えないという事が必要だったりするのかもしれない。



 何もかもに明白な答えを求めていたらパンクする。



 頭なのか心なのか分からないけどどこかがパンクする。



 だからあたしが元親君を好きになった理由やきっかけは分からなくて、どうして分からないのかと聞かれれば「そういうもの」だからという事になる。



 そんな話を昼休みに友達にすると、「あっ、うん。そうだよね」と、賛同を得られた。



「モカちゃんの言ってる事、あたしにはちょっと複雑で分かり辛かったけど」


 そう前置きをして、「誰かを好きになるって事に関しては説明出来ない事が多いよね」と続けた。



 その手には人体図鑑があって、友達はあたしから人体図鑑に視線を落とす。



「じゃあ、この図鑑の付箋はそのモカちゃんの好きな人に関係ある事なんだね?」


 たどたどしくされる質問から察するに、友達はあたしの言いたい事を理解出来ているのか微妙に不安らしい。



「うん。そう」


 だからそう答えると、少し声色をはっきりさせ、「そっか」と笑った。



「でも、モカちゃんに好きな人がいるって知らなかった」


 少し感心したような声を出した友達に、「言わなかったから」と答えると、「どうして言ってくれなかったの?」と更に聞かれ、



「聞かれなかったから」


 明白な答えを口にすると、「あっ、うん。そっか。そうだよね」と首を竦められた。



 その仕草の意味を完全に察する事は出来なかったけど、八割方聞かなかった事を恥ずかしく思ってるんだと思う。



 だから。



「気にしないで」


 気遣ってそう言ったのに、友達は「え? う、うん」と後ろめたそうに返事をして、気にしている事を全面に出す。



 我が友は、色んな事をとても気にしてしまう、とても優しい性格の持ち主だったりする。



 チラチラと、あたしと図鑑を交互に見る友達は、「それで、その好きな人と図鑑の付箋はどういう関係があるの?」と聞いてきた。



 だからあたしは「アムアムしたい場所」と答えた。



「ア、アムアム……?」


「うん」


「え……っと、アムアムっていうのは……何?」


「甘噛み」


「甘噛み?」


「うん。犬とか猫って一緒に遊んでたら、アムアムって甘噛みするでしょ。それ」


「ああ! そういう意味か」


「常識だよ?」


「常識……なのかあ……」


「でも知らなかったからって気にしなくていいよ。あたしにも知らない常識あるだろうし。常識のひとつやふたつ知らなくても生きてはいけるから」


「う、うん……」


「どんまい」


「え……うん……」


 そう言った友達は、知らなくても気にしなくていいって言ったのに恥ずかしいと思ったのか少し俯いて、



「えっと、それでその、アムアムしたい所に付箋がある訳ね……?」


 図鑑を机の上に置くとペラペラとページをめくる。



 そして、ピンク色の付箋をしてる、あたし一番のお気に入りのページで手を止めて、そこを大きく開き、前のめり気味で凝視した。



「元親君を見てたら、アムアムしたくなるの」


「…………」


「だからアムアムしたくなる場所ってどういう名前なのか知りたくて図鑑買ったの」


「…………」


「でもその目的以上に色々と収穫があった。図鑑って本当面白いよね。特に――」


「モカちゃん」


「――うん?」


「こ、この、尺側手根伸筋って書いてるところ赤で囲ってあるけど、これは……」


「一番アムアムしたい場所」


「へ、へえ……」


「内腿の、縫工筋ほうこうきんとか大腿四頭金も捨てがたいんだけど、そこは普段滅多に見られないからアムアムしたいって思う回数も少なくて」


「……へえ」


「元親君って庭師してるんだけど」


「庭師?」


「うん。そう。元親君の伯父おじさんが親方をしてるんだって。そこで働いてる」


「へえ」


「五年も働いてるのに、まだまだ修行中なんだって」


「五年? 五年って……え? その人、今何歳?」


「ハタチ」


「ハタチって事は、十五歳からやってるって事?」


「うん。そう。隣に引っ越してきた時からずっと」


「じゃ、じゃあ高校には……」


「行ってない。犯罪者だから」


「は、犯……!?」


「で、ずっと庭師してるから尺側手根伸筋が凄いのね? まあ、庭師に限っての事じゃなくて、そういう力を使う仕事してたら誰でもそうなると思うんだけど、腕がパンパンっていうか、カチカチっていうか。力入れてない普通の状態でも筋肉の張りの感じが分かるくらいで――」


「ちょ、ちょちょちょちょちょっと待って!」


「――うん?」


「は、犯罪者!?」


「うん。そう言ったでしょ」


「モカちゃんの好きな人って犯罪者!?」


「うん。そう言ってるでしょ」


「犯罪者って犯罪を犯してるって事だよね!?」


「今のは重言。正しくは、『罪を犯す』って言うんだよ。『犯罪を犯す』っていうのは重言になるから間違って――」


「モカちゃん! そこはいいから! とりあえず、それは流して!」


「でもとっても大事な事だよ。重言ばかり使ってたら頭が悪いと思われ――」


「分かった! 今度から気を付ける! それより犯罪者って本当なの!?」


「本当」


「ど、どんな犯ざ――罪を犯した人!?」


「知らない」


「ええ!?」


「興味ない」


「えええ!?」


「でも、その犯罪の所為で前に住んでた場所にいられなくなって引っ越してきたらしいから、結構な事をしてるんじゃないかな」


「ぼ、暴行とか……?」


「かもね」


「も、もしかして、引っ越してくる前に、少年鑑別所とか少年院とかに入ってた可能性も……?」


「あるね」


「ほ、本当に知らないの!? モカちゃん、本当に何も知らないの!? その人が過去に何をしたのか全然知らないの!?」


「知らないし、知りたいとも思わない」


「な、何で!? 何で知りたいと思わないの!?」


「だって元親君、今はとっても真面目だもん。仕事だって休まないし――って、そうそう。筋肉の話だったね。それで、元親君って結構細身なんだけど、しっかり筋肉質っていうか、細いながらもがっちりしてて、二の腕なんかもボコッて力瘤ちからこぶが」


 そこまで言ったタイミングで、お昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。



 その所為で、残念な事に元親君の筋肉についての話を最後まで出来なかった。



 我が友も、筋肉の話をもっと聞きたかったらしく、中途半端に終わった会話に不服そうな表情を浮かべる。



 そんな友達に、「性器のページもお勧めだよ」と教えてあげて、自分の席に戻ったあたしは、今日の夕飯は何にしようかと考え始めた。

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ストーキングライフ ユウ @wildbeast_yuu

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