命が燃え尽きるまで

キトリ

命が燃え尽きるまで

命が燃え尽きるまで、眺めていようと思った。


ヨーロッパに網戸という文化はない。よって、フランスにも網戸はない。窓を開ければ虫は入り放題で、ハエも、蚊も、ユスリカも、ハチも羽音を鳴らして入ってくる。しかも内側に窓が開くものだから、カーテンが持ち上がってしまって大きく隙間が空き、虫の侵入を許す。さらに、夜になれば隙間から光が漏れ、その光を目掛けて虫がやってくる。ホームセンターで買ってきた窓に貼るタイプの虫除けは全く意味をなさず、外からアパルトマンを見上げた時に自室がどこかわかるだけの、ただの目印となっている。


だから今日、再びホームセンターに行って蚊除けキャンドルを買ってきた。マグカップくらいの大きさの青いガラス容器に入った、燃焼時間50時間のキャンドル。マッチを擦ってキャンドルの芯に火をつけて、細く開けた窓のそばに置く。そよそよと入ってくる風が、炎を揺らす。炎の高さが青いガラス容器の中に収まったのを見ていた安心する。これならカーテンに引火しないだろう。カーテン越しでも、炎がゆらゆらとゆらめいているのが見える。


蚊除けキャンドルはシトロネル、日本ではレモングラスと呼ばれる植物のアロマオイルが入ったキャンドルだ。アロマキャンドルの一種だが他のアロマキャンドルと比べれば香りは強くなく、部屋に置いたら匂うという類ではない。ある程度キャンドルに鼻を近づけてやっとレモンに似た爽やかな香りを感じる程度だ。店にはティーライトと呼ばれる燃焼時間5時間程度の小さなものから、バケツに入ったキャンプ用の、芯が2〜4本立っている大型のものまで、売り場一面にたくさん並んでいた。逆に蚊取り線香やノーマットのような電気蚊除けはほとんど見かけない。売り場の隅に申し訳程度に置いてあるだけであるから、フランスの蚊対策の主流はキャンドルなのだろう。


ただ、効果があるのかは、正直よくわからない。蚊"取り"線香のようにピレスロイドが入っているわけではないから、蚊を殺す効果はない。蚊"除け"キャンドルは蚊に避けてもらうのが目的だからだ。だが、そんなに都合よく匂いだけで蚊が避けてくれるのだろうか。そもそもこんな風の吹く夜では、こんなほのかなキャンドルの香りもどこかに流れてしまうのではないか。


歯磨きなどのナイトルーティーンを終え、ベッドにしばらく転がっていた。うとうとしてはいたものの、どうにもキャンドルの様子が気になって眠れない。今のところ蚊は入ってきていないと思うが、それがキャンドルのおかげなのか、たまたまなのかはわからない。ゆらゆら、ゆらゆらと揺れるカーテンと共に炎が踊っているから、風に負けずキャンドルは順調に燃えている。火をつけて既に3時間ほど経っただろうか。様子を見てみようと身体を起こす。


窓辺に立って、そっとカーテンを開けた。キャンドルは、勿論ちろちろと燃えていた。アロマオイル入りの白い蝋は炎に近いところから溶けて、透明になった蝋が池を作っている。その池の中に黒い点がぽつん、とあった。ゴミでも入っているのかと思ったが、よく見ると黒い点から6本、いや、7本の線が伸びている。黒白の縞縞模様に彩られた細長い6本と、真っ暗で短めな1本。足と針——忌わしい口だろう。


ヒトスジシマカ、通称ヤブ蚊、フランス語ではmoustique tigre、訳すと虎蚊。なぜかフランスの蚊は日本の蚊よりもデカいので、虎蚊と言われても違和感がない。デカくなるのは蚊除けばかりで蚊に対する有害物質が少ないからだろうか。それともヨーロッパの血を吸うと蚊もマッチョになるのか。想像する蚊よりも大きすぎて、ただのゴミに見えてしまった。


飛んで火に入る夏の虫、という諺が頭に浮かぶ。シトロネルの香りよりも、火の誘惑の方が強かったのだろうか。じーっと眺めていると、まだ蚊は死んでおらず、足をウゴウゴと動かしていた。なんともしぶとい蚊だ。もう羽は蝋に濡れて使い物にならないだろう。蝋の上に立てるわけもあるまい。それでも落ちてしまった罠から逃れようと、必死に細い足を動かして暴れていた。


暴れる足がキャンドルの火に触れた。ぽうっと、蚊の足に小さな炎が移る。蚊はジタバタと暴れ抵抗するが、暴れた足に火が燃え移る。火は燃え盛り……ということはなく、思っていたよりもじっくりと、しかし確実に、じわじわと蚊を燃やしていく。


その様子に、なぜだか目が奪われた。緩慢で、じれったい、目怠い光景。蚊は人間には聞こえない断末魔の叫びを上げながらのたうち回っている。エンディングは死だとわかりきっている。蚊は今晩のうちに焼死する。決定事項だ。それなのに目が離せない。目の前で燃えていく命を見るという趣味の悪いエンターテインメントに、訳がわからないほど魅了されている。


だから、命が燃え尽きるまで、眺めていようと思った。

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