かくして勇者亡き後、魔王の娘は旅に出る

桜野

追憶の一

 天に振り翳された魔王の右腕から、猛烈な黒炎が巻き起こった。

 魔王城の謁見の間。その天井にぶち当たった禍々しい炎の柱は、周囲に灼熱を撒き散らしながら、意志を持つかのように身を捩りはじめる。

 やがて、炎は巨大な蛇へと姿を変え、魔王を守るかのように中空でとぐろを巻いた。


「これで最後だ」


 年若い、予想外に澄んだ青年の声がぽつりと響く。

 魔族の寿命は、悠に千年を超えると言われている。

 現魔王率いる魔族と人との闘いは、おおよそ三百年に渡っていた。

 魔族の寿命を人の寿命と照らし合わせてみれば、存外、魔王は自分とあまり変わらない年頃にあたるのかもしれない。


 僕は、その若き魔族の王に対し、握った剣の切先を向ける。

 光の女神の加護を受けた聖剣から淡い輝きが広がり、僕の体を包み込む。

 魔王の言ったとおり、次が最後の一撃となることだろう。

 

 もはや、お互い満身創痍だった。

 女神の加護によって守られているとは言え、魔王の放つ激烈な攻撃魔法の数々により、肉体には深刻なダメージが蓄積していた。

 

 対する魔王の表情にも、疲弊が色濃く伺えた。

 致命傷とは言わないまでも、魔族に対して反属性の力を纏った攻撃を、幾度となくその身に食らっているのだ。


 魔王の銀色の長髪が、熱風になびき、妖艶に揺らめく。芸術的に整った顔立ちは美青年のそれで、神々しくすらあった。

 その顔に、一族特有の真紅の瞳さえ湛えていなければ、別の種族だとは到底気づくことすらできないだろう。


 僕は剣を握る力を一層強める。

 精神を集中し、右上段に剣を構えたまま前傾姿勢をとる。


「ゆくぞ」


 魔王のその声が合図だった。

 

 疾る。

 

 天に掲げられていた魔王の右腕が僕に向けられた。

 その瞬間、壮絶な唸り声とともに黒く燃え盛る炎の大蛇が、襲いかかってくる。

 蛇の顎門に向かい、渾身の一撃を繰り出す。

 肉が焦げる匂いがした。

 それはもはや、体当たりに等しい無様な攻撃だった。

 視界は爆炎で完全に塞がれた。

 熱い。

 意識が遠のきそうになる。

 火炎の濁流に肉体も精神も飲み込まれそうになりながらも、僕は突進を続ける。


「おおおおおおっ!!!」

 

 刹那、

 

 炎が途切れた。

 

 目の前に現れた魔王、その胸元に向けて最後の一撃を繰り出す。

 僕の体もろとも放たれた突きは、魔王の心臓があるべき胸の中心を捉えた。

 その瞬間、魔王は――。


「これで、終わりだな」


 緩んだ口元、不意に浮かべたそれは、安堵の笑み。


「えっ?」


 剣から伝わる確かな手応えは、魔王の肉体に致命傷を与えたことを告げていた。

 なのに、なぜ……?

 

          ◆


 僕は、密着した魔王の体から剣を引き抜き、ゆっくりと後方に下がる。

 すると魔王は、そのままゆらゆらと背後にタタラを踏み、崩れ落ちるようにそこにあった玉座に腰を下ろした。


 僕は、乱れた呼吸を少しずつ整える。

 そして息遣いが平静に近づいたとき、それに気づいた。

 剣を握っている右手の甲にじわじわと何かが食い込むような痛みが走る。

 実際に目の前に手の甲を持ち上げると、そこには見たこともない刻印が色鮮やかに浮かび上がっていた。

 なるほど、これが……。


「暗黒神の呪印だ」


 不思議と耳に馴染む、あの澄んだ声が響いた。

 魔王だ。


「私を死に至らしめるものに対し、不可避の呪いを発動する。暗黒神の加護によるもので、私の意思とは関係ない。残念だったな」

「……いや」


 そんなことは百も承知だった。人が歴史を記し始めた五千年以上前から続く、魔族との戦い。

 お互いを忌避し、地上の覇権を奪い合う、永劫に続く戦いの輪廻。

 歴代の勇者が魔王を討つとき、勇者もまた、その数年後に命を落とす。

 そうやって訪れる、二種族間にとっての束の間の平和。


 元来、人よりも強大な力を持つ魔族は、一族を建て直すための回復期に入り、魔族より力は弱いが数で勝る人は、繁栄期を迎える。そうして百年が過ぎる頃、魔族にはまた王と呼ばれる存在が生まれるのだ。人は勇者と呼ばれる唯一無二の対抗手段を得るまで、耐え忍ぶ日々を送ることになる……。

 それはまさしく円環の歴史。新たに行き着く先などなく、繰り返される闘争と平和の螺旋。


「……滑稽、だな」


 魔王の口から、そんな言葉が滑り落ちた。

 魔王の命を奪うことで、僕自身の命にも終着点が見えてしまった。その事実を揶揄した発言だと思った。

 しかし、


「貴様も、私も」

「……………」

 

 無言の僕に向かって、魔王は微笑する。


「我々は、所詮、二大神が広げる巨大な遊戯盤の上に並べられた駒に過ぎない。そうは思わないか? 勇者アステル」

「ユグノー、君は……」


 魔王の名を呼び、僕は絶句した。

 確かにその通りなのかもしれない。

 僕らは、自らの宿命に抗えず、ここに辿り着いた。

 魔王は魔族の、僕は人の要としてお互いに切り結び、幾度となく繰り返されてきた歴史をなぞっている。


 僕と魔王はまさしく遊戯盤上の駒、あるいは、舞台に上げられた演者に過ぎないのかもしれない。


「……使命を終えようとしている今、貴様は何を求める? 余命幾許もない身だ、できることなどたかがしれている」

「……………」


 思ってもみなかった魔王の問いに、僕は一瞬時間を奪われる。

 魔族の王たる彼の声音は不思議と穏やかで、元来示していたはずの威厳は薄れていた。

 それはまるで、旧知の友に語りかけるような口調で、僕は不覚にも安らいだ気持ちを覚えていた。


「……残念ながら何も決めてないんだ。ただまあ、人里から離れた場所に小屋でも建てて、そこで人知れず余生を過ごすこともいいかもしれない。こう見えて、人から注目を浴びるのは好きじゃないんだ。最期のときまで、自由に、静かに過ごしたい」

「……そうか」


 僕の返答を聞いた魔王は、また微かに口元を吊り上げた。

 馬鹿にするように、けれどどこか満足そうに。

 

 するとちょうどそのとき、魔王の体が末端から塵へと変化し始めた。

 魔族は死体を残さない。命が尽きれば、その身は塵芥へと変わり、虚空へと飛散する。


「アステル」


 魔王は最期に告げた。


「城の北に、永久凍土に覆われた洞穴がある。そこに向かえ」

「ユグノー……?」

「そこにあるものをどうしようが貴様の勝手だ」

「……僕に、何かを託す気かい?」


 魔王からの返答はない。

 彼はもう意識を失っていた。

 末端から塵へと変わりゆく体は、最期に白んだ美しい顔貌を残した。

 完全な虚無へと還るその瞬間まで、口元に浮かべた満足そうな微笑みは消えなかった。


 魔王は死んだ。


          ◆

 

 魔王城から北へ、半日ほどかけて雪原を進んだ先にある山岳部の麓に、その洞穴はあった。


 激戦を終え、満身創痍の体に吹き荒ぶ寒風は正直堪えた。

 それは僕に同行してくれた三人の仲間も同じだったようで、洞穴に入ってすぐに、彼らは口々に不平不満を訴え始めた。


「あー、もう何が悲しくって世界を救った直後に凍えながらこんな辺鄙な場所に来なきゃいけないのー。うー、寒い寒い寒い!」


 ヘイムダルの魔女の異名を持つリオネッタがぼやくと、


「まったくです。こんな寒い日は早く暖かい場所でご婦人方にお酌をしていただきたいもんです。ああ、酒場が恋しい。……うん? 私眼鏡が凍ってません?」


 同調するのは神速の騎士、アーバイン。


「……ま、まあまあ、お二人とも。何もアステルさんはわたし達に同行を強要したわけじゃありませんし、わたし達が勝手について来ただけじゃありませんか? ぼやかない、ぼやかない」


 二人を宥めるのはいつも、聖なる闘士パラディンであるエミリアの役目だった。


 三年前のパーティ結成以来、僕らはいつもこの四人で旅を続けてきた。

 文字通り、苦楽を共にした仲間たち。

 魔王軍との最終決戦では、三人とも僕とユグノーの闘いをお膳立てするように、それぞれ散開して、別々の場所で軍の幹部を引きつけてくれていた。ユグノーとの闘いが終わり、夜明けを迎える頃に僕らは合流したのだった。そして、現在は愚痴をこぼしつつも僕のわがままに付き合ってくれている。


 洞穴内部はいくつもの水晶で覆われていた。水晶からは淡い光が放たれており、松明を焚かずとも充分な明るさで視界を確保することができた。


「この水晶……」


 隣に並んだリオネッタが言う。

 長い黒髪と同じ色をした漆黒の瞳に、水晶の放つ光が反射している。


「魔力が封じられてる。放っているのは魔力の輝きね」


 蒼く光る水晶により、洞穴内は幻想的な雰囲気に満ちていた。

 入り口から続く一本道の経路を進んでいくうちに、僕らの口数は自然と少なくなっていった。


「……………」


 不意に、右手の甲が疼く。僕は反射的に、手を顔の前に翳し、自分に刻まれた死への刻印をしげしげと眺める。

 古の文献によれば、呪印を受けた歴代の勇者はおおよそ五年以内にその生涯を閉じていた。


 あと五年……、あと五年か……。


「あーもう、まったく辛気臭い顔してぇ」


 と、横を歩くリオネッタが、無造作に僕の右手を掴んだ。


「そんな印をじっと眺めちゃって馬鹿じゃないの? 心配しなくても暗黒神の呪印の一つや二つ、このリオネッタ様がちょちょっと分解してあげるわよ。そのかわり、それ相応のお礼しなさいよ?」


 そう言ってリオネッタは呪印の刻まれた僕の手の甲をパシリと叩くと、あからさまにそっぽを向いて僕から離れて行った。


「……………」


 自信家の、リオネッタらしい言葉だった。

 すると、間髪入れずに背後から声がした。

 

「相変わらず強がりってばかりですね」


 肩まで短く整えられた金色の髪、凛々しくも慈愛に満ちた柔らかな笑顔。

 近寄ってきたのはエミリアだった。 


「神の呪印を解くなんて、それこそ神と同等の力を持たない限り、不可能なことです。リオネッタもわかっているのでしょうけど、それ以上にあなたに生きていて欲しいのですね」

「……………」


 現実主義者らしい、飾らないエミリアの言葉。

 彼女の冷静な判断にはいつも助けられてきた。


「あなたも強がらないでくださいね。弱音を吐くのも受け止めるのも、仲間の役目ですよ? わたしはあなたやリオネッタよりもお姉さんなので、話を聞いて頭をよしよしすることくらいお手のものです」

「……よしよしはいいかな」


 僕の返答を聞くと、エミリアは柔らかく微笑んで離れて行った。

 次に隣に来たのはアーバインだった。


「いいですねえ。二人の麗しいご婦人方に慕われて。あの方達はいつもあなたには優しいのに、私には素っ気ない。あなたと私と何が違うんでしょうかね? 泣けてきますよ、うう」

「……アーバイン」


 パーティー最年長、オールバックの髪形に、眼鏡をかけ、口ひげを蓄えた唯一の三十代である彼は、いつも飄々としている。今は、好物の酒も飲んでいないのに、酔って絡むかのような口調だった。


「そうだ、いい加減あなたもお酒を覚えましょうよ。酒はいいですよ? 嫌なことは忘れられるし、人に正直にもなれます」  

 

 アーバインは僕の肩をポンっと叩くと、愉快そうに笑いながら離れて行く。


 本当に、僕はいい仲間たちに恵まれたものだ。


 深部へ進めば進むほど、洞穴内には得体の知れない静謐な空気が、純度を増して充満していくような気配を覚える。


 やがて、僕らは洞穴の最奥に辿り着いた。そこにはだだっ広いドーム状の空間が広がっていた。

 そしてその中央には――。


「女の子?」


 ぽつりとリオネッタが呟いた。

 僕は無言で頷く。

 空間の中央には巨大な氷柱がそびえ立っていた。その中心部には、白い装束を身に付けた少女の姿があった。


「これは一体……? ひょっとして封印されているのですか?」


 僕の隣りに並んだエミリアが言った。


「そのようですね。年端もいかない少女のようですが、ふーむ、彼女は魔族ですかね?」


 アーバインがずれた眼鏡の位置を整えながら呟く。

 氷の中の少女は目を瞑り穏やかに眠っている様子で、その髪は見覚えのある銀髪だった。


「……きっと、氷結封印の一種ね。強力なものだけど、でも氷柱を構成している魔力に揺らぎが出始めてる。術者の魔力が及ばなくなったってこと? って、ちょっと待って――」


 リオネッタが言葉を区切った瞬間、氷柱に次々と亀裂が走り始めた。 


「やばっ、崩壊する」


 続くリオネッタの言葉を聞くや否や、僕は駆け出した。

 重厚そうに見えた氷柱が、ガラスが割れるような脆い音を立て、粉々に崩れ落ちる。

 無意識に駆け出した僕は、氷柱から落ちてくる少女を両手で抱きとめた。


「「「アステル!」」」


 仲間たちの声が洞穴内に反響する。

 幸いにも、僕も少女も傷一つ負うことなく無事だった。地に片膝をつけてしゃがんだ姿勢のまま、両腕に抱いた少女の顔を見る。目を瞑ったままのその顔立ちは幼い。人の年の頃で言うと十代前半。肌は透き通るように白く、神聖な光を纏っているようにさえ思えた。


「大丈夫、その子…」


 駆け寄ってきたリオネッタが少女の顔を覗き込む。


「息はしているようですね」


 エミリアがほっとしたように言葉を漏らした。


「随分お若いようですが……」


 アーバインは訝しむ様子だ。


 ――と。


 少女が、ゆっくりと目を開いた。

 その瞳を見て、僕は驚愕する。

 海の底を連想させるような青い瞳と、

 燃え盛る炎ような魔族特有の深紅の瞳。

 

 掠れた声が、少女の口から零れる。


「父は、死んだのか……?」


 弱々しい、けれどどこか凛とした印象をもたらす声だった。

 少女の問いかけに対する答えを、僕はちょうど持ち合わせていた。

 彼女の父とは、恐らく――。


「……うん。ユグノー……魔王ユグノーは、僕が倒した」


 少女はじっと僕の目を見つめる。そして、ため息をつくように一言だけ漏らした。


「そうか」


 そして彼女は、再び目を閉じた。

 腕から伝わってくる彼女の体温は、氷のように冷たかった。


「いけませんね。だいぶ体が衰弱しているようです。どこか温かい場所に移って回復魔法を施さないと」


 エミリアの声に、僕は顔を上げる。


「急ごう。リオネッタ、転移魔法を」

「はいはい、わかってるって」


 僕は両手に少女を抱いたまま立ち上がる。

 リオネッタがすぐに転移魔法を詠唱し始めた。

 視界が魔力の輝きで明滅する。

 まばゆい光にパーティー全員が包まれたとき、僕は自分が殺した宿敵のことを頭に思い浮かべた。


 この少女は、君の娘なのか? ユグノー。


 やがて、転移魔法が発動した。

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