第40話 助けを求める




 ここはどこだろう……。


 シャルは途方にくれて息を吐いた。

 妖精の国を離れて、数カ月、ローワンはほとんど休むことなく北へと走り続けていた。先ほどまで白い雪がちらついていたが、今は止んでいる。

 シャルの体はボロボロだった。しかし、ローワンはもっとひどい。

 彼の背に乗ることを許されたシャルは、ひたすら走るローワンに、しがみついていた。ローワンの体は血にまみれ、傷も癒えることもなく、生きているのが不思議なくらいだ。


「王様……」


 ここはどこかの森の中で、周りは全て銀世界だ。北の領地を知らないシャルは、ようやく北へ到着した事に気づいていなかった。


 休憩するために足を止めたローワンと、ひとときの安らぎを得ていたシャルは、うとうとしていたのか眠ってしまっていた。ハッとして顔を上げると、誰もいない。シャルはぞっとして飛び上がった。


「ローワン王っ」


 叫んだが、自分の声は森の中に溶け込むだけだった。シャルは自分の身を守るように強く抱きしめた。雪の中で眠ってしまったせいか感覚がない。

 シャルの唇は紫色に変色し、目はうつろだった。しかし、彼女はしっかりと目を見開いた。


 落ちつくのよ、大丈夫だから。

 深呼吸したが、胸騒ぎは収まらない。こんな場所で一人ぼっちにされてしまったら、自分は生きてはいけまい。

 涙が出そうになりながらもあたりを窺った。雪に覆われた草叢から音がして、シャルは飛び上がった。


「誰っ?」


 のそりと現れたのは、血まみれのローワンだった。白い雪の上に点々と血だまりが落ちていく。まだ、アザミの傷が癒えていない。何度も癒しの魔法を試したが、全てダメだった。

 シャルは泣きつかんばかりに飛びついた。


「どこへ行かれていたのですか?」


 ローワンは何も答えなかった。

 彼はあれ以来、心を閉ざしたままだ。なぜ、狼の姿になっているのか、考えた事はあるのだろうか。

 シャルの前でローワンはしゃがみ込むと背中を差し出した。乗れ、という意味だろうか。


「王様、ケガが治っていません。もう暗くなります。どこか安全な場所を探しませんか?」


 ローワンが唸る。シャルはびくっとして、すぐに背にまたがった。ローワンが猛スピードで走りだす。振り落とされまいと無我夢中でしがみついた時、茂みの中から黒い生き物が飛び出してきた。


「あっ」


 この世界が闇に支配されるようになって増えた黒い犬が二頭、ローワンの真後ろに迫っていた。

 黒い犬は白い雪をえぐってものすごい速さで迫ってきた。地面の雪化粧がたちまち、土が抉れてめちゃめちゃになっていく。


 黒い犬は、ローワンの血の後を追ってるようだった。彼の血の臭いを嗅ぎつけてきたのかもしれない。

 黒い犬の目は真っ赤でシャルは恐ろしさに体が震えた。

 黒い犬が真横にまで迫ってきた。ローワンがさらにスピードを上げたのが分かった。その時、黒い犬が気味の悪い叫び声を上げて一気に加速すると飛びかかってきた。

 ローワンの首にしがみついていたシャルは投げ飛ばされた。雪の中に手をついて顔を上げると、ローワンと黒い犬が激しく絡み合っている。

 シャルは羽を広げると力を振り絞って空へと飛んだ。

 非力な自分ではローワンを助ける事ができない。

 助けを呼ばないと。


 飛び立とうとした時、もう一頭の黒い犬が思い切りジャンプして、シャルの足に噛みついた。噂では黒い犬に触れた者はその場で死んでしまうと聞いた。恐怖でシャルは悲鳴を上げた。


「きゃあっ」


 落下して体を打ちつけ、さらに頭を打つ。軽い脳震盪を起こしたが、すかさず黒い犬はシャルのお腹に向かって鼻づらを押し付けて体を宙に浮かせた。遊ばれるように何度も飛ばされる。


 シャルはふらふらする頭を押さえた。再び宙に投げ飛ばされる。次の衝撃に耐えようと体を丸めた時、ローワンが黒い犬の首に噛みついた。気づけばもう一頭は、白い雪の上で息絶えていた。


「王様……」


 ローワンの鋭い牙が黒い犬の首に食い込み、体ごと左右に振って黒い犬が雪の上に放り投げられる。しかし、すぐに起き上がって攻撃の態勢を取った。ローワンも歯をむき出してうなったが、両脚から血が流れ、他にも傷ができていた。


「誰か……、誰か助けてくださいっ」


 シャルが叫んだが、誰も来てくれない。森の中は生き物など存在しないかのように静かだ。鳥すらも飛んでいない。


 ローワンと黒い犬が同時に飛びかかった。先に、ローワンが黒い犬の上に覆いかぶさり身動きを取れないようにすると、首筋に噛みついた。最初は抵抗していた黒い犬だったが、しだいに動かなくなった。

 黒い犬が動かなくなったのを確認すると、どさっと音がして、雪の上にローワンが倒れた。


「王様っ、王様っ」


 シャルはローワンに飛びついた。血が止まらない。一番ひどい傷はどこだろう。

 シャルは彼の体をまさぐると、お腹に大きな穴が開いており、そこから血がどくどくと溢れていた。


「わたしはアザミの妖精よ。落ちついて」


 シャルは手をローワンのお腹に手を当てた。アザミが手から溢れて出てくる。それを同時にすりつぶし、液体を患部に当てて必死で血止めをした。

 血が止まるとローワンの呼吸が少しだけ楽になる。シャルは羽で彼を守る様にして抱きしめた。

 体の震えが止まらなかった。こうしている間にも、また次の敵が現れるかもしれない。

 シャルは閉じそうになる目をこじ開けた。ローワンの体は大きく自分一人では動かすことはできなかった。ローワンの体は少しずつ冷えてきている気がする。シャルは青くなって彼の心臓に手を当てた。

 まだ動いている。

 離れるのは嫌だった。離れて何が起きるか分からない。

 シャルは、背中にローワンを乗せようとしたが無理だった。


「アニスっ」


 シャルは、こんなにひどい仕打ちをした張本人の名を呼んだ。


「助けてっ。アニス、助けてっ」


 届くことはないと分かっていても、シャルは叫んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グリモワール2『ラーラの書』はラリーサの日記です。 春野 セイ @harunosei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ