第7話『佐々木。えっち』

紗理奈と共に立花家へ訪れた僕たちだったが、夜は朝陽さんが僕の家と紗理奈の家に電話してくれ、このまま泊っても良いと言って貰えた。


僕はそのまま紗理奈の横に布団を敷いてもらい、紗理奈の手を握り夜遅くまで話をしながら過ごした。


それから紗理奈が安心した様に安らいだ顔で眠ったのを確認して、僕もそのまま眠るのだった。


そして、翌朝。


僕は奇妙な感覚に目を醒ますと、紗理奈がはにかんで笑いながら、おはようと朝の挨拶をする。


それが何だかこそばゆくて、僕は顔を逸らしながら、挨拶を返した。


「佐々木。顔、赤いね」


「そんな事ない」


「そう?」


「そう」


「そっか」


何でもない会話も楽しそうに紗理奈は笑う。


ずっと笑っていれば良いのに。世界はこの子に優しくない。


今だって、大きすぎるパジャマの隙間から見えている紗理奈の素肌にはいくつかの青あざがある。


それをジッと見ていると、紗理奈がサッと服で隠した。


「佐々木。えっち」


「ちがっ! 違う!」


「でもジーって見てた」


「そうじゃなくて、その」


「その?」


首を傾げる紗理奈に僕は本当の事を言うべきか一瞬悩み、即座にそれを投げ捨てた。


きっと青あざの事を言えば、傷つくだろう。


今明るく笑っている紗理奈の顔が曇ってしまう。


それは駄目だ。


「そのだな。紗理奈が綺麗だから、思わず見ちゃったんだ」


「……っ!」


紗理奈は真っ赤になって顔を逸らした。


そして僕も何だか恥ずかしい事を言ったような気になって、顔を逸らしてしまう。


「わ、わたし、きれい?」


「そら綺麗さ」


「なら、もっと見る?」


「え?」


紗理奈は僕の方を向くと、パジャマのボタンを一つずつ外そうとしていた。


僕は必死にその両手を掴むと、紗理奈の暴走を止める。


「だ、駄目! 駄目だから! そういうのは、恋人同士がやる事だろう!」


「でも、私、佐々木になら見られても、良いよ?」


「そういう事を気軽に言うんじゃない!!」


「……ごめん」


「いや、違う。怒ってる訳じゃなくて、その、ね。僕は紗理奈の事が大切だから、紗理奈にも自分を大切にして貰いたいんだよ。好きな人と手を取り合って、幸せに笑う君が見たいんだよ」


「ん」


「何。突然手を繋いで」


「ん」


「いや、握られても分からないけど」


「ん!!」


「言ってくれないと分からないって」


紗理奈は僕の反応が悪かったからか怒り、僕に背を向けて布団にもぐってしまった。


訳が分からない。


女の子は難しい。


僕は布団の上から紗理奈を軽く叩いて部屋を出ていこうとしたが、足を掴まれてしまい、自分の布団の上に転んでしまった。


「何すんだ!!」


「……手、繋いで」


「もう! しょうがないな!」


僕はまた紗理奈の布団の所に戻ると、僅かに出ている手を握り、布団の中に入れた。


そして、また横になり、目を閉じるのだった。




この日から、どういう経緯か分からないけど、紗理奈は立花家に住む事になったそうだ。


そして、高校受験に向けて勉強を始めた。


「佐々木。ここ」


「これか? これは、この式を使って」


「これ」


「ここは暗記だ」


「佐々木」


「ここは」


僕は紗理奈の横に座って、一つ一つ教えてゆく。


紗理奈は勉強があまり得意という訳ではないらしく、ゆっくりと教科書を進めてゆく。


しかし決してやる気が無い訳でもないし。理解しようとしていない訳でもない。


大事なのは一つ一つしっかりと理解してゆく事だ。


「トントン。今、大丈夫ですかー?」


「はいー! 大丈夫です!」


「失礼しますね。お勉強は捗っていますか?」


「はい」


「それは良かった。紗理奈さんも良かったですね」


「……うん」


「お菓子持ってきたので、食べてくださいね」


「……ありがとう」


紗理奈は立花さんの家に住む様になってから、少しずつ朝陽さんに懐く様になっていた。


僕が立花家に来る時は大抵、朝陽さんの背中に隠れていて、服を掴んでいる状態だ。


そして、僕が来てからは僕の手を握って、笑う。


何か小動物を見ている様な可愛らしさがある。


しかし。


朝陽さんの背中の向こうからこちらを伺っている子たちとは、そこまで仲良くなれていないようだった。


「ジー」


「じー」


「こら。二人とも。お勉強の邪魔をしてはいけませんよ」


「佐々木。ゲームやろ。ゲーム」


「ゲーム」


「ゲームね。良いよ。やろうか。折角だし。紗理奈もやろう」


「……うん」


僕は昨晩自作したゲームを鞄から取り出してテーブルの上に置く。


名付けて。


「偉人さんゲーム」


「偉人さんゲーム?」


「そう。こっちのカードには偉人さんの名前が書かれてるよ。そしてこっちの紙には年代と何をやったのか書いてある」


「ふんふん」


「これから僕が何年に何をやった人ー名前は何々ーって読み上げるから、一番早くこれだ! って取った人が1ポイントだ」


「おー! かるたみたい!」


「やってみよ! やってみよ!」


テーブルに両手を付けながら楽しそうに飛び跳ねる陽菜ちゃんと、既に座って、一枚ずつ偉人さんカードを見る綾ちゃん。


そしてテーブルの上でゆっくりと視線を動かしながら、カードを覚えようとしている紗理奈。


良い感じに乗ってくれて良かった。


みんなの反応を見ながら、僕は年代カードを手に取り、一つずつ読み上げてゆく。


最初の一回目はみんな名前が出るまでは反応できず、名前が出てから動き始める。


しかし、少しだけ二人より偉人を覚えている紗理奈は動きこそ遅いが、二人よりも先に手を出して拾っており、最初は一位だった。


だが、結構負けず嫌いである陽菜ちゃんや綾ちゃんがこの結果で、はい終わりとなる訳がなく、二回、三回と要求していった。


その結果、動きが鈍い紗理奈は何度か負けたが、終始控え目に笑っていて、楽しそうで何よりだと僕も楽しくなる。


帰る時には、そのカードを紗理奈に預けておく事にした。


「でも、悪いよ」


「良いよ。それは紗理奈に作った奴だから」


「え?」


「それで遊びながら覚えられるでしょ。陽菜ちゃん達と一緒にやって、覚えなよ」


「……ありがとう、佐々木」


紗理奈は真っ赤になりながら俯いてお礼を言う。


大袈裟に喜ぶ紗理奈に僕は何だか恥ずかしくなってしまい、そっぽを向きながら頬を掻いた。


そして、玄関に見送りに来てくれた紗理奈の背中から二人が顔を出して笑う。


「またね! 佐々木!」


「バイバイ」


「うん。またね。じゃあ、二人とも。紗理奈にさっきのゲーム渡したから、一緒に遊んでくれると嬉しいな」


「ほんと!? ね! ね! またやろう! 紗理奈ちゃん!」


「やろう?」


「……うん。そうだね」


二人は紗理奈の手を取って、奥へと行こうとする。


そんな三人を見送りながら、僕は目を細めて扉を閉めるのだった。


「良かったな。紗理奈」


入学式の日。


一人で桜の木の下に居た紗理奈。


友達も作れなくて、寂しそうに教室で机に向かっていた紗理奈。


全身に痛々しい痕を作って、大丈夫だと泣きそうな顔で言っていた紗理奈。


でも、もうそんな紗理奈は居ないのだ。


立花さんの家に居る時の紗理奈は、自然に笑っている。


もう痛々しい傷を作る事も、悲しい笑顔を浮かべる事もない。


何かにひたすら謝る事もない。


ここには紗理奈の幸せがあった。


僕は立花家に深く頭を下げた。


僕には何も出来なかった。


ただ傍に居る事しか出来なかった。


無力だ。


でも、ここに連れてくる事が出来た。


それだけは誇れる。


僕はそう思うのだった。

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