第8話『俺を恨め、佐々木。憎め。お前はもう投げさせん』
甘えがあったのだろう。
僕には、甘えがあったのだ。
「佐々木君……」
「ごめん。古谷君。一人にして」
高校一年夏。
僕は甲子園一回戦目で敗北した。
敗因はただ一つ。僕だ。
僕が相手チームを抑えきれず、失点した。
「何をやっていたんだ。僕は……!」
立花さんが居る事に甘え、努力を怠った。
いつかの日。大野晄弘へ感じた苛立ち、それは全て今の僕への言葉だ。
『努力をしないで、ただ環境に甘えている』
『甘えられる場所で、何もしていない』
立花さんが居なければ、何も出来ない。
それをただ、思い知らされた。
あの日から僕はひたすらに走り、投げ、打ち、限界を超えて己を鍛え続けた。
甘えた精神を消し去る様に、痛めつけ、さらなる成長を求める。
ただ、ひたすらに。
「……佐々木」
「紗理奈? どうしたの?」
「その、佐々木が心配で」
「僕は大丈夫だよ」
「でも!」
「僕は大丈夫。だから紗理奈は朝陽さん達の所へ行ってあげて。きっと先輩の事で大変だから」
僕はそう紗理奈に言って、頭を撫でてからまた走り始めた。
紗理奈が握っていた手は優しくほどいて。
ただ、ひたすらに僕は走ってゆく。
あれから半年程経った。
既に立花先輩は目を醒ましている。
しかし、僕は合わせる顔が無かった。
ただ謝罪の手紙だけは書いて、病室に届けてもらい、学校に復帰したという話を聞いてからも極力会わない様にしていた。
立花先輩に再び会う事が出来るとしたら、甲子園で結果を出してからだ。
「もう一球いける?」
「僕は良いけど。佐々木君が無理だよ」
「僕は大丈夫。だからお願いだ。古谷君」
「……分かったよ」
古谷君に頼み、投球練習をひたすらに行う。
甘えていた時間を取り戻すために、次こそ結果を出すために。
ただひたすらに僕は投げ続けた。
新しい学年に上がり、そろそろ夏が近づいてきた。
僕はひたすらにバッティング練習を行いながら、僕でも出塁する方法を模索していた。
最低でも地区大会を抜ける必要がある。
相手は怪物大野晄弘だ。
生半可な方法では難しいだろう。
しかし、塁に出る方法はいくらでもある。
僕はひたすらにその練習を行った。
そして、時は過ぎて、また夏がやってきた。
地区大会で一番の強敵である倉敷は二回戦目で当たる。
しかし、負けるわけにはいかないんだ。
その覚悟で僕は試合に向かった。
途中までは当初の予定通り0対0で進んでいった。
だが、そのままでは終わらない。
だって、僕はこの日の為に、大野晄弘を倒すために練習を重ねてきたのだから。
「いけるのか? 佐々木」
「はい。八回裏。ここを逃せばチャンスは延長戦になります」
「しかしだなぁ」
「僕から始まれば、絶対に古谷君が打つチャンスが来ます。僕が出塁さえすれば、点数が入るチャンスがある」
「うぅむ」
「向こうのチームに鈴木が居る以上、こちらは常に危険を抱えています。監督!」
「分かった。頼む。佐々木」
「……はい!」
僕はバットを手に、バッターボックスへと向かった。
この一年間。僕はひたすら甲子園に行くことだけを考えてきた。
大野晄弘を超えて、甲子園に行くことだけを。
他の全てを捨てて、この瞬間に賭けてきたんだ。
お前は、どうだ。大野晄弘。
お前は、全てを賭けてきたか!?
僕はただジッと、大野晄弘を睨みつける。そして打つ瞬間にバントの構えをした。
キャッチャーは動揺している様な気配を見せている。
まぁ、そうだろうね。僕がここまで打つ事に全てを見せる瞬間なんて無いだろう。
そしてその執念が、大野の球を捕らえ、前に転がした。
僕は当たったという感触を受けて、即座に走り出していた。
迷いなく一塁を目指して走り続ける。
後ろからはキャッチャーが投げる気配があり、僕は一塁に飛び込んで、何とか手でベースをタッチした。
「セーフ!!!」
ユニフォームを土で汚しながら、一塁に立ち、バッターボックスを見守る。
実に久しぶりだ。
僕が一塁に立っているなんて事は。
「まさか君とここで会うとは思わなかったよ」
「そうだね」
「あのバント。僕のやり方を真似しただろ」
「バレたか」
「分からない訳が無いだろう! クソ! 僕が大野先輩の球を打つ為に研究したものなのに」
「フッ。感謝してるよ。鈴木」
「フン。まぁ良いさ。君がどれほど足掻こうと、ここから先へは行けないさ」
「さて、それはどうかな」
僕はバッターボックスに立つ古谷君を見て、走る準備をする。
最良はホームランを打ってもらう事だが、流石の古谷君でもそれは難しいだろう。
しかし、彼は打つ。間違いなく。
約束を誰よりも守る男だ。だから僕は彼を信じて走るだけだ。
そして、それから古谷君と大野晄弘との戦いが始まった。
投げられた球を打ち、ファールを重ねる。
大野晄弘も、古谷君も互いに意地の張り合いとばかりに退かず、ただファールを続けた。
「……!」
しかし、その均衡が破られる予感に僕は走り出していた。
そしてその予感は正しく、古谷君の球は二塁の頭を超えて、飛んでいく。
僕はそれを見送りながら二塁を蹴り、三塁を目指す。
残念ながらホームランでは無かったようだが、僕は既に三塁を蹴って、ホームへ向かって走っていた。
遠くから、バックホームと叫ぶ声がする。
ここからは僕とキャッチャーの勝負だ。
僕は奥歯を噛みしめながら、さらに加速して、ホームベースに飛び込んだ。
右手の先でホームベースに触れた僕とほぼ同時にキャッチャーが僕にタッチした。
どちらが早かったか、正直分からない。
砂煙が巻き上がり、僕はただ静かに審判の声を待った。
「アウト!!」
それは、その声を聞き、僕は右手を握りしめた。
悔しさはある。
しかし、それだけだ。
まだチャンスはある。
僕はマウンドに居る大野晄弘を睨みつけ、ベンチへと戻った。
それから互いに点数を取る様な事は出来ず、試合は延長戦に突入した。
そして迎えた11回表。僕は監督に詰め寄っていた。
「どういう、事ですか!」
「どうもこうもない。ピッチャー交代だ」
「でもまだ!」
「チャンスはある? バカを言うな。もうお前の体は限界だ。これ以上、投げさせるわけにはいかない」
「だって、まだ大野晄弘は投げてるじゃ無いですか! 僕だって! この試合だけは」
「そう言って俺は去年とんでもない失敗をしたんだ! お前には悪いがな。もう嫌なんだよ。子供が目先の勝利に溺れて、傷付いていくのを見るのは」
「……っ」
「俺を恨め、佐々木。憎め。お前はもう投げさせん」
「っ!!! クソォ!!!」
僕は持っていたペットボトルを地面に叩きつけながら、泣いた。
落ちたペットボトルからは飲み物が地面を濡らしていく。
しかし、そんな事はどうでも良かった。
ただ、僕の前にあったのは絶望だけだ。
勝てなかった。
大野晄弘に。
果たせなかった。
辿り着く事が出来なかった。
立花先輩にも顔向けは出来ない。
それでも、僕は祈る。勝利を。チームの勝利を、ただ一心に。
しかし、その祈りは空しく、鈴木が出塁し、続くバッターが本塁打を打ち、その二点が決定打となって、僕たちは試合に敗北した。
誰を責める事も出来ない。
ただ、僕が弱かった。
あそこで一点を取れていれば。
まだ投げ続けるだけの体力があれば。
僕が、お父さんの様に、立花先輩の様に打つ事が出来たなら。
そう思わずにはいられないのだった。
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