見えないモノ、見せないモノ
黒井咲夜
メガネと刑事と反社会的勢力
『――
体育館裏の用具庫にうずくまる百十に、誰かが優しく呼びかけている。
(ああ。夢だな。早く起きないと……)
これは、過去の記憶だ。現実の百十は40代で、とっくに高校も卒業している。
16歳の誕生日を迎えた日、いじめっ子に強要された「死刑ごっこ」で死にかけていた自分を助けてくれた男。
その男が、存在すら知らなかった父親だと聞かされたのは、東京にある彼の邸宅に招かれた際のことだった。
『君に、これを贈ろう』
桐の箱を開けると、スクエアフレームの無骨なメガネが鎮座していた。
『このメガネは、君が見えている怖いモノを見えなくする特別なメガネだ。これをつけていない時に見えるモノは、けして人に言ってはいけないよ』
男にメガネを着けてもらうと、ようやくラウンドフレームのメガネをかけた男の顔が見えた。
『怖いモノたちは、自分が見える人を見つけたら、絶対に逃がさないからね』
「――さん。芥川さん!」
思い切り肩を揺さぶられて、百十は目を覚ます。
「もう……寝るなら仮眠室で横になってくださいって、何度も言っているでしょう」
椅子の背もたれに頭を預けていたせいで、お団子に結った髪が崩れている。
髪を結び直して顔を上げると、そこには
「ああ……
デスクに置いていたメガネをかけると、先程まで巨大な羊がいた場所に
芥川百十は、生まれつき人が動物に見える特異体質である。
「特別なメガネ」をかけていないと、他人が人間サイズの動物に見えてしまうのだ。
彼の父が言うには「その人の持つ霊力――簡単に言えば魂が、動物の形に見える」らしいが、そのあたりの理屈は分からない。
百十にわかることは三つ。
一つ。この世界には不可視の怪異が、神秘の世界が存在すること。
一つ。神秘の世界が視える人と視えない人がいて、百十は
一つ。百十の父を含め、
不可視の凶器で人を殺す。
自身の存在を隠匿して盗みを行う。
あるいは、人心を操り詐欺を働く。
霊力を操る者――
霊者の犯罪を見抜けるのは霊者だけ。
故に、百十は警察官になることを選んだ。
「例の違法売春組織、
福岡県警暴力団対策部組織犯罪捜査課広域犯罪係「芥川班」班長、芥川百十警部補。それが、今の彼の肩書きだ。
リムレスメガネの青年は
交番での実地研修を終え今年4月に暴対に配属されたばかりの新人だが、その優秀さから芥川の右腕として仕事を任されている。
「よくやった、名東!
「はい!」
**
「ちっ、ハズレだな……」
百十率いる芥川班が踏み込んだのは、福岡市内にある親不孝通りを拠点にする違法売春組織だった。
予備校に通う女子高校生に対して違法売春行為、いわゆる「パパ活」を斡旋していた組織で、芥川班が長らく追っていた相手だ。
しかし、一つの事件が片付いたにも関わらず、百十の表情は浮かない。
「また探していたんですか?『薔薇のタトゥーの男』」
保護された少女達に対する事情聴取から戻って来た羊が、ドリップコーヒーをセットしたマグカップに湯を注ぐ。
長髪で無精髭を生やしているうえに目つきの悪い百十と違い、羊は清潔感のある八二分マッシュヘアと、アーモンド型の大きな目が印象的なイケメンだ。百十が少女達の対応をするよりも安心感を与えるだろう。
「ああ。今回検挙した奴らの中にも、手の甲に薔薇のタトゥーがある男はいなかった」
『薔薇のタトゥーの男』。福岡県内の半グレグループやヤクザに犯罪計画を提供しているという謎の人物。
顧客とはSNSを通じてやり取りをするうえに、会ったことがあるという人も見た目や年齢に関する証言はバラバラ。
ただ、「両手の甲に赤と青の薔薇のタトゥーを入れている」という特徴だけは誰に聞いても共通している。
「この前捕まえた振り込め詐欺の元締めは、なんて言ってましたっけ」
「『紫の長髪を編んで、黄色いサングラスをかけた若い男』……まあ、髪は十中八九カツラだろうな」
百十が給湯室の冷凍庫から福岡県のローカルアイス「ブラックモンブラン」を取り出す。
大きな事件が解決した時にこのアイスを食べるのが、百十の小さな楽しみの一つだ。
「俺が『薔薇のタトゥーの男』の情報を掴んでからかれこれ5年になるが、未だ奴について何も分からない」
「まあ、いいんじゃないですか?『薔薇のタトゥーの男』のプランニングが甘いおかげで、私たちは福岡に巣食う悪者を検挙できるわけですから」
熱いコーヒーを吹いて冷ますと、湯気で視界が曇る。
レンズを拭こうとメガネを外した一瞬、羊の前脚の蹄――左手の甲にあたる部分に、赤いものが見えた。
「ん?……名東、さっきのガサ入れで怪我でもしたか?左手に――」
メガネをかけ直してもう一度羊の左手の甲を見直す。そこには血はおろか傷すら付いていない。
「見ての通り、私は怪我一つありませんよ。見間違いではありませんか?」
「ああ……なら良いんだ」
(気のせいか……最近泊まり込みが続いて疲れてるのかもしれないな)
コーヒーを火傷しないよう慎重に啜る。アイスクリームで冷えた口内が温まるのを感じた。
**
「警察だ!全員今いる場所から動くな!」
「何か触ったら証拠隠滅とみなします。大人しくしなさい!」
その日、芥川班は北九州地区暴力団犯罪捜査課の応援で暴力団「
「くらすぞゴラァ!」「公務執行妨害!ワッパかけろワッパ!」「捕まってたまるか!」「金庫探せ!書類はシュレッダーまで漁って探せ!」
怒号が飛び交う中で、若い構成員が百十の方に向かってきた。手にはバタフライナイフが握られている。
「う、うわあああ!」
ナイフを叩き落とし、構成員の腕を捻り上げる。
手錠をかけようとしたその時、百十の視界が大きく揺れた。
背後にいた何者かが、椅子で百十の頭を思い切り殴ったのだ。
「芥川さん!」
殴られた衝撃でメガネが吹き飛ぶ。
百十が顔を上げると、泣きそうな顔の子犬がいた。
「なんだ……まだガキじゃねえか、お前……」
「っ、なめんなよ!まだ16だけど、おれだってりっぱなヤクザだ!その気になればコロシだって――」
子犬の頭を撫でて、抱きしめる。
手に触れる服やアクセサリーの感触で、目の前の子犬がバタフライナイフを持っていた若い構成員だと分かった。
見た目をいくら取り繕っても、魂の形は誤魔化せない。
メガネを外した百十の眼に映るのは、その人の本来の性質なのだ。
「……悪いな。お前が、ヤクザの道を選ぶ前に、力になれなくて……」
他人が動物に見える体質のせいでクラスメイトから、教師から、そして母からも疎まれていた百十は、16歳の誕生日に本気で死ぬつもりだった。
百十が警察官の道を選べたのは父に、頼れる大人に奇跡的に出会えたからだ。
「今からでも遅くない。罪を償って、やり直せ……大丈夫だ。人生、死ななきゃなんとかなる」
駆けつけた刑事が、少年をパトカーに乗せる。ここから先は少年課の仕事だ。
「はい、どうぞ」
顔を上げた瞬間、穏やかに笑う好青年が百十の視界を塞ぐ。
「踏まれないよう、預かっていました」
「……ありがとう。お前がいてくれて、本当によかったよ」
百十が柔らかく微笑む。普段の剣幕からは想像もつかない表情だ。
「奥の部屋にも、末端の構成員と闇バイトの運び屋しかいませんでした。それと、検査してみないと分かりませんが……」
「
「はい。奥の金庫の中身も、商品らしきMDMAと覚醒剤でした」
羊の報告に、百十が眉を顰める。
「嫌なもんだな。ガキがヤク漬けにされて、大人に使い捨てられるのは」
沈みゆく陽の光が百十の横顔を照らす。その表情は、西陽を反射するメガネで窺い知れなかった。
**
「はあっ、はあっ、はあっ……」
北九州市、
「おう、どこ行くんじゃワレ」
男の前に、ひとりの青年が立ち塞がる。
「
goatと呼ばれた青年は、紫の長髪をフィッシュボーンに編み、黄色いスポーツサングラスをかけている。
「なっさけないのお。木っ端ヤクザに頭下げて流してもろうた
「うるせえ!テメェが売った計画が杜撰だったから、サツにパクられたんだろうが!それに、あのクスリは合法な成分なんだろ!?なら何も問題は――」
喚き散らすスーツの男の顔面に、goatが蹴りを入れる。
「ワシの計画じゃのおて、おどれのオツムがカスじゃけえじゃろうが!シャブはサツに嗅ぎつけられるからやめぇ言うたの聞いとらんかったンか!」
うずくまる男の髪を掴み、goatは睨みを効かせた。
「それと……昼間、おどれンとこの若いのが
「そ、それがどうし――」
言い終わるより先に、鮮血がアスファルトを汚す。
「ひっ……ぎゃあああっ!みみ、オレの耳がああっ!」
「ビビってサツに手ェ出すようなアホ抱えてるヤクザは救いようがないけえ、せめて死んで世のためになれや」
goatが引きちぎった耳を海に放り投げ、手の甲を男を眼前にかざした。レザーグローブの手の甲からは、赤と青の薔薇のタトゥーが覗いている。
「……『汝の心は我が傀儡、汝の記憶は我が掌中』」
goatの瞳孔が山羊のように開く。サングラスの奥で、瞳が金色に輝いているようにも見える。
「『お前の頭の中に発信機が埋め込まれている』『発信機が壊れるまで、そこのコンクリートブロックで自分の頭を殴り続けろ』」
goatの囁きと共に、男がコンクリートブロックを握る。
「壊さねぇと。壊さねぇと壊す壊れろ壊れろ壊れろこわれろこわれろこわれろ――」
男が一心不乱にコンクリートブロックを自らの頭に打ちつける。鈍い音が響くたびに、コンテナに赤い飛沫が散る。
音が鳴り止むと同時に、男の体がぐらりと傾いた。
「……
「お呼びですかい、若」「なーに?若」
暗がりに呼びかけると、どこからともなく黒マスクをつけた人影が現れる。
「外で『若』はやめえ言うたじゃろ」
「はいはい、分かってますよ、
goat――もとい、羊がカツラを外す。サングラスをリムレスメガネに掛け替えると、「薔薇のタトゥーの男」から「暴対の名東刑事」へと早変わりした。
「その死体、いつも通りかたしとけ」
「はーい!ガルガルちゃんたち、ごはんだよー」
犬二が暗闇に呼びかけると、犬の形をした影が闇から分離した。
影の犬が男の肉を喰い、骨を噛み砕く。後には髪の毛一本残らない。死体は全て霊力に分解され、影の犬の一部となったのだ。
「犬二の式神は便利じゃのお。ワシもこがな地味な術じゃのおてバーっと派手なんが良かったわ」
「何言ってんの若!『人の記憶に残らない』と『人の認識を操る』が同時にできる霊者なんて、
羊の父は、広島を拠点とする暴力団『刃組』の組長だ。
羊の父と母は事実婚状態だったため戸籍上は他人だが、羊は実質的な組の後継者――若頭である。
『羊、お前は大学に行って警察に入れ。警察に入って、暴対の捜査情報を
目的は何であれ、父は学費をはじめとする負担を引き受けてくれた。
母子家庭で羊が名門・九州帝国大学法学部を卒業できたのは、父の支援のおかげでもある。
「若の生まれ持った才能と、手の甲に掘った『認識を書き換える術』の
羊は生まれつき霊力が高く、母の神経を逆撫でするのを避けるため、無意識のうちに『人の記憶に残らない』術を相手にかけるようになっていた。
どれだけ仲良くなっても、羊のことを覚えてはいない。
どれだけ成績優秀でも、「なんかめちゃくちゃ頭がいい奴がいた気がする」で終わる。
大きなトラブルもなく、かといって激しい刺激もない生活。
「無駄話はええ。死体かたし終わったらはよ去ねや」
「冷たいなぁ若……昔は『仕事手伝うよ』って後ろ着いてきてくれとったのに……」
手慰みにヤクザの仕事を手伝ってみても、誰も羊まで辿り着かない。
中学に上がる頃から、霊力を込めたMDMAの販売やデリヘルビジネスのマネジメントをしていたが、その時でさえも大きなトラブルも激しい刺激もなかった。
そんな生活が変わったのは、大学1年生の夏。
羊がマネジメントしていたデリヘル派遣サービスの福岡支社にガサ入れが入った。
その時現場を指揮していた刑事が、百十だった。
無論羊、ひいては刃組に繋がる証拠は残していなかった。
それでも百十は羊に、『薔薇のタトゥーの男』に肉薄した。
「すまんのお、一狼。ワシゃあ、組よりも、オヤジよりも大事なモン見つけてしもうたンじゃ」
生まれて初めて、自分を見てくれる人に、自分を忘れない人に出会った。
それは、ありとあらゆる手段で反社会的勢力と自身の繋がりを消し、優秀な頭脳と認識操作で福岡県警からの採用をもぎ取るには十分すぎる動機だった。
警察学校でタトゥーが見つかればクビになる可能性もあったが、幸いにも不可視の力で彫られた霊紋が
かくして、羊は「犯罪プランナー『薔薇のタトゥーの男』」と「福岡県警暴力団対策部組織犯罪捜査課広域犯罪係巡査部長 名東羊」の二足の草鞋を履くことになったのだ。
「にしても若。なんで見つかるかもしれないリスクを冒してまで、犯罪プランナーの副業続けてんの?わざわざ身元がバレないよう、福岡で警官になったのにさ」
「愛する人の、愛する街を守りたい……そのためにワシができるンは、人から知恵を買って金を稼ごうっちゅうアホを、警察が見つけられる場所まで引き摺り出すことだけじゃけえのお」
犬二の質問にそっけなく答えて、羊は百十の待つ福岡県警本部へと戻っていった。
「それにしても……どんな美人なんだろーね?若が惚れてる『モモトさん』って」
「若があれだけ全身全霊をかけて献身しとるんじゃ、さぞかし美人なんやろな」
見えないモノ、見せないモノ 黒井咲夜 @kuroisakuya
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