後編

 『いや、前より小さくなった気がして』

『私が小さくなったんじゃない、あなたが大きくなったのよ』


 少し会わないうちに、彼は見上げるほど背が伸びている。長い前髪も切って、彼の精悍な顔立ちがよく見えた。だが、にこにこと人好きする笑顔は変わらない。会場に光の玉をぶん投げたことについて、悪びれる様子は全く無かった。兵士に捕らえられても仕方ない暴挙だというのに。呆れるほど、変わらない。

 シャルロッテは顔を顰めて、拾った石を観察する。


『……これ、光で敵や獣を追い払う護身用の武器よね』

『そうそう。君から貰った案をもとに作ったんだ。お兄さんに手伝ってもらったよ。あ、この辺の魔法陣は、僕がやった』

『お兄さんって異母兄の? 和解したの?』

『僕ら、もとから関係悪くないよ』

『なんで悪くならないのよ。殺しかけたのに』

『殺しかけたの母上だし……』

『もっと責任を感じなさい』


 周囲がしんと鎮まる。サイモンがようやく立ち上がる。まだ混乱しているのか、黙ったままだ。ステファンも固まってしまった。

 唯一違う反応を見せたのは、エミリーだ。彼女はじっとローベルを見つめ、頬を染めている。彼女はユーグル語を知らない為、ローベルとシャルロッテが何を話しているのかも、分かっていないだろうに。


『でね、護身用とは別に、娯楽用として作ったのがこれ。護身用よりもっと弱い光でね、暗い部屋でこれを投げると綺麗なんだよ。今は明るいからあんまり分かんなかったなー。やっぱり会場の明かり消した方が良かったね』

『光が7色なのは?』

『面白いじゃん』

『7色にしなければ、もっと持続時間を伸ばせるわよ』

『でも、7色の方が綺麗なんだよ。もう一度見てみてよ』


 ふと。ローベルが、ここで初めて存在に気づいた様子で、サイモンを見た。


「というわけで、会場の明かり消してもいいですか?」

「何故!?」


 ようやく、サイモンは正気に戻ったらしい。至極真っ当な疑問である。


「貴様、何者だ!」

「会場の雰囲気が暗かったから、明るくしようと思って……」

「なんだそれは!? おい! お前達何をしてる!? さっさとこいつを……」

「サイモン!」


 サイモンは会場にいる警備の騎士を呼ぼうとした。正しい反応である。しかし、それを青ざめた顔のステファンが止める。

 今日は彼に心労ばかりかけているなど、シャルロッテは申し訳なくなった。


「物理的に明るくしてどうするのよ」

「でも、綺麗なものを見ると気分が明るくならない?」

「時と場合によるでしょ」


 呆れ顔でローベルと話すシャルロッテを、サイモンが凝視した。今更ながら、シャルロッテが普通に話していることに気づいたらしい。これまで、シャルロッテとサイモンがここまで気安く、親しげに話したことはない。

 自分にはいつも無表情だったのに、何故。そんな身勝手な嫉妬心を滲ませて、サイモンはローベルを睨みつけた。


「貴様、シャルロッテとはどんな関係だ……?」

「え、同級生です。殿下とも同学年でしたし、話したこともありますよ?」

「は? いや、貴様には見覚えがない。名を……」

「そういえば、第二王子殿下。昨日の件、彼女に話してくれました?」

「い、いいえ。まだですが……」

「だから、貴様は何者だ!」

「ええー……」


 ローベルは困ったように、眉尻を下げた。困っているのは、明らかにサイモンとステファンの方である。


「僕の背が伸びたから、分からないのかな?」

「見ないうちに、随分伸びたわね。それだけじゃなくて髪色が違うし、あなたずっとクランボって名乗ってたじゃない。今は本名を聞かれてるのよ」

「え? もしかして、殿下は何も聞いてないの?」

「聞いてないんじゃない? この様子だと」

「おい! いい加減に……!」


 ローベルが、笑みを消した。ややつり上がった、切れ長の瞳にサイモンが怯んだ。

 彼が居まいを正した。胸に手を当て、礼をする。その洗練された動作に、誰もが息をのんだ。


「イーファ王国第二王子殿下、第五王子殿下に改めましてご挨拶申し上げます。ユグルス王国初代国王アスラの忠臣トーズラントの子、ローベル・ラフ・トーズラントと申します」


 予想外の大物の登場に、サイモンは言葉を失った。

 白金色の髪に海色の瞳。どちらも、公爵家トーズラントの証である。

 ユグルス王国二大公爵家のひとつ。たとえ会場に光の玉をぶん投げられようとも、おいそれと捕まえられない、大貴族である。


「此の度は、ユグルス王国で最も格式高き、ローレンス魔法学園学園長の名代で参りました。私が、シャルロッテ・シューラ・ハルト侯爵令嬢の学友であった縁によって、名代を任された次第です」

「魔法学園……?」


 ローベルは、今度はシャルロッテに目を向ける。懐から何か取り出した。

 手紙だ。封蝋には、月桂樹の葉のリースが描かれている。彼はその手紙を差し出し、微笑んだ。


「ハルト侯爵令嬢、留学をしませんか? 我がローレンス魔法学園は、貴女の頭脳と能力を高く評価しています」

「え?」

「……君がくれた設計書を学園長に見せたんだよ」


 ローベルと最後に会った日、シャルロッテは彼に餞別を渡した。それは彼女が考えた魔法道具の設計書だった。現状では、実用化が難しいと判断した魔法道具だ。イーファの魔法技術では無理でも、魔法に長けたユグルス王国ならば実現可能ではないか。そんな希望をシャルロッテはローベルに託していた。

 けれど、まさか留学に繋がるとは思わなかった。


「学園長は公平な人だよ。そこの、君の功績を評価しようともしない婚約者……あ、元婚約者とは違って、正当に評価してくれる」

「おい! それはどういう意味だ!」

「え、そのままですよ? シャルロッテ嬢に自分の課題やらせてたこと。さっき、シャルロッテ嬢は課題を出してないって言ってて、おかしいとは思ったんですよね。だって、彼女はいつも課題やってたし」


 ローベルの発言に、サイモンは驚愕する。


「ま、待て! シャルロッテに課題を渡したことはない! 渡していたのはエミリ……あ!」

「……渡していたのは……?」


 サイモンが口を押えるが、時はすでに遅し。サイモンの迂闊な告白に、ステファンは眦を吊り上げる。

 つまり、サイモンはエミリーに自分の課題を渡し、エミリーはそれをシャルロッテにやらせていたのだ。そして、サイモンには自分がやった体で渡していた。

 自分より年下のエミリーに課題をやってもらおうとするサイモンも、それをシャルロッテにやらせて手柄を横取るエミリーも、どちらもどうしようもない人間だ。

 もちろん、それを分かっていながら指摘せずにいたシャルロッテにも、問題があるのだろう。言っても仕方ないことだと、諦めてしまっていた。


「そういえば、領地管理人から送られた報告書を読んでたけど……。途中から別の仕事もやり始めたよね。あれってなんの仕事だったの?」

「ああ。王子の公務の一部よ。エミリーが渡されたやつ」

「お、おい!」

「……そうか。お前がどんな人間か、私はなにも知らなかったようだ」


ステファンの表情が変わった。声は穏やかなのに、顔には普段の穏やかさが欠片も残っていない。今度はサイモンが青い顔で俯いた。

 その間も、ローベルは容赦ない指摘は続く。


「同い歳ならまだしも、自分より年下の子に自分の課題をやらせるとか、恥ずかしくなかったんですか? 2年生のとき、初めてお話したの覚えてらっしゃらないみたいですけど……。シャルロッテ嬢のこと散々馬鹿だとか婚約者で恥ずかしいとか言ってましたが、人のこと言えませんよね。人を責める前に、まず自分を省みましょうよ」


 決して、責めるような口調ではない。嘲るような口調でもない。ただただ明るく、世間話をするような気安い口調。だからこそ、相手の心を深く抉る。彼は分かっていてやっている。


「というか、婚約者の書いた字って分かりません? 気づかなかったんですか? きちんと考えればすぐ分かったと思いますけど」

「普通そうよね」


 シャルロッテとエミリーの筆跡は似ていない。また、シャルロッテはサイモンの課題をやるときも、特段字を変えたり、インクを変えたり、ペンを変えたりすることはなかった。彼がきちんとシャルロッテが送った手紙を読んでいれば、すぐに分かっただろう。要するに、彼はシャルロッテに心底興味が無かったのだ。

 サイモンはわなわなと震えているが、反論しなかった。全て事実だったからだ。王子に本音でものを言える人間は、そういない。ここまで面と向かって言われるのは初めてで、彼も返す言葉が見つからないのだろう。


「……本当は全部分かってたでしょう。噂が嘘だってことくらい」


ハッとサイモンが顔を上げる。ローベルと目が合う。深い海色の瞳は逃げることを許さない。彼の瞳は、相手の心の、最も弱く柔らかい部分を見抜いていた。弱い心を、的確に言葉で射抜いていた。


「あなたが、嘲笑しようが、見下そうが、公衆の面前で婚約破棄を叩きつけ彼女を辱めようが、それで彼女の価値が下がることはありません。むしろ貴方の評価を下げる。いい加減、素直にシャルロッテ嬢を認めたらどうですか。無駄な努力ですよ」


 サイモンは愕然とし、そして強く拳を握りしめた。

 今にもローベルに殴りかかろうとしたそのとき、場違いな甘い声が響く。


「ローベルさま! お姉さまを留学させるなら、あたしを留学させて!」


 きらきらと目を輝かせ、エミリーはローベルに駆け寄った。媚びた様子で、彼の腕をとり、さりげなく自分の豊満な胸を押しつける。シャルロットは不快そうに顔を顰めた。彼女のこれまでの振る舞いの中で、最も不快だった。

 サイモンは、腕を振り上げたままの状態で停止した。ずいぶんと間抜けな格好だが、本人はそこまで考える余裕はないようだ。


「え、エミリー……何を……?」

「お姉さまが作った魔法道具は、元々あたしが考えましたの! その魔法道具の設計書もそうよ! だから、留学にふさわしいのはあたしなの! だから連れてって!」


 どうやら、サイモンから心変わりしたらしい。母親に似たのか、エミリーはとても面食いなのだ。サイモンも線の細い美青年だが、どちらかといえば、今のローベルのような、背の高い美丈夫が彼女の好みだった。

 それにしても変わり身が早すぎる。節操の無さまで母に似たか。


「そうですわ! それに、シャルロッテは無愛想で可愛げのない子です! エミリーの方がずっと優秀でお役に立つはずです!」


 何故か義母までやって来た。サイモンのことは、もういいのだろうか。


(そういえばさっきの口上……、ローベルは自分がトーズラントの次男だって言ってなかったわね)


 だとすると、エミリー達はローベルが嫡男だと勘違いしている可能性がある。サイモンとハルト侯爵家を継ぐよりも、ローベルに取り入って公爵夫人になった方が得と考えたのだろう。あまりにも浅はかで、短絡的な思考だ。


 エミリーは自信に満ちた顔でローベルを見つめた。自分が選ばれると、確信している。実際、シャルロッテの婚約者であるサイモンはエミリーを選んだ。だから、ローベルも自分を選ぶと。

 しかし、ローベルは動じることなく、変わらず不思議そうに問いかける。


「貴女が最初に考えたのなら、さっきなんで怯えていたのですか?」

「へ?」

「この魔法道具は、投げたら光る。それだけの機能しかないもので、危険性はとても低い。それを貴女は知っているはずなのに、何故あんなに怯えていたのか。説明してくれますか?」


 予想外の問いに、エミリーの力が緩んだ。その隙に、ローベルは彼女の手を振り払う。

 あっさり外れた腕を、エミリーは信じられない様子で凝視している。その信じられない様子のエミリーを信じられない様子で、ローベルは彼女を見た。


「え? 貴女、王子殿下とご結婚されるんですよね? なのに、他の人と腕を組むのはおかしいと思いますよ。なんでそんな不思議そうな顔をするのか、こっちが不思議なんですが……。とりあえず、先程の質問に答えてくれますか。なんで、あんなに驚いてたんです?」

「それはぁ……いきなりでびっくりしちゃっただけでぇ……」

「そうですか。じゃあ、この道具に施された術式について説明してもらって良いですか」

「え!」

「これは娯楽用に調整はしたけれど、基本設計は設計書の通りです。なので、この魔法道具に使われた基本術式について、皆様にどうぞご説明を!」


 はいどうぞ、とエミリーを促す。周囲の視線が彼女に集中した。エミリーの顔色がだんだんと悪くなる。


「い、いちいち覚えてないわ!」

「じゃあ、見れば思い出しますよね? シャルロッテ嬢、それ貸して貰えます?」

「ええ」


 シャルロッテは、ローベルに石を渡した。にこにこ笑いながら、石を差し出してくるローベルに、エミリーは一歩後ずさる。助けを求め周囲を見渡すが、誰も彼女と目を合わせない。


「だから! 覚えてないって言ってるじゃない! こんな光るだけのしょっぼい道具! こんなの大したことないし!」

「なら、他の魔法道具なら覚えているんですね」


 ローベルが懐から更に数枚、書類を取り出した。一体何枚、忍ばせてきたのか。それらをエミリーに広げて見せる。


「自動阻害魔法ペン、烏よけ風見鶏、色変わりの糸……。それらの発案書もありますよ。あと、学園長から、魔法道具の開発者に聞いてくれって質問も渡されてて……。《魔法道具の作り方を誰から教わったのか》《ローレンス術式ではなくリラ術式を使ったのは何故か》《猫は液体だと思うか》」

「最後のは、絶対あなたでしょ」

「せっかくなので、お答え頂けませんか。貴女も、自分の功績を盗られて悔しいでしょう? 自身の有能さを、皆様に証明する良い機会ですよ」


 ローベルが笑顔で畳み掛ける。周囲の目も、段々と鋭いものに変わっていく。

 エミリーは唇を悔しそうに噛み締め、泣き出してしまった


「なによ……なによ! みんなお姉さまばっかり褒めて! あたしだって頑張ってるのに! シャルロッテ様はもっと出来た! もっと覚えられたって! 侯爵家もお姉さまのもの、王子さまもお姉さまのものなんて、ズルいわ! ちょっとくらいあたしにくれたっていいじゃない!!」


 顔を真っ赤にさせて、エミリーは地団駄を踏む。まるで理屈になっていない、子どもの癇癪だ。15歳といえば、もう大人と遜色ない年頃。あまりに幼稚過ぎる振る舞いに、周囲は一斉に目を逸らした。

 そんな中、シャルロッテは静かに妹を見つめていた。エメラルドの如き瞳は、理性的な輝きを放つ。

 どちらが魔法道具の開発者か。誰の目から見ても明らかだった。


 わんわんと大泣するエミリーを、義母は必死に慰める。ローベルは、そんな義母に話し始めた。


「ハルト侯爵夫人。先程のご提案ですが、学園はシャルロッテ嬢の実力を買っています。愛想が無く、口が悪く、性格がひねくれていることも承知の上で勧誘しているんですよ」

「そこまで言ってなかったわよ」


 明らかに言い過ぎだ。しかし、不快ではない。それはきっと、ローベルはシャルロッテの短所だけでなく長所も認めてくれている、という信頼があるからだ。シャルロッテが、ローベルの短所も長所も認めているように。


「で、でも! やはり、シャルロッテの留学は許可出来ないわ!! この子は協調性も無いし、慎ましさも無い! あちらでやって行けるとは思いません!」


 さすがは義理とはいえ、母親である。何年も同じ屋敷に住んでいただけあって、シャルロッテの性格をよく知っている。

 ローベルは意に介さず、あっさりと言い切った。


「許可しなくていいですよ」

「は!?」

「学園には、特待生制度があるので」


 特待生制度。聞きなれない単語に、誰もが首を傾げた。

 慎重に、ステファンが声をかける。


「確かそれは……。稀に生まれる、魔力の高い平民の為の救済制度では?」

「まあ、遠からずですね。特定の条件を満たせば学費が免除される制度で、学園長が保証人及び後継人になります。必ずとも平民のみが対象ではないんですよ。最初の特待生が平民で、それ以降特待生がいなかっただけで。彼女は、記念すべき2人目の特待生です」


 なので。ローベルは悠々と続ける。


「侯爵家の援助はなくとも問題ありません。卒業後、数年間はユグルス魔術師団に所属してもらうことになりますがね。学園長の許可は出てますよ」


 ローレンス王立魔法学園に限らず、国の教育機関の目的はひとつ、国にとって有益な人材を育てることだ。特待生とは、国が金を払ってでも確保したい人材であり、卒業後に召抱えるのは当然である。

 つまりは、特待生としての勧誘とは、《ユグルス王国に仕えないか》と言っているも同義。事実上の引き抜きだ。

 白昼堂々。衆目環視。しかも王族がそばに居る状態での引き抜き宣言。驚くべき胆力である。


「き、貴様……どこまで我々を侮辱する気だ!」


 サイモンが唸るような声で叫ぶ。それに追従して、周囲のイーファ貴族からも非難の声が上がる。

 侮辱行為だ。馬鹿にするにも程がある。祖国を捨てろなど鬼畜すぎる。四面楚歌の中、ローベルはやはり涼しい顔をしていた。


「おかしなことを仰いますね。貴方にとって彼女は怠惰で、不出来な令嬢なのでしょう。ならば、国からいなくなっても困らないじゃないですか?」

「そういう問題じゃない! こいつは私の婚約者だぞ!」

「だった、でしょう? 貴方が破棄すると言ったんです。なら、貴方と彼女は無関係だ。彼女の進学について口を出すのは、流石に王子の権限を越えているのでは?」


 ローベルの反論に、サイモンはぐうの音も出ないようだった。

 ローベルは、この場を完全に支配していた。光の玉の魔法道具を使い衝撃を与え、会場の空気を無理やり変えた。魔法道具をいきなり使ったのも、おそらくはエミリーの主張を否定する為。エミリーが開発者ではないと証明した。

 サイモンとエミリーが作り上げた粗末な断罪劇、その主役はもはや彼らではない。

 ここは、ローベルの舞台だ。そして。


「まあ、留学を決めるのはシャルロッテ嬢ですよね。貴女はどうされたいですか」

「私が、どうしたいか」


 シャルロッテの舞台でもある。この事件の渦中は、シャルロッテなのだ。

 ステファンとローベルが、シャルロッテの無罪を証明してくれた。彼女自身はほとんど何もしていない。本当ならば、自分で言わねばならないのだ。だって、自分のことなのだから。

 如何せん。話しても分かるまいと諦めて、無言で耐える日が多すぎて、シャルロッテは彼らに対して反論することも出来なかった。

 先程、言えば良かったと反省したばかりだ。今度こそシャルロッテは、自分の言葉で彼らと話さなければならなかった。


「し、シャルロッテ……。まさか行くなんて言わないだろう……?」

「そうよ! お姉さまが行ったって、何の役にも立たないもの!」

「シャルロッテ、家に居てくれるわよね? 家族を置いていかないわよね」


 3人が各々好き勝手に喚いている。義母も妹も、シャルロッテが侯爵家を維持していたのを知っているのだ。だから、婚約破棄後も侯爵家に留めておき、働かせようとしていた。また、シャルロッテの有能さに気づいたサイモンも、シャルロッテを婚約者としてこき使う気だ。彼が、エミリーに仕事を渡していたように。

 3人とも、なんと浅ましい。

 ローベルが、静かに後ろに下がった。手で合図を送る。次は、君が話す番だと。

 シャルロッテは、ゆっくりとサイモンの前に歩み寄る。彼が喜色を浮かべて、手を広げた。


「シャルロッテ、もう一度やり直そう。これからはちゃんと君の愛に応え……」

「嫌に決まってんでしょ、頭がおかしいんですか?」


 時間が止まった。

 サイモンも義母もエミリーも、ステファンや周囲の人間達すら、シャルロッテの発言に目を剥いた。

 ふわふわとした赤褐色の髪、大きなエメラルドの瞳、折れそうな程華奢な身体。人形のように可愛らしい令嬢から、暴言が飛び出ると誰が思うか。驚かないのはひとり、ローベルだけである。


「シャルロッテ……?」

「いろいろ言いたいことはあるけど。まず、君の愛って何ですか? なんで私の愛がある前提で話されるのか、理解に苦しみます」

「君はエミリーの代わりに、私の課題や仕事をやってくれていたんだろ? それは私を愛していたからで……」

「違います。断るのが面倒だっただけ。簡単な内容だから、やった方が早いなって思って」

「か、簡単……」


 振られたショックと、自分が投げ出した仕事を簡単と言われたショックで、サイモンは打ちのめされた。

 シャルロッテはサイモンが好きではない。愛など欠けらも無い。それでも婚約し、嫌々ながら彼を支えたのは、シャルロッテがイーファの貴族だからだ。イーファ王国の民として、王家に仕える義務があるからだ。

 でも、その気持ちは消えた。支えてくれる臣下になんのねぎらいもなく、ただ使い潰すだけの主に仕える意味はあるのか。

 また、サイモンをこのような愚か者を育てた元凶である国王にも、シャルロッテは同じだけ不信感を持っている。人格者のステファンや、敏腕と名高い王太子には申し訳ないが、シャルロッテは王家を見限った。


「自分の仕事もやらない、感謝もしない、婚約者の字にも気づかない。この体たらくでよく愛されてるって思えましたね。自意識過剰にも程があります。一度、自分のこれまでを振り返ったらいかが?」

「ロッティ……そんな意地悪言わないでくれ……」

「事実です。あと、愛称で呼ばないください。一度も呼ばれたことないし、その愛称。まるで仲が良かったみたいに振る舞うのはやめてくださる? 純粋に不快ですわ」


 淡く色づいた可憐な唇から、とめどなく溢れる言葉の刃。不敬罪を恐れない振る舞いに、周囲が青くなる。しかし、シャルロッテは凛とした態度を崩すことは無かった。


「私は貴方を愛してない。愛したこともない。婚約破棄してくださり、ありがとうございます。王子殿下、愚妹とどうぞお幸せに」


 シャルロッテが僅かに微笑み、言い放つ。おおよそ初めて見る彼女の笑み。それがトドメだった。サイモンはガックリと項垂れ、動かなくなった。

 シャルロッテが、義母とエミリーの方を向いた。びくりと、互いに肩を寄せ合い怯えた顔をするふたりを、シャルロッテは冷めた目で一瞥する。


「私にとっての家族は、亡くなられたお父様とお母様だけよ。あんた達は含まないのよね」

「な……! この恩知らず! 誰が育ててやったと!」

「生かしていただけでしょ。最低限の食事と寝床を用意しただけ。叱責、折檻、鞭打ち以外で、あんたから何かを貰った記憶はないわ。自分のやったことくらいは、ちゃんと覚えてなさいよ。そこまで頭が悪いの?」


 折檻、鞭打ちという言葉に、周囲が反応が変わった。小柄なシャルロッテが鞭で打たれる姿を想像した人々は、義母に非難の目を向ける。義母は、「それは……躾で……」と、もごもごと反論した。


「私は父の遺したハルト侯爵家を守りたかったわ。でも、思うのよね。本当に、今のハルト侯爵家に守るものはあるのかしら」


 愚鈍な義母、強請るしか能のない妹、本家を守るどころか、こぞってたかる分家。

 これらを守る価値があるのだろうか。

 領地や領民のことを思うと、見捨てることが出来なかった。だが、本当に彼らを思えばこそ、領地は国に返すべきだったと思う。今のハルト侯爵家は、領主に相応しくない。侯爵家としても相応しくない。

 ならば、ハルト家長子の最後の責任として、シャルロッテが引導を渡すべきなのだ。


「決断を先延ばしにしたのは私の罪。だから、最後の責任はとりましょう」

「シャルロッテ!」

「ハルト侯爵代理、跡継ぎはエミリーに決めたのでしょう。ならば、今後は彼女と共に頑張ってくださいな」


 縋る彼らに背を向けて、シャルロッテはローベルに向き直す。彼は、やはり変わらず笑っていて、しかしその笑みはいつもより満足そうであった。


「以前、貴女は言いました。自分は侯爵家の跡取りで、王子の婚約者だから国を出られない。でも、今、その両方とも無くなりました」


 ローベルが、シャルロッテに手を差し伸べる。海色の瞳が、シャルロッテの瞳を捉える。最初に会ったときからずっと、彼の瞳はシャルロッテを捕らえて離さなかった。


「……今度こそ、私と共に来てくれますか?」

「ええ、喜んで」


 シャルロッテは、微笑んで彼の手を取った。彼女の首元の形見のネックレスが、濡れたようにきらりと光る。

 もう、非難の声は上がらなかった。先程の会話から、シャルロッテはずっと家族からも王家からも虐げられてきたことが分かった為、国を捨てようと思うのも無理なしと、周囲も考え直したらしい。あるいは、ローベルとシャルロッテの空気に呑まれたのか。

 ちらほらと祝福の拍手が上がる。それを打ち消すように、サイモンは叫んだ。


「お、お父様が許すはずがない! 出国許可がなければ留学も出来ないだろう! 決して……」

「許可します」


 ステファンだ。彼の厳かな声が、シャルロッテに向けられる。


「シャルロッテ・シューラ・ハルト侯爵令嬢の出国及び留学を認めます。いいえ、認めさせます」

「ステファン兄様!? 貴方になんの権限が」

「サイモン、口を閉じろ。これ以上、王家の恥を晒すな」


 ステファンが切り捨てる。その鋭い眼光に、サイモンはひっと声を漏らし、後ずさった。

 優しく穏やかなステファンも、やはり王族のひとりであった。王族らしい威厳を持って、シャルロッテに頭を下げた。王子妃もそれに習う。

 周りもシャルロッテも驚き、言葉を失った。


「これまでの愚弟の非礼、深くお詫び申し上げます。国王陛下には、必ず貴女の留学を認めさせます」


 王族が、一介の侯爵令嬢に頭を下げるなどありえない。しかし、それほどまでにサイモンの、そして国王と王妃の行いは非道だったのだと、周りに知らしめる。

 兄が頭を下げる姿を見て、ようやくサイモンは自分がしでかした罪を自覚したらしい。その場でへたりこんでしまった。


「……どうか頭を上げてください。私のことをいつも気にかけてくださり、ありがとうございました」


 シャルロッテが、最上級の礼をとる。シャルロッテはサイモンと別れたことについては、なんの後悔もないし、未練もない。だが、罪のないステファン達に頭を下げさせてしまった。それだけは、ひどく悔やんだ。


 ひとりの使用人が、会場に入ってきた。会場の異様な空気感にしりごみしつつ、彼は国王と王妃の入場を告げる。

 ステファンは、そこでやっと顔を上げた。


「……やっと、国王陛下と王太子殿下がお越しになるようですね。シャルロッテ嬢、公子殿はお下がりください。部屋を用意させますので、後は私にお任せください」

「……お心遣い痛み入ります」


 シャルロッテは、再びステファンに一礼し、背を向ける。サイモンが彼女に縋るように手を伸ばすが、シャルロッテが振り返ることはなかった。


「行こうか」

「ええ」


 シャルロッテがローベルの手を取る。そのままふたりは、会場をあとにした。



◇ ◇ ◇ ◇


 最悪の舞踏会から1ヶ月後、シャルロッテは王国へ旅立った。


 1ヶ月の間に、約束通りステファンは国王からシャルロッテの留学許可をもぎ取った。

 それに応じて、シャルロッテはハルト侯爵家の現状についてまとめた報告書を提出、今のハルト侯爵家には、領地を維持する力が無いことを訴えた。それにより、侯爵領の半分は国に返還、またエミリーの、サイモン王族に嘘を報告した偽証罪により、ハルト侯爵家は伯爵位に格下げ、エミリーは貴族学校の退学処分を受けた。

 サイモンも王位継承権を剥奪された。ただ、もとより彼は末王子。生まれた頃から、臣籍降下は決まっていた。継承権を剥奪してもあまり意味は無い。

 それで用意された別の罰が、エミリーと結婚し、伯爵となったハルト家を継ぐこと。そして、絶対に離婚しないことだった。愛人や妾の存在も認めないという。

 ステファン曰く、「王命であるシャーロットとの婚約を捨ててまで選んだ娘と結婚出来るんだ、本望だろう? 真実の愛とやらを証明してみせろ」とのこと。

 普段穏やかな人間ほど怒らせてはいけないと、シャルロッテはしみじみと思う。


 ただ、シャルロッテが最も驚いたのは、今回の騒動の責任を負い、国王が退位を決めたことだ。確かに、国王への信頼はゼロになっていたが、退位までは望んでいなかった。とはいえ、決まった以上どうすることも出来ないし、後のことはステファンと王太子に任せることにした。

 大切な舞踏会でやらかした割に、サイモンの罰は軽く感じられるかもしれない。一応、エミリーと結婚しハルト家を継ぐという、彼の希望は叶ったのだから。

 ただ、これまでずっと味方であった国王と王妃の失脚により、サイモンの後ろ盾は無くなった。なにせ新たな王となる王太子は、サイモンと非常に仲が悪いのだ。これからの人生、彼は苦労するだろう。

 この処罰を告げられたとき、サイモンはずっと「エミリーに騙されたんだ! あの悪女のせいだ!」と喚いていたそうだ。今更である。

 ふたりがどうなろうと、もう無関係。シャルロッテはすっぱりと気持ちを切り替え、ユグルス王国にやって来た。



◇ ◇ ◇ ◇



「……婚約破棄されるほどだったのかしら」


 馬車の窓を眺めながら、シャルロッテは呟く。向かいに座っていたローベルが、なにが? と聞き返した。

 学園の2年生として、編入したシャルロッテは、イーファの頃とは打って変わって有意義な時間を過ごしていた。

 この2年の間で、多くの魔法道具を発明した。2年前の光る魔法道具も商品化し、今やインテリアとして人気の魔法道具になっている。

 日中卒業式を終えたシャルロッテは、舞踏会の会場に向かっていた。ユグルス王国の成人年齢は18歳。シャルロッテは2度目の成人とデビュタントを迎える。


「2年前、馬鹿王子に婚約破棄されたことについてよ」

「口が悪いなあ」

「もう王子じゃないからね」


 車輪が小石を跳ね、車体が揺れる。

 シャルロッテは、イーファ王国での舞踏会を思い出す。

 2年前の彼女は流行遅れの深緑のドレスだった。今は柔らかな色味の、薄黄色のドレスを身につけていた。流行のデザインでありながら、スカートの裾に施されたミモザの花の刺繍は、ユグルスの伝統をしっかりおさえている。デコルテにはレースをあしらい、露出度を控えめにしている。それが、シャルロッテの華奢で愛らしい容姿を引き立てる。まさに、シャルロッテの為だけに誂えた逸品であった。


「婚約破棄されるほど、私は彼から嫌われていたのかしら? って思ったのよ」


 今更だけどね。シャルロッテは肩を竦める。

 シャルロッテとサイモンは仲が良くなかった。むしろ、悪かった。しかし、貴族の結婚なんて、好き嫌いで決めるものでもない。シャルロッテとの婚約は、王命だ。だからシャルロッテは嫌々従っていたのだし、サイモンも国王には逆らわないだろう。そう思っていた。

 しかし、彼は婚約破棄に踏み切った。それは、王命を覆し、父に逆らってまで、シャルロッテとの婚約を破棄したかったということだ。

 いくら仲が悪いとはいえ、そこまで嫌われていたのだろうか。


「僕は、王子は君との婚約を破棄するって思ってたよ」

「いつから?」

「王子と初めて話したとき」

「それって、貴族学校の2年生だったとき?」


 あっさりローベルが頷くのを見て、シャルロッテは少し目を見張る。


「僕がユグルスの生まれだと聞いて、興味を持ったみたい。でも、下級貴族だって思ってたから、いろいろ一方的に話してたよ。人が一番お喋りになるときって分かる? 自分より格下を相手にしてるときだよ」


 ローベルが海色の瞳を、すっと細める。


「彼は、たくさん君の悪口を言ってた。本当にたっくさん言ってたんだけど……知りたい?」

「すっごく嫌われてるじゃないの、聞かないわよ」

「嫌いっていうより、劣等感だと思う。彼は、君にかなり引け目を感じていた」


 引け目。そんなものが彼にあっただろうか。シャルロッテは、サイモンとの日々を思い出す。

 シャルロッテは魔力はあるものの、魔法は苦手で、彼はそのことをいつもネチネチと詰ってきた。一応、王族のサイモンは魔力量も多く、それなりに魔法が使えたのである。もちろん、魔法大国に生まれたローベルよりは劣るけれど。


「婚約者である彼が君の才能を知らなかったっていうのは、やっぱり違和感があるよ。ひとつ魔法道具を生み出すだけでも凄いのに、それを何個も作れる才能が知られてないなんてことある? 王家が、君と王子の婚約を決めたのだって、君の才能を国外に出さないようにするじゃないの?」

「まあ、その通りね」


 ハルト侯爵家と同じくらいの家格で、サイモンと歳近い令嬢は他にもいる。その中でもシャルロッテが選ばれたのは、やはり彼女の才能のせいなのだ。

 6歳のシャルロッテは、自分が鬼才だと知らなかった。一度聞いたことは忘れないし、一度教えてもらったらすぐ出来ると思っていた。それが当たり前だと思っていたから、才能を隠さなかった。

 シャルロッテだって、もし王族と結婚させられると知っていたら、功績をひけらかすような真似はしなかった。これまで何度後悔したことだろう。


「きっと、王子は君の才能を知ってた。でも、認めたくないから、ずっと君を馬鹿にしてたんじゃない? 君の妹に簡単に騙されたのは、君が本当は天才じゃないことを、彼が望んでいたんだよ」


 ローベルは、語りながら、馬車の外を見た。真剣な顔は珍しい。どんなときでも、他国で婚約破棄の現場を滅茶苦茶にしたときですら、にこにこ笑っていたくらいだ。

 彫刻のように整った彼の横顔を、シャルロッテは眺めた。


「僕から見たら、彼は劣等感の塊だったよ。そんな彼なら、婚約破棄するだろうことも予想出来た。婚約を破棄されることは、貴族令嬢にとって一番の辱めだからね。君を傷つけたかったんだよ。たとえ、婚約破棄が認められず、国王から再婚約を命じられたとしても、一度拒絶の意を示して、その後の結婚生活を優位に過ごしたいだろう。そして、その舞台は、君を徹底的に貶める為に、なるべく多くの観客のいる場所を選ぶ」


 ここまで正確に予想していたとは。その分析力と観察力に、シャルロッテは内心ゾッとする。

 婚約者だったシャルロッテより、二度しか会っていないはずのローベルの方が、ずっとサイモンを理解しているように思えた。

 人好きする笑顔に鋭い目線を隠して、相手の内面を探る。貴族らしからぬ彼だけれども、やはり策謀渦巻く社交界で生きる貴族なのだ。


 シャルロッテに視線を戻したローベルは、くすっと笑う。


「ほんとはね。学校行事のときに、婚約破棄するのかなって思ってたんだけど……何も無く終わりそうだったでしょ。だから、きっと卒業式か、その後の舞踏会でやるかなって。4年生って、他に大きな行事無いからさ」

「なるほどね」

「だから、それに合わせてイーファに行けるよう、頑張ったんだよ。魔法道具作ったり、特待生制度を復活させたり、学園長に留学生の推薦したり……。急いだんだけどね、結局イーファに着いたの、卒業式の前日だったなあ」

「え、いたの?」

「いたし、見てたよ。寝てたよね」

「暇だったのよ。それで、卒業式の前に、外交役の第二王子殿下に話をしたのね」

「まあ。僕、一応、学園長の代理だったし」


 あまりにもタイミングが良すぎるとは思っていたのだ。シャルロッテが婚約破棄されている現場に、他国に行ったはずのローベルがいるなんて、都合が良すぎると。

 だが、それは全く偶然ではなかった。ローベルの類稀な分析力と観察力による計算だったのだ。


「人ってね、自分が言われて嫌なことを、他人に言うんだよ。だから、悪口を聞くと、その人が嫌がる言葉が分かるんだ」


 彼は、大切な秘密を打ち明けるときのように、唇の前で人差し指を立てる。


「サイモン元王子の顔って、第二王子殿下や、王太子……現国王陛下と似てるよね」

「まあ、王族らしい顔よね」


 サイモンの顔を、朧気に思い出す。サイモンとステファンと王太子。3人とも王家の青髪と銀目で、顔立ちも似ていた。ソックリという程ではないが、並べるとやはり兄弟だと納得するくらい似ている。


「《美しいが頭は空っぽ》《見た目しか取り柄がない》

推測だけど、彼も同じことを言われてきたのかもしれないね」


 彼は微笑んだ。彼には珍しく、自嘲するような笑みだった。

 シャルロッテは、以前ローベルの異母兄と会ったことを思い出した。ローベルと同じ白金色の髪に碧眼。顔立ちも似ている。そして、とても聡明な男だった。

 ローベルもまた、優秀な異母兄に比べられてきたのかもしれない。サイモンとの違いは、嫉妬心に囚われず、自分は自分と割り切れる心の強さがあったことだ。

 他者の目を気にしてないわけじゃない。むしろ逆、彼ほど他人の機微に敏い人間もいない。

 周りからの評価を敏感に感じながら、それでも尚、言うべきことを言う、恐れ知らずな豪胆さをシャルロッテは尊敬している。

 と、同時に、先程のローベルの言葉に引っかかりを覚えた。


「それってつまり、《人形令嬢》ってあだ名を広めたのはサイモンってこと?」

「気づいてなかったんだ」


 ローベルは、呆れ顔で言った。

 良くも悪くも、シャルロッテは他人の目も評価も噂も気にしない。ハルト元侯爵家の領地運営で手一杯で、周りを気にする余裕がなかったのも事実だが、元から他人に無関心な性格なのだ。


「他人じゃなくて、自分に興味が無いんでしょ。だから、自分に悪意を持ってる人間が分からないんだよ。もっと自分を大事にしなよ」

「はっきり言うわね」

「言わなきゃ伝わらないからね」


 ローベルは相変わらず、からりと笑う。

 そんな彼に、今度はシャルロッテが呆れ顔で息を吐いた。


「いいのよ。だって、これからはあなたが大事にしてくれるんでしょう」

「まあね」


 シャルロッテと同じ、薄黄色のアビ・ア・ラ・フランセーズを着たローベルは、相槌を打った。そして、小首を傾げる。


「確認なんだけど、本当に僕と婚約して良かったの?」


 卒業式の少し前、シャルロッテはローベルの婚約者となった。以前から、それこそシャルロッテが編入した時点で話は出ていた。鬼才シャルロッテ・シューラ・ハルトをユグルス王国に留めておく為の処置である。イーファ王家が、彼女を取り込む為にサイモンと婚約させたのと同じだ。違うのは、シャルロッテの気持ちだけ。


「イーファには帰らない覚悟で留学したのよ、割り切ってるわ」

「もうちょっと、祖国に未練があってもいいと思う。そうじゃなくて、僕はもう公爵子息じゃないけど良いのってこと」


 成人になったローベルは、母親の生家を継ぐ。なんでも、母親の生家で不正が発覚し、ローベルの祖父や叔父を含む親族のほとんどが、牢屋行きになったらしい。結果、嫡流の男児がローベルしか残らなかった。

 不正を暴いたのは、ローベルの父、トーズラント公爵。彼は、この一連の騒動に息子を巻き込まない為に留学させたのだ。

 今晩の舞踏会で、ローベルは正式に当主となる予定だ。


「資産も領地も、かなり減っちゃったし。君は魔術師団で、僕は文官として働くから、食べていく分は困らない。でも、贅沢は出来ないよ」

「私は働いている方が性に合ってるわ。それに、宝石にもドレスにも興味無いのよ」


 シャルロッテは、首元のネックレスに触れる。親の形見の、小さな水晶のネックレス。宝飾品に興味の無い彼女が、唯一肌身離さず身につけるものだ。

 イーファにいた頃、ネックレスや髪飾りは根こそぎエミリーに奪われていた。でも、シャルロッテにとっては、この水晶のネックレスさえあれば充分だった。本当に、充分だったのだ。


「あなただって、宝石には興味無いでしょう」

「んー、僕は研磨する前の石が好きだからなあ」

「そういえば、机の上の並べてる石はなんの石なの?」

「え、知らない。道で拾った石?」

「その割には綺麗よね」


 彼と初めて会ってから、早6年。なのに、未だ知らない一面がある。彼と話す度に、新しい一面を知る度に、もっと知りたいと思う。

 シャルロッテは、愛が何かは分からない。恋物語の運命の相手も分からない。けれど、他者に関心を持たないシャルロッテが、唯一関心を向ける相手。ローベルは、確かにシャルロッテの唯一だ。


 馬車が止まり、扉が開かれる。


「ロン、私は貴方とこうやって話せるだけで充分なのよ」


 先に降りたローベルは、シャルロッテに笑って手を差し伸べる。


「僕もだよ、シャル」


 笑顔を取り戻した人形令嬢は、お喋りな無口令息の手を取った。



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人形令嬢と無口令息の愉快なお喋り ツユクサ @tuyukusa

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