第6話『紗理奈。僕に出来ることなんて、大した事はない。でも、僕は紗理奈の傍に居るから』

あれから僕と紗理奈の日常が一変……する様な事はなかった。


相変わらず昼休みになると別のクラスから僕のクラスへ来て、一緒にご飯を食べようと手を握る。


しかし以前とは違い、僕を無理やり連れて行く事はなくなり、僕の意見も聞いてくれる様になったという点は進歩ではないだろうか。


かなり大きな一歩だと思う。


そして、今日はさらに大きな一歩を踏み出そうと僕は考えていた。


「今日はさ。僕の友達も一緒に誘っても良い?」


「……うん」


かなり悩んだ末の了承だったが、とりあえず頷いてもらえた。


という訳で僕は古谷君を誘ってお昼に向かうのだった。


しかし。


「僕は、古谷っていうんだ。古谷淳史」


「僕は佐々木和樹の永遠のライバル! 鈴木一だ。よろしく!」


「紗理奈……千歳、紗理奈」


紗理奈は二人に名前だけ名乗ると僕にくっついて、手を握った。


そして視線は地面に向いており、二人を見る事はない。


しかし、二人はそんな紗理奈の様子にも動じる事はなく、よろしくとだけ言うとご飯を食べ始めた。


流石は古谷君と、おまけの鈴木である。


「しかし、あの後は何も無くて良かったよ」


「まぁ向こうはそれどころじゃ無いだろうしな」


「何考えて、あぁいう事をやるんだろうね」


「女の子の考える事は分からん」


女の子と鈴木が言った事で、紗理奈は僕を突いた後に自分を指さした。


確かに女の子と言ったが、あの二人が起こした事は紗理奈の様な大人しい子は多分一生関係ない話だ。


だから僕は首を横に振って関係ないよと言った。


それだけで紗理奈は安心したように頷くとパンを食べる作業に戻るのだった。


……僕たちは既にお弁当を食べ終わっているが、紗理奈はまだチビチビと食べている。


男と女の子でこんなにも食べる速さが違うんだなぁと、中々面白く思う。


「そう言えばさ。千歳さんは何でお弁当持ってこないんだ?」


僕はのんびりと紗理奈がご飯を食べる姿を見ていたのだが、そんな中、まるで空気の読めない鈴木の発言が突如放たれた。


その言葉を聞いた瞬間、紗理奈は肩をビクッと揺らし、食べるのを止めてしまった。


明らかに何らかのショックを受けている。


しかも面白い話じゃないだろう。


僕は紗理奈の手を握り返しながら、頭を撫でる。


そしてその間に鈴木の横に座っていた古谷君が鈴木の脇に一撃を入れ、奇妙な声を出しながら鈴木はダウンした。


「えへへ」


「よしよし」


最近気づいた事であるが、紗理奈は頭を撫でられる事を喜ぶらしい。


その理由はよく分からないが、とりあえず僕は何か困ったことがあったら、撫でる様にしていた。




僕らが中庭でお昼を食べる様になったある日、僕は紗理奈がこんなにも人と関わらない原因の一部と出会ってしまう。


それは、僕が少し用事があり、離れている時に一人で紗理奈が僕を待っている時に起こった。


何やら言い争う様な声に、僕はまたあの二人の様な奴が紗理奈に絡んでいるのかと思ったが、そうでは無かった。


何故ならそこに居たのは、立花先輩や大野晄弘といつも一緒に居る人だったからだ。


あの二人が一緒に居るのだから、別に悪い人では無いだろう。


しかし、隠れて見ていると、どうも一方的に紗理奈へ暴言を放っている様に見える。


「何なのよ。アンタは。ウジウジして、言いたい事があるなら言えば良いでしょ!!」


「……わたし、は」


「はぁ」


「……っ」


「そうやって、すぐ泣く。はいはい。悪いのは私なんでしょ! もう良いじゃない。私を開放してよ!」


「ごめ……なさい」


「もう良いでしょ。アンタは勝手に生きてけば良いじゃない。私から見えない所でさ!」


「……」


「だから泣くなって言ってんでしょ! そうやって被害者面して、全部悪いのは私にして! 優しいパパとママにでも甘えてろ! 私に関わるな!」


「お父さん、とお母さんは、離婚、したの」


「……っ! だから? それが私に何か関係ある? 無いでしょ。可哀想な紗理奈ちゃんって慰めて欲しいの!? 勘弁してよ!」


「ごめん、なさい」


「もう良い。二度と私の視界に入らないで!!」


紗理奈に悪意の言葉をぶつけていた人は怒りながら去っていき、僕はその人が去ったのを確認してから紗理奈に近づいた。


ただ一人、悲し気に両手で溢れる涙を、必死に抑えようとする紗理奈のどこに、あれほどの悪意をぶつけられる理由があるのだろう。


僕は紗理奈の背中に手を当て、驚いた様に僕を見上げた紗理奈の頭を撫でた。


そして紗理奈はそんな僕に手を伸ばそうとしてきたのだが、その伸ばした腕にある物を僕は見てしまった。


「紗理奈。それ」


「……? っ! ちが、ちがうの」


「それ、どうしたんだよ。もしかしてさっきの人に」


「違うの。お姉ちゃんは違う。これは私が悪いの。私が、お母さんをガッカリさせちゃってるから、だから、私が悪いの」


僕は湧き上がる感情を抑えるのに必死だった。


苛立ちとは違う。


でもとても強い感情だ。


いつかの日に、僕が受けた理不尽と同じものを今、紗理奈は受けているのだ。


許せるわけがない。こんなものは。


「紗理奈。僕に出来ることなんて、大した事はない。でも、僕は紗理奈の傍に居るから」


僕はそう紗理奈に宣言し、紗理奈も小さく頷いた。


これは無力な子供の、精一杯の祈りだ。




しかし、僕がどれほど祈ろうが、紗理奈の状況が良くなる事は無かった。


でも、おそらくは悪くもなっていないらしく、僕と紗理奈はいつも二人一緒に行動していた。


二年目からは学年が上がる前に先生に直談判して、紗理奈と同じ教室にさせて貰う様に交渉し、何とか一緒の時間を増やした。


それでも、紗理奈の怪我は増えてゆき、三年目になる頃にはもう隠す事が出来ない程にその傷は増えていた。


僕は未だ中学生でしかない自分が悔しかった。


どれだけ野球が上手くても、女の子一人、助ける事が出来ないのだ。


「ねぇ、紗理奈。今日は君の家に行っても良いだろう?」


「だめ」


「お願いだ。もう見ていられない」


「だめなの」


紗理奈はどれだけ苦しくても僕を自分の家に近づける事はなかった。


まぁ正直、今の状態で紗理奈を傷つけている母親に出会えば、僕は自分を抑えられないだろうし。


その判断は正しいのだろうが、それでは自分を傷つけるだけなのだ。


そしてそんな自分の事を追い詰め続けた紗理奈は街中で突然僕に寄りかかって倒れてしまった。


僕は咄嗟に紗理奈を支えるが、紗理奈は荒く息を吐くばかりで、立つ事は出来ないようだった。


「紗理奈! 紗理奈!!」


「その声は。和樹か?」


「立花先輩!」


「どうしたんだ? この子は」


「それが、突然倒れてしまって」


「そうか……なるほど。ここからなら、家が近いか。和樹。悪いけど。家に来てもらえるかな」


「はい!」


紗理奈を軽々と抱き上げた立花先輩は、急ぎ足で立花先輩への自宅へと向かう。


僕はそんな立花先輩の後に付いて走った。


そして、それからそれほど時間を掛けずに立花先輩の家に着いてから、立花先輩は慌てて出てきた女性に事情をいくつか話し、女性は奥の部屋へ慌てて移動し、それに立花先輩も付いていった。


僕もお邪魔しますと言いながら、先輩の家にお邪魔し、中へと入ってゆく。


しかし、中に入ったとしても僕に出来る事はなく、立花先輩のお母さんである朝陽さんに、立花先輩の妹さんの相手をしてて欲しいと言われ、やきもきとした気持ちを抱えたまま、元気すぎる二人の相手をするのだった。


それから一時間程度して、僕は朝陽さんに呼ばれ、部屋の中に入った。


中には部屋の中央で布団に入って辛そうに息を吐く紗理奈が居る。


「紗理奈。大丈夫か? いや、大丈夫じゃないよな。朝陽さん。紗理奈は何か病気なんですか?」


「いえ。病気という訳では無いですよ。ただちょっと月の関係で体調を崩してしまっただけで」


「月の関係? 潮の満ち引きとか、そういう……?」


「あー。まぁ、そんな感じです。紗理奈ちゃんは毎月、そういう辛い時期があるんですよ」


「なるほど。紗理奈。何かして欲しい事はあるか?」


「手を」


「あぁ、握るよ」


「あたたかい」


「キツイなら寝た方が良い。僕はここに居るよ」


僕は、紗理奈の手を握りながら笑う。


紗理奈もそれを見て、安心した様に笑うのだった。

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