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 リリィと別れ、なんとか宇宙船に戻ってきたときには、もうすっかり夜が更けてしまっていた。


 早朝まで、あと何時間もない。この時間では【マスター】はもう就寝してしまっただろう、と思っていた。


 でも彼は起きていた。起きて、毛布にくるまり、枯れ木で火を焚いていた。何か集中力の必要な作業をしていたのか、彼の目は充血していた。


 こんな時間まで、なにをしていた。


 ボクは谷に行ったことや、そこで巨大な鉛色の虫たちと遭遇したことを報告した。その虫たちに襲われて左腕を失ったことや、そのために回収作業が失敗したことを謝った。報告のあいだ、【マスター】は充血させた目でまっすぐにこちらを見据えていた。


 リリィのことは話さなかった。なぜかは上手く言葉にできない。でもそのときは、彼女のことは話さない方がいい気がした。これ以上、必要のないことを話して、【マスター】に迷惑をかけたくなかったのかもしれない。


 壊れずにすんで、よかったな。


 【マスター】はボクにそう告げると、宇宙船に入っていってしまった。ボクは残骸の塔の中に横たわった。


 ガチャガチャ、ブウン。


 なんだかその音を聞くのは、ずいぶん久しぶりな気がした。


 四方の壁に埋め込まれた機械たちが、なんだかよそよそしく思えた。


 左の壁を支える大型兵器の三脚や、梁からぶら下がる掘削用機体の腕部のドリルや、無数の人型機体の頭部や、ブラックアウトした操作モニターがボクを見下ろしていた。


 いつのまにか、片隅に置いてあったはずの鉛色の球体は、失くなっていた。おびただしい機械の破片のどこかに、埋もれているのかもしれない。


 やけに生ぬるい夜だった。


イチジクの葉脈のごとき……更地の遠雷……典型的なシマウマとともに……惨めさを享受……全能の稲穂が持ち去られること……ママ……膝の裏の水滴……地域に根付いた改革をすすめ……努めて静粛に……紅蓮の矢印が指していた……雨だれを飲み干せば……滞ることのない立方体……コップの中の嵐……ポプラは裂けたので……沈殿が粛々と続き……目をひらけ、目をひらけ、目をひらけ。


 翌朝、【マスター】はボクに新しい腕を取り付けてくれた。


 彼は集めた残骸の中から、細かな部品を流用した。修復した左腕は肩の関節部分にぴったり接合された。


 形や機能に不足はない。


 でもしばらくの間、ボクはなんだかその腕がどうもしっくりこない感じがした。


 相変わらず右目は見えないままだった。しかし作業に支障をきたすほどのことではないので、結局そのままにした。


 【マスター】はとても疲れているように見えた。


 普段の彼が何をしているのか、ボクには知りようがなかった。朝方に起動して、部品をひきずって丘を登る。それだけだった。


 でもその頃は気がつくと、リリィのことばかり考えていた。彼女はいま、なにをしているのだろう。彼女はいま、どんなことを考えているのだろう。


 彼女に会いたい。そう思った。




 リリィの家は河の近くにあった。正確に言うと、それはリリィの家ではなく、リリィのマスターの家だった。さらに正確に言うと、リリィのマスターが出していた花を取引する店だった。


 荒地を北に進むと河が見えた。


 河に近づくにつれて、建物が増えていき、やがて街と呼んで遜色ないほどの規模になった。しかし建物は、軒並み崩れているか、焼け焦げて真っ黒になっているかのどちらかだった。


 その中で、リリィの店の外観は比較的、もとの姿を保った状態だった。


 ジョイ、きてくれたのね! いらっしゃい。


 彼女は外にボクの姿をみつけると、すぐに店の中へ招き入れてくれた。店内はきれいに整頓されていた。ほこりや砂塵はひとつもなく、すべてが輝くくらいに磨きあげられていた。


 そして、花。


 白、黃、赤、紫、青。色とりどりの花たちが飾られていた。


 この辺りは、人間たちの残した自然がまだ残ってるの。私、毎日近所をまわって、店に置けそうな花を集めているのよ。


 地面や壁からも植物の蔓や根が伸びているけど、それらさえも意図的にデザインされたインテリアのように調和していた。


 左手、直ってよかったね。


 リリィの流線型の手が、ボクの左肩をコツンと触る。


 ボクの【マスター】のことを話した。


 お気に入りの宇宙食や、目が覚めた後のルーティーン、好んでよく使う部品の型番なんかのことを。話しているとき、彼女は頷いたり自分の【マスター】との違いを聞かせてくれたりした。


 わたしのマスター、サキは暴力はふるわなかったわ。サキのストレス解消は、店に並んでる花の葉を間引いたり、水を取り替えたりすることだったのよ。人間によってもいろいろとやり方が違うのね。でも暴力って、ちょっとひどいと思うわ。


 ひどい? 考えたこともなかった。この体は【マスター】が組み立てたもので、ボクのものじゃない。だから、【マスター】がどう扱おうが、彼の自由なのだと疑わなかった。


 そう返すと、彼女は首をかしげていた。


 毎日の残骸回収作業の合間をぬって、リリィの元を訪れては色々な話をした。彼女が語る言葉の多くは、ボクに馴染みのない遠い世界のものだった。


 遠くて、もう失われてしまった世界。彼女の言葉に耳を傾けながら、ボクはその世界の人々のことを想像した。


 そして、そこで一緒に暮らすロボットたちのことを想像した。


 そういえばボクが【マスター】の名前を知らないことも、彼女にとっては不思議なことのようだった。


 ボクにジョイという名前があって、自分にリリィという名前があるように、【マスター】にも名前がきっとあるはずだと教えてくれた。


 花にも名前があるのよ。それぞれ名前があって、個性があって、想いがあるの。


 リリィは店の奥から、分厚い本を引っ張り出してきて、見せてくれた。


 そこには様々な色や形をした花の絵が載っていた。ボクはその中に、見覚えのあるオレンジ色をみつけた。呼び起こされる記録。写真立てと、それを戻す【マスター】の表情。


 『マリーゴールド』っていうのよ、その花。花言葉は『変わらぬ愛』。素敵でしょ。




 くだらないことを考えるな。名前などどうでもいい。お前はただ手を動かしていればいいんだ。


 【マスター】は吐き捨てるように言った。すごく残念な気持ちになった。


 マリーゴールドのことを話せば、彼のことをもっと深く知るための話を聞けるのではないか、と思ったからだ。


 マリーゴールドや、そのそばに飾られた写真たての女性や、【マスター】自身の名前についての話を。


 しかしボクという存在は、【マスター】にとってあくまで運搬用ロボット、というほどのものでしかなく、その役割を全うすることこそが、彼と繋がるための方法なのだ、とあらためて気づいた。


 結局、ボクが何かを運ぶ以上に彼の役に立てることなんてなかった。


 河の近くや、街の中で作業をする時、小さな花が目につくことが増えた。


 何度も通った道路や、目印にしている巨大な戦車のそば。そういったところにひっそりと咲いた花に、ボクは今まで気づかなかった。


 まるで、リリィと出会うまで、それらはこの世界に存在しなかったかのようだった。しかしメモリの視覚データの中には、たしかに風に揺られる花びらが残っていた。


 ボクが意識を向けなかった、というだけのことだった。


 ボクは花をみつけるたびに、リリィの元へそれを摘んでいった。


 これはコチョウランよ。こっちはオンシジウム。それにクリスマスローズね! ありがとう、ジョイ。こんなにお花をみつけてきてくれるなんて、嬉しいわ!


 リリィがそうして明るい声をあげるたび、ボクは満ち足りた気分になった。


 彼女のその声を聞くためなら、何百時間だって作業を続けていられる気がした。




 ある日、いつものようにリリィのもとに花を届け、帰ろうと店を出た。


 ねえ、ちょっとまって、ジョイ。


 振り返ると、リリィがふわりとこちらに近づいてくるのが見えた。


 あなた、これから帰るのよね。私、一緒に行ってもいいかしら?


 【マスター】にみつかるかもしれない、と告げると彼女はすこし間を開けてから、首を振った。


 大丈夫よ。きっと。そんなに近づかなければいいわ。わたし、あなたの塔を見てみたいの。あなたの仕事、あなたの作っているものを。ねえ、いいでしょう?


 結局、ボクは彼女の申し出を断ることはできなかった。帰り道、ボクは残骸回収作業を、リリィは花を探しながら、一緒に歩いた。


 とても長い距離だったようにも思うし、いつもの半分ほどだったようにも思える。刻んでいる時間は同じはずなのに、不思議だった。


 道すがら、リリィは仕事について、いくつかの質問をした。


 一日にどれくらい稼働しているの? エネルギーは? 目標はあるのかしら? やりがいはなに?


 ただし、ボクはどれも満足に答えられなかった。


 彼女にあってボクにはない思考回路。そのときなぜかすこしだけ、リリィの存在が異質なものに感じられた。


 丘がボクたちの視界に映ったとき、その上にそびえる塔は、夜の訪れを告げる冷気がたてる靄と砂嵐でかすんでいた。


 すごいわ!


 彼女はもっとよく見ようと飛び上がった。ボクはもしも【マスター】が観測機のスイッチを入れていたら、と思うと気が気でなかった。


 あんなに大きいものを、たったひとりで作るなんて! あれがあなたの仕事なのね!


 リリィはしばらくそうして空中を漂ったあと、ボクの前の砂に沈むように降りてきた。


 ありがとう。ジョイ。……これ。


 彼女のボディの胸部がスライドして開き、そこから光が溢れ出した。柔らかく、温かい光。リリィがその中から取り出したのは、白い花束だった。


 これ、あなたに。


 それは見たことのない花だった。花びらは小さくて、綿毛みたいに見えた。それを一つ一つ、幾重にも枝分かれした細い茎が繋ぎ止めている。もうのびのびと開いている花もあれば、ためらいがちに白をみせる蕾もあった。


 カスミソウ、っていうの。この子。大事にしてね。


 リリィはボクにその花を手渡すと、すぐに飛び去っていってしまった。いつものような開花時期や花言葉の解説もなかった。


 ボクはその花を持ち帰って、塔のすぐ隣に植えた。




 ボクは宇宙船に向かう帰り道、残骸と一緒に少しの花を運ぶようになった。


 鉛色の塔に残骸を積み、その塔の周りの地面に色とりどりの花を植えた。


 はじめはリリィに貰ったカスミソウを塔の入口の脇に植えた。


 植え方はリリィが教えてくれた。地面をくり抜いて、そこに根を埋めて土をかぶせ、必要なだけの水をやった。


 塔が高くなるにつれて、丘の上の彩りも増えていった。


 【マスター】はボクのその行動について、とくに何も言わなかった。


 ひょっとすると彼も、無機質な機械の塊を眺めているだけでは退屈だと思っていたのかもしれない。


 そう考えると、もっと花を集めたいと思った。もっと集めたら、ボクは【マスター】を喜ばせることができるかもしれない。


 初めてプログラム以外のことで、【マスター】を喜ばせることができる。そのためなら、少しの手間が増えるくらいのことはなんでもないと思えた。




 ある日、リリィの店に行くと、彼女の姿が見えなかった。


 それまでリリィはいつも、ボクを店先で出迎えてくれた。ボクの姿をみつけると、風に舞う羽毛みたいにこちらに身を寄せ、手をひいてくれた。


 しかし、その日は違った。


 一人で店に入った。ディスプレイも、カウンターも、どこにも異常はないようにみえた。ただそこに並べられていた花たちだけが、どこか生気がなく、しおれてうなだれていた。


 はじめて店の奥に足を踏み入れた。


 のれんで仕切られたその部屋は、店内と同じようにきちんと整頓されていた。


 あるべきものが、あるべきところにある空間。遠い昔に使われていたはずの調理器具。長い時間をかけて変色してしまった電化製品。美術品のような花瓶。そういうものが置かれた、この惑星でよくみる一般的な生活空間だった。


 部屋の中央に、白い楕円の物体が転がっていた。


 つるりとした楕円。それがリリィのボディだとわかるまでに、それほど時間はかからなかった。


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