第10話『佐々木は私のだ! あげない!』

大学生というのは非常に大変だ。


今までとは大きく異なる環境に僕は困惑しつつ日々を過ごしていた。


とにかく接する人の数が多い。


毎日毎日、知らない人から話しかけられ、その対応をしているだけであっという間に時間が過ぎてしまう。


しかもそれは自分の大学だけでなく、紗理奈の大学に行った時も同じなのだ。


何とも忙しいことだ。


みんなどうやって、時間を捻出しているのだろうか。疑問だ。


「佐々木」


僕は考え事をしながらも、話しかけてくる人たちの相手をしていたのだが、いつの間にか傍まで来ていた紗理奈が僕の服を引っ張った事で、ようやく僕はこの状況から解放される事に安堵する。


紗理奈が来たのなら、話を中断しても良いだろうと考えたからだ。


しかし。世の中そう上手くはいかないらしい。


「えぇー。和樹君って、千歳さんと友達なのー?」


「なら私たちとも友達だよね! 知り合った記念に一緒に飲みに行こうよ!」


「……佐々木は、行かない」


「えー。付き合いわるーい。そんなんじゃ孤立しちゃうよ。千歳さん」


孤立するという言葉に、僕はかつての紗理奈を思い出し、紗理奈の手を引っ張った。


そして、コソコソと相談する。


「紗理奈。食事くらいなら付き合った方が良いんじゃないか?」


「やだ」


「やだって。この人たちは知り合いなんだろう?」


「……一応同じ授業受けてる」


「なら、断って印象悪くするより、一緒に行った方が良いって。友達作れるかもしれないよ」


「佐々木は!」


「ん?」


「……何でもない」


「え、うん。いや、ごめん。先走り過ぎたね。紗理奈の気持ちを考えてなかった。うん。そうだね。やっぱり断ろうか。今日は二人でご飯を食べに行く約束だもんね」


「……」


僕の言葉に紗理奈は少し迷っている様だった。


しかし少ししてから、何か勇気を振り絞る様に両手を握ると、やっぱり行こうと言う。


そして、僕たちは紗理奈の友達と一緒にご飯を食べに行くのだった。


これで、紗理奈に友達が出来れば良いな。なんて思っていたのだが。




「それで。和樹君ってずっと野球やってたんでしょ? 何でプロに行かなかったの?」


「教師になりたかったから。プロになる事と同じくらい大事な夢なんだ」


「えぇー凄ーい。やっぱり和樹君って格好良いね!」


「こうしてみると、ちょっと幼い顔立ちなのも、そそるよね」


「僕の話よりも、紗理奈の事を」


「千歳さんの話? てか気になってたんだけど。和樹君と千歳さんってどういう関係なの?」


「どういうって。付き合ってる。恋人」


「えぇー。うそー。本当に?」


「嘘ついてもしょうがないでしょ」


「えー。出会いとか聞きたい聞きたい!」


「出会いって言っても、そんなに面白い事もないよ。最初の出会いは、紗理奈が人探ししてて、その手伝いをしただけ。二回目は中学の入学式。僕から話しかけたんだ」


「それからずっとって事? 長いねぇ。純愛だ」


「今年で七年目って事? でもさ。和樹君って、本当に千歳さんで良いの?」


「は? どういう意味?」


「まぁ確かに千歳さんって可愛いよね。でも別に都会じゃあれくらい普通だよ。確かに和樹君の住んでた場所じゃ一番可愛かったかもしれないけどさ」


「……」


「そうそう。中高の頃の恋人なんて引きずってもしょうがないよ。新しい恋に目を向けなきゃね」


「あ。なら私立候補しちゃおうかなー! どう? 和樹君。大人のお姉さんも良いかもよ?」


「アハハハ。美佳ってばウケル。でも。和樹君も野球ばっかりだったんでしょう? 私なら、和樹君の全部。満足させちゃうけどなぁー」


思わずため息を吐きそうになるが、それはもう中学一年の時から封印している。


だから、飲み込んで、苛立ちを押し殺して、僕は紗理奈と一緒に帰ると言おうとした。


少し遠いけど、紗理奈は歩けばすぐの場所に居る。


申し訳ないけど、急用が出来たという事にして、帰ろう。


そんな風に考えて、立ち上がろうとした僕は、足元がふらつき、勢いよく椅子に崩れ落ちてしまう。


「あぁーん。大胆。そんなにお姉さんのおっぱいに触りたかったの?」


「ちが。これは体が。なんで」


「あはは。混乱してる。力入らないでしょ。お酒飲んでないのにって不思議そうな顔してるね」


「和樹君は可愛いなぁ。駄目だよぉ。人から貰った飲み物は飲んじゃ。良い教訓になったね」


「まぁ、でもお勉強はこれからかな?」


「ちょっとぉ。私にも分けなさいよ」


「分かってるって。でもぉ。もし愛し合ってる私たちの子供が出来たら、責任。取ってもらわないとね」


「……この!」


「やん。乱暴ね。ま。そういうのも燃えるから良いけど」


何だか昔中学の時にも同じような事があった気がするが、あの時の様に鈴木や古谷君の乱入は期待できないだろう。


ならば、何とかしなければいけないのだが。


とにかくこの場から逃げなくてはと、拘束を外そうとしていた僕は、店の光を遮る何かが、現れた事に気づいた。


そして、その何かは、僕を捕まえていた女の一人の頬をいきなり引っ叩く。


「った!! 何すんのよ! アンタ!!」


「佐々木に、手を出すな!」


「アァン!? アンタのモンじゃないだろ!」


「佐々木は私のだ! あげない!」


「チッ。舐めやがって」


「ボコって、ゴミ捨て場に捨ててやるよ!」


「待っ」


「そこまでだ!」


僕の近くに居た女と、紗理奈が睨み合って、まさにぶつかり合いそうになったその時、店の入り口から大きな声が響いた。


警察を呼ぼうとしていた店員も、睨み合っていた紗理奈や女たちも、そして僕も動きを止めて、その人物に目を向ける。


「立花、先輩?」


「まったく。紗理奈ちゃんから連絡を受けて来てみれば、とんだ騒ぎだね。和樹」


「うぉ、凄いイケメン」


「何者……?」


「どっかで見たような……」


「悪いけど。二人は連れていくよ。大事な後輩だからね」


立花先輩は有無を言わせぬ言い方で店の中を進み、僕を背負うと、紗理奈と一緒に店を出た。


そして店の前に置いてあった車の後部座席に僕を乗せると、すぐ横に紗理奈も乗り込んでくる。


もう力も殆ど入らない僕は申し訳ないと思いながらも椅子に体を預けた。


「無事だったみたいだね。お兄ちゃん」


「ギリギリだったけどね。何とかなってよかったよ」


「陽菜ちゃん……?」


「そう。陽菜ちゃんだよ! 久しぶりだね! 佐々木!」


「本当に、久しぶりだ。テレビは見てるよ」


「おー。佐々木もファンになっちゃった?」


「そうだね。応援してるよ」


「いえーい。ファンを一人増やしたぞー!」


何だか動いている車の感覚に意識がだんだんと闇に飲まれていく。


このまま目を閉じたら眠ってしまいそうだ。


「和樹。きついなら、そのまま眠った方が良い」


「……すみません。すこし、寝かせて……」


「佐々木。寝た?」


「……」


僕はもう殆ど眠りに落ちていて、返事をする事も出来ず、水に浮かぶ木の葉の様にゆらゆらと揺れていた。


そして、何かが近づいてくる気配を感じていたが、それが何かを判断する事もできず、ただ夢の中へと落ちていくのだった。


「とりあえず、消毒」


「わぁお。大胆」


「こらこら。そういうのは自宅でやりなさい。陽菜もいるんだから。教育によくない」


「ねぇねぇ。お兄ちゃん。私たちも、やる?」


「やりません」


遠くから楽しそうに笑う声が聞こえる。


それは僕があの町に居た時にずっと感じていたもので、あの場所へ帰らなくては聞こえない物だった。


でも、どうやらそうでは無いらしい。


僕は楽しい気持ちを感じたまま、深く眠りに落ちていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

願いの物語シリーズ【佐々木和樹】 とーふ @to-hu_kanata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ