ワーストステージ

花岸 伴

第1話

「鋭い刃で薙ぎ払ったような切れ長の瞳、輪郭を縁取る黒髪は城壁を戒める茨の影の様だわ。ああ、なんてきめ細やかな雪のような肌なの! 手足も華奢で、まるで白磁の人形……でも、やっぱり男の子ね、首や関節は案外しっかりしてるわ。溜め息が出るわね、まるで御伽噺みたいな美しさよ!」

「はぁ……」

 嘗め回す様に外見を称賛する金髪の男に、彰洋は気の抜けた返事をした。しかし、美少年のそんな態度など気にせず、男は紫に彩った唇で賛美を続けた。

「いつ聞いても綺麗な声だわ!これ以上美しさに拍車をかけるなんて。アンタ間違いなく最高傑作のアイドルよ。だ・け・ど・ね」

 ガンッと高いヒールが大きな音を立てて、彰洋は肩を跳ねさせた。決して逃さない気迫を纏い、アイライン同様鋭く尖った眼光が容赦なく降り注ぐ。

「それだけなら山程いるのよ!」

「さっせん!」

 市崎彰洋はアイドルだが、まったく売れていない。




 市崎彰洋(イチザキ アキヒロ)は自他ともに認める美少年だ。その自覚を持つと同時に彼は自由と財力を求めて地元を飛び出し、業界最大手のアイドル事務所の戸を叩き見事入所を果たしたのだが、現実は少年の人生計画ほど甘くは無かった。

 時はアイドル戦国時代。彰洋の事務所内だけでもCDデビュー済みのアイドルは二十人を超え、数々の先輩が偉大な功績を積み上げていた。さらにデビュー前のアイドル研修生に至っては推定で百を超えると言われ正に百花繚乱、神懸かった運や特別な才能でもない限り日の目を見ることは無い。数多の少年たちは振るいにかけられ落ちこぼれ、ステージの端にしがみ付くのがやっとという有様だ。

 幸い彰洋の浮世離れした容姿はかわいらしい少年達がごった返す中でも目に留まりやすく、少ないながら仕事が回ってくる。しかし華々しい成果を残せず、不甲斐ない結果に副社長は今日もお怒りだった。

「アタシは観葉植物を雇った覚えはないわ。いいわね、次の仕事は絶対に爪跡残してきなさい。何が何でも見せ場を作るのよ」

 彰洋も入所して既に五年が経過、今年度で十八歳を迎える。そして、そんな崖っぷちのアイドルが掴める仕事は、おのずと限られてくるのだ。




「ほんま、彰洋と車移動もエエ加減飽きたわ」

「こっちの台詞や、フジこそ毎回イビキうっさいねん」

「市崎君と御影君が窓際譲らないせいじゃん」

「市崎君と藤倉君は背が高いから狭そうだねー」

「おい三上、どういう意味だ」

「文句言うなよ。仕事だぞ」

 八人乗りの車の中。司の生真面目な言葉に、頬杖をついたまま彰洋は投げやりに返事した。

「へーへー仕事やな、心霊ロケの」

 後部座席で千太郎の声変わり前の悲壮な声が漏れた。




 鳴かず飛ばずの成果を元アイドルで女口調の副社長から叱られた後。

 彰洋に言い渡されたのは、事務所のアイドルが出演するテレビ番組『ウワサの冒険少年団~夏休み特別企画! 波乱の冒険スペシャル~』の心霊ロケ枠だった。夏休み特別企画とあって歌ありダンスありの煌びやかなステージに加え、『マリンスポーツ』『花火』『キャンプ』と華々しい企画が数多くあったにも関わらず心霊ロケを押し付けられたのは、今まで彰洋が結果を残せなかった証拠だ。

 そんな汚れ仕事をめでたくあてがわれ、炎天下の七月下旬にかき集められたアイドルは彰洋を含めて六人だった。

 助手席の後ろを陣取る彰洋の隣に座っている藤倉充大(フジクラジュウタ)は、彰洋と同い年かつ地方出身同士の腐れ縁だ。藤倉は彰洋とは対照的に健康的な日焼けした肌にタレ目の明るい男で、短く切った茶色い髪を後ろへ流している。出会った頃は普通のヤンチャな少年だったが、今では活発さはそのままに逞しく成長している。

 藤倉を挟んで彰洋の反対側の窓際に堂々と座っているのが御影空也(ミカゲクウヤ)だ。空也は彰洋の一歳年下だが、同世代の少年達と比べて非常に背が低く華奢で、金色に染めたボブカットに子猫の様な大きな瞳は、まるで少女の様にかわいらしい。しかし充大のスペースを侵食する勢いで足を広げている様子からも解るが、中身は只の不良である。

 その空也の真後ろに呑気に収まって窓の外を見ているのが三上つむぐ(ミカミツムグ)。鳥の巣の様なくせ毛を刈り上げた、重たく眠たげな目が印象的な少年だ。この春中学を卒業し、仕事もなく暇していたため自然とこの場に収まっている。

 その反対側、彰洋のすぐ後ろでブレスレットを幾重にも重ね付けた腕を組んでいるのが、六人の中で群を抜いて人気のある中学三年生の浅霧司(アサギリツカサ)だ。しかし今は良く言えばクール、悪く言えば不機嫌そうな顔で彰洋の背中を睨んでいる。そんな態度であっても、顔も立ち振る舞いも不思議と目を引く魅力があるのだが、肩まで伸ばした髪を後ろで縛り、残った前髪を整髪料で左目にかかるようにセットしているせいで顔が半分近く見えていない。

 そして手狭な後部座席の真ん中で縮こまっているのが日野千太郎(ヒノセンタロう)、小学五年生の子供だ。まだ声変わりもしていない上に髪も服も母親にまかせっきりらしく、垢抜けないかわいらしい顔に人気アイドルと同じ髪型がアンバランスに乗っている。夏休みで学校がなかったばかりに心霊ロケの白羽の矢が立ってしまった運の無い子供であり、仕事内容を知らされてからずっと小動物のように震えている。

「そないビビらんでもお守りもちゃんと持っとんのやろ。気い張らんでええって」

 怯えっぱなしの千太郎に、藤倉が後ろを向いてカカカ、と笑った。軽い調子の藤倉を鋭く睨んで司が口を挟んだ。

「適当なこと言うなよ。用心すべきだし、そもそも行くべきじゃない」

「真面目かよ。つーか浅霧もビビってんじゃん」

 空也が後ろを向いて揚げ足を取った。千太郎は隣で眉を潜める気配に気付かないフリをして、迷いなく司に縋った。

「じゃあ、帰った方がいいよね?」

「これは仕事だ。行くしかないだろ」

 バッサリと司に切り捨てられ、千太郎は再びシートベルトを握りしめて肩を落とした。

「せやな、特に俺らは仕事選べた立場ちゃうし」

 彰洋の一言が、車内全体にずしりとのしかかった。気乗りしないとはいえ、仕事を与えられた以上売れないアイドルの彰洋達に出来ることはたった一つ、心霊ロケで結果を出すことだけなのだ。現状が解っていないのか、三上が窓の外を指して能天気に言った。

「ねーねー、外すごい良い天気だよ。バーベキューしたいねー」

 そんなロケならいくらでも行くのにと、図らずも五人の心が一致した。

 スタッフの合図に、藤倉が大きく息を吸った。

「さあ、というわけでやってきました、こちら今回の冒険の舞台、S県です!」

 台本に記された定型文を、藤倉が夏の日差しに引けを取らない元気さで読み上げた。彰洋も「よっしゃ!」と拍手し盛り上げる。目の前のスタッフは何とも言えない無表情で、おまけに千太郎も三上も棒立ちのままだが、スタジオでVTRが流れた時の為にも盛り上げは必須なのだ。彰洋はカンペを確認すると、自然を装って周囲を見渡し空元気そのままに読み上げた。

「はい、見てください、山しかありません!」

 田舎の心霊スポットとあって、ものの見事に青空と緑しか目に入らない。本番前に車内で着替えた赤色の名前入りジャージが景色から恐ろしく浮いていた。

「なんもねード田舎じゃん」

「言い方ストレート過ぎるだろ」

 空也の暴言を、司が厳しく諌めた。口喧嘩スレスレの空気を察し、彰洋はフリートークの流れを遮って進行を優先した。

「今回は一体どこを冒険するんですか」

「ですかっ!」

 空也が元気よく彰洋の語尾を繰り返して盛り上げに加わり、司は再び腕を組んで仁王立ちに収まった。

「本日探検するのはこちら、ドン!」

藤倉は千太郎の肩を持って手前に立たせながら淀みなく喋り、千太郎にフリップを掲げさせた。

「禁断の道、旧Fトンネル!」

 青ざめている千太郎を見えないフリして、彰洋は拍手した。

「この旧Fトンネルは今見えてる山の途中にある、今は使われていないトンネルです。にもかかわらず、声が聞こえる、人影を見た。そんな噂が絶えない正に禁断の場所です!」

 藤倉はハキハキと話し終え、急に彰洋に向き直って同じ表情のまま言った。

「早い話、肝試しですね」

「どういう感情でゆうてるん?」

 藤倉の妙に明るいトーンに、彰洋は反射的に台本に無いツッコミをした。副社長の評価では彰洋は『ミステリアスで耽美な美少年』なのだが、どうしても喋ると方言と共に素が出てしまう。

「やめとけってマジで」

 司が溜息交じりに呟く。この上なく否定的な反応だが、黙ったままの千太郎の様に感じが悪くならないのがこの男のにくい所だ。

「でもさー」

「やっと喋った?」

 空也のツッコミに困ったように笑いながら、三上が台本通りに問いかけた。

「肝試しって、普通は夜にやるんじゃないのー?」

「普通はな」

 先ほどから、空也は台本があてがわれていない瞬間も欠かさず口を挟む。彼も副社長のお眼鏡に適う美少年なのだが、振る舞いが自由過ぎるせいか大々的に売り出されていない。マイペースな空也と三上の会話に藤倉が台本片手に割り込んだ。

「いいところに気が付きましたね。今回小学生メンバーの日野くんが居ます。そんでこの後お祓いに行くお寺さんの都合で、今日は昼間のうちに冒険します!」

「寺の予定と千太郎の年齢次第じゃ、深夜決行だったんじゃねーか」

「恐ろしい番組やな」

 空也が台本に無い台詞を放り込み、つられて彰洋も流れるようにツッコミをしてしまった。

「帰りたい……」

 年上メンバー達のネガティブな空気に当てられ、千太郎が項垂れて呟いた。アイドルとしては褒められた態度ではないが、小学生の子供が滅入っている様子はそれだけで同情を誘う。彰洋も個人的に後輩の子供たちは地元に置いて来た弟の姿と重なり、どうしても放っておくことが出来ない。

「色々頑張ろな」

 屈んで呼びかける彰洋に、千太郎は弱々しくはにかんだ。 



「よーし野郎ども、作戦会議だ」

 空也の小声に、彰洋と藤倉は揃って小さく拳を上げた。

 オープニングを撮り終え、三人は山道沿いにある公衆トイレの脇で、人知れず決起集会を始めていた。トンネルまでの道が長く途中で休憩を取ることになり、三人は休憩するフリをして物陰に集まったのだ。司は公衆トイレの外観の汚さを見るなり断固として車を降りようとしなかったし、三上は怯えている千太郎とトイレの中で大騒ぎしている。

 二人分の騒ぐ声を聴きながら、藤倉が呟いた。

「本番でもあの調子やったら心配ないな」

 藤倉の言葉に二人が深く頷く。まだ義務教育を受けているメンバーはともかく、彰洋達三人は年齢の問題もあってこの仕事で成果を残せなければ、最悪路頭に迷う羽目になる。そんな重要な仕事相手に丸腰で挑むほど愚かではいられず、事前に何とか見せ場を作るための作戦を考えていたのだ。

「一応聞いとくで。彰洋、ここに来るまで幽霊おったか?」

 藤倉が真剣そのものの表情で問いかけ、彰洋は無言で首を横に振った。


 突然だが、彰洋は幽霊が見える。


 元々彰洋は霊感などまったく無かったのだが、芸能界に入ってからは、幽霊や明らかに人知を超えたモノをしばしば目撃するようになっていた。そして、そうした者は大抵彰洋たち生きた人間に対しロクな影響を与えないことを、彰洋だけでなく藤倉と空也も思い知らされてきた。早い話、幽霊に遭遇したら三十六計逃げるに如かず、彰洋達に対抗できることなど無いのだ。

 しかし彰洋が急に霊感が強まったにも関わらず、ほとんど一緒に行動している藤倉は未だに全く幽霊を見たことが無い。空也はというと気配や雰囲気は鋭く感知するが、幽霊の姿は見えていない。そのため、結局二人とも彰洋の目が頼りなのだ。

「まだ妙なヤツは見てへん。でも、ええ雰囲気では無いな」

「解る。そもそも昼間なのに木のせいでスゲー暗れーじゃん」

 空也の言葉に彰洋達は頭上を見渡した。進んできた道が旧道な事もあり、ある程度アスファルトの道は残っているが、森の木々はあまり手入れされていない。そのせいで広葉樹が日光を奪い合う様に枝葉を伸ばし、舗装が風化つつある地面の近くでは腐葉土の匂いが生ぬるい風で絶えず運ばれている。

「警戒した方がええで」

 藤倉は空也とほぼ同時に頷き、続けた。

「ほな、最初の作戦の通り行こか。まず彰洋が身軽な千太郎を連れて乗り込む」

「なんかあったら担いでけよ」

「おう、アカンもん見つけたら知らせるか引き返すわ」

 軽口を叩きながらも、お互い口元が緊張で上手く動いていない。先陣を切る彰洋は自分だけでなくメンバー達と、不本意だがスタッフ達の命も預かるのだ。

 背後の公衆トイレから突然緊張感のない千太郎の悲鳴と三上の笑い声が上がり、藤倉は苦虫を噛み潰したような顔で続けた。

「次に空也が三上を連れて進む」

「あいつ突拍子の無いことしやがるからな」

「上手いこと誘導しいや」

 空也は無言でガッツポーズをしてみせた。まるで棒切れのように頼りない腕である。筋力的には落ち着きのない三上を藤倉に押し付けたいのだが、霊感が無ければどこに逃げればよいのか判断が付かない。ここは空也の勘に賭けるのが得策だ。

「最後にオレが浅霧を連れて絶対安全な範囲だけ動いてく」

「司は一番人気や。フジ、なんかあったらファンに刺されるで」

「何が何でも守り抜かねーとな」

 司は何故今日一緒にロケをしているのか不思議なほど、歌番組や先輩のコンサートで団扇を見かける。そんな量のファン達に人気のない彰洋たちが嫌われれば、売れるどころの話ではない。自分たちのために、司は是が非でも無事に帰さないといけない。見せ場を作る上で、彰洋と空也が安全を確認し、藤倉の筋力で司を守り抜くのが作戦の大筋だ。

 フォーメーションを確認し、藤倉が車の方を見やった。丁度三上と千太郎が連れ立って戻っていくところで、話し合いの時間も残り少ない。

「あとはリアクションやな」

「千太郎はあの調子やとビビりっぱなしやろ。オレが連れてきながらちょっかい掛けたらそれだけで撮れ高あるわ」

 へっぴり腰で車に乗っていく千太郎を見ながら、彰洋も立ち上がって車の方へ歩いた。二人も立ち上がって後に続き、彰洋は藤倉と空也が先に車に乗り込むのを待った。空也はステップを上がる寸前、静かに囁いた。

「彰洋、絶対帰って来いよ」

「……何やそれ。空也こそ三上しっかり見とけや」

 一瞬言葉が飲み込めず彰洋は硬直したが、いつも通り軽口を叩いて定位置に座った。

六人を乗せた車は、太陽の届かない場所へと登って行った。 

 車で進める道が終わり、彰洋たちは木の根や雑草に押し上げられ輪郭を失った道を歩いて進んだ。陽が当たらず陰気な山は蚊が多く、一行はしばしば虫よけスプレーを取り出しつつ顔を死守する羽目になった。そのまま五分ほど進んだところで、三上がのんびりと前を指さした。

「あ、ここじゃないのー?」

「やべえな……」

 本音が漏れ出た空也の横顔を、すかさずカメラマンが撮った。ようやく前を見た千太郎も息を飲み、彰洋は不安を振り払わんと小さな肩に手を置いて前を見た。


 山がぽっかりと口を開けたようなトンネルだった。


 素人目で見ても、かなり古い物とわかる。鬱蒼とした木々に阻まれているとはいえ、夏の日差しを真正面から浴びているにも関わらず、コンクリートの無機質な灰色は妙な息苦しさがある。天井は低く、かなりの圧迫感がある。長さがある程度あるのか、それとも中でカーブしているのか、明かりが点いておらず外からは判断が付かない。しかし、確かめるにも一度踏み込めばそのまま飲み込まれてしまいそうな、体の内側から不安を掻き立てる風貌をしたトンネルだった。

「これダメだ」

 再び空也が呟き、司が怪訝な顔で振り返った。しかし、誰も何を言い出せばよいのか判断が付かずにいた。皆それぞれ異様な空気に圧倒され、息も吐き出せずにいる。

彰洋も例に漏れず視線を彷徨わせていると、不意に藤倉と視線が合った。熱心に目配せしているが、大方求められているのは幽霊がいるのか、もしくは早く進めろ、のどちらかだろう。

 半ば自分自身に言い聞かせるように彰洋が声を張った。

「とにかく近づかな始まらんからな。よっしゃ行くで、千太郎」

 彰洋は懐中電灯を掲げて、トンネルに近づいた。しかし決死の歩みは小さな抵抗に阻まれ、彰洋は違和感を覚えた自分の腰のあたりに視線を向けた。

「……千太郎?」

 服の裾を掴まれる感触は、弟を地元に残し別れた時のものと少し似ている。弟と同じくらいの背丈の千太郎が、俯いたまま彰洋を引き止めている。

 彰洋は改めて千太郎の顔を覗き込んだ。カメラマンと共にその場に屈みこむと、案の定真っ青な千太郎の顔が見えた。千太郎は一瞬離した両手を彷徨わせ、ぎこちなく腹を押さえた。

「お腹痛い」

「はあ?」

 呆れと苛立ちの混ざった声を出したのは彰洋だけでは無かった。渦中で千太郎の俯く目が揺れている様子に、彰洋は心当たりがあった。弟が失敗を隠している時の仕草と似ている。

 荒々しく夏草を蹴散らし、藤倉と空也が近づいて来た。足音に飛びあがる千太郎の反応など意に介せず、二人はドスの効いた声で一斉にまくし立てた。

「何しょうもない嘘ついとんねん。さっきも便所行っとったやろ」

「ふざけてんのか? あぁ⁉」

 空也は千太郎の肩を掴んで上を向かせた。肉食獣に似た空也の眼光に射抜かれ、千太郎は一瞬怯んだが、口を真一文字に引き結んで目を逸らした。逃すまいと再び手に力を籠めようとする空也を、流石に絵面が良くないと彰洋と藤倉の二人掛かりで引き離す。ものの数秒で取り押さえられるほど小柄な空也だが、小学生と比べると当然大きい。空也に掴まれた反動でふらついた千太郎を三上が支え、心配そうに尋ねた。

「千太郎君お腹大丈夫?」

「お前は騙されんのかい」

 彰洋は空也を押さえたまま呆れて呟いた。しかし、味方が付いて気が大きくなったのか、千太郎は目を逸らしたまま暗い声で漏らした。

「無理」

 取り押さえている空也から今にも飛び出しそうな抵抗を感じ、彰洋はすばやく藤倉に目配せした。怒りの火達磨と化した空也を藤倉が押さえつけ直したのを確認すると、彰洋は空也を藤倉に任せて、千太郎前にしゃがみこんで向き合った。焦りを押し殺し、弟を相手にしていた時のように千太郎に言い聞かせる。

「無理ちゃう、仕事なんやから我儘言いなや。な?」

 ここで千太郎が動かなければ撮影は進まず、作戦どころではない。しかし、千太郎も引くに引けなくなったらしい。彰洋の説得も空しく、相変わらず俯いたまま頑なに拒んだ。

「嫌だ」

「お前なあ……」

 弟とは似ても似つかぬ聞き分けの悪さに、だんだん彰洋も苛立ちが湧いてきた。それはメンバーだけでなくスタッフも同様で、無言だが表情にはっきりと書かれている。

 このまま事態が膠着すれば撮れ高どころではなく、彰洋達は次の仕事にありつけなくなる。いっそ千太郎を担ぐか、しかし反抗的な子供をあやしながら周囲の警戒を行うのは現実的ではない。彰洋の脳裏にいくつもの下らない案が浮かんでは消え、時間だけがいたずらに過ぎて行く。剥げかかった地面の舗装の割れ目ばかり、くっきりと見えた。

 突然、彰洋たちの視界に足元に別の人影が加わった。

「じゃあ、オレ先に行こうか」

 沈黙を破る一言に、彰洋の思考が止まった。顔を上げると、司が千太郎を見下ろしていた。あっけにとられ間抜け面の一同とは反対に、司はいつも通り不機嫌に見える目つきで、堂々と腕を組んだ仁王立ちに収まった。思わぬ助け舟に、千太郎は誰より早く反応した。

「本当に?」

 とても腹が痛いとは思えない明るい声色に空也が噛み付くのを、司はブレスレットだらけの左手で制し、今度は千太郎の目線まで屈むと真剣な表情で答えた。

「その代わり、ちゃんとついて来いよ?」

 元気よく頷く千太郎に背を向け、司は躊躇なくトンネルの方へ移動した。同時に司を追っていったカメラの前に思わず彰洋が駈け寄ると、背後で空也が動揺の声を上げた。

「おい、そんなのアリかよ⁉」

「みんなの背中見たら、ちょっとは歩けるようになるかもだよねー。だめかな?」

 司が言い返す前に三上が助け舟を出し、空也は言葉を詰まらせた。更に、カメラの奥で小さく言葉を交わしていたスタッフたちが、六人に言い放った。

「時間ないですし、OKです」

 愕然とする彰洋に、司はいつも通りクールに声を掛けた。

「よし、決まりだね。彰洋君、行こう」

 計画が崩れ、咄嗟に彰洋は周囲を見渡した。司が彰洋と同行することになり、残るは作戦を知る藤倉と空也、ぐずっている千太郎、最後に何も知らない三上。

 藤倉は先ほどから会話に加われていないあたり、一番急展開についていけていない。この状態で年下メンバーのフォローの役目は不安が残るが、三上も千太郎も何をしでかすか解らない。しいて言えば、まだ特に騒ぎを起こしていない三上を任せたいが、爆発寸前で平静を欠いている空也に千太郎を託す方が悪手だ。彰洋は溜息を吐いてから藤倉に向き直った。

「解った。ほなフジ、代わりに千太郎頼むで」

「お、おう。彰洋も気いつけや」

 藤倉の返事を聞き届け、彰洋はトンネルの入り口で待っていた司と並び立って、僅かなスタッフ達と共に前へ進んだ。

「行ってらしゃーい」

 最後に三上の気の抜けた声が、トンネルの闇に踏み込んだ二人に届いた。

 スタッフの圧を背に受けつつ薄暗いトンネルを進むのは、想像とは別種類の居心地の悪さがあった。ただでさえ異様な空気のトンネル内で、先に無言の気まずさに音を上げたのは彰洋だった。

「……あんま涼しないな」

「風も無いね」

 短い回答は状況報告に留まり、再び二人の間で沈黙が停滞した。心霊スポットの閉塞感と同じくらい司との沈黙が息苦しい。まったく弾まない会話に彰洋はじわじわと焦燥感の正体に気が付き始めた。

(幽霊出るから撮れ高ある思てたけど、何も出て来いひん!)

 トンネル内は彰洋達の予想に反して、嫌な感覚がするだけでリアクションの取りようがない。せめて隣が怖がりな千太郎なら何もなくとも揶揄えるが、司はいつも通り不機嫌そうな顔で真面目に後をついて来ている。彰洋は落ち着きなく何度も辺りを見渡したが、幽霊も危険も見つからないとなると、前へ進んで探すしかない。焦りは彰洋の歩調に現れ、司も怪訝な顔をしながら、ほとんど早歩きになって彰洋に黙ってついてきた。

 次第に背後が騒がしくなり、耳を澄ますとトンネルの壁に反響して慣れた声が聞こえた。

「いっぱい落書きされてるよ」

「『失恋しろ』だってさ。ダッセ」

「漢字間違ってるね」

「うっそマジ?」

「うん、矢恋になってる」

 空也と三上が無事トンネルに入ったらしい。会話から察するに、二人は壁の落書きに興味を示したようだ。彰洋達と違って背の低い彼らは、足元や壁に広がっていた落書きを見つけられたのだろう。彰洋も今更ながら周囲を見渡したが、のっぺりとした壁が続いているだけで、腹いせに背後の二人にツッコミを入れた。

「えらい緊張感無いな」

「なにやってんだか……」

 カメラは呆れてぼやく二人を映していたが、その映像が面白かったのかは無機質なレンズから読み取れない。ますます不安に駆られる彰洋に、司が声を掛けた。

「彰洋君、あれ」

 司がアクセサリーまみれの腕を上げてトンネルの奥を指した。涼し気なブレスレットの金属音につられて彰洋も先を見ると、微かに明かりが見える。

「出口か……?」

 目を凝らすと植物の緑も見えてきた。背後や周囲に気を取られて気が付いていなかったが、あと数メートル足らずで出口のようだ。

(何も居いひんくても、ゴールの画くらいは取れるな)

 彰洋はそう企むと、迷いなく目の前のゴールに進んだ。トンネル内の嫌な雰囲気は相変わらずだったが、ここに来るまで彰洋は何の見せ場も作ることが出来ていない。せめてトンネルを踏破できなければ彰洋の旅路はナレーションかカットの二択だ。

「むこう、外だね」

 彰洋と司は揃ってトンネルの際に立ち止まった。遠くからは逆光でよくわからなかったが、トンネルの出口は鉄製の柵で塞がれていた。錆の具合からして古い物のようで、彰洋が手を伸ばせば難なく手が届くほどの高さしかない。しかし、目線の位置に『立ち入り禁止』と自治体の名前を添えた看板が取り付けられている。

 司が柵に手を掛けると、アクセサリーとは異なるじゃらじゃらと重い金属音がした。柵の取っ手の辺りが鎖と南京錠でしっかりと閉められている。

「出られないようになってる。でも、村が見えるね」

 司はそう呟くと、すぐに柵から手を離して背を向けた。入れ替わる形で彰洋も柵に手をかけ、格子の間から外に目を凝らした。

 背の高い百合の花がいくつも咲いていて景色が遮られているが、司の言う通り古民家らしき小さな建物が二、三軒見えた。家同士の間はそこそこ広く、小さな畑がいくつかあるようだ。しかし全体的に手狭な土地らしく、ほとんど雑草と同化した山が家のすぐ裏まで迫っている。恐らく小さな盆地に家を構えて、少人数で生活しているのだろう。軒先では割烹着か着物だかを着た村人が洗濯物か干し物かよく解らないものを吊るしており、生活は貧しそうに見える。

 彰洋はゴールの宣言を忘れて、司に半ば独り言の様な返事をした。

「ホンマや、人もおるな」

 司の返事はなく、代わりに息を飲む音が聞こえた。妙に思って向き直ると、司は彰洋を凝視して固まっていた。彰洋が怪訝な顔で首を傾げても、動揺しているらしく何も喋らない。司の反応に彰洋は思い当たる経験があった。

(まさか、俺の気づかん間に幽霊が出たんか?)

 彰洋の予想通りなら危険と同時に撮れ高のチャンスでもある。ここで霊現象とリアクションを取れたなら、ロケの成功は間違いない。彰洋は逸る気持ちを押さえて口を開きかかった。

「あ、嘘だろ」

 今まで無言だったスタッフが急に声を出した。出鼻を挫かれた彰洋は、振り向いて機嫌悪く訊いた。

「どうしたんすか?」

 彰洋達の全身を撮ろうとしていたのか、スタッフ達は出口から距離を置いた場所にいた。カメラマンは彰洋の態度などそっちのけで、突然地面に膝をつきカメラの確認を始めた。騒ぎに司も我に返り、彰洋と並んでスタッフ達の方へ戻った。二人に見下ろされたまま、カメラマンは手を動かしたまま真剣な声で答えた。

「カメラ止まりました」

「え⁉」

 二人揃って無駄に今日一番わかりやすいリアクションが出た。咄嗟に彰洋はカメラマンを責めかけたが、なんとか批難の言葉を飲み込んだ。車を降りたタイミングでスタッフたちが機材の調整をしていたのを見ていたのだ、本当に偶発的なトラブルなのだろう。

「待っていてください、すぐバッテリー交換するんで」

 こうなればスタッフの言う通り待つ他ない。彰洋が何気なしにカメラマンの手元を懐中電灯で照らしていると、司が声をかけてきた。

「ねえ」

(カメラも回ってへんのに、何やねん)

 未だに慣れない声のかけられ方も相まって、彰洋は少し苛立った。反応はしたが返事をしない彰洋に構わず、司が耳打ちした。

「彰洋君、幽霊見えてるんでしょ?」

 冷たい手で心臓を掴まれたように、彰洋はその場で硬直した。

 景色が揺れているのではなく、目が泳いでしまっているのだろう。手元を照らす懐中電灯の光が逸れ、カメラマンの作業の手が一瞬だけ止まる。すかさず司が懐中電灯を持つ彰洋の手首を握った。揺れていた明かりが再び真っ直ぐカメラを照らした。

「答えてよ」

 司の声は至って真剣で、そもそも冗談を言うような少年ではない。確証を持った上で、本気で彰洋に問いかけている。彰洋の背に冷や汗が流れた。

 普段からつるんでいる藤倉と空也は除き、彰洋は仕事でしか関わりの無い人間にわざわざ霊感があると明かしていない。もし明かせば千太郎の様な怖がりな人間を怖がらせるだけでなく、煙たがられるのが目に見えている。もしスタッフや関係者に遠巻きにされれば彰洋の芸能人生はさらに先細る。彰洋は上ずった声で話を逸らした。

「何アホなこと言うとんねん。カメラ回ってへんで」

「誤魔化さないで、オレもだから」

 思わず顔を上げると、真っ直ぐと彰洋に向き合う司と目が合った。前髪で顔の左半分が隠れていても解る程端正な顔立ちの司に真正面から見られるのは、あまり居心地の良いものではない。目のやり場に困り、彰洋は掴まれた手に視線を逃がした。とりあえず手を離させようとアクセサリーごと手首を掴んだ瞬間、彰洋は息を飲んだ。ブレスレットに紛れ、司の左腕には瑪瑙の数珠が着けられていた。

(ホンマに幽霊見えてて、対策してるゆうことか?)

 今後の仕事を考えると、霊感があることを明かしたくはない。しかし、この場でこんな話題を持ち出したということは、司は何か危険に気が付いたのかもしれない。それなら真実を打ち明けて協力なり相談なりした方が良いのだろうか。

 相変わらず真面目に答えを待っている司に何か返事しようと、彰洋が乾いた唇を開いた瞬間、スタッフが声を上げた。

「カメラ復活しました、撮れます!」

 同時にカメラを向けられ、彰洋も司も反射的にそちらを見た。アイドルのプロ意識が先行して司は彰洋への追求を断念したようだ。ほっと息を吐いて、改めて口を開いた瞬間、背後で軋む様な金属音が鳴った。同時に風が吹いて、二人の髪を後ろへ靡かせた。


 彰洋と司が振り返ると、開け放たれた出口の柵が風に揺られていた。

「さっきまで閉まってたやんな……?」

 錆び付いた柵が開け放たれ、外側へ風に揺られて雑草をやんわりと捩じ伏せている。目の前の光景が信じられず、彰洋も司も呆然と外を眺めていた。

「嘘だろ?鍵かかってたのに……」

 司の唖然とした声に応えるように、再びトンネルの入り口の方から柵の向こうへ、背中を押す様に涼やかな風が吹き抜けた。澱んだトンネル内の空気が風に攫われ、段々息苦しさが楽になっていく。

 柵の向こうで、青い虎杖や真っ白な百合の花が風に揺らぐのが見えた。緑の中で夏の日差しを受けて輝きを照り返す花の白色が美しく、彰洋はふと気が付いた。

(何を怖がってたんやろか)

 吹き抜ける風が彰洋の躊躇いも浄化していくかのように思え、微かに高揚さえするのを感じた。鼓動が高鳴り、衝動にかられる感覚に無限に湧く勇気を感じる。足が重くて仕方なかったのに、今すぐ走り出したい気持ちを堪え、彰洋はカメラの方に向き直った。

「行くで」

「彰洋君?」

 困惑した様子の司を手招き、彰洋は出口へと歩を進めた。

「カメラさん、こっちです」

 スタッフ達は彰洋の心変わりに驚いたのか、呆然と立ち尽くしているが無理もない。彰洋は斜に構えてロケに赴き、見せ場の一つも作れていなかった過去の自分を恥じた。今までの撮れ高も取り返す意気込みで出口へ向き直った彰洋の手を、また司が掴んだ。

「待って彰洋君! おかしいって」

 彰洋が怪訝な顔で振り向くと、間近に司の青ざめた顔があった。再び追い風が吹き抜け、司の長い前髪を揺らす。髪で隠れているとはいえ、せっかくの端正な顔が恐怖に歪んでいるのはアイドル番組には好ましくない。彰洋は司の緊張を解すために、手を掴まれたまま揶揄った。

「どないしてん、怖なったんか?」

「当たり前だろ! あの柵は閉まってるはずなんだよ、絶対危険だろ!」

 ヒステリックに叫ぶと同時に、司は力任せに彰洋の手を引いた。無理矢理引き返そうとする暴挙が入り口の千太郎と重なり、彰洋はムッとして手を振り払うとツカツカと柵の元へ進んだ。

「でも、今は開いてる。あの先は誰も知らんはずや、向こうに行かな、撮れ高が……」

 自分自身に言い聞かせるように呟き、彰洋は開いた柵に手を伸ばした。その瞬間、司が彰洋の手をはたき落として襟元を掴んだ。

「いい加減にしろよ、そこまでする必要ないだろ!」

 鬼気迫る表情で怒鳴った司に、カメラがあることも忘れ彰洋も胸倉を掴み返した。司は即座に抵抗したが、少年同士で三年の歳の差は大きい。一瞬の揉み合いの末、彰洋に押され、司の背が柵に叩きつけられる鈍い音がトンネル内に響いた。呻く司から手を離さず、彰洋は低くがなった。

「必要や! オレらは売れなあかんねん!」

 心臓が早鐘を打つのを感じる。彰洋の赤く染まる視界の真ん中で、錆びた柵を背にした司がゆっくりと顔を上げた。几帳面にセットした前髪が乱れ、隠れていた左目に鋭く射抜かれ彰洋は思わず怯んだ。

 叩きつけられ冷静さを取り戻したのか、既に司の目からは怒りの炎は消えて、例の真っ直ぐな両目が彰洋を真正面から見据えていた。司は一度息を吐いて彰洋に問いかけた。

「ねえ、売れるって何? 買い叩かれることなの?」

「……何が言いたいねん」

 司の双眸に映る彰洋の眉間に皺が寄る。司は胸倉を掴む彰洋の腕を握り、怯むことなく続けた。

「オレはアイドルだ。だからファンに最高の夢を見せなきゃなんない」

 突然の宣言に彰洋は面食らった。こんな底辺の仕事の最中に詭弁を語られ、彰洋は不甲斐なく俯き吐き捨てた。

「……そのファンが居いひんねん」

「知ってる、オレだってまだ全然足りない」

 自分より遥かに人気の司にアッサリと返され、彰洋は何も言い返すことが出来なかった。それでもまだ折れることが出来ず、彰洋は声を絞り出した。

「せやから何してでも、見せ場作って、名前売って……」

「馬鹿正直に危ない所へ行くのが、ファンの見たい姿かよ?」

 何を言われたのか理解が追い付かず、彰洋は困惑して顔を上げた。目の前の司は怒りではなく、憐れむ様な顔で彰洋を見下ろしていた。

 怒ることも力を込めることもままならない彰洋の手を自分のジャージから離させ、司は続けた。

「ここで無茶して見せ場を作って、喜んで見てくれるのはファンじゃない。製作側だろ。きっとこの先は無茶がきくタレントとして使い潰される、ファンに夢を与える前にな」

 彰洋は心臓を掴まれたような感覚に襲われた。「見せ場を作って来い」という副社長の命令が頭の中で反響する。彰洋の見せ場とは何なのだろうか。深く考えることもなく、目立ち、面白い映像が撮れれば成功と思っていた。しかし、人気のある司にとって、それは間違いで。

 司に解かれた手を下ろし、彰洋は再び俯いた。足元で柵の向こうへ蟻の行列が蝶の死骸を運び過ぎていくのが見え、急激に背筋が凍った。

 ここで進めば、目先の仕事と、タレントとして使い潰される未来が手に入る。この道は幾多のファンの歓声が待つ舞台へ繋がるのか。アイドルになって、人気になって、欲しかったのは『仕事』だけだったか。

 汚れ仕事も必要と心の底で蓋をしていた疑問が、次々と彰洋の心に溢れてくる。それでも目の前の仕事を成功させないと、彰洋のアイドルとしての夢は遠ざかるばかりだ。

 トンネルの外と吹き抜ける風はいつの間にか激しさを増し、踏ん張っていないと外へよろめいてしまいそうだ。司が俯いたままの彰洋を挑発した。

「安売りするなよ、オレ達は何万人の夢になると思ってんの?」

 彰洋が顔を上げた。

 入所して間もない頃、先輩のコンサートの舞台に立った記憶が蘇る。藤倉や空也達と必死に振り付けを覚えて、我武者羅に踊り切った先にあった、目が眩むほどの華やかな舞台。そこから見えたアリーナ、スタンド、天井の何万人もの先輩のファンの笑顔。そして、割れんばかりの拍手と黄色い歓声。その中に確かにあった、自分へと振り返された手。

 単純に煌めきに憧れたのも嘘じゃない。それだけでなく、その興奮が、自分たちの夢こそがファンの夢だと知ったからこそ、彰洋達は必死に追いかけているのだ。

 改めて司を見下ろすと、言葉とは裏腹に口を真一文字に引き結んで、不安を必死に隠す表情が見た。年相応な顔に急激に両肩の力が抜け、彰洋は不敵に笑うと、身の程知らずにほざいてみせた。

「……俺かて、アイドルや!」

 向い風に逆らって走り出したのは、二人同時だった。柵を背にスタッフ達を押しのけて、勢いのまま彰洋は叫んだ。

「約束通り帰ったるわ! 待っとけ空也ァ、千太郎!」

 隣を走る司が噴き出した。まさか笑われるとは思わず彰洋が拗ねた顔を向けると、司は無邪気な笑みを返して勢いよく叫んだ。

「オレも絶対生き残ってやる! 見てろ!」

 背後からスタッフたちがバタバタと追いかけてくる音も気にせず、彰洋と司は全力で走った。無性にすべてが下らなく思えて、二人揃って笑い声を上げた。しかしその瞬間、背後でギイイと金属の柵が軋む音がした。我に返った彰洋と司の笑いは凍り付き、今度こそ全速力で来た道を戻った。

 そのまま暫く走ると、たむろする人影が見えてきた。小柄な少年二人を中心とした一団は彰洋と司に気が付くと、驚きと困惑の声を上げた。

「何だ⁉ 彰洋と司まで走って来やがった⁉」

「え? なになに、どういうこと?」

 状況の飲み込めていない空也と三上の手をそれぞれ掴み、彰洋と司は必死の形相で走り続けた。すると直後に反対側から走ってくる藤倉と千太郎に鉢合わせした。

「挟まれたか⁉ 彰洋逃げろ!」

「わあああお化けだあああ!」

 すれ違う瞬間、二人は何故か青ざめた顔で、千太郎に至っては半泣きだった。

「フジ! 黙ってついて来い!」

 違和感を感じたが彰洋は藤倉に短く命令し、千太郎の悲鳴を無視して小さな体を担ぐと、そのまま走り続けた。いつの間にか揃った六人に加えて二組分のスタッフも走っているため、トンネル内は局所的に大騒ぎになっていた。

「待てや、彰洋危ない!」

 勢いに流されかけていた藤倉が彰洋に訴えた。藤倉の喧しさに、肩に担いだ千太郎越しに再び命令しようとした彰洋の目の前に、白い影が躍り出た。

 それは長い黒髪を振り乱して六人に両手を向けると、おもむろに言い放った。

「うらめし」

「うるせえ!!」

 彰洋と司が揃って短く凄むと、白い影は硬直した。その横を、三上を掴んだ司と千太郎を担いだ彰洋が素通りしていったため、藤倉と空也は唖然としたまま付いて行く他なかった。



 トンネルを飛び出して数歩、彰洋たちは止まることが出来ず走り続けた。暫く全員息が上がって、トンネルから少し離れた場所でバラバラと立ち止まっていったが、やがて三上がジャージの袖で汗をぬぐいながら、能天気に声を掛けてきた。

「彰洋くん力持ちだねー」

 三上に指摘され、彰洋は千太郎を担いだままのことに気が付いた。

「もうあかんわ、千太郎降りてくれ」

「……勝手に担いだの市崎君なのに」

 彰洋が地面に膝を着くと、釈然としない様子で千太郎が地上に降りた。顔を上げると、すっかり涙が引っ込んだ千太郎が鳩尾の辺りを押さえていた。担がれた拍子に彰洋の肩が当たってかなり痛かったらしい。その様子をまじまじと見て三上が真剣に呟いた。

「結果的にお腹痛くなっちゃったねー」

「何ゆうてんねん。訳わからんわ」

 力なくツッコんだ彰洋の背を司が労う様に軽く叩いて、続けて千太郎の頭をガシガシと撫でた。

「でも約束通り、ちゃんとついて来たな」

 確かに、半泣きで走っていたとはいえ、千太郎は自分の足でトンネル内に来ていた。それはアイドルとしてではなく年上として褒めてやるべきだ。彰洋も手探りで肩を叩いて労っていると、空也が千太郎の前に立った。

「掴んで悪かった。……やるじゃん」

 空也の素直でない声に彰洋も思わず緩んだ顔を上げたが、予想に反して千太郎は複雑そうな顔をしていた。説明を求めて彰洋達が藤倉の方を見ると、藤倉は気まずそうにトンネルを指した。

「あー……実はな、オレら外に居ってんけど、急に幽霊に追いかけられてトンネルに逃げ込んでん」

「幽霊に? フジが?」

 空也が千太郎の両頬を摘まんだり抑えたりしながら訊き、彰洋も怪訝な表情になった。司は何か見たのかもしれないが、彰洋が幽霊を全く見なかったというのに、霊感の無い藤倉が幽霊に遭遇するのは信じられない。困惑する彰洋に藤倉は身振り手振りで説明した。

「おう、白い服で長い髪の。ほら、彰洋と浅霧が蹴散らした奴やん」

 トンネル内で大騒ぎした時のことを思い返し、彰洋は「ああ」と手を叩いた。メンバーを担いだり引き連れたりするのに夢中であまり印象に無いが、そういえばそんな奴がいた気がする。空也と三上は納得したように揃って気の抜ける返事をし、空也に捕まったまま千太郎がコクコクと頷いた。

「市崎君も浅霧君もかっこよかったよね」

 三上の曇りのない眼差しに彰洋と司は揃って頭を抱えた。記憶が正しければ、彰洋と司は未知の存在をヤンキーよろしく怒号で蹴散らしたのだ。それはアイドルらしいお行儀の良さとはかけ離れている。静かに呻く二人を背に、空也がトンネルを指した。

「おい待て、何だあれ?」

 場に緊張感が走り、他の五人も弾かれたように振り返った。

 そして六人は揃って間抜けな声を上げた。

「……え?」

 今まさに話題に上がっている長い髪の幽霊が、歩いてこちらに向かってきている。しかし、誰一人として怖がる者は居ない。

「あれ? スタッフさんやんけ」

 藤倉の言う通り、例の白い服の幽霊に続いてカメラを携えたスタッフ達がトンネルから登場した。

「俺らよりスタッフさん多いやん」

 彰洋の困惑した呟きにスタッフ一同が噴き出した。キツネにつままれたような顔の六人に向けて、スタッフが下卑た笑いを隠さず小声で説明を始めた。

「地味なんで、見せ場を作ろうと思ってドッキリを……」

 そこまで聞いて、彰洋と千太郎はげんなりと項垂れ、空也と司は開いた口が塞がらず、藤倉と三上はなるほどと手を叩いた。

 話によると、スタッフ達も撮れ高を心配し、心霊ドッキリという彰洋たちにとって迷惑極まりない小細工をしていたのだ。霊感の全くない藤倉と千太郎は見事に騙され、空也と三上は大騒ぎの最中だったため気が付かず、彰洋と司は逃げるのに必死な上に霊的な恐怖を感じず、あの反応になったのだ。

 やれやれと首を振る彰洋に、藤倉が不思議そうに尋ねた。

「というか彰洋たち、なんで走って来よったん?」

「あー、それは……」

 答えようとして、彰洋は慌てて口を閉じた。トンネルの最奥では必死で忘れていたが、司とアイドルと夢を語るクサイ会話が収録されてしまっているはずだ。目を泳がせると似たような顔をしていた司と視線が鉢遭い、気まずく目を逸らした。言い淀んだ彰洋に藤倉と三上がケタケタと笑ってスタッフたちの方へ走った。

「何があったんだよ」

「カメラさん、見せてよー」

「あ、待てや!」

「やめろ! やめて!」

 彰洋も司もカメラに囲まれたまま二人に追いすがったが、体力自慢の藤倉と力加減下手の三上にあえなく反撃されてしまった。

 そんな演者達をよそに、トンネル最奥まで同行していたカメラマンはおもむろに映像確認を始めた。突っ立っていた空也や千太郎も怖いもの見たさで寄ってきてしまい、彰洋は全てを諦め天を仰いだ。

 ところが、一向に次の揶揄いが来ない。不審に思いカメラマン達の方を見ると、何やらざわついている。司が三上にのしかかられたまま、スタッフに尋ねた。

「どうしたんですか?」

「撮れてない」

「は?」

 彰洋も藤倉に羽交い絞めにされていた手を振り解いて、映像を見ると同時に言葉を失った。

 彰洋と司が辛うじて視認できる映像はノイズが入って途切れ途切れ、音声に至っては全く入っていない。そして柵を映していた場面は軒並み映像が消えていた。

 六人が言葉を無くす中、スタッフは手早く映像を止めて撤収に取り掛かった。

「時間も無いですし、戻ってちゃんと確かめましょう」

 車へ足早に向かうスタッフの表情は焦りよりも、むしろ高揚しているように見えた。

 目を離すと獣道に進もうとする三上の首根っこを掴んで引き戻しながら、車の元へ戻った頃にはトンネルの妙な空気も薄れていた。

 機材を積み込むスタッフを待つ間、邪魔にならないように車から少し離れた場所で、彰洋と司は四人に囲まれトンネルの最深部の説明をさせられていた。二人で柵の説明をしている途中で、藤倉が状況をまとめた。

「つまり柵があって、むこっかわは行けへんようになっとったわけやな」

「ああ。頑丈ってわけやないけど、隙間から行くんも無理そうやったで」

 彰洋が司をちらりと見ると、司も頷いて続けた。

「行っても向こうは雑草だらけだったし、変わったものは無かったよ」

「じゃあ幽霊出なかったけど、映像が飛んでたのはラッキーじゃん」

 空也の一言に、彰洋と司が首を傾げた。三上も能天気に身を乗り出して尋ねた。

「どういうことー?」

「だから、起きてんじゃん、ほらトンネル……」

 説明したいが言いあぐねている空也に代わって、千太郎がふてぶてしく言った。

「カメラが急におかしくなった、それこそが心霊現象ってことでしょ」

 空也が複雑そうに頷き千太郎のシンプルな説明に一同は得心が行った。藤倉が直ぐに彰洋に羨望の眼差しを向けた。

「ほな、ホンマの心霊現象に遭ったんはオマエらだけゆうことや。ほんま持っとるなあ」

 藤倉がバシバシと彰洋と司の背中を叩き、手荒い扱いに慣れていない司が少し前のめりによろけた。

 しかし、彰洋と司はカメラ以上に不可解な出来事に遭っている。彰洋は鍵のかかっていたはずの柵が開いた事を説明しようと口を開いた。

「そんで、柵が―――」

「そろそろ戻りますよ」

 スタッフの呼びかけで彰洋の話は遮られ、各々山へ背を向け車へ向かった。話の続きは車内でも寺でもできるから、こんな場所一刻も早く立ち去りたいのだろう、司は先陣切って車へ乗り込んでしまった。その素早い背中を指さし笑いつつ彰洋達も連れ立って歩いた。

 やや遅れて四人も順に車に乗り込み、彰洋も登山客の邪魔にならないよう道の端に立ち、乗り込む順番を待った。

(あんな道のりを登るなんて、ご苦労さんやな)

 曲がりくねった山道を登る人々に同情すると同時に、彰洋は微かな違和感を覚えた。ざわめきの根源を手繰り寄せ、通り過ぎる人々を目で追いかける。

 登山客にしてはやけに軽装だ。着物と洋服の中間の様なくたびれた服装に、裸足の方がましな履物を身に付けている。にも拘らず荷物はやけに多く、ガラクタの川が緩慢に逆流しているようだ。荷物や髪の隙間から僅かに見える口元には、皆何の表情も乗せていない。

 重い足取りで山を登って行く人の波に、彰洋は目を離せないまま後ずさった。

「なんやこいつら」

 絞り出した彰洋の声は、三上の明るい声にかき消された。

「御影君、クワガタ付いてるよ!」

「ぎゃあああ! ふっざけんな!」

 悲鳴に驚き視線を戻すと、興奮した三上の隣で、空也がエビ反りになって悶えていた。暴れる空也をよく見ると、赤いジャージの右肩に小さなクワガタがしがみ付いていた。

「おお、そういやクワガタいそうな臭いしとったな」

「スッゲー、市崎君、これ何クワガタ?」

 藤倉が珍しそうに寄ってきて、車に乗ろうとしていた千太郎も飛び降りてキラキラした目で尋ねた。いつの間にかスタッフの一人がカメラを五人に向けている。彰洋は山へ向かう人々は一旦無視して仕事に専念しようと、兄貴風を吹かせて千太郎に返事してやった。

「なんで俺に聞くねん。ミヤマや」

「知らねえよ! 取れ! 取って!」

「あ、逃げた!」

 空也が腕を振った拍子にクワガタが飛び上がった。旋回するクワガタに短く悲鳴を上げ、空也は車の傍から逃げ出した。しかしクワガタも慣れない日の下で混乱しているのか、空也と同じ方向へ飛び、それを追って三上たちも上り坂を歩き出した。

 大騒ぎの様子をカメラの傍で高みの見物をしていた彰洋の表情が一瞬で凍り付いた。

「おい⁉ どこ行くねん!」

 空也が俯く人の行列に加わり、逃げ惑いながら人波に流されていく。後を追う三人もクワガタしか見ていないのか、彼らと同じ方向へと進もうとしていた。

 いや、クワガタしか見ていないのではなく、行列が見えていない。彰洋は弾かれたように走り出し、人波の隙間から藤倉に手を伸ばした。その手は藤倉に届かず、ゆっくりと押し寄せる人々に当たった。

 その瞬間、全身に鳥肌が立ち彰洋は手を引っ込めた。震える指先に残っているのは人間に触れた感触とも、荷物にぶつかったものとも異なっていた。風や水に触れた時の様な、そこに在るのか無いのか判然としない感覚が指先に残っている。不気味な感触に彰洋の経験が警鐘を鳴らした。

(あの行列、生きた人間とちゃうんか⁉)

 芸能界に入って幽霊や妙な人間を見てきて、彰洋は気づき始めていることがある。理解の及ばないモノに近づくのは危険ということだ。

「待て、みんな行くな! 止まれ!」

 彰洋は意識的に人波を無視して手を伸ばし、まだ近くにいた千太郎の肩を掴んで引き止めた。

「市崎くん?」

 真っ青になった彰洋の顔を千太郎が不思議そうに見上げているが、それどころではない。彰洋が無理に伸ばした手が体を貫いたというのに、行列はこちらを見ることもなく淡々と進み続けていた。確かにそこに居るのに、まるで行列は彰洋達と別の世界にあるようだった。困惑する千太郎を庇ったまま歩かせ車の元へ走り、手を伸ばすと同時にドアが開いた。

「彰洋君、どうしたの?」

 騒ぎ声につられて司が車を降りてきた。あれ程この場を立ち去ろうとしていた司が、ごく自然に自分たちの元へ戻って来たことで彰洋は確信した。

(みんなあの列に呼ばれてるんや)

 このまま司の身に何か起きてしまえば、今日の成果が水の泡だ。我に返った彰洋はとっさに千太郎を司に押し付け、車に二人を押し込んだ。

「司、千太郎頼むわ」

「え?」

「ここに居れ!」

 ドアを閉めて戸惑いの声を断ち切り、彰洋は再び三人の方へ向かった。人が多すぎて今にも見失いそうだったが、彰洋は死に物狂いで叫んだ。

「充大ァ! 空也ァ! 三上! 聞こえてへんのか⁉ 戻れ!」

 列に近づいてみると、パニック状態の空也は遠くへ行っていなかった。人波をかき分け勢いよく走って手を伸ばすと、案外簡単に腕を掴めた。空也の小さな体を引き上げて列から身を引き、彰洋は続けて二人を探した。

 程なくして見つかった三上と藤倉は随分遠くまで進んでいて、二人の背中はほとんど人込みに紛れている。彰洋の叫びが聞こえていたのか、三上が場違いな笑顔で振り向いてた。

「クワガタ、あっちに飛んでったよ!」

 無邪気に伸ばされた指の方向を見て彰洋は言葉を失った。列の行く先、トンネルの方角を指している。

 彰洋の脳裏に開け放たれた柵が甦った。背の高い夏草が生い茂るトンネルの向こうの村、こちらを向いて咲く真っ白な百合の花。ジャージの裾と髪を揺らす追い風が吹き、血の気が引いた。

(あの行列、俺らを巻き込んでトンネルへ行きよるんや)

 気が付いたと同時に彰洋は腹の底から叫んだ。

「もうええやろ、クワガタは自然に返せ!」

 正確にはトンネルの奥の、柵の先だ。先ほどの彰洋も、クワガタに気を取られている他の四人も、その騒ぎに車を降りた司さえも。あの柵の先にあった村に呼び寄せられている。辛くも空也は取り戻したが、このままでは藤倉と三上が連れていかれる。死に物狂いで彰洋はもう一度叫んだ。

「間に合わんくなる! 戻れ!」

 相手が千太郎なら腰を抜かすほど低くドスの効いた声だったが、藤倉は振り向いただけだった。藤倉の顔は一瞬で人込みに紛れて消え、いつの間にか三上も視界から消えている。

 呆然と立ち尽くす彰洋に、空也が情けない声で呼びかけた。

「もう虫いねえよな? な?」

「はよせえ、時間無いから」

 空也が殴られたように彰洋を見上げた。そして、視線を彰洋から目の前へ戻した瞬間に、空也の全身が強張るのが解った。

「おい、何だこの感じ……フジと三上はどこだ⁉」

「もう遅いわ」

 やはり姿は見えていないが、空也も異様な空気に感づいた。やはり彰洋の気のせいではなく、幽霊が列をなしている。しかし、そんなこと今更確信しても仕方がない。

 藤倉と三上が連れていかれた。状況を理解し青ざめていく空也は、口をはくはくと動かし彰洋を見ることしかできていない。打てる手はすべて打ったが、もう二人とも連れ戻せないだろう。彰洋は空也の腕を掴んだまま車へ踵を返した。

「待てよ、あいつら連れ戻さねえと……」

 空也が彰洋に抵抗し、トンネルの方へ戻ろうとしている。苦労して連れ戻した空也を戻させまいと、彰洋は力ずくで空也を引き摺った。空也は何やら喚きながら引き摺られていたが、急に黙って彰洋の背中をペシペシと叩いた。

全く敵意の無い感触に立ち止まり、耳を澄ませると背後から砂塵を蹴散らす音が近づいてきた。

「スマンな、彰洋。連れ戻したで」

 振り向いた先にいたのは、三上の首根っこを掴んで近づいてくる藤倉だった。

「戻って、くれたんか」

 立ち尽くす彰洋に藤倉はいつものようにカカカ、と笑った。

「おう、オマエが呼んどったからな。三上、ちゃんと謝りや」

 藤倉に突き出され、犬だったら尻尾を巻いていそうな表情で三上が謝った。

「ごめんなさい、クワガタ見失っちゃった」

「そこちゃうわ!」

 マイペースな謝罪に彰洋と藤倉は揃って三上の頭を掌で叩いた。心外だという顔の三上に、空也も遅れて吠えた。

「いらねえよ! ……でもまあ、撮れ高になったからいいんじゃね?」

 振り返ると、車の傍らで相変わらずカメラマンが得意気にレンズを向けていた。車の中で千太郎と司がクスクス笑っているのが見え、彰洋も呆れて苦笑いした。 

 約束の時間が迫っていたこともあり、帰りは途中休憩も挟まず寺へ向かった。長時間の移動にくたびれた千太郎の手を引いた彰洋を先頭に六人揃って住職に挨拶すると、慌ただしい訪問だというのに住職は朗らかに迎えてくれた。

 スタッフは形だけのお祓いの絵を求めていたようだが、六人とも軽薄な若者の見た目とは裏腹に真剣に取り組むせいで、住職もやけに張り切っていた。もしかしたらノリが良いだけかもしれないが、願ったり叶ったりだ。

 一通りの撮影が終わり、スタッフの撤収の作業を待つ彰洋達に住職が話しかけてきた。

「バタバタして申し訳ないねえ。お茶だけでも飲んでいってくれないかい?」

 真面目に撮影に参加したことで住職が心を開いてくれたようで、彰洋達は住職一家のご厚意でお茶を頂くことになった。話題は自然と今日のロケのことになり、住職は遠くを見るように目を細めた。

「懐かしいなあ。私も子供の頃探検に行って、親父に大目玉を食らったよ」

「ヤンチャやったんですね」

 彰洋の相槌に住職は明るく笑った。

「ははは、でも、実際心霊スポットなんてところは幽霊が出なくても地形が危なかったり、人気が無かったりして危ないからね。クマが出るかもしれないしね」

「クマ出るんすか」

 現実的な危機に空也が大声で尋ねた。住職はいたずらっぽくウインクして続けた。

「そうだよ。もし何かあっても、人が居ない上にケータイも繋がらないから山は危ないよ」

「人が居ない……?」

 彰洋の記憶では、トンネルの先に小さな家や畑があったはずだ。司に視線で同意を求めたが、あいにく司は体ごと住職の方を向けていた。

「ああ、そうだよ。昔はこちらからトンネルの先にある集落へ行くのに使っていたらしいんだが、私が生まれた頃に集落が無くなってしまったから、トンネルは封鎖されてしまったんだ」

「じゃあ、先にあるのは廃村なんですね?」

 司が住職に確認すると、住職は相変わらず気さくに答えた。

「そうだね、他に入る道も多分無いし、今の季節じゃ雑草だらけで解らないと思うけど、もしかしたら家なんかがまだ残っているかもね」

 ロケの翌日は、番組で披露する楽曲のレッスンだった。番組では視聴者に人気の曲を企画の担当チームごとに披露するのだが、持ち歌のない彰洋達六人は先輩の曲を披露する予定だ。

 原曲に忠実なパフォーマンスをしたい司とアレンジを加えて色を出したい空也の喧嘩が収まらない中、彰洋は昨日のロケが気になっていた。隙を見て同行していたスタッフに「奥の映像が撮れてなくて惜しかったですやろ」と聞いたのだが、スタッフ達はむしろノイズが撮れて幸運という反応だった。あの時鍵が開いたと認識していたのは、比較的柵の傍にいた彰洋と司の二人だけだったらしい。その場は曖昧な会話で切り抜けたが、彰洋と司を撮影していたスタッフと認識が異なるのは腑に落ちず、住職の話も相まってレッスン中の彰洋はずっと上の空だった。

 司と空也を落ち着かせるために一旦休憩をとることになり、彰洋も気分を切り替えるため、飲み物でも買おうとレッスン室を後にした。汗を実家から持ってきたタオルで雑に拭いながら廊下の自販機の前に向かうと、見慣れた先客を見つけ彰洋は迷いなく声を掛けた。

「なあ司」

 司はスポーツドリンク片手に振り向いた。セットしていない髪を束ねてアクセサリーは外していたが、数珠だけは着けたままだった。

「お前は、柵のむこうに何が見えてたん?」

 司は缶のスポーツドリンクを一口飲むと、溜息を吐いた。

「それ、こっちの台詞なんだけど」

「は?」

 面食らった彰洋をじっと見て、司は再び口を開いた。

「家とか、畑みたいな場所はあったよ。でも、家はどう見ても廃屋だったし、畑も雑草だらけだった」

 自販機の低い音が二人の間で響く。彰洋は飲み物を買うのも忘れて立ち尽くした。

「オレは柵の隙間から覗いて、昔の人っぽい幽霊が見えたから直ぐ柵から離れた」

「……嘘やろ」

 司の言い分と住職の話では、柵のむこうは打ち捨てられた集落らしい。自分の見た景色と現実の乖離が信じられず、彰洋は司の持つ缶の水滴を眺めることしかできなかった。反対に一人得心の行った司は、缶を呷って中身を飲み干した。

「帰りも、皆を追って車を降りた時は解らなかったけど、車の中から彰洋君を見て……あの行列に気が付いた。……あの集落、多分生きてる人間を呼んでるね」

 一際大きな音を立ててから、自販機の音が一度止まった。司も彰洋同様、幽霊の存在だけでなくトンネルの異様な危険に感づいている。彰洋は絞り出すように呟いた。

「お前、ホンマに幽霊見えてるんやな」

 司は頷いて彰洋の目を見た。セットしていない髪は彰洋と真逆のストレートで、普段より頼りなく司の左目にかかっている。

「彰洋君、見え過ぎてるんだよ」

「見え過ぎてる……?」

 意味が分からず聞き返すと、司は空になった缶を手にしたまま答えた。

「幽霊って見え方とか様子とかおかしいし、なんとなく人間と違うって解る。でも、彰洋君はずっと見えてるのに気が付かなかった」

 そう言いながら、司は空き缶をゴミ箱に捨てた。「ゴミは分別」の張り紙が缶を投げ入れられた衝撃で揺れた。

「彰洋君の目は、生きてる人間もそうじゃない物も同じくらい見えてるんじゃない?」

 彰洋はハッとして顔を上げた。

 思い返せば、集落跡を見た時だけでなく、行列を見た時もすぐに幽霊だと気が付くことが出来なかった。普段は零感の藤倉や気配のみ察知する空也とつるんでいたから幽霊だと気が付けたが、一人ではいつも危険に気が付くのが遅れがちだ。ロケの日も、もし司と一緒でなかったら自分は絶対ここに帰ってこられなかっただろう。

 司が再び自販機に向き直り、リンゴジュースのボタンを押した。所持金の少ない千太郎に持って帰るのだろう。缶ジュースを取り出す背中に彰洋は問いかけた。

「このロケ、どないするつもりなん?」

 司は缶に細工や異常が無いか確かめながら答えた。

「オレは幽霊に関わりたくない。この先も人前で霊感があるなんて言うつもりはないよ。だから彰洋君の邪魔にはならないでしょ」

「それでカメラ止まってるときに訊いたんやな」

 司は再び頷き、彰洋は溜息を吐いて自分も自販機に向かった。司は彰洋に霊感がある事だけでなく、それをひた隠しにして画策していることも察していたのだ。彰洋は自販機に小銭を入れながら言った。

「なら、口裏合わせよか」

 自販機のボタンが光り、二人の顔を青白く照らした。缶ジュースを抱えた司に無言で見上げられ、彰洋はそのまま続けた。

「あの場所では何も起こらんかったゆうことにする。危なすぎるわ」

 もし彰洋達の身に起きたことが多くの人々に知られたら、興味を持った人が近づき更に危険な目に遭うかもしれない。司は否定も肯定もせずに問いかけた。

「皆にはなんて説明するの?」

「説明しいひん」

「え?」

 彰洋がコーラのボタンを押し、缶が音を立てて落とされた。愕然とする司を差し置き、彰洋は取り出した缶を玩んだ。すぐにでも開封したいたいが、炭酸飲料は慎重に扱わなければ取り返しのつかないことになる。

「あいつらが口を滑らさんとは言いきれへん、下手に知らせん方が身のためや。可能性は全部潰しとけ。それに映像が無いゆうことは証拠も無いゆうことや、柵開いたんは墓場まで持ってくで。ええな?」

 彰洋は一息に言い切ると、プルタブを引いた。炭酸が弾ける音とともに、コーラの甘い香りが立ち込める。司は暫らく何か言いたげにしていたが、やがて諦めたように返事した。

「……解った。約束する」

 彰洋は頷き、何事も無かったかのようにコーラを一口飲むとレッスン室へ戻った。

 恐ろしく明るいスタジオの照明が少年たちを照らし、信じられない台数のカメラが向けられていた。観覧席が雑談をやめ、スタッフのカウントダウンが次第に無声になる。

 今日は待ちに待った『ウワサの冒険少年団~夏休み特別企画! 波乱の冒険スペシャル~』の収録、彰洋たちにとっての決戦日だ。


 スタジオには上手側にモニターが設けられ、MCの中堅芸人一人とデビューしたての先輩アイドルの二人が座っている。そして彰洋たちはというと番組衣装の名前入りの赤いジャージを着て、真ん中から反対側にかけて設置された大きなひな壇の下手側端に固まって座っている。ひな壇には彰洋達同様、他の企画に参加したアイドルがそれぞれ五~六人ずつ、その他に企画に参加していないガヤ担当の小学生アイドルたちが白いジャージ姿で座っていた。

 本番前に千太郎と親し気に話していたガヤの小学生の多さは、企画の貰えた彰洋が自分は人気だと錯覚してしまうほどだ。しかし観覧席のファンの反応は正直で、デビューしたての先輩アイドルや他の企画に参加したアイドル研修生が登場すると、そんな思い上がりを簡単に打ち砕くのであった。そんな立ち位置もあって、MCと他のアイドルが話している間は六人ともひな壇のガヤに徹する。

 番組は夏休み企画というのもあり、食材入手を賭けてミニゲームを楽しむ『ガチンコ! 炎のバーベキューバトル!』や、裕福な家庭しか参考にならないであろう『遊び尽くせ! 海の究極アクティビティはどれだ⁉』等という華々しい企画が続き、六人は羨ましさを押し殺してワイプで抜かれて問題ない笑顔を作った。

 煌びやかなVTRが続き、ついに彰洋たちのVTRの順番が来た。

「続いてはこちら! 『徹底検証! 禁断の心霊スポット⁉』これは誰が冒険してきたの?」

 MCが特徴的な糸目で中途半端な拍手が起こるスタジオを見渡した。彰洋は両隣に目配せして、立ち上がるほどの勢いで手を上げた。

「はい!」

「僕らが行ってきました!」

「俺たち六人です!」

 すかさず藤倉と空也が台本通りに声を上げ、司たちも手を上げた。

 観覧席や他の少年達からどよめきが上がった。他の企画は歓声と拍手だったのに。MCと先輩はいまいち盛り上がりに欠けるスタジオの空気を変えようと、彰洋達に負けない大げさな声を張った。

「え! 本当に行ったの⁉」

「せっかくの夏休みなのに!」

 俺達の台詞や、という言葉を押し殺して彰洋は笑顔をカメラに向けた。

「そうなんですよ」

「過酷でした」

 彰洋達を見下してMCが笑った。

「なんか可哀そうだね」

 観覧席から納得とも同情とも取れない「あー」という声が出た。それらを正面から全力で受け止め、揃って三枚目をやりとげる覚悟を決める。

 別の企画に参加していた知り合いの少年が、ひな壇の反対側から声を掛けた。

「というかイッチーたち三人は解っけどさ、ここ六人って絡みあんの?」

「大丈夫? 日野君は皆と会話あった?」

 突然MCに話しかけられ千太郎は挙動不審になった。

「あ、えっと」

 すかさず彰洋は大げさに千太郎と肩を組んだ。

「そんなことないっすよ! なあ!」

「楽しかったやんなあ!」

「見てみろよこの絆!」

 意図をくみ取った藤倉と空也もすかさず参加してきた。反応できずにいる千太郎と必死な彰洋達の様子に、MCが猿の様に手を叩いて笑った。

「やめてやれよ」

 司の一言でスタジオに笑いが起こった。それを区切りに、MCが進行に戻った。

「さて、そんな六人ですが一体どんな冒険になったのでしょうか。VTRどうぞ!」

 流されたVTRは六人のやり取りを中心に編集されていて、仲間内で探検しているといった雰囲気だった。

 山の麓でのオープニングは、彰洋の予想通りアウェイなスタジオでも勢いだけで何とか笑いを取れていた。六人の移動中の無音動画にあわせて、心霊スポットの詳しい紹介のナレーションが流れた。


『旧Sトンネルは昭和三十年に新たに県道が開通するまで使われていた旧道にあります。かつてはこのトンネルの先に小さな村があったのですが、人口減少により住民が居なくなりトンネルも使われなくなってしまいました。そのため、途中からはほとんど道が山に埋もれているため車で向かうのは困難。ギリギリまで車で向かい、後は徒歩で向かいます!』


 他の企画と同様の明るいテンションで、しっかり廃村になった旨をナレーションで説明されている。大方新鮮な反応を撮りたかったとかで、詳しい説明は現地でされなかったのだろう。表には出さないが、彰洋達の間でスタッフへの不信感が増幅した。

 やがてVTRはトンネル前の小競り合いまで進んだ。編集で空也が掴みかかった場面は他のメンバーのカットに代わっていたが、立ち止まる千太郎は編集で誤魔化せずそのまま流れていた。スタジオのアイドルたちや観覧席からは同情の声が溢れていたが、スタッフや事務所関係者が酷く厳しい目で映像を見ているのを彰洋は見逃さなかった。

「その代わり、ちゃんとついて来いよ?」

 司が機転を利かせた場面を見て、スタジオの空気が一変した。

「さっすがイケメン」

「カッケーなあ」

 観覧席だけでなくMCもアイドルたちも沸き立った。カメラに抜かれた司はいつも通りのすかした態度だったが、空也と三上に両側から「注目!」とばかりに指さされ、口元だけ小さく笑った。

 その後トンネルに入る彰洋と司を見届け、入り口に残った四人のやり取りが流れて始めた。自分の知らないロケの様子に、彰洋は自然と前のめりになってVTRに注目した。

「矢恋ってなんだよ」

「侍の矢文かも」

「それだ」

 トンネル内での空也と三上の頭の悪い会話にスタジオが笑いに包まれた。

「千太郎ええ加減にせえや。司と約束したやろ」

「……」

「もう置いてくで! オレ行くからな、オマエそこで一人でおるんか?」

 と思えば藤倉と千太郎は、妙に真剣な成長物語風に編集されていた。

「スーパーの親子か」

 VTRに向けた彰洋のツッコミに笑いが起こる。言い終わったタイミングでカメラが彰洋を映し、しばし呆れた顔の彰洋がワイプに抜かれた。

 特に進展の無い中、再び明るいナレーションが流れた。

『各地でトラブル発生も心霊現象は起こりません。耐え切れなかったスタッフたちはある行動に出ちゃいました! それはなんと!』

 ナレーションと共に、白いワンピースにロングヘアの鬘姿の男性スタッフが映し出され、スタジオが爆笑に包まれた。ドッキリの下りだ。幽霊姿のスタッフは明るみで見るとあまりにも滑稽で、仕掛けられた彰洋達ですらVTRで見ると手を叩いて笑ってしまった。

『心霊スポットで大興奮のメンバーに、心霊ドッキリを敢行! みんな一体どうなる⁉』

「スタッフ無茶苦茶するじゃねーか!」

 MCのツッコミと同時に映像が切り替わり、トンネル前の藤倉と千太郎の引きの画になった。画面端からスタンバイする幽霊姿のスタッフが現れ、スタジオが笑いを堪えて見守った。幽霊に気づき怯える反応をスタジオ全員が心待ちにしている。しかし次の瞬間、あろうことか幽霊姿のスタッフは両手を前に突き出して藤倉と千太郎に突進した。

「幽霊生き良過ぎひん⁉」

 再びVTRにツッコミを放った彰洋を、今度はスタジオのカメラは逃さなかった。予想外の動きと彰洋のツッコミに、再びスタジオに笑いが巻き起こった。

 真っ先に気が付いた千太郎は悲鳴を上げる暇すらなく、音の様に早く立ち上がってトンネルへと逃げ込んだ。あまりの速さに唖然としていた藤倉もすぐに追ってくる幽霊スタッフに気が付いて、驚きつつも千太郎を追って走り出した。

「千太郎君あんなに行きたがらなかったのに速すぎる」

「藤倉君も足速すぎでしょ」

「アスリート並だよ」

 幽霊姿のスタッフに負けず劣らず俊敏な二人を笑うアイドルたちの後に、腕を組んだまま苦笑いする藤倉と赤面して項垂れる千太郎がカメラに抜かれた。

 続いて映像はトンネル半ばに切り替わった。相変わらず呑気に落書き鑑賞をしていた空也と三上が、不意に物音に気が付く。

「お化けだ!」

「フジどうしたんだよ?」

「空也スマン、追われとんねん! もうアカンわ!」

「はああ⁉」

 慌てふためく藤倉達と状況が解っていない空也達の温度差が酷く、またもやスタジオに爆笑が巻き起こった。大騒ぎのトンネル内部の映像に、仰々しく『阿鼻叫喚』のテロップが入れられた。

「何? 何の騒ぎ?」

 ダメ押しのように暗闇でも解るほどポカンとした表情の三上がアップで映されている。

「危機感持てや」

 当時パニックで気が付かなかったのか、藤倉がひな壇から画面の中の三上にツッコんだ。しかしそのツッコミが終るより前に、VTRは次の展開を迎えた。

「何だ⁉ 彰洋と司まで走って来やがった⁉」

『何故か合流する浅霧君と市崎君』というテロップと共に、全力疾走してくる自分たちが映し出され、彰洋はやっと自分も当事者だったと思い出した。更に混沌としていくトンネル内の映像を前に、乾いた笑いを漏らす彰洋に司が耳打ちした。

「オレ達の行ったとこ映ってないね」

 時系列で編集していないことに違和感を覚えたらしい。相槌を打ってやろうかと思ったが、幽霊姿のスタッフを「うるせえ!」の一言で蹴散らし走り去っていく自分たちの映像に爆笑したスタジオのせいで、彰洋の返事は有耶無耶になってしまった。ネタ晴らしに呆れる姿の後も、トンネル奥での彰洋と司は映らず、映像は車へ戻った場面に移った。

 クワガタで大騒ぎする様子もコミカルに編集されていたが、六人とスタッフたち以外が映ることは無く、悪ノリする四人を必死に回収する彰洋という内容だった。テロップにも呑気に『気苦労が絶えない市崎お兄ちゃん』などと書かれている。結局、彰洋の認識と異なる、番組の趣旨通りの、ひと夏の冒険VTRが流れてスタジオに笑いをもたらした。

 お寺で座禅するシュールな姿で映像が締められ、終わりの空気に、スタジオに拍手が起こった。しかしMCが次の進行に移ろうと台本に目を落とした瞬間、白いテロップとナレーションが流れた。

『このドタバタの裏で、こんなことが起きていたのです』

 スタジオは和やかな空気のまま、徐々に拍手を止めた。誰もが思いっきり笑えるVTRの続きを心待ちにしているのが解った。

『実は浅霧君と市崎君は、トンネルの奥へと辿り着いていたのです』

「そういえば奥から走ってきてたよね」

 MC横の先輩に声を掛けられ、彰洋と司は頷いた。映像もトンネルを歩く彰洋と司に切り替わる。気まずい空気のまま歩く自分たちの姿に、空気の温まったスタジオは茶々を入れた。

「会話しようよ」

 先ほどまでのVTRは一切の心霊現象の無い、少年たちのコミカルな映像になっている。この後の映像がどのように編集されているか解らず、先輩の茶々に彰洋は苦笑いするほか無かった。

『ここで、思わぬ問題が発生』

「え? 何?」

 嬉々として問いかける先輩を差し置き、ナレーションの声に緊張が走る。

『トンネル最奥までたどり着いた二人の映像をご覧ください』

 暗転して再び切り替わった映像は、暗闇の中でやけに白く映った彰洋自身の形のいい横顔だった。映像の中の自分が一歩前へ進んでフレームアウトし、残されたカメラは少し後ろにいた司を映した。画面外から、自分の声がする。

「出口か……?」

「出られないようになってる。でも……」

 司が呟き、カメラが柵の向こうを覗き込む彰洋の方を向いた瞬間、映像にノイズが走った。

「え、なにこれ怖い」

「マジなの?」

 ひな壇も客席も等しくざわめきが走る。ノイズ塗れの映像を見ながら、彰洋は今思い出したかの様に白々しく応えた。

「あ、そうそう」

「撮れてなかったんだよね」

 司も茶化しはしないが真剣過ぎず、日常会話のような調子で答えた。実際その理由を知らないから、二人の言葉に嘘はない。

『なぜかトンネルの奥側ではまともな映像が記録されていない。そしてカメラが記録していたのはここまでだった』

 神妙なトーンのナレーションと共に乱れた映像がゆっくり暗転する。真っ暗になった画面に合わせ、ナレーションが締めくくられた。

『禁断と呼ばれるこのトンネル、その最深部には何者かが巣食っているのかもしれない……』

 VTRが明けると同時に、彰洋と司がカメラに抜かれた。二人とも今更怖がりはしないが、反応のしようが無く、真顔を映し出す結果になった。それは残りの四人も同様で、千太郎は少し強張った様子だったが、基本的には「訳が分からない」という顔をしていた。

 しかし、その反応はひな壇と観覧席を凍り付かせるには十分だった。

「うそ……」

「超鳥肌立ったんだけど」

「あれどういうこと?」

 徐々に緊張から抜け出したアイドルたちが、口々に感想と疑問を投げかけた。しかし明確な答えを求める周囲に返せる言葉が無く、司は首を傾げた。

「僕たちにも解らないんですよ」

 観覧席から小さく悲鳴が上がり始めた。皆顔を見合わせ、浮足立つのが手に取るように解る。

「結局さ、幽霊は居たの?」

「いや、オレも司も見てないんすよ」

 MCの核心的な質問に、彰洋は静かに嘘をつき、「なあ」と隣の司に同意を求めた。一瞬だけ口許を強張らせた司は、逡巡の後頷いた。MCは大げさに仰け反り、背後のひな壇もどよめき観覧席からさざ波の様に悲鳴が上がった。

 収拾が付かず、底冷えする恐怖の中で先輩アイドルが尋ねた。

「じゃあさ、二人が走ってきたのは何だったの?」

 彰洋と司は即座に顔を見合わせた。口裏合わせを約束したものの、ここまで打ち合わせをしていない。司は答えあぐねている彰洋に代わって、カメラに向かって悪戯っぽく笑った。

「秘密です」

 普段見せない瞬発的な司のかわいらしい返事に歓声が上がり、観覧席の恐怖が一瞬で粉砕されたのが解った。彰洋も司にカメラを独占されまいと、明るい笑顔で同調した。

「なー!」

 彰洋の笑顔をカメラが抜いた瞬間、観覧席から黄色い声が上がった。司に乗っかる形だが、生まれて初めてアイドルらしい受け答えをした気がする。

「何だそれ、スーパーアイドルじゃねーか!」

 彰洋達をMCが茶化し、ひな壇からも笑いが起こった。怪奇現象で不穏になった空気を一刻も早く夏休みスペシャルの楽しい空気に盛り上げるのが、彼の役目だ。

「それにしても、凄い盛り上がったね」

 先輩アイドルも同調し、感想を求められたガヤの少年が、はにかみながら六人に向かって言った。

「最後怖かったけど、この六人で遊んでるの面白そうだった」

「遊びちゃうよ!」

「仕事です!」

「オレらも一生懸命やってます!」

 口々に主張する彰洋達年長メンバー三人に、再びスタジオに笑いが巻き起こった。確かな手ごたえに、彰洋は藤倉と空也に目配せして内心ほくそ笑んだ。これは確実に副社長の期待を越えることに成功しているだろう。温かい拍手を受け、こちらに向くカメラに気が付いた彰洋達は揃って小さく頭をさげたり手を合わせたりした。

 スタジオにコーナーが切り替わるチャイムが鳴り、最後の歌唱パフォーマンスの紹介に向けて、彰洋含むアイドルたちは姿勢を正した。

「おや、スタッフさんからお知らせがあるみたいです」

 MCが不思議そうな顔でカンペを読んだ。台本にもリハーサルにもこの下りは無かったから、なんらかのサプライズだろう。彰洋たち六人もひな壇一丸となって、好奇の目をカンペに向けた。カンペが捲られ、同時にMCが声高に読み上げる。

「今回の心霊スポットロケが予想以上に撮れ高があったということでなんと!」

 嫌な予感が胸をよぎり、六人の顔が固まった。

「第二弾決定です! 六人には新たな心霊スポットへ冒険に行ってもらいます!」

 同時に背後のモニターに仰々しいフォントで『第二弾決定!』の文字が映し出され、青ざめた六人は異口同音に叫んだ。


「嘘やろ⁉」

「もうええって!」

「ぜってーやだよ!」

「え? また行くのー?」

「勘弁してよ……」

「やだー!」


 トンネルの阿鼻叫喚の騒ぎを凌ぐ六人の悲鳴は空しく、成果を祝うひな壇ガヤと観覧席ファンの拍手喝采に埋もれてしまった。

 救いを探してスタジオ中を見渡すと、出口付近で副社長が壁にもたれ掛かり立っているのが見えた。副社長は彰洋と目が合うと、腕を組んだまま深く頷き満足げに口角を上げた。やっと認められたのだろうか?

 歌の準備のため下がったセット裏で、六人は顔を見合わせると同時に叫んだ。


「売れたい!」

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ワーストステージ 花岸 伴 @hanagisi-bang

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