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 それをどこでみつけた?


 【マスター】がボクに訊ねた。


 ボクは河のそばの街のことと、そこに住むリリィという花売りのロボットのことを話した。


 【マスター】は報告を黙って聞き、ときおり簡単な質問をするだけだった。そしてこう言った。


 組み込んでこい。それで完成だ。よくやった。ジョイ。


 不思議だった。


 はじめて【マスター】が褒めてくれた。しかも名前を呼んで。ずっと願っていたことが叶った。


 それなのに感動はおこらなかった。ボクの思考をつかさどる回路は沈黙して、この惑星の乾いた砂のようにその出来事を吸い取っていった。


 ボクは【マスター】に、リリィの修理を頼んだ。


 何を言っている。お前はそれをみつけることが使命だったのだ。それにその機体はもうバッテリーが老朽化して、太陽光を充分に取り込めなくなっている。とっくの昔に寿命がきているのだ。


 どうやら最近、なにか大きな出力が行われたようだ。お前を修理するのとはわけが違う。その技術はもう失われてしまったものなのだ。そして、代替品はない。


 【マスター】はそのあとしばらく沈黙し、こう続けた。


 ……すまなかったな。ジョイ。私は、今までお前に厳しくしすぎたかもしれない。私の復讐を叶えるため、目的を達するため、お前に必要以上に非情にふるまってきたのだ。


 いや、これは私の言い訳にすぎんか。この計画には長い時間とそれに耐えうるだけの冷酷な精神が必要だった。そのために私はお前を利用していただけなのかもしれない。


 だがそれも、もう終わる。最後の命令だ。そのロボットを組み込んでくれ。


 それからの意識は、はっきりしなかった。ただ感覚だけがあった。自分の体が自分のものではないような感覚。


 でもそれはきっと、いまに始まったことじゃない。


 ボクの解体作業用アームや、精密動作専用組み換えツールや、衝撃緩和機能のついた二脚や、相変わらず闇を映すだけのこの右目の所有者は、あくまで【マスター】なのだから。いままでも、これからも。


 だから、ただその光景を見ていることしかできなかった。


 ボクの手によって、リリィが解体されていく、その光景を。




 その日の夜、ボクは塔の内部を満たす冷気とともに眠りについた。


 生身の人間なら、凍死の危険があるほどの冷気だった。


 なにもかもが凍りついて、世界が一時停止ボタンを押されたような夜だった。風もない。風がないから塔がたてる、いつもの騒音も聞こえなかった。壁の中の声も沈黙をまもっていた。


 なぜだか、うまく眠れなかった。


 もちろん、機器の劣化や、付属コードの断線なんかは一通りのセルフチェックをした。しかしどこにも異常はない。


 結局、ある程度のところで、原因の究明を諦めるしかなかった。


 ただじっと、一時停止の世界で、ひとかたまりの金属の集合体でいることに徹するようにした。


 それでも給電は問題なく行われていたし、なによりボクなんかの不具合で【マスター】の眠りを妨げることなんかできない、とも思った。


 そうして暗視モードも、思考アルゴリズムも働かない虚空の中にいると、不思議な感覚がやってきた。


 まるで故障した右目が映す闇がウイルスかなにかで、その病魔がボディ全体を蝕んでいくかのような感覚。


 そして病魔が引き連れてくる、とある疑問。


 ボクが存在する。それがどういうことなのか、急にわけのわからないもののように感じられた。


 ボクの存在は、もちろん【マスター】によってつくられた。塔に眠るリリィや、その他大量の機械と同じ。では、【マスター】をつくったものは? 


 【マスター】はボクに命令をくだした。では、【マスター】に命令をくだしたものは? 【マスター】はボクをほめた。


 ――よくやった。ジョイ。


 その言葉は、金属の板で覆われ、冷えて結露しはじめたボクの頭の中を何度も反響した。


 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。


 すぐそばの闇の中に、今は温かな船内にいるはずの【マスター】の息づかいを感じた気がした。


 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。

 ――よくやった。ジョイ。


 気づけば朝になっていた。


 白みはじめた東の空を、眠れないまま見上げた。


 まるで、まだ昨日という日が続いているみたいだった。


 闇は視界の右端だけに押し込められた。


 作業を再開した。




 ジョイ。私の部屋に赤ワインを持ってきてくれないか。


 【マスター】からそんな通信が回路に届いて、塔の外に出たとき、頭上の空は暗いネイビーブルーに染まり始めていた。


 船のハッチが開き、ボディの洗浄と滅菌が行われた。


 実に94日と8時間52分23秒ぶりの帰還だった。


 船内は荒れていた。ところどころに傷がつき、部品が転がり、空の食料品の袋などが捨てられていた。


 忙しい【マスター】のことだ。きっと片付けにまで、手がまわらなかったのだろう。回収するべきか迷ったけれど、今は別の役割が言い渡されていた。


 はいってくれ。


 散らかった貨物室から、ワインの瓶を一本捜し出し、部屋の前に立ったとき、【マスター】の声がした。


 久しぶりに見た彼の顔は、以前よりも老けているようにみえた。眼窩は落ちくぼみ、頬がこけて、顔の骨の形がよくわかった。


 これが、最後の一本だったのだ。


 【マスター】はワインを受け取ると、それを長いあいだ眺めた。まるでラベルに印刷された年代や産地に間違いがないかどうか点検するみたいに、長い長いあいだ、そうしていた。


 開けてくれ。


 指示通りにワインを開け、グラスを運び、真空保存されていたナッツを盛りつけた。


 そして、この船がもっとずっと遠い宙に浮かんでいたころからそうしていたように、邪魔をしないように【マスター】の部屋を出ようとした。


 ボクがいることで彼が食事に集中できなくなることがあってはならないからだ。そのとき、声がかかった。


 ここに、いてくれないか。


 彼の声はしわがれていた。もう何日も、何も口にしていないかのような声だった。


 ジョイ、本当はおまえにも、なにかご馳走してやりたいんだが、そういうわけにもいくまい。かわりに――。


 【マスター】はグラスの赤ワインを飲み干して、立ち上がった。机から離れ、戸棚の前に立つ。そこには以前のように、一枚の写真たてが置かれていた。


 これを。


 【マスター】の指先は、一輪の花を摘んでいた。その鮮やかなオレンジ色。


 ジョイ、いつだったかお前は、この花の話をしていたな。お前がここにやってきたときに見た造花だ。


 名前を知りたがっていたな。……これは『キンセンカ』という。『別れの悲しみ』という意味が込められている。私が、誓いと憎しみを忘れてしまわぬように。私が、決して迷わぬように。


 そして、これはかつて、この地に降り注いだ太陽の似姿でもある。苦痛も、悲劇も、憎悪も。すべてをあまねく照らすものだ。


 その造花を受け取る。


 中心から、たくさんの細かい花弁が放射状に伸びている。


『別れの悲しみ』。


その言葉が、思考回路の中をぐるぐるとまわり続けた。


 【マスター】がワインの瓶を空にして、眠ってしまって、しばらく経ったあとも、その花から目が離せなかった。


 やがて夜が訪れ、船を出たあと、キンセンカの造花を塔の一番高いところに飾りつけた。




 次の日、塔が完成した。


 大小さまざまな機械部品が、お互いの歪さを歪さで補い、隙間を埋めていた。ボクの手によって集められた無数のそれらは、天へと続く螺旋階段だった。


 リリィの部品がすべて塔に組み込まれたとき、その先端が指し示す空は、この惑星には珍しく、雲がなかった。


 惑星間超長距離電磁砲、起動。


 天から降るような、厳かな声。


 その【マスター】の声は電気信号となって、ボクの元へと届けられた。それと同時に、周囲一体に地鳴りのような衝撃が広がった。


 地鳴りは絶え間なく続き、次第に大きくなっていった。


 ガチャガチャ、ブウン。


 塔が熱を帯び始めた。


 ボクのセンサが感知した温度の上昇は、まるでひとつの恒星が近づいてくるみたいに急激なものだった。


 塔の傍らで、ぼんやりとその様子を見ていた。


 ボクのボディはこれほどの熱に対して、およそ耐えられるものではないのだけれど、もう退避する必要も感じない。


 これで、終わるんだ。アリス。ニーナ。パパは成し遂げたよ。


 ノイズに包まれた【マスター】の音声は、むせび泣いているようだった。


 船の中はとっくに灼熱と化しているというのに、声からは苦しみが感じられなかった。あるのはむしろ温かさのようなものだけ。


 塔は燃えていた。全体が黄金色のぼんやりとした光に包まれたかと思うと、すぐにそれは赤く変化した。


 内部から立ち昇る炎を見た。


 それは丘の上を揺れ落ち、地面を覆う花々に抱きとめられた。丘全体が炎に包まれるのに、そう時間はかからなかった。


 青い花が燃え、白い花が燃え、赤い花はより赤く燃えた。


 リリィにもらったカスミソウも、【マスター】にもらったキンセンカの造花も、一瞬で灰になった。


 地響きが少しずつ大きくなって、炎はすべてを飲み込んだ。花も、丘も、船も、船に乗っているはずの【マスター】も。そしてボクの体も。


 ただ天に向かってそびえる塔の影だけが、揺るぎないものとしてそこにあった。


 そのとき、塔の根本から何かが飛び出すのが見えた。それは炎に包まれながら、苦しげにのたうっているようだった。


 ボクは生体反応センサを起動した。溶けかけ、変形してしまったセンサは、それでも炎の中に一つの生命体がいることを示していた。




 生き物の動きには見覚えがあった。


 深く暗い底。朽ちた機械たち。切り裂かれたボクの左腕。そして温かな光。


 それはあの谷で遭遇したものと同種の虫だった。鉛色の虫。それはするどい両腕のハサミを振り上げ、自身を焼く炎に抗おうとしていた。


 どこからやってきたのだろう。もしかしたら、ボクの運搬する機械の中に紛れて、塔の中で成長してしまったのかもしれない。それができるほど、この塔は大きく、複雑になってしまったのだ。そんなことを考えた。


 鉛色の虫のハサミが塔の側面をかすめる。すると高温で溶け始めているその部分が、いともたやすく歪んでしまった。


 なん――。おい――何が起き――る。


 【マスター】の声は、ノイズがひどくて断片的だった。


 ただそんな信号でもそれとわかるほど、彼は動揺していた。【マスター】のそんな声を聞くのは初めてだった。


 ジョイ。――なんだ、今――衝撃は?


 【マスター】に今起こったことを簡潔に説明した。


 炎、熱、虫。


 塔は、全体のバランスをとるための土台の一部が削られてしまい、今にも傾きそうだった。側面に一筋の大きな傷を残し、鉛色の虫は動かなくなった。


 ――くそ。ここにきて、そんな――私の――返してくれ――。


 彼の声は少しずつ小さくなり、やがてノイズの波に押し流されるように遠ざかっていった。


 安心してください、【マスター】。


 その波が完全に消え去る前にそう告げた。


 信号の波はボクの言葉の端で凪いでしまって、無線のむこうには、無限の宇宙空間のような無音が広がっていた。


 もしかしたら、ボクの送った信号は届かなかったかもしれない。しかし、もうどちらでもいいと思った。


 前を向いて体を起こす。


 両足のパーツは焦げて黒ずんではいたが、まだ動かすことができそうだった。その足を慎重に持ち上げ、前に踏み出す。


 目標は、今や炎の渦をまとった柱。残骸たちの塔の根本。


 持ち上げ、下ろす。

 持ち上げ、下ろす。

 また持ち上げて、また下ろす。


 その運動を繰り返すたびに、ボクの体は熱を帯びた。


 塔にたどり着いたとき、その熱は凄まじい温度でボクを焼き、溶かしていた。


 塔側面についた傷に手を添えると、溶接され、一つの大きな塊になった。




 まず、腕が溶け落ちた。


 【マスター】に取りつけてもらった左腕。それから右腕部がドロドロと溶岩の色を帯びて、そこに内蔵されているセンサやコードやパーツが、ひとつの塊になり、足元に落ちた。


 何かが這っていく気配がして、周りをみると、同じように溶け落ちた金属の塊たちが、塔の上部から下へ下へと垂れていくところだった。


 腕が支えきれなくなった頭上の鉄板を、今度は肩で支えた。


 ボディ全体に重みがのしかかり、背骨がわりの疑似骨格が苦しげにうめいた。しばらくすると、膝や腰、首といった関節部分が極度の高温で歪み始める。


 運動出力を最大にする。


 塔の内部は巨大な溶鉱炉のようになり、ひとかたまりの鉄がその中で加熱されていた。どこにも注がれることのないそのずく鉄。


 柔らかな筒になった塔の中に、一筋の光源が生まれた。


 まぶしくて、温かい。


 その光源は、リリィのことを思い出させた。


 初めて会ったとき彼女は、天空の星がそのまま落ちてきたみたいに輝いて、闇からボクを引っ張り上げてくれた。


 リリィ。彼女の光。


 それは塔の中を、何度も何度も反射した。


 彼女の飛行を思い出した。飛び跳ねるような、全身で喜びを表現するような。


 光は反射するたびにまばゆく、温かくなっていった。温かくなって、それは以前感じたときよりも、ずっとずっとそばにある気がした。


 もうどのセンサも働いていないボクの体が、ただその温かさに包まれていることはわかった。ボクと光は溶け合って、混ざり合っていた。


 そのとき、光はボクであり、ボクが光だった。


 突然、収縮が始まった。同時にボクの意識も縮みはじめる。


 ああ、行ってしまうんだ。


 そう思ったのと同時に、光は失われてしまった。去っていったのだ。どこか遠く、星をいくつも超えた先へ。




 そしていま、ここに残っているのは冷たさだけだった。


 炎が噴き上げる音も、はるか地の底のような地響きも、丘が焼ける匂いも。なにもかもが遠ざかり、小さくなってその上に、風に運ばれてきた静かな夜の砂が積もるだけだった。


 ガチャガチャ、ブウン。


 その音もすこしずつ、消える。


 でもなんだか不思議と、いやじゃなかった。寒くはないし、心地よかった。


 だってここには、すべてがあった。みんながいた。


 もう沈黙するばかりの詠うロボットも、錆びたナットも、何年も硬いものを踏みつけてきた戦車の履帯も、折れたネジも、ローラーも、コイルスプリングも、配電盤も、歯車も、チェーンも、ボクも、リリィも。


 そのすべてと繋がっているのだ。


 あるいはボクは役目を終えて、自分が繋がりたかったもの、そのものになったのかもしれない。


 今はただ、その冷たさの中で眠ろうと思う。




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冷たい塔 乙川アヤト @otukawa02

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