第9話『佐々木。キャッチボールやろ』

夏の地区予選が終わり数日が経った頃、僕は立花先輩に呼ばれ、立花先輩の家に来ていた。


正直な所、合わせる顔も無いのだが、紗理奈が呼んでいるという事であれば行かなくてはいけないだろう。


そして、訪れた立花家で、僕は紗理奈と立花先輩に間抜けな顔を晒していた。


「えっと? どういう事、ですか?」


「どうもこうも。ね? 紗理奈ちゃん」


「……うん。佐々木。キャッチボールやろ」


「キャッチボール……?」


「そう。キャッチボール。佐々木は、いや?」


「別に嫌じゃないけど。無いけど!」


何だか気持ちが空回りしている様な感覚があった。


ここに来たのは紗理奈に何か大変な事が起きているかと思ったからだ。


しかし実際に会ってみれば、遊びたいのだと言う。


何も無くて良かったと思う気持ちと、何もないなら放っておいて欲しいという気持ちが混ざり、何だか気持ちが悪かった。


無事なら無事で帰ろうかという気持ちになっていると、立花先輩にそれを読まれていたのか、呼び止められてしまう。


「和樹。忙しくないなら、少しだけ付き合ってあげてくれないか? 俺も少し話したい事があるし」


「……立花先輩がそう言うのなら」


僕は立花先輩から受け取ったグローブを付けて、紗理奈とキャッチボールを始める。


紗理奈は結構上手くボールを投げて受け取る事が出来ており、相当に練習したんだなというのがすぐに分かった。


運動はそんなに得意じゃない紗理奈はこうやってキャッチボールをするだけだって、精一杯のハズだ。


それでも、なんでこうやって僕とやりたがったのだろう。と不思議に思う。


そんな風に浮かんだ疑問は、すぐに紗理奈が教えてくれた。


「ねぇ! 佐々木! どう!? 私も! 野球出来る様になったよ!」


「うん。そうだね。上手いよ」


「そう、かな。えへへ。これでさ。佐々木のお手伝いが出来るよね?」


「お手伝い……?」


「そう。お手伝い。佐々木、凄く苦しそうだったから。私ね。佐々木のお手伝いがしたいの。佐々木にはいっぱい、いっぱい貰ったから。助けて、貰ったから。私ね。佐々木に、いっぱい返したいの」


「僕が、君にあげた物なんて、何もないよ」


出来た事なんて何もない。


紗理奈がここまで元気になったのも、よく笑う様になったのも、全部立花家の人たちのお陰だ。


僕じゃない。


「違うよ!」


「……っ」


「私、ずっと、ずっと苦しくて、独りぼっちで、でも、それでも佐々木が、佐々木が居てくれたから、私、頑張れた。頑張れたんだよ!」


「……紗理奈」


「佐々木が、私の大好きな佐々木の悪口言わないで! 佐々木は、いつも一生懸命で、困ってる人見ると、私がもたもたしている間にもう話しかけてて、みんな佐々木が大好きで、だから、私は!」


「ごめん。紗理奈」


「私じゃ頼りないかもしれないけど! でも! 頼ってよ! 佐々木にお礼をさせてよ!」


「……ごめん」


僕は持っていたボールを落として、紗理奈を見つめた。


こんなに大きな声を出す様な子じゃなかった。


ずっと消えそうな声で、控え目に話すような子だった。


でも、そんな紗理奈が、僕の為に何かがしたいというのがただ、嬉しかった。


こんな僕でも誰かに頼りにされているんだなと、思える。


「和樹」


「立花先輩。僕」


「無理して話さなくても良い。俺も紗理奈ちゃんもずっと見てたよ。和樹。頑張ったな。この間の試合は惜しかったけど、やっぱり和樹は、最高のピッチャーだよ」


「……っ! うっ、うぅ」


「晄弘は強い。晄弘は俺の夢も持って、どこまでも遠くへ向かって走っていくつもりだ」


「大野、晄弘」


その名前を口にして、僕は思い出していた。


僕が野球を始めた切っ掛けを。


どうしてもう一度あのマウンドに立とうと思ったのかを。


「立花先輩」


「どうした?」


穏やかに笑いながら、僕を見据える先輩から僕は貰う事にした。


だって、大野だけズルいから。


「先輩の想い。夢。僕ももらって良いですか?」


「……あぁ。勿論だ」


「なら、見ててください。僕は、まずこの国で最強のピッチャーになります!」


「あぁ」


「そして世界で、その一番上に居る大野晄弘を倒して、僕は世界一のピッチャーになる」


「……あぁ。和樹。君なら出来るさ」


「はい!」


僕はそれから、迷惑をかけた人たちに謝って、今まで通り、無茶をし過ぎない練習を始めた。


特に古谷君には本当に迷惑をかけたから、何度も何度も謝ったのだが、古谷君は聖人なので、すぐに許してくれるのだった。


やっぱり古谷君は違う。鈴木とは大違いだ。


そして、立花先輩も卒業し、三年生となった僕は、鈴木率いる倉敷を打ち破り、甲子園へと出場した。


結果としては二回戦負けという所だったが、立花家の人たちは盛大にお祝いをしてくれたのである。




それから時は過ぎて。


僕は立花家にお邪魔して、年越しの準備をしていた。


やたらと広い立花家には、ウチの両親もお邪魔しており、家族と大切な人達が一緒に居るのが嬉しいやら、恥ずかしいやらで微妙な気持ちだった。


しかし、両親も立花家の人たちも人が良いのかすぐに打ち解け、まるで今までずっと一緒に年越しをしていたかの様な馴染み様であった。


まぁ父さんが立花先輩に会った時に、泣いてしまった事は、まぁまぁな事件だったが。


それでも、みんな楽しそうで良かったと思う。


そして僕は年越しの少し前に、何となく気が向いて星空を眺めるべく外に出ていた。


寒い。


しかし、気分はそこまで悪くなかった。


中に人が多すぎて暑かったからちょうど良かったというのもあるが。


何となく一人になりたかったというのもある。


「佐々木」


「ん? 紗理奈か。陽菜ちゃんたちは良いの?」


「うん。もう寝ちゃった」


「ふふっ、まぁ子供じゃ起きてられないよな」


今年こそ年越しまで起きているんだと言っていた二人は今頃仲良く夢の世界だろう。


仲がいいっていうのは良いことだ。


そうでなくても、陽菜ちゃんは来年からこの家を出て、都内へ向かうのだから。


共にいる時間は大切にした方が良いと僕は思う。


「佐々木は、何してたの?」


「僕? 僕は星を見てたよ」


「星?」


「そう。星。来年からは僕もここを離れるからね。少しでもこうして見ていたいんだ」


「……佐々木は、大学に行くんだよね」


「うん。都内のね」


「そう、だよね」


「だから、ここから通う事は出来ない。この町を離れるんだ」


「……っ、なら!」


僕は空から視線を下ろし、紗理奈を真っすぐに見た。


何が言いたいのだろう。なんて野暮な事を考える事はない。


紗理奈が言わないのなら、僕が言うつもりだった。


ただそれだけの話だ。


例え、どれだけ離れていたって、僕の心は紗理奈の近くにある。


だから、この町を離れても、また会おうって言うつもりだったのに。


「私、私も! 大学を受けるの!」


「……え?」


「私、栄養士さんになる! その為の大学に通うつもりなの! それも都内! だから、だからね」


紗理奈は勇気を振り絞る様に両手を握り、僕を見た。


「私を、佐々木のお嫁さんにして……ください」


「……うん。分かった」


「あ! ちが! 違うの! そうじゃなくて……って、え?」


「なんだ。プロポーズは僕からするつもりだったのにな。残念だよ。でも、指輪と一緒にするプロポーズは僕からするから。心の準備をしててね」


「あ、あぅ」


「でも。そうか。紗理奈も都内に行くんだね。なら、同じ家に住もうか。その方が家賃も節約出来るし」


「お、おなじ、いえ」


「それに、紗理奈とずっと一緒に居られる」


「……あ、あう」


真っ赤になって、あうあうと言葉を無くしてしまった紗理奈に笑いかけ、僕はまた空を見上げた。


世界には嫌な事がいっぱいあって、悲しい事もいっぱいあって、人を恨むような事だってある。


でも、それ以上に愛おしいものだっていっぱいあるんだ。


それを僕は知る事が出来た。


それは何よりも嬉しいことだ。


「あの、あのね。私、お料理出来る様になったよ。朝陽さんに教わってお掃除もお洗濯も出来る。だからお家の事は任せてね」


「その辺りは要相談で決めよう。どっちにだけ負担が掛かるのは良くないからね」


「うん。そうだね」


「あー。ただ、一緒の家に住むにあたって、一つ紗理奈には絶対に守ってもらいたい事があるんだけど。良いかな」


「え!? な、何かな」


「名前」


「名前?」


「そう。僕の名前。佐々木じゃなくて、和樹って呼んでね」


「え」


「まぁいずれは紗理奈も佐々木になるかもしれないし。そもそもウチの両親は両方とも佐々木だしね。結婚が決まった以上、名前呼びは頑張ってもらわないと」


「……あぅ」


「ゆっくりでいい。期待してるよ。紗理奈」


僕はそう言って、紗理奈の手を握り笑う。


これからもずっと隣に居てくれると言ってくれた愛おしい人に。


僕は感謝と共に、言葉を贈ろう。


「愛してるよ。紗理奈。これからも、ずっと」

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