エピローグ: 紫桔梗

短く息を吐く。卑猥な水音を聞きながら浅い呼吸を繰り返し、与えられる執拗な刺激に声を堪え、唇を噛み締めた。それでも深いところへの甘い刺激につい声が漏れ、俺を見下ろす男は満足そうに口角を上げる。やばいな。もう若くはねぇのにな。こいつだって、同じ歳のはずなのにな…。そう思いながら男の顔を睨み付けるように見上げると、男の表情はそれが見たかったと言うように甘く崩れていく。口を開けば声が漏れそうで開けられない。あまりの強い快楽に余裕が奪われ、額に汗が滲み、手足に力が入りづらくなっている。呼吸をするだけでやっと。声を我慢するのでやっと。少し休ませてくれと目で訴えたつもりだった。



「……っ」



でもそれは男に発破をかけただけだった。



「そんな風に煽ンなよ」



男の熱い掌が優しく下腹部を撫でたかと思うと、強く圧迫され、同時にゆっくりと肉を抉るように抜き差しされて中を満たしていく。こいつとの体の相性は嫌になるほど良く、呆れるほど何度も欲を吐き出しては、余裕のある男の顔に少し苛立ちを覚える。なんでこいつはまだ余裕なんだ。



「……んっ、…っ、」



「気持ち良さそうな顔。イけよ、我慢してないで」



「……っ、」



「連続は無理? そんな事ないよね?」



トントンと肉を押して中を刺激されると、体中にいつまでも残るような重い刺激が全身を駆け巡るように走った。瞬間、ぐっと爪先から頭の先まで全てに力が入る。血流が下へ下へと流れ、背中が弧を描くように反り、喉仏を突き出しながらその快楽に飲み込まれた。体がいつまでも強すぎる快楽に慣れず、何度も軽く痙攣し、目の前の男は息を詰まらせて眉間に皺を寄せながら腰を強く抱く。奥深くに熱を吐き出すと、ようやく満足したようだった。



「なんかさ、お前のせいで性癖歪んだ気がする」



ぜぇはぁと肩で息をしていると、余裕を残した男がそう心外な事を漏らす。



「…は?」



男は俺の横にごろんと横になり、天井を眺めている。



「最初はさ、高校の時に散々な事をしやがった男に仕返ししてやろうと思って組み敷いたんだけど、俺を殴って満足するような男がいじめてた俺にブチ込まれて苦しそうにしてるって思うとすげぇゾクゾクしたのね。でも、どうやらそれは今でもみたい。お前を組み敷く時が一番興奮すんの。つまり、お前に性癖を歪められたと言っても過言じゃないだろ」



呼吸を整える事に必死になる俺の横で、男は片眉を上げて楽しそうに俺を見た。言い掛かりだなと思った。でも言い掛かりだとは言えず、その楽しそうな瞳を見つめて「そうかよ…」とだけ返す。



「あ、でもお前が上乗ってくれンのも好き。すげぇ酒入った時のお前、本当エロい…」



「酔った時の話しはもうやめろ」



いつぞやの酔っ払ってつい調子に乗った自分を思い出して赤面した。


あれは確かこっちに越してすぐだった。男が街の酒屋と仲良くなり、大量のウィスキーを抱えて帰って来た。美味い酒に気分が上がり、久しぶりにあんたを抱きたい、とストレートに言ったら、じゃぁ俺をその気にさせてくれる? なんて煽られ、そう乗せられるまま、いいだろうと咥えてしまった。『上に乗ってくれンなら、次は俺が下やってあげる』あの言葉を信じて素直に上に乗った俺も俺。酒のせいでふわふわと、すごく上機嫌になってあいつの上に腰を下ろしたまま、あいつを煽りまくったのが最後、翌日はベッドから出られなかった。


今思い出しても恥ずかしいなと、ひとり赤面していると男はふふっと笑う。 



「お前って赤面するのな」



「……うるせぇな」



男は楽しそうに一頻り笑うと、ひと息ついてから上体を起こして首を傾げた。



「なぁ、ひとつ聞いて良い?」



「ん?」



うつ伏せで枕を抱く俺は、顔だけを男の方に向ける。男はそっと俺の背中にいる麒麟に触れた。



「お前のコレ、組内で知ってるやつ誰もいなかったよな?」



「まぁ、見せもんじゃねぇしな」



「でも何が入ってるかも、いや、墨が入ってる事自体も曖昧だったみたいだけど」



「そうかもな。…で、それが何だよ」



こいつの言いたい事が分からず怪訝に表情を曇らせていると、男は目を細めて何かを疑うようにじっと俺の瞳を見つめる。居心地が悪くなるような目つきに、俺はつい視線を逸らしてしまった。



「斉藤、あいつだけは知ってた。お前の背中に麒麟が居座ってる事」



その言葉を聞いて俺はこいつの疑う様な眼差しの理由を知った。つい可笑しくて、こいつの愛らしさに堪らなくなって肩で笑ってしまう。肩を震わせる俺に男は不機嫌そうに更に目を細める。



「あいつはそうだな、見たかもしれないな」



「見たかも、って何。かもって」



「変に妬いてンならお門違いだぞ。あいつが俺の墨を見たんだとしたら偶然だ。その日はさ、ジャケットを羽織ってなくて、あいつと外回りしてたら土砂降りに遭ってよ。それでシャツ、透けちまったんだろ。あいつが知ってたのならその時くらいだろうよ」



「………ふーん。それはそれで、アレだけど、まぁいいよ」



「何を疑ってたんだよ」



ふっと笑うと男は「別に」と興味がないように呟いた。いや、興味がないふりだろう。どうやらこいつも嫉妬するらしい。こいつには申し訳ないが俺は今、褒美を与えられたみたいに嬉しくなった。つい口角が緩んでしまう。



「コレ、あんたにしか見せてねぇよ」



しかし嫉妬してるあんたが可愛い、なんて口に出せば揶揄われたと捉えられて臍を曲げ兼ねない。嫉妬感情を二度と見せないよう隠してしまいそうだから、俺は正直にそう伝えた。あんたの為の墨だと。そう言ってやると男は頭を掻き、「やだやだ」と呟いて嘆息する。



「自分が嫌になるね。幾つになっても嫉妬ってすんだなぁ。ずーっと気になってたンだけどさ、お前の口から斉藤とはそういう関係だった、なんて聞いたら立ち直れない気ィしてさ」



「驚いたな。あんた、少しは可愛い事言えンだ」



つい、ぽろりと言葉が溢れてしまった。



「うるさ」



でも男は唇を尖らせてそう拗ねた後、阿呆らしくなったのかひとりでクスクスと笑い出した。強張った表情から一変、安堵してリラックスしたように表情を緩めている。



「お前の墨をこうして見下ろしてンのが俺だけで安心したよ、平井さん」



「平井さん、かぁ。慣れねぇな」



「もう6ヶ月も経つのにね。慣れないよなぁ。…ね、明日またあの人に連絡すんの?」



「あぁ。順調に進んでると良いんだけどな」



「宜しく言っといてよ」



「自分で言えば良いだろ」



「んー? んー。……今度、な」



男はそう言って片眉を上げる。あの人と距離を作るのはこいつにとってケジメのようなものかもしれない。その事について問い詰めるつもりもないし、あの人も何も言わない今、俺にとってはどうでも良い事だった。そうかと頷いて欠伸をひとつ。陽の光の中で散々汗をかくと心地良くて眠くなる。そんな俺を見下ろしながら男はそっと俺の頬に触れた。



「眠そう」



「ん。ねみぃーな」



「眠い時のお前って、牙も鋭い爪も狩られて何も残ってない猛獣みたい。喉鳴らして心地良さそうに陽だまりの中で寝ちゃう猫」



「……なんだそれ」



「ごろにゃーご」



男はそう俺の髪を優しく撫でていた。髪を撫でられるとふわふわと、更に心地が良くなって眠くなる。欠伸を堪えて、こいつも二度寝に取り込んでしまおうと体を男の方に向けて腕を伸ばした。



「良いからあんたも寝ろ。二度寝、気持ち良いぞ、鈴野さん」



「鈴野さんかぁ。ね、…赤澤。俺の名前、呼んで」



男の目は優しく弧を描き、口元もゆるりと緩む。



「青木、」



「違う。下の名前」



「…玲」



青木はにやりと笑う。



「何? 邦仁」



「二度寝するぞ」



下の名前は呼び慣れないし、呼ばれ慣れない。でも良いなと心底思った。きっとどうせ、互いにいつも通り苗字で呼び合うのだろうが、たまには下の名前も良いなぁと、むふふと笑う青木を見ながら思う。青木は笑いながらすっぽりと俺の腕の中に収まると、体温を俺に預けて目を閉じた。牙も爪も狩られた猛獣はどっちだ。今のあんたこそ家猫じゃねぇの。そう男の体に腕を回して、陽だまりの中で目を閉じる。


………

……


外では吐く息が白く、明日は朝から雪が降るらしい。今年もまた雪の季節がくるのかと、俺は半ば憂鬱になりながら青木との待ち合わせ場所へ車で向かっていた。


山奥のその小さな村は何もかもが不便だった。仕事場は家から車で片道40分ほど。買い物するにもスーパーなんて便利なものは隣町に行かなければならないし、娯楽は皆無に等しい。


しかし俺は何ひとつ不満はなかった。安全が確保できる場所で青木が隣にいるのならどこだって良かった。その安全な場所のひとつがこの村で唯一の喫茶店で、車を停めて店内に入ると薪がくべられ、暖炉に火が灯っていた。パチパチと心地の良い音を立てている。舞い上がる薪の火の粉を見ながら、今年の冬はどれほどの雪が積もるのだろうかとぼうっと考えていた。



「あ、おかえりなさい!」



そう考えていると奥から店のマスターである花くんこと、花希くんが白い歯を剥き出し、屈託のない笑顔を向けてきた。彼はいらっしゃませ、ではなく、俺にはおかえりなさいと言って笑う。この店は俺にとってはただの喫茶店ではなく隠れ家のような場所だった。



「ただいま」



俺はそう返しながら先客を確認したくて奥のボックス席を覗くが、観葉植物が影となりよく見えなかった。



「あいつは?」



「いますよ! あ、まだまかない食べてるかも」



「そうか。じゃぁ、俺はいつものを頼もうかな」



「はい! 席までお持ちしますね!」



俺は花くんとの会話を済ませると奥の席へと向かった。奥には赤いビロード生地のソファ席がある。そこはボックス席で、暖炉からは離れていて少し肌寒かった。ボックス席に設置されている長方形のウッドテーブルは花くんのハンドメイドで、手先の器用な彼は何でも楽しそうに作ってしまう。彼はまだ二十代半ばだと言う。若いのにこうして喫茶店のマスターをして、暇さえあればテーブルやら椅子やら小物も作る。温厚で誰にでも笑顔で優しく、物腰の柔らかな好青年であるが、その反面、やけに肝が据わり、物怖じは全くせず、妙に喧嘩慣れしていた。そんな不思議な喫茶店のマスターは俺達の監視役でもあり、その瞳は俺達を彼に託した男に似ている。俺と青木はその時、同じ事を思っていた。この子はきっと父親似なのだろうな、と。あの人に子供がいたとは俺達は心底驚いた。



「飯時に悪いな」



「別に」



ボックス席、俺と待ち合わせをしていた青木は白いシャツの袖を捲り、花くん特製のナポリタンを食べていた。テーブルを挟んで対面に座ると青木はナプキンで口元を丁寧に拭き、スライスレモンの入った水を一口飲む。青木はこっちに移ってからこの店で働いている。



「それで?」



青木の鋭い瞳が俺を捉える。



「終わったよ」



俺がそう言うと大きく息を吐き、背もたれに深く寄り掛かった。



「………ようやくか。ようやく決着が着いたのか。あれから三年。長かったな」



青木はそう人心地がついたようだ。



「あの組織の上層幹部が五人捕まったらしい。そのうち二人は国際指名手配されているらしいから、手続きがかなりややこしくなると言っていた。けど主要人物が捕まったんだ、組織としてはもう成り立たねぇだろうよ」



「待って、幹部五人? 荒木はどうなった」



安堵していたのも束の間、青木の眉間には深い溝が刻まれた。俺はその溝を見ながら、そうだよなぁと頭を掻く。



「気になるよな…」



「それしか気にしてない。あいつが一番厄介だって言ったろ。あいつは俺を追い込む為だけにお前を殺し兼ねないんだぞ」



「その男はまだ捕まってないそうだ」



俺がそう言うと青木は苛立ちを抑えきれない様子で、大きな舌打ちを鳴らすと、何かを考えるように俺から視線を外す。



「はい、スペシャルブレンド珈琲です」



その時、花くんが店ご自慢の珈琲を持って現れ、俺の前に丁寧に置くと「ごゆっくり」と微笑んでカウンター奥の部屋へと戻る。花くんが去った事を確認して青木は「荒木が捕まってないなら何も解決してない」と俺を睨むように見つめる。こいつが焦るのも理解はできる。荒木という男の事は聞いていた。あの日、病院のベッドの上で耳にした銃声とその後の男の声、青木は死んだと笑っていた男、それが荒木だった。あの出来事自体は青木の案で、俺から荒木を遠ざける為だったようだが、荒木という男を青木がそこまで恐れるのだ。敵に回せば厄介な存在だという事は分かっていた、が、俺はひとつ引っ掛かっている。



「荒木はもう俺達には興味がないと思うけどな」



「…何でそう言えンだよ」



「あんたが消えて俺があんたを探しまくってたあの一年だって、俺はもちろん、松葉達にも何の接触もなかった。始末しようと思えば出来たろうに、しなかったんだぞ。だからもう俺達の事なんてどうでも良いンじゃねぇのか」



「けど荒木は俺に協力関係を結ぶ代わりにお前の首を取る事を褒美として提示してきた男だぞ。情報収集が目的だった依頼が、どうやったのかお前を始末する依頼が付け加えられた。油断できる相手じゃない」



「どうだろうかなぁ」



青木は口を歪めた後、頭を掻いて口を開いた。



「…俺さ、実はあれから荒木の事を探ってたんだ。お前を始末すれば賞金が出る、なんて都合の良い依頼がどうやって手に入ったのか気になったから。そしたらお前の依頼の出所が不明だった。だとしたら、もしかしたら、って考えるだろ? 荒木が自分のポジションを良いことに依頼を偽造したかもしれないって。それは俺が本当に仲間なのかを真偽する為だったのか、もしくは本当に俺にとっての褒美として考えていたのか。何にせよ俺のせいなのは分かってる。けど、あいつは俺がお前を殺せないと踏んだ途端、お前を脅しの道具に使ったんだ。お前の情報なんて朝飯前で集めてくるような男が、みすみす俺達を見逃すとは思えない」



「うーん……」



俺は腕を組む。どうしたって納得はいかない。なぜってあの一年間、全く何も起きなかったのだから、荒木は諦めたとしか思えないのだ。松葉の事も荒木はもう興味ないのだ。



「例えお前の依頼が取り下げられ、松葉への脅しも無くなって、組織連中がお前や松葉に手を出さなかったとしても荒木は違う。裏切った俺を許さない。俺達の居場所を突き止めて始末しようとするに決まってる…」



怖いのだろう。青木の手が恐怖からか少し震えているように見えた。青木は俺の視線に気付き、その恐れを隠そうとそっとテーブルの下へと手を隠す。俺は青木の顔をじっと見つめた。



「荒木ってのはもう俺達を追わない。断言してやるよ」



「あいつはそんな生優しい人間じゃない。俺の目の前できっとあいつはお前に手を掛ける。そんなのどうしたって…」



「あんたの恐怖はそこか。……ふふ、そうか」



「何笑ってんだよ」



「いや何、俺が殺されンのがそんなに怖いのかと思ってさ」



「今更……」



「今更だろうが何だろうが、嬉しいものは嬉しいだろ。それに荒木にここは掴めない。だって俺達は死んだんだ。…良いか。俺達はもう死んだ。誰も追えやしねぇのよ。だからもしかしたら…を考えてビクビクするのは終いだ。荒木はもう二度と俺達の前には現れない。良いな?」



俺は青木の緊張を解こうとそう伝えると、青木は唇を軽く噛み締め、きつく結んだ。苦痛な表情に拍車が掛かるようだった。だから俺はそんな顔するなと、言葉を続ける。



「荒木はもう現れないだろうって思う根拠だけどさ、その男と柳田組の幹部、笹野って言ったか? そいつと共に日本を出たって点だ。荒木は俺達の命なんかもうどうでも良いんだろ。笹野と逃避行する道を選んだって事は、あいつ自身、組織を抜けた可能性だってある。今、あの組織は上がいなくなり、荒木にとってこの状況は笹野を連れて逃げるには良い機会。だから荒木は俺達を狙う事もないだろう、って思うんだ。あいつはあいつできっと切羽詰まってる。俺達を追ってる暇なんかない。だからあんたはもう力を抜け」



俺はそう言って珈琲を一口飲む。青木はまた何か考えるように視線が伏せられた。



「俺がもう少し上手く隠せてたら…」



「上手く隠して俺を殺したか?」



「分かってるよ。…それが出来なかったから、お前とこうして死んだんだろ」



「そ、出来なかった。だから死んだ。そんで元を辿れば俺があんたを苦しめたから。あんたは復讐の為にやった事。言ったろ。俺の命はもうあんたのものだって。これは俺の清算で、償いのつもりだって」



「……清算し終えたよ。お前のはもう、とっくに」



青木はそうぽつりと呟いた。



「へぇ。なら、それはあんたもあのXとか言う組織を忘れるって事だろ? 俺への復讐の為に組対の刑事になって、辞めさせられて、戻る為に公安になって、Xに潜入して、俺に近付く準備を整えてさ。なのに結局は俺を殺せなかった。絆された。なら、もう復讐心もないんだろ? 精算し終えたんだろ? だったらあんたももう、あんたの願いで荒木が俺の首に賞金を掛けた事、忘れるんだな。いつまでも影に追われてンなよ。青木も赤澤も三年前に死んだんだからよ」



もう肩の荷を下ろせ。そう俺は目で訴えた。青木は深呼吸をすると俺の目をぎっときつく睨むように見上げた。



「それでも怖いンだろうが。荒木がお前を始末しようと動く事が、何よりも怖いンだろうが」



俺に対して復讐心を抱き、殺そうとしていた男が言うセリフかよ、と俺は青木の真剣な眼差しと裏腹に表情が緩みそうになっていた。それを堪えて背もたれに片肘を付く。



「俺はそんな弱い男に見えンのか」



「……そういう事じゃ、ねぇよ」



青木はそう言葉尻を飲み込むように否定する。



「腕っぷしは良いと思うぜ。ふふ、それにあんたが加勢してくれンならニ対一だ。負ける気がしないね」



「そういう事じゃ…」



青木は俺が思っていた以上に荒木に対して恐怖心を抱いていた。何があったか詳しくは聞いていない。ただこいつの右の内腿に焼印を残して軟禁していた事くらいは知っている。そんなこいつを安心させるのはきっと一苦労だと俺はまた珈琲を一口飲み、カップを置くと青木の目を見据えて断言する。



「死なねぇよ。俺は、殺されねぇ」



青木の眉がひくりと動く。



「あんたに差し出した命だ。あんた以外には殺されない」



そう言ってやると青木は俺から視線を逸らし、しばらく何も言わず、動かず、何か必死に考えているだけになってしまった。変な事を言ってしまったか、と思ったがそうではないのだろう。こいつはただ安心したいのだ。青木はコップに残っていた水を一気に飲み干すと、何度目か分からない溜息を吐き、「分かった」と俺の目を見つめ返す。



「新しい人生に荒木って男は存在しない。そういう事だよな、平井さん」



青木は渋々納得したようで、困ったように眉を下げて笑った。



「そ、そういう事よ。鈴野さん」



互いに慣れない名前を呼び合い、慣れないから“さん”付けになっていた。新しい人生を祝おうかと、と俺は首を傾けて青木を見る。前々から考えていた事で、今がそのタイミングだろうなと思った。



「なぁ、…墨、入れてみなないか」



「え?」



勿論、青木は俺の唐突な提案に訳が分からないと不思議そうに眉を顰める。



「もちろん無理強いはしねぇよ。ただ、あんたの右の内腿。俺は未だにその痕を見る度に、あんたが過去を思い出しては過去に引っ張られやしないか不安になるんだ。俺の我儘よ。けどそれ、俺に消させてくれないか」



我儘と甘い執着心を言葉に出す。青木は驚いたように目を開くと、「そんな事、思ってたのかよ」と口角を柔らかく上げる。



「荒木って男の痕跡を、あんたから消したい」



青木は少し照れたように表情を緩めた。



「さすがにお前の名前を入れるのは恥ずかしいけど?」



紫色で、という話を思い出し、俺はくっと喉の奥で笑う。



「言い出したのはあんたなのに?」



「だって格好つかないだろー」



「誰に格好つける気なンだよ」



「…さぁ? 誰だろうなぁ」



「ほーう」



「ふふふ。でもお前、俺の内腿なんて見てたんだ?」



「そうだな。あんたがなかなか下やりたがらない理由かと思ってさ」



青木は一瞬驚いたように目を見開くと、クスクスと肩を揺らして笑い出した。



「勘違いしてんなぁ。俺が下をやりたくないのは単純に好みの問題だよ。お前がどうしてもって言うなら、まぁ、良いよ。お前とやるのは下だろうが上だろうが好きだし。でも前に言ったと思うけど、お前のせいで性癖歪んじゃったからさ、お前を組み敷く時が一番興奮すんの。だから別にこの火傷のせいじゃない」



「そうか。なら良かった」



ような良くないような。なら俺は基本、下をやらなければならないという事だよな。そう思ったが、まぁ良いかと飲み込んだ。こいつが過去に縛られているわけじゃないなら何だって良い。青木はそんな俺の思った事を読み取ったように、言葉を続けた。



「大丈夫。もう過去に縛られたりしないから。もう、消えたりしないから」



このままずっともう二度と、過去に縛られンなよと俺は返す。青木はふっと笑い、俺もつられるように表情を緩めた。それにしてもまだ俺のせいで性癖歪んだとか言ってやがんのか。こいつのは元々だろうに。



「で、デザインは決めてるの? 名前を紫でっていうダッセェのは無しにして」



「あんたが決めれば良いよ。俺はその痕が消えさえすりゃぁ良いからさ」



「うーん。そうだなぁ…。なぁ、」



青木は腕を組む。



「ん?」



「お前もひとつ増やしてよ」



「俺が? どこに」



「そこ」



青木はそう言って俺の腹部を指差した。



「俺だって考えてたよ。いつもその傷が目に入る度に本当は俺が負うはずだったのに、って。なのにお前がその傷を負って死にかけた、って、あの瞬間を思い出して怖くなんの。…だから、消させてくれない? 俺に」



へぇ。とつい感嘆してしまった。



「いいよ」



あんたもそんな事、思ってたんだな。



「でさ、その刺青のデザイン、俺に考えさせてくれない?」



これまた意外だった。俺の体に入れる刺青のデザインを考えたいだなんて。



「良いけど、どんなデザインよ」



「教えない。でも俺もそれを入れるから、お前も入れてよ」



しかも揃いだと言う。



「変なデザインにするなよ」



「彫師に腕があればきっとお前の体に映えるよ。お前は紫の麒麟を背負ってるから、それに合うようにしたいんだ」



「ってことは、和彫りか」



「そう」



「あんたも和彫りにすんのか」



「そうだね」



「へぇ。内腿に和彫りね」



少し想像してしまう。日焼けとは無縁な白い内腿に、派手な和彫りをひとつ。それはなんともこの色男を引き立たせるような気がした。素直に言えば、エロいなぁと。



「俺ね、何度も言うけど本当にお前の麒麟好きなんだ。綺麗な深い紫色がゆらゆらとしててさ。お前の肌の色と合うよなぁって」



青木はふっと笑うと、俺を揶揄うように甘く見つめる。何ともこいつの熱っぽい瞳には弱かった。



「それは良かったよ」



「で、いつ入れに行くの?」



「今から行ってみようか。今日はもう終いなんだろ?」



「今から? …まぁ、予定はないけど」



「丁度、凛太朗さんがこの後空いてるらしいからね。ふたりいけるか聞いてみようか」



「へぇ。偶然」



青木は目を細める。



「そうだな。偶然だ」



もちろん、偶然なんかじゃない。俺は今日一日休みで、青木は午後から休みで、それを知っていたから俺は今、世話になっている彫師に、午後に客をひとり頼むかもしれない、と伝えていた。まさかふたりになるとは思ってなかったが。俺は珈琲を飲み終えると奥の部屋で新聞を読んでいた花くんを呼び、珈琲代を渡しながら上を指差す。



「凛太朗さん、今いる?」



花くんはコクッと頷くと、「うん。何入れるんですか?」と白い歯を見せて興味津々と言わんばかりに尋ねた。



「さぁな。俺は知らされてないんだ」



「えー、どういうこと? もしかして、鈴野さんが入れてほしいってお願いしたんですか? 鈴野さんも刺青入ってるんですか?」



「いや、あいつは入ってない。だからこれが初めて。デザインはあいつの頭の中よ」



「へぇー。鈴野さん、何入れてもらうんです? 凛さん、和彫りしか彫ってくれませんよ?」



花くんは俺の後ろからナポリタンの皿を持ってカウンターに入った青木にそう声を掛ける。青木は少し面倒臭そうに皿を洗いながら、「なんでも良いでしょうよ」と流した。



「こわーい」



「ふふ。秘密なんだってよ」



「変なのじゃなきゃ良いですね!」



「本当な。ファンタジーな類いだったらどうしようか」



「ユニコーンとか? ケンタウロスとか! 平井さんの顔でファンタジーはギャップ萌えですかね? ありっちゃ、あり?」



「いや、なしだろうが」



花くんはケタケタと笑う。青木は皿を洗い終えると花くんの後ろからそっと近付いて肩に手を置いた。



「花くんさぁ、こいつと話す時、随分と楽しそうだよね?」



そう低い声で脅しを掛けるように囁いた。花くんはえへへと困ったように笑い、「だってちょっと凛さんと雰囲気似てますからねぇー」と言いながら、「珈琲豆継ぎ足さないとぉー」と分かりやすく青木から離れて行った。


青木は俺を見るとクスッと笑う。俺もつられて笑ってしまう。花くんは凛さんと呼んでいる父親くらい歳が離れている彫師を特別な目で見ていた。なのにそれを認めない。それが俺と青木の間では少しもどかしく、たまにこうして揶揄ってしまうのだ。


俺と青木はそんな花くんにまた後でと別れを告げ、奥のドアを開けてニ階へと上って行く。二階の部屋の一室、そこに凛太朗さんはいた。畳が敷かれた和室で、布団が一枚、刺青の道具がいくつも並び、年季の入った木製のウッドテーブルにいくつも下絵が出されていた。凛太朗さんは俺達を部屋に招くと座るよう言う。差し出された座布団の上に腰を下ろして、「急にすみません」と頭を下げると凛太朗さんは朗らかに笑う。



「暇な時のひとりもふたりも変わらないさ。それに範囲は狭いんだろ? なら、お安い御用だ」



凛太朗さんの事はほとんど何も知らない。しかし、この山奥でひっそり暮らさなければならない何か事情を抱えた人である事は確かである。年齢は多分、五十を超えているようだった。だが全くそうは見えない。褐色の肌に切長の瞳、高身長で容姿が良く、男の俺から見ても格好の良い男だった。基本無口で寡黙だが、愛想が悪いわけではない。不思議の多い人だが彫師としての腕は相当で、もしかするとその界隈では有名な人だったのかもしれないなと俺は勘ぐったりしたが、本人には聞いた事がないし聞くつもりもない。



「で、鈴野くんとは話した事があまりないけど、墨を入れる事自体が初めてなんだよね? 平井くんからそう聞いてるけど合ってる?」



「はい。初めてです」



青木は素直に頷いた。



「そうか。なら最初に説明しておくけど、俺は手彫りが基本なんだ。場所にもよるが、痛みが強いかもしれない。それは大丈夫?」



「はい」



青木はまた頷くと凛太朗さんは「分かった」と少し口角を上げる。



「それなら本題に入ろうか。何を、何処に入れたい?」



青木は言われて自分の右の内腿を指さす。



「ここに小さな火傷の痕があるんです。それを消すように、刺青を入れてほしいんです」



「題材やデザインは決まってる?」



青木はそう聞かれて携帯を取り出すと、凛太朗さんに手渡した。俺も聞いていないデザインだ。何を入れたいのだろうかと気になった。画面を覗くわけにもいかず、青木の顔と凛太朗さんの顔を交互に見て、どんなデザインなのだろうかと予想する。凛太朗さんの表情から察するに、奇抜でヘンテコな類のものではないようだ。凛太朗さんはその画面をしばらく眺めた後、青木を見た。



「これは君に? それとも、平井くんに? …いや、揃い、かな」



「揃いで入れようかなと」



「そっか、分かったよ」



凛太朗さんは頷く。凛太朗さんは、俺が何を入れるか知らされていないと聞くと、少し悪戯な笑みを浮かべている。



「じゃぁ、その写真を元にデザインを考えよう。初めての題材だからデザインの資料がないんだ。だから少し時間がほしい」



どうやら青木が見せたものは写真か何かだったのだろう。凛太朗さんはデザインを考えると言って顎を撫で、腕を組んでしまう。



「凛太朗さんでも彫った事のない題材ってなんすか…」



途端に不安になる。腕も良く、経験豊富だという事はこの人の過去の作品やデザインファイルを見れば一目瞭然。そんな人が彫った事のない題材だと? 妖精? ユニコーン? キラキラな虹? ファンタジーの類になる可能性が高い…のか? 俺が恐る恐る聞くと凛太朗さんは「見てのお楽しみだ」とやはり悪戯っぽく微笑んだ。俺が眉を寄せて不安を見せると、青木は隣で笑い出す。くそう。気になるな。



「さて、デザインを考える前にふたりとも入れたい箇所と大きさを見せてくれるかな」



そう聞かれて青木は何の躊躇いもなく履いていた黒のスラックスを脱ぐと、右の内腿を露わにした。



「これです」



荒木がつけた焼きごては今でもくっきりとそこに痕を残す。青木はそれをトントンと指差した。



「…なるほど、思ったよりは小さいね。うーん。ここから、ここまでの範囲で彫ろうかと思ってるけど、問題ないかな?」



「えぇ。この痕が隠れるならどんな大きさでも構いません」



青木が承諾したのを確認すると、凛太朗さんは次に俺を見た。



「じゃぁ、次に平井くんは?」



俺は着ていたシャツとセーターを捲り、ベルトを外して下着も一緒にギリギリまで下げる。下腹部に残る傷痕を見せると、凛太朗さんはそっとそこに触れる。



「この傷痕を消すように、だね?」



「はい」



「ここから、ここ。もしくは、背中から繋がるように彫る事も出来るけど、どうする?」



繋がるように、と言われても何を彫られるのか分からない。俺が困ったように青木を見ると、青木は「繋げて下さい」と断言した。という事は麒麟にも合う何か、なのだろう。さて、何だろう。



「平井くんはそれで良い? そうなると、脇腹から腰を通って下腹部に入るけど」



「えぇ、大丈夫です」



「了解」



じゃぁ少し待ってて、そう凛太朗さんは言うと机に向かってさらさらと下絵を描き始める。何度か青木にここは何色が良い、とか、どういう形にしたい、とか話合いながら進めている。


俺の背中の麒麟と合うようなデザインだというが、一体何を入れるつもりなのかと、俺はひとり孤立した空間で腕を組む。出来上がるまで待てと凛太朗さんと青木に止められてしまい、俺は暇を持て余して花くんの元へと戻った。珈琲を飲み、雑談し、「出来たよ」と青木から声を掛けられてまた部屋へと戻った。どうやらその出来映えは青木が凛太朗さんに「ありがとうございます」と素直に喜び、感謝を伝えて頭を下げる程らしい。



「良い加減、見せて下さいよ」



そうふたりを見ながら拗ねていると青木は少し口角を上げ、「いいよ」と頷いて凛太朗さんを見た。凛太朗さんはその返事を聞いて、一枚の紙を俺に手渡す。



「紫桔梗だ」



凛太朗さんの目がやけに優しい。そこに描かれていたのは俺の背中にいる麒麟の炎と同じ紫色の桔梗である。凛太朗さんの手によってそれは神々しく、凛々しく感じられる。


しかしこの桔梗、裏切りの象徴だろ。


何の当て付けだ。そんな意味を持つ花で傷痕を隠すなんて青木はやはり俺を許してはいないのか…。そう咄嗟に思いながら隣に座る青木を見るが、青木はニヤニヤと表情を緩めていて、どうもその顔は俺を嘲笑う顔ではないように感じた。凛太朗さんもそうだ。裏切り、という意味を込めて描いたのではないだろう。きっと他に意味があるのかもしれない。いや、あってほしいと俺は再び絵に視線を移した。



「花の刺青なんて意外だな」



青木は「そう?」と首を傾げた。



「お前によく似合うと思うよ」



「俺の顔で花の刺青か…」



「これがお前の体にあるなら、きっと、それはそれは強くて美しいと思う」



青木はそう嬉しそうに呟くものだから、この花の意味をやはり考えさせられてしまった。どういう意味でこいつはこの花を選んだのだろうか。俺が頭を傾けていると、凛太朗さんが花を指差しながら口を開く。



「この花は牡丹と唐獅子みたいに、麒麟を引き立ててくれると思うよ。花は描き方によって愛らしくもなるし、格好良くもなる。それにきっとその傷痕は君達にとって消し去りたいものなんだろ? だとするならこの紫桔梗で消し去るのはなんだか良いなって思ったよ。愛があるって感じで」



「愛、ですか……?」



花の意味など知らない俺が、怪訝な顔をして凛太朗さんを見上げると青木は焦ったように止めに入った。



「り、凛太朗さん、あまり、言わないで下さい。こいつ、絶対意味とか知らないんで。意味知られるの、ちょっと恥ずかしいですから」



「そうか、悪かった」



恥ずかしい……? 俺の頭には更にハテナマークが浮かぶ。



「ふたりは桔梗の意味を知ってるんでしょうけど俺は知らないんで、ちょっと複雑な心境なんですけど。桔梗って裏切りのイメージ強いでしょう?」



俺の質問に答えたのは凛太朗さんだった。



「裏切りの象徴として有名になったのは歴史の話。この花自体にもともとは裏切りって意味はないみたいだ。詳しい事は彼に聞いてみると良いよ」



凛太朗さんは楽しそうに口角を上げるものだから、俺は目を細めて青木の方を見た。青木は俺と目が合うと、「今は言わない」と断言する。



「あ、そーですか」



後でこっそり調べてしまおうか。そんな事を考えていた。刺青は青木から彫る事になった。凛太朗さんは手際良く、下絵から内腿にそれを写し、縁を手で彫っていく。まだ筋彫りだが既に凛々しく、立派という他ない。滲みは一切なくて美しい輪郭だった。正直、筋彫りだけで格好がついていた。青木の筋彫りが完成した後、俺は上半身を脱ぎ、ベルトを外し、下着もギリギリまで下ろしてその布団の上に仰向けに横になった。背中の麒麟に繋がるように脇腹から下腹部に紫色の炎が花弁に変わるように描かれ、傷痕を消すように桔梗が咲く。脇腹を彫る時だけ少し痛みはあったが、刺された撃たれたを経験してしまうと、墨を彫る痛みなんてないようなものである。俺の腹部にも青木の内腿にも筋彫りが彫られ、その日は終いとなった。色は一週間後だった。



「桔梗の意味、調べるの禁止な」



帰宅して早速携帯で調べようと思っていた俺に、青木がその考えを悟って制した。



「え、なんで?」



「色がついたら、俺からきちんと言いたいから」



「何だそれ、怖いんだけど」



「良いから、調べるなよ」



「……分かった」



そう言われてしまったから、俺は桔梗の意味を調べずに一週間を過ごす事になった。そうして凛太朗さんの元で筋彫りだった桔梗に色が入り、揃いの刺青が互いの傷痕を消し去った。嫌な過去の出来事も、これでようやく消えたように思えた。ようやく、青木の重荷を下ろしてやれたような気がした。これはただの、俺の独り善がりかもしれないが。


帰宅し、青木はキッチンへと向かう。キッチンから蜂蜜を煮立てた甘い良い香りが漂う頃、俺はパチパチと暖炉に薪を焚べ、ぼうっとその温かな火を見ていた。



「…蜂蜜ジンジャーティーなるものをやろう」



青木は湯気の立つマグカップをふたつ手にして、ひとつを俺に差し出す。



「ありがと。このジンジャーティーって、花くんお手製の?」



俺はそう聞きながらひとつを受け取って、甘い香りを嗅ぐ。



「そ。蜂蜜は八重田さんから貰ったやつ。花くんは蜂蜜の代わりにイチゴジャムを入れるんだってよ。合うのかね」



「へぇー、生姜に苺ね。喧嘩しねぇのかなぁ」



「今度、やってみようよ」



青木は一口飲んだ後、暖炉の前にあるウッドフレームソファに腰を下ろし、カップを近くにあったコーヒーテーブルに置く。「なぁ、」と首を少し傾けた。俺の方に腕を伸ばし、温まった手をするりと俺のセーターの中に滑り込ませ、トンと桔梗に触れた。



「これの意味、教えてやろうか」



「是非」



頷くと、青木は少し照れ臭そうに口を開く。



「……永遠の愛。変わらぬ愛」



心臓がドキリと脈を打つ。青木は熱い掌をひたっとその刺青に押しつける。掌の熱がじわりと俺の体へと移っていく。



「俺はね、死ぬまでお前に執着してやろうって決めた。お前の命が俺のものだと言うのなら、生涯をかけて証明してもらわないと。…だから、お前が俺を側に置きたいと思ってる間は、俺はずっとお前のもの。これはその証明、かな」



青木の触れる場所が熱を持つ。吐く息すらも熱くなるようだった。



「……感動した?」



青木の悪戯な顔を見下ろした。



「嘘だとしても、あんたの言葉を素直に嬉しいと思っちしまうからもうどうしようもねぇな」



「嘘はねぇよ。もうお前に嘘を吐く理由はない。素直に言葉を吐いてやってんだから、泣いて喜んでくれても良いんだよ? その方が可愛いから」



「可愛いって…。あんたって悪趣味だよな」



俺はきっと困ったように笑っているのだろう。青木はそれが楽しくて仕方ないと言ったようで、笑っては肩を震わせている。



「でもお前ってそーんな悪趣味な俺の事、昔からすげぇ好きだもんね」



何だ、その余裕。腹立つなと目を細めると、青木は甘く微笑んだ。



「愛してるよ、赤澤」



あぁ、きっと今、頬も耳も全て真っ赤で、そして青木には隠しきれず駄々漏れているのだろう。勘弁してほしいな。こいつはきっと、俺を揶揄って楽しんでいるのだろう。



「……面白いくらい素直に反応すんのな」



「うるせぇな」



「お前見てると揶揄いたくなるよなぁ。なんか嬉しくなるんだよね。……こうしてふたりでいる事が。同じ墨まで入れて、これから一緒に歳を重ねるんだから。ふふ、感慨深いよ」



「そうだなぁ。…同感だ」



そっと青木の頬に手を寄せる。青木の瞳を見て、そっとその唇に視線を下す。甘く食むように口付けを交わし、互いにクスッと笑いあった。


何でもない日々は淡々と過ぎていく。あの頃のような刺激はもうない。だが、それが何よりの幸せなのだ。


温かくて、平凡で、心地良い。


そうして死ぬその時まで麒麟を愛でるこいつの隣にいたい。


その時まで、永遠と。

変わらない愛を持ち続けて、ずっと、永遠と。




「麒麟」 END


スピンオフ「獬豸を喰む白虎」

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麒麟 Rin @Rin-Lily-Rin

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