EP.3『接触』
「……業者に頼む量だろアレは。どうなってる??」
時刻は更に過ぎて二十時頃。カリキュラムが十六時に終わった事を鑑みれば、実に四時間フルで荷物を運んでいたことになる。
軽音部がライブを行う予定だという第三体育館と件の旧音楽準備室がいかに離れているとはいえ、エレベーターや台車だって使用許可は得ていたのだ。二時間もあれば余裕を持って終わるだろうという目論見だったのだが、大いにアテが外れてしまった。
最後の一時間なんかはルイがバテバテになってダウンしていたので、実質一人で運ばされている。五人規模の小さな部活でのライブで使うにしては、あまりにも量も質も過剰に見えてしょうがなかったというのが本音だった。
とはいえ、一度は請け負った仕事を放り出すというのもスッキリしない。根性で運び終えて意気揚々と学園を出てみれば、既にこの時間だったという訳だ。
半ばキレ気味のまま勢いで学園を出たので、時間に気づいたのは少し歩いてからだった。那月さんには遅くなったら迎えを呼ぶようになんて言われていたが、今から呼ぶくらいならば帰ってしまったほうがきっと早い。
一応、その意図と共に迎えは要らない旨をメッセージで送信はしたが、夕日も沈み切った空はとっくに真っ暗闇に染まってしまっていた。
繁華街のすぐ側という事もあって、公道には数えるのも馬鹿らしいほどの車両が敷き詰められている。どこぞで事故でもあったのか、少なくともこうして歩きつつ見ている限りでは、この渋滞が進む気配はまるで感じられなかった。
「結果的に、迎えは呼ばなくて正解だったな」
これではすぐに渋滞に捕まってしまうのが目に見えている。最悪徒歩で迎えに来る可能性もないではないが、無駄足を踏ませるのも忍びない。
中々見ることのない光景を楽しむ機会が出来た、と前向きに考える事として、公道脇の歩道をゆったりと歩いていく。緑地中のジョギングコースだってある中、わざわざ徒歩でこんな細道を通っている人影など他には見られない。
今朝の災難もあって、心穏やかなまま夜風に当たっていられるこの時間は心地よかった。何を考える事もなく、耳に届いてくるいくつもの音に身を委ねながら帰路を辿っていく。
体を適度に浸す疲労感に、ひんやりとした空気感が良い塩梅だ。一仕事終えた達成感のまま、少しは奮発して帰り道に何かしら買って帰ろうかなどと思い至ったあたりで、少々水を刺されるような光景が視界の端に映った。
「うわ」
歩道の端っこ。緑地と公道との境界線を形作るように敷かれた石垣へと、もたれ掛かるような形で座り込む人影があった。
別に、ない話ではなかった。ここから少し歩けば飲食店の立ち並ぶ区画もあるし、飲み屋で潰れた酔っ払いがそこらでダウン、なんて事はこの時間では容易に起こりうる。
せめて潰れるにしてもどこか他所で、せっかくの良い気分に水を刺さないで欲しかったものだ。とはいえ、こうして進行先に倒れられてはどうしようもない。
せめて見なかったことにしよう、と完全にスルーを決め込むつもりで歩みを早める。近づくにつれて、街灯に照らされていたその姿がようやくはっきりとした輪郭を帯びてきた。
女性だろうか、思っていたより年若い――というか、何なら見た目には同年代の少女のようにすら見える。赤みがかった明るい色合いの茶髪は、直立していれば腰あたりまでは伸びている事だろう。
瞼が閉じられていて、瞳までは見えない。その華奢な首筋にはチョーカー……と形容するには少し物々しい装飾の首輪を巻いているように見えた。
距離が近づくにつれて、少女の姿が少しずつ明るみに晒される。それは例えば、どこか異国の情緒を感じさせる珍しい衣服であったり、その衣装が随分と損傷が激しい事であったり、或いは。
――その肢体が、紅い血に塗れている事であったり。
「っ、な」
「……おや」
思わず驚愕の声を漏らしてしまった愁に気がついたのか、それまでは閉じられていた瞳がパチリと開く。紫紺の色彩を持った視線が不安定ながらも愁の姿を捉えて、血の気の薄い表情のままに微かな驚きの声を上げていた。
車との事故――は考えづらい。こんな渋滞では衝突事故など起こりようもないし、何より一度の事故で生まれた傷にしては損傷が過剰に過ぎる。決して曲ってはいけない方向へ曲がった足に加え、コンクリートに投げ出された左腕は半ばほどから千切れかけている様にすら見える。
身体中に細かな傷が付いているせいか分かりづらかったが、腹部の抉り取られたような傷からは、穴の空いたボトルが如く血が溢れ出して周辺に血溜まりを生んでいた。
当然致命傷。だというのに、あまりにも突飛な状況に絶句し動けずにいた愁へと、当の少女は微笑みすら浮かべて声を掛けてきた。
「……ごめんなさい、そこの人。お手数を掛けますが、そこのロザリオを拾って頂いてもよいでしょうか?恥ずかしながら、指一本も動かせなくって」
「ロザ、リオ……?」
少女の視線を辿って歩道の端に目を向ければ、確かに紐が千切れてしまったらしい凝った装飾のロザリオが落ちてしまっていた。
頭の処理が追いつかないながらも一先ずはその指示に従って、拾い上げたロザリオを少女の手を取り強引に握らせる。手渡そうとしても受け取る余力すらないのか、自分でロザリオを握ることすら出来なかった為だ。
などと混乱・衝撃で思考が麻痺していたが、状況を頭の中で整理していくにつれ正常な判断力が返ってくる。今何より懸念すべきは、ロザリオなどではなく少女の体の無事の筈。
「大丈夫、じゃないよな」
「正直、大丈夫とは言えませんね……あ、傷に関してはお構いなく。そちらはどうとでもなりますので」
今更ながら言葉になった心配の問いかけを受けた少女は、明らかに無理をしたような笑顔でそう告げると、再び両の瞼を閉じて深く息を吐いた。ぱちり、というスパークが少女のチョーカーの上で微かに弾け、やがて彼女の手に握らせたロザリオはほのかな光を放ち始める。
「――、――――――。」
少女がポツリと呟くと同時、彼女の心臓部から素肌を突き破るように生えてきた鉛色の茨が、四肢にぐるぐると絡みついていく。茨はその棘を肌に食い込ませて、あるいはその茎そのもので少女の血肉を突き破って、無茶苦茶に少女の体を縫合していった。
悍ましい光景だった。茨は肌を引き裂いて少女の傷跡をほじくり返しているというのに、その後の素肌は傷跡一つ残さず治癒されていく。
鉄脈術だ。製鉄師が扱う超常の力――魔鉄歴という時代を象徴する、世界の在り方を変えた鋼の魔術。その在り方は千差万別ながら、あらゆる物理法則を無視して不可能を可能にする文字通りの異能。
その存在は広く知られているが、無許可での使用が禁じられている日本においては滅多に見られることはない。事実、愁も実物をお目に掛かれたのは今回が初めての事だった。
「ん……やはり動きませんか。これは、参りました……」
つい先程までの悲惨なほどの負傷は綺麗さっぱり消えていたが、少女の言葉遣いはたどたどしい。注意深く様子を伺うと、明らかに顔色が真っ青になっているように見えた。
傷がどうこう、という話ではない。少女自身も言っていた事だが、治ってしまう傷よりも、指先一つ動かせない程の衰弱具合の方がよほど重篤だ。
「くそ、救急車……はこの渋滞じゃ無理か」
「……そうですね。ここに寝ていても、通行の邪魔に、なって、しまいますし……そこの茂みにでも、転がしておいて、いただけますと」
「バカ言うな、ちょっと待て」
自分でも意外なくらい冷静になったのは、今にも死にそうな顔で少女が強がって見せているからだ。馬鹿げた提案を一蹴して携帯を取り出し、連絡先の一覧からよく見知った名前をコールする。
『あれ、愁さま?どうかなさいましたか?』
「すいません那月さん、帰り道で急病人を拾ったんです。渋滞で救急車も呼べそうにないから一度屋敷で診てほしいんですけど、神楽坂先生はまだ居ますか?」
『急病人――、はい、神楽坂先生ならまだ医務室に。帰路の渋滞という事は……御堂筋沿いですね。
随分と突然な内容を伝えている自覚はあったが、流石に対応が早い。この一瞬で大まかなこちらの現在地を特定した上で、即座に回収までのルートの提示まで済ませてくれるとは思わなかった。
電話越しにだが、既にエアモービルの駆動音が届き始めている。行動の速さに感服すると同時に、こうしてはいられないとこちら側でも支度を始めた。
「コースまで若干離れてるので、当人を
『承知しました、ではそのように。道中、怪我にはお気をつけ下さい』
了承の声が返ってくると共に通話を切り上げ、足元で呆然とした表情のままの少女の横へと屈み込む。彼女の鉄脈術の効果なのだろうが、傷の具合を気遣う必要は無くなった事は幸いだった。
怖いくらいにか細い体を持ち上げれば、血を吸った布地の生暖かい感触が両腕に返ってくる。背筋に冷たいものが走ったが、そこは強引に無視して緑地内へと足を進めた。
「あの、私の事は……放っておいて、いただいても」
「そんな掠れ声でよく言えたな――心配しなくても、ウチに居るちゃんとした医者に診てもらう。というか、製鉄師なら相方の魔女はどうしたんだよ。近くにいるんだろ?」
「少し……事情が、ありまして……」
「悪い、今聞く事じゃなかった。無理に喋るな、近くに迎えが来てるし、何なら寝てたっていいから。あ、ただ後で『セクハラだ!』とかはナシで頼むよ」
少女の容体はいよいよ限界に見える。傷自体は確かに塞がった、だが少女を抱えた腕を伝って服に染み込んでくる血の感触からも分かるように、既に彼女が流した血が無かった事になる訳ではないのだ。
愁が来るまでの間に失った血は相当な量になるだろう、こうして言葉を発している事自体が奇跡のようなモノだった。
特に届いているとも期待していない予防線を張りながら先を急ぐ。合流地点の慰霊碑は目と鼻の先だ、那月がこちらに到着するまでには十分に到達可能だろう。
「――?」
そんな目算を立てながら木々の間を抜けていたその時、不意に背後の茂みからがさりという音がした。
別に、自然溢れるこの緑地公園に於いてそんな音はいちいち気にするようなモノでもない。必然的に愁もその程度の事象、無視を決め込んで先を急ぐべきだという判断を下そうとした。
だが、何故か。強烈なまでの違和感、或いは生存本能のような何かが、愁の意識を是が非でもそちらに向けようとしている。
直感だった。なにか、致命的なまでの“なにか”がそこに在る。それは、今朝のあの崩れた屋敷に感じた奇妙な嫌悪感にも近しい感覚――決定的なまでに混じり合う事の適わない、悍ましく深い亀裂。
「――。どう、して……『御使い』、が」
ぽつりと、腕の中で微かに目を開けていた少女が言葉を溢した。耳に届いたその音を皮切りに、溢れ出す嫌悪感に我慢が効かなくなって背後を振り返る。
目の奥がずくずくと痛む。脳幹をミキサーにでも掛けられているみたいに、頭の内側を『嵐』の感覚が支配していった。明滅する視界を死に物狂いで保ちながら、眼前に現れたソレを見る。
「……なん、だ?」
それを一言で言い表すなら、
或いは大の字にも似た形状に切り取られた、人の姿を模したらしい一枚の紙。吹けば今にも飛んでいってしまいそうなソレが、今まさに愁が通ったばかりの枯葉の絨毯の上で一人でに直立していた。
周囲の環境音が次第に遠くなる。意識がその
あったモノはただソレだけ。たった一枚の紙切れ、ただ人の形をしたソレがそこに存在しているだけ。ただそれだけの光景が。
――この世の何よりも、気持ち悪くて仕方がない。
「……っ!!」
一刻も早くアレから距離を取る。そんな決断が弾き出されるまでに、時間は一秒と掛からなかった。
少女を両腕に抱えた形のまま、かつてこれ程までに死に物狂いで体を駆動させた事があったかという速度で木々の間を駆ける。無茶な動作をしている自覚はあったが、狼狽する心に反して不思議と肉体の動作はこれ以上ない程に安定していた。
猛烈な速度で、木々の幹が視界の端へと流れていく。たった一歩でも足を滑らせれば、今度は二人まとめて大怪我をしかねない程の加速。
危険行為極まりないと分かってはいても、本能的な恐怖が理性を完全に押し除けていた。そうしなければ、何処か踏み込んではならない場所に引きずり込まれてしまいそうな、そんな直感があった。
「――っず、ぁ!?」
突然だった。何もなかった筈の眼前に、まるで初めからそこに在ったかのような顔をして、
ほとんど反射的に上体を逸らして、人形の真下へと滑り込む。地面が柔らかい土壌だったのが幸いしたか、猛烈な速度で腰から着地したダメージは殆ど感じられなかった。
残っていた慣性を頼りに体勢を立て直せば、既に眼前の道を
「……っ、ぶ、ぐ」
どうにか打開策を――と思考に走ろうとした頭蓋を、空想の嵐が齎す激痛が執拗なまでに抉り削っていく。腹の奥から湧き上がる猛烈な吐き気を咄嗟に呑み込んで、こちらを見下ろす無貌の人形を睨みつけた。
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎。⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎?』
『⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎。』
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎!』
それが人形の声だったのか、或いは頭の中に響く嵐を彩る悲鳴だったのか。それを判別する術など愁は持ち合わせておらず、ただただ不快な雑音として、頭の裏側にヤスリを掛けるように思考能力を抉り取っていく。
気持ちが悪い、気味が悪い。“愁”という個は、その存在を受け付けない。ソレを捉えた眼の奥が焼けるように熱く、その熱に比例するように視界が赤く染まっていく。
「……やめ、ろ」
まるで、夢の中に居るようだった。意識をこうして保っていながら、魂だけがあの地獄の光景に囚われてしまったかのようだった。
今や、暗がりに染まった自然の姿など視界のどこにもない。在るのはただ触れるもの全てを切り刻む真紅の嵐と、その中で無作法にも自らは関係ないとばかりに浮遊する人形たちの姿だけ。
――不愉快だ。この世界に踏み込んでいながら、この世界に姿を現しながら、世界の在り方から目を背ける『ソレ』らの存在が、無遠慮にもその中枢に指先を伸ばそうとする図々しさが、腹立たしくて仕方がない。
「穢、すな――!」
眼を、開く。
災禍の嵐の中に、正しく人形の存在を認める。このユメを観測するものとして、この地獄を観測するものとして、あらゆる不正は認可しない。この世界を土足で踏み躙っておきながら、ただ逃げ去る事など許されはしない。
――故に、全て等しく、この嵐の中へとその存在を引き摺り込む。
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎!!??』
『⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!!』
突如として金属を擦り合わせたような、そして甲高い悲鳴のような、絶叫としか形容のしようがない音が響く。まるでバグを起こしたゲーム画面の如く姿を歪ませた人形たちは、蜂の巣をつついたようにその隊列を乱し始めた。
人形はもがき苦しむみたく暴れると、その影響力に翳りでも生まれたのか、僅かに愁の視界を覆った嵐の光景が薄れる。朧げにも機能を取り戻した視覚能力へと真っ先に飛び込んできたのは、容赦のない強烈なまでの光の照射だった。
「――愁さま!!」
「……那月、さん?」
目が痛くなる程の光の正体は、エアモービルに搭載されたヘッドライトのソレだったらしい。凄まじい勢いで突進してきた機体は器用にも木々の隙間へと滑り込むと、ボロボロに朽ちた人形らを跳ね飛ばしてその包囲の陣を崩す。
浮遊待機状態に切り替えられた機体から降りてきた彼女は、即座に愁の腕の中で意識を失っていたらしい少女をモービルの座席に座らせた。
「少し、失礼しますね」
澱みない動作でそこまでを完結させた那月は、愁の前に屈み込むとその頬を両手で挟み、ジッと彼の瞳を覗き込んだ。
僅かコンマ数秒の静寂。何処か複雑な表情を浮かべた彼女は、微かに歯噛みして絞り出すような声を漏らす。
「――っ。やっぱり、眼が」
「……那月さん。こいつら、は」
「お話は後ほど、です。先に屋敷に戻りましょう、後は本職の方々に任せます」
頭痛のダメージが後を引いて立ち上がれない愁を、その小柄な体のどこにそんな力があるのかという力強さで支えた那月は、殆ど彼一人を背負うようにしてエアモービルへと搭乗する。
三人分の体重をも難なく支え切って駆動音を響かせた機体は、人影の見えないジョギングコースを法定速度を大幅に超えた速度で疾走した。
平常を取り戻したのか、或いは彼らを蝕んでいた何かから解放されたのか、ようやく纏まりを取り戻した人形の一群は、怒りすら感じる気迫を以て愁たちの乗った機体を追走する。
――が、それも一瞬のこと。緑地を包む暗闇が突如として膨れ上がって、まるで獣のアギトのように人形らを噛み砕いたのだ。
次から次へと襲い来る異常事態に頭がどうにかなりそうだったが、その影の獣にだけは心当たりがあった。ソレが正しいのであればきっともう大丈夫だろうと、散々拷問じみた苦痛に晒され続けた思考は遂に微睡みへと落ちていく。
そうだ。再び、逃れようのない地獄の中へ。永劫を繰り返す終幕の中へ。終わることのない嵐の中へと、落ちて、落ちて、落ちていく。
どれだけソレを拒んでも、どれだけ赦しを乞い願っても、落ちていく。
落ちていく――。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
三人を乗せたエアモービルがその場を去ってから、僅か数分足らず。影そのものが形を持ったかのような獣たちの群れに、二人の少女が近付いていく。
獣たちは少女の片割れ、獣たちに似た真っ黒な髪色をした少女――ユズの姿を認めると、その殆どが足元を覆う影に溶けて消える。たった一匹残された獣、一際大きな巨体を持つ狼が如きソレは、黄金色に輝く瞳を瞬かせると、少女の首筋へとその鼻先を甘えるようにうずめた。
「……これで全部?……そう。お疲れさま、偉かったね」
労うユズの言葉に満足げな様子で唸った影の獣は、他の獣たちと同様に足元の影へと沈んで消える。ひっそりと背後から飛び付かんばかりの姿勢で近付いてきていたもう片方の少女が、その目標を失った事でガックリと項垂れていた。
「あーん、また逃げられちゃった。ユズぅ……ホントに触らせてってお願いできないの……?」
「……だめだよ、カレン。どうしても触りたいんなら、ちゃんとあの子たちに許してもらってからね」
緑地内に点々と設置された街灯に照らされているというのに、不自然なくらい広がっていた影が一斉に蠢き出す。その身で覆い隠していた光を緑地へと返した影の獣たちは瞬く間に収束すると、ユズという一個人から伸びた影の中へと帰っていく。
オーバード・イメージ能力者が垣間見た異なる世界の光景を具現化し、行使する鋼の魔術。彼女の場合は暗闇の中に巣食う不定形の獣たちこそが、彼女という存在に紐づいたもう一つの世界だった。
「それにしても、まさかこの緑地で
「……群体を形成してた。ソレ単体では大した影響力は持ってないような、比較的目撃例が多いタイプではある……けど、やっぱり百鬼夜行騒ぎの影響が今になって出てきてるのかも」
――ここ数ヶ月。関西圏を中心に、一つ一つの規模は小さいながらも
半年ほど前の事。この『情報生命体』がまるで濁流のようにこの世界へと顕現し、関西圏を中心に恐るべき被害を齎したという事件――と言うより、大災害にも等しい事案が発生した。
通称『百鬼夜行事件』。ソレ単体で国一つを落としかねない程の神秘を秘めた
当時の製鉄師たちは総力を結集してこの討伐に臨み、日本皇国の守護の任を見事果たしてみせた。だがその後遺症とでも言うのか、近頃ではまるで事件の残滓のように、各地で小規模の敵性情報生命体らの顕現が報告されている。
ただ、この近辺ばかりは緑地の成立から事件以降に至るまで、情報生命体らを一切寄せ付けてはいなかった。そんな前提が今になって唐突に崩れ去ったのは、事件の余波が遂に何かしらの垣根を越えたのか、或いは――。
「それか……情報生命体を惹きつける『何か』があった、とか?」
「――それは。」
ユズが介入に入るまであの情報生命体に追われていた何処か懐かしい匂いの少年の気配を、彼女は影の獣たちの嗅覚を通して感じ取っている。
いくら群れているとはいえ、あの程度の規模の小物ではせいぜい人の体調を悪化させる程度。彼に危険が及んでいる事はそうないだろうが、今朝の彼の様子もあって心配がない訳でもなかった。
或いは、カレンの言う『何か』が彼に在るとしたら――。
「……ううん。まさか、ね」
少女はかぶりを振って、脳裏によぎった悪い予感を頭から追い出した。
ユア・ブラッド・マイン―冥き獣たちの墓標― ぜっつん @bowto_withstand
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