第3話

 目の奥まで突き抜けるような強い刺激は次第に和らぎ、ようやく閉じた瞼が明るさを感じるほどには知覚が戻ってくる。

 それもさらに弱まってくると、痛みが完全に引くのを待たず、少女は目を開けた。

 飛び込んできたのは眩い黄金色の世界。

 あの輝く砂を散りばめた空はどこへ消えたのか。頭上も足元も、そして少女の四方をも隙間なく埋める金の枝葉が空間の全てと思われた。

 ただ、一つの例外を除いて。

 正面に、いく年月を超えたか分からぬ大樹が雄々しく広げた枝の一つに、艶めく果実が在った。

 そしてそのすぐ近く、太い幹にもたれて座る人影がある。

「世界は、動いたのね」

 きつく螺旋を作って落ちる長い髪が、金の輝きを散らして揺れた。瞼にかかった髪を女性の細い指が軽く払う。

「人の営みがまた、始まったのね」

 現れた瞳が少女を見つめた。

 鮮やかなその色は、やや赤味がかった鮮烈な金色。深くて強く、そしてなんて——

「——哀しそうだと、そう言いたいの?」

 問う前に、女性が問う。大人びていながらまだ幼くもある声が、鼓膜の奥に語りかける。

 動き出した世界に反し、その響きは静止しか感じられない。

「わたしはここから離れられないの」

 優しく、しかし儚げに、女性は微笑んだ。すぅとあげられた人差し指が、黄金の果実を指す。

「あの実が枝から離れぬ限り、司る我が身は人の営みには与せない。不老と不死と引き換えに、ことわりがそれを決めたのよ」

 目を奪うその姿は少女と同じくらいの歳頃にしか見えない。だが瞳に湛える妙なる色は、いったいどれほどの年月を超えてきたのだろう。

 生きながらにして縛り付けられ、いつ終わるとも知れぬ時は、果たして時と言えるのか。

 小さな硝子に金の実が映る。砂粒が煌めき、流れ落ちる。

 他の道はないのか、彼女には。

「あの実が枝にある限り、神の律は変わらない。とこしえに、神々の安寧を守り続ける」

 震えもしない音の連なりが、少女の鼓動を強くする。

 なんて悲しい顔で安寧を語るのか。

 なんて哀しい目で、美しき世界を見つめるのか。

 時は、動き出したのに。

「それが運命」

 なんて、儚い微笑。

「ならば変えればいい」

 悠久の時を超え初めて耳にする、誰かに向けた自分の言葉。

 その音が空間にこだまする。

「あなたの時を、動かせばいい」

 さくり、と足元で葉が鳴った。

 軽く手を伸ばせば、黄金の果実が指に触れる。滑らかに肌に吸い付き、ずしりと重く、そして冷たい。

 時計の砂が、大きく揺れる。

 その次の瞬間、黄金きんの実が舞った。

「私と共に行こう」

 地面の草葉から音が立つ。

 柔らかな葉に受け止められた果実の面に、砂粒が煌めきを映し出す。

 赤金の瞳が少女を見つめ、少女は手を差し伸べた。

 世界を止めた神々の世は、もう過ぎた。

 人の時が、動き出した。

「あなたの時は、動き出した」

 驚きを浮かべる瞳から、一粒の雫が流れ落ちる。

 しかし厳かな美しさはそのまま、次の刹那には、確かな意思がそこにある。

 手と手が触れ、少女の身体が幹から離れた。

 並んだ足のすぐそばには、黄金の実が柔らかな輝きを放って横たわる。

 砂粒は落ちる。変わらず落ちる。

 しかし溢れるその輝きを受ける瞳の色はいま、ただひとつから、ふたつに変わった。

 時は、動き出した。



——黄金林檎の落つる頃 完。

ひょっとしたら次の話へ……

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黄金林檎の落つる頃 蜜柑桜 @Mican-Sakura

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