勧悪懲悪について
夢月七海
勧悪懲悪について
始め、彼女はただの依頼人として、俺の前に現れた。
何の変哲もないマンションの一室を事務所代わりにしている、人探し専門の探偵を尋ねてくるほど、切羽詰まっているのだろうとは思った。それにしたって、小柄な彼女は終始挙動不審で、俺と目を合わすことすらなかった。
「……えっと、半年前のことです。私の両親が乗った車が、煽り運転の車によって、橋から落とされました。……当然、両親は亡くなり、煽り運転をした車は、まだ、捕まっていません……」
悲惨な事故の話なのに、彼女は淡々と説明していた。あまりに衝撃的な出来事に、心が追い付いていないのだろう。
一度言葉を切った彼女は、持っていたトートバッグを開けると、そこからタブレットを取り出した。
「……あの、両親の車には、ドライブレコーダーが付いていて、事故当時の映像が、クラウドに残っていたんです」
俺に向けたタブレットの画面には、車のフロントガラスから見える映像が流れてきた。周囲は、この車のヘッドライト以外は真っ暗だった。彼女の話の通り、夜中に橋を渡っているようで、向こう岸に建物の明かりがぽつぽつ光っている。
橋、と言っても、短く、欄干も低い。この走っている車が、真横からアタックされたかのように、大きく左へ動いた。そのまま、車は左へと押されている。とうとう、欄干にぶつかる直前、この車を押していたもう一台が映った。それは、シルバーのアウトドアタイプの四輪駆動車だった。
俺が顔をしかめたのが見えたのだろう。彼女は、両親の車が橋から落ちる寸前に、タブレットを持ち上げ、映像を停止させた。
「……警察も、同じ映像を元に捜査をしていましたが、煽ってきた車が付けていたのは偽造ナンバーで、調べるのに難航しているそうです」
「だろうな」
出来るだけ、平坦な声で答える。彼女の依頼は、この時点で分かっていた。
「……織田さん。煽り運転した車を、その運転手たちを、見つけ出してください……」
彼女は最後まで俺と目を合わせないまま、深々と頭を下げた。
△
約二か月後に、煽り運転の車とその持ち主が見つかったと、俺は彼女に連絡した。
その翌日、平日にもかかわらず、彼女はこの事務所を訪ねた。
「……こんなに早く、見つかるなんて思いませんでした」
俺がまとめた資料を眺めながら、彼女がぼそりと呟いた。驚いているのか怖がっているのか、判断付かない抑揚の声だ。
彼女は特に、運転手と事故当時に乗っていた人物の写真と、その家を写した衛星画像を眺めていた。そちらに目を落としたまま、俺に質問をする。
「……これによると、煽り運転した時に載っていた五人は、週末は必ず運転手の家に集まって、騒いでるそうですね?」
「ああ。事故の前も、その後もそうだ」
「……あの、この家って、空き家ですか?」
彼女が指さしたのは、運転手の家の隣にある、上空からでも荒れているのが分かる隣家だった。
「そうだ。もう何年も前から、人が住んでいないらしい」
「……そうでしたか……」
そのまま、彼女は黙り込んだ。自分の両親を殺した相手が、高級住宅街の豪邸に住んでいて、事故の前と変わらない派手な生活をしていると知れば、怒りがこみあげてくるのだろうが、彼女の態度は初対面の頃から変わらなかった。
しばらくして、彼女は資料を一つにまとめ、封筒に入れ直した。
「……ありがとうございます。追加の料金をお支払いしますね。……あ、この資料は、いただいてもよかったのでしょうか?」
「ああ。それを、警察に持っていくのか?」
「……当然ですよ」
彼女はやはり、俯いたまま答えて、その真意は測れなかった。
△
ある意味、俺は期待していたのだろう。真実を知った彼女が、どのような行動をとるのかを。
知り合いのツテを頼み、あの運転手の家の一番近くにある、外の防犯カメラをハッキングした。それで見張っていると、ある金曜日の夜に、彼女の姿が映っていた。
それに気が付いたのは、録画からすでに数時間たってからのことだった。別の仕事をしていたから、なのだが、別に後回しにしてもいい仕事だったので、ただの言い訳に過ぎない。
外は暗いが、日の出までの時間がない。俺はタクシーを拾って、その高級住宅街まで行き、途中で下車してからその家に向かった。
運転手の家の隣、空き家の庭には、草をかき分けて進んだ跡があった。その踏みつぶされた草を見ると、小さなスニーカーの足跡がはっきり残っている。
俺も同じ道を通り、運転手の家と接した低い塀を乗り越えた。運転手の家は煌々と明かりが点いていたが、中は静かだ。庭に面した窓から中に入ろうとしたが、玄関が開く音がしたので、そちらへ向かった。
「……あれ、織田さん」
後ろ向きで屈んだ姿勢のまま、彼女が出てきた。初めてその大きな目を真正面から見たが、そこには純粋な驚きの色だけが映る。
彼女は両手で、中身の入った寝袋の足部分を掴んでいた。
△
彼女の両親を死に追いやった四輪駆動車を運転する。妙な気持ちでいると、隣の彼女が、水道から漏れた水滴のように、一定のリズムでこれまでの経緯を話し始めた。
彼女は、隣の空き家から、運転手の家の庭に侵入した。リビングらしき場所に面した窓はカーテンが閉められていたが、中で騒いでいる人の声とシルエットがはっきりと見えた。
その窓に近づくと、鍵の位置にガムテープを張り、それをハンマーで叩いた。一定の大きさまで広げると、二種類の洗剤を混ぜ、塩素ガスを発生させているペットボトルを、家の中に投げ入れた。
ただ、彼女はこれだけで運転手たちが死ぬとは思わなかった。せいぜい気絶するだけだろうと。しばらく、効果が出るまで、外で待っていた。
その間に、窓が割れた際の警報器で呼び出された、警備会社の人間がやってきた。彼女は、ベランダ側から回り込んで彼らと向き合う。「……酔っぱらって、一人が窓を割ってしまったんです……」と言い訳すると、見知らぬ女性が対応することもよくあることなのか、彼らは納得して帰っていった。
家の中が静かになったので、彼女は防毒用マスクをつけて、割った窓を開けて侵入した。運転手含め、あの夜に車に乗っていた五人の男たちは、アザラシのように、あちこちに大きな体を横たえていた。
換気をした後に彼女は、事前にSM関係の店で買っていた手錠を男たちの手足に付けて、ボールギャグを口に咥えさせた。あとは、一人ずつ、風呂場に運んで、じっくりと苦しめながら殺していった。
自分がやったことを、彼女は何の感慨もなく喋った。後悔も達成感も匂わない彼女の態度に、俺は今の話が本当に彼女のやったことなのかと、一瞬迷う。
その話を聞いているうちに、俺たちはとある港に辿り着いた。彼女は、死体を近くの山に埋めようと思っていたので、もっと良い捨て場所にと、俺がここを紹介した。
この港のある埠頭は、立ち入り禁止になっている。高波が原因だったが、潮が引いているこの時間帯ならば、問題ない。監視カメラの類が周囲に無いののも、都合が良かった。
二人で、寝袋の中の死体を運ぶ。埠頭に行くと、移動の途中で購入したダンベルを複数寝袋に入れて、そのまま海に沈めた。同じ作業を、四回繰り返す。
死体の処理を終えて、俺たちは埠頭の先で座り込む。俺が手伝ってくれたのは、ただの親切心だと思っていなかったようで、突然「実はな、」と切り出しても、彼女は特に驚かなかった。
「人探しをしていると、どうしようも出来ないことに直面することが多々ある。行方不明の人物を見つけ出したら、すでに死んでいたり、加害者を見つけ出しても、逮捕されるだけでは依頼人の気が晴れなかったり」
「……私も、そのような感じでした」
俺の言葉に全く同調していないようだが、彼女は確かにそう言った。表情に出ないだけで、怒りを心の内で燃やしているタイプなのだろうと判断し、俺は続ける。
「俺はな、そんな被害者側の恨みつらみを聞きながら、何とかしてやりたいと思っていた。だが、復讐方法を思いついても、それを実行できなかった……」
「……」
彼女は黙っていた。ずっと俯き加減だったが、今度は頭頂部が見えるほどに、自分の膝を凝視している。
断られれば、俺は諦めるつもりだった。彼女の罪を出汁に、脅すこともせずに。だが、彼女は海の方を見て、こんな話を始めた。
「……子供の頃の話です。両親と、映画を見ていました。タイトルは忘れましたが……家族を無惨に殺された主人公が、復讐を誓うという内容です。主人公は、とうとう復讐相手を見つけ出し、あと一歩というところまで追い詰めますが、仲間から、復讐の虚しさを説き伏せられて、辞めるというラストでした……」
「まあ、よくあるやつだな」
「……両親はそのラストに、怒っていました。復讐するなら、ちゃんとやってほしい、殺された家族が報われないじゃないか、と……。……私、両親があんな死に方をしたときに、そのことを思い出したんです。両親は強く復讐を望んでいるから、私がそれを叶えてあげないと、って……」
「……」
彼女は、自分のしたことはあくまで両親のためだと主張し、俺の提案を断るのだと思った。しかし、彼女の続けた言葉は意外なものだった。
「……私、小さいころから他人の痛みが分からないんです。目の前で誰かが転んで泣いてても、ぼんやりそれを見ているだけ。両親は、そんな私を、『人の痛みが分からないかわいそうな子』と言っていました……。……そんな風に生まれたのは、きっと、両親の復讐を、スムーズにできるようにだと、さっきまで思っていました……」
言葉を止めて、彼女がこちらを見た。初めて、意志の強さを感じさせるような、真っ直ぐな瞳をしていた。
「人の痛みが分からないことに、何か意味があるとしたら、きっとこの瞬間のためだったんです。私、やりますよ。織田さんが嫌がっても、依頼者の無念を晴らすために、復讐を実行します」
「……ああ、頼むよ」
海の方から、朝日の始まりが差し込んできた。その光を反射して、彼女の大きな瞳が、きらりと光った。
△
俺は、一つの依頼をこなし、彼女を呼ぶ必要があるな、と考えていた。
三年間引きこもっていたとある娘が、その理由を母親に話してくれた。高校生だった当時の娘は、予備校の空き教室で講師に犯された。そのショックが大きくて、娘は外に出られなくなってしまったという。
原因を知った母親は、すぐにその予備校に連絡を入れて、講師を呼び出そうとしたが、すでに辞めていた。どこへ行ったのかは、個人情報だからと教えてもらえなかったので、俺に依頼をした。
例の講師は、別の、三年前よりも大きな予備校で働いていた。それを知った母親は、「これから、娘が安心して外に出られるように」と、彼の殺害を依頼した。その実行を、彼女に頼もうとした。
『分かりました。これからそちらに向かいます。ところで、私のコードネームですが、「なこ」がいいと思います。両親が、いつも「かわいそうな子」と言っていたので、そこからとりました』
彼女からのメールの返信は、ちょっとズレていて、俺は苦笑した。とりあえず、やる気はあるのだと思ったが、メールの文面はまだ続いていて、さらに何か動画が添付されているのに気が付いた。
『先日の復讐の際に、両親の墓前で再生しようと、あの男たちを殺す瞬間を撮影していました。この後の仕事の参考になればと、お送りいたします』
律儀なのかマメなのか分からない。それならばと、軽い気持ちで動画を再生した。
『……ええと、まずは、この人からやろうと思います。この人は運転手ではないので、軽めにします』
最初に、怯えきった顔の男が映った。手足に手錠、口にボールギャグを咥えたまま、風呂場の壁にもたれさせている。彼女の声がすぐ近くから聞こえて、映像がよくぶれるのを見ると、頭に付けた小型カメラでの撮影だろうか。
『……では、これ。ただの裁縫針です』
カメラの画角に入ったのは、彼女の言葉通り、裁縫針の先端だった。右手はそれを持って、左手は男の手を握り、針を、ゆっくりと彼の指先に近付けていく。
人差し指の先端に、ぷすりと針が刺さった。ゆっくり皮膚の中に侵入する針を映した後、カメラは泣きながら悶える、男の顔に向けられた。
『……お父さん、お母さん、見ている? とても苦しそうでしょ? ……大丈夫、もっともっと、お父さんお母さん以上に、苦しめるからね』
彼女が、二本目の針を手に取った。今度は、中指を躊躇なく刺す。男がバンバンと、後ろの壁に頭を打ち付けていた。
『……ええと、あと八本分。彼は見ていただけだからこれくらいにして……運転手は、足も併せて、でも、まだ足りないから……』
彼女がぼそぼそと、計算する声が響く。男は、絶望しきった顔で、彼女を眺めていた。
口元を押さえた俺は、ここで映像を止めた。気分が悪くなった、というのもあるが、これ以上映像を進めても、彼女がこれと同じことを、淡々とこなすだけだと分かったからだ。
俺は、とんでもないものに関わってしまったのかもしれない。これまで予兆はあったのに、今更気付く。
彼女の中に、善も悪もない。周囲の言動から、「こうしないといけない」という指標を決めるだけだ。今のも、彼女の両親が復讐を望んでいたから、それをやってあげた、ただそれだけ。
彼女は、野生の凶暴な動物のようなものだ。人に危害を食わるのならば、殺される。しかし、それは被害を拡大させないための処置であり、その動物に対する罰ではない。
では、その動物に、人を殺すようにと命令したのなら? その罪は、命令した側に来る。俺がしようとしているのは、こういうことだ。
それならば、俺が全ての罪を被って、彼女を調教しよう。これが、正しいものだと思い込ませて、彼女に復讐を代替わりさせるのだ。
……もう、後には引けない。これまで苦しんできた、被害者の無念を黙って見ているのは不可能だ。何も知らない彼女を利用することが、最大の悪だとしても、やり遂げる。
インターホンが鳴った。立ち上がり、モニターを確認すると、彼女の姿が映っていた。相変わらず、伏し目がちの姿勢で。
俺は、エントランスのロックを解除して、インターホン越しのなこへ「どうぞ」と呼びかけた。
勧悪懲悪について 夢月七海 @yumetuki-773
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