32 一族のバトン
ナポレオン3世のいとこのマチルダ皇女によって見出されたカルティエは、このところ上流階級でよく身につけられている。ジュエリーの豊潤な魅力は尽きない。人生を彩る煌めきに投資する人たちが確実にいる。ダイヤモンドを扱う会社も極めて順調だ。
宮殿の庭には、秋咲きの薔薇が大輪の花を咲かせていて、ケルト人の祭りに由来する万聖節を迎える準備が進んでいた。イングランドやウェールズ、アイルランドの祭りがアメリカでハロウィンに変わるのはもっと先の話だ。遠い未来で、仮想パーティに変化するのも、今はその兆しは影も形もない。現世と来世の境界が弱まり、霊界の「門」が開くとも言われる。だが、由来は誰も信じていない。
死に戻りする前は全く気にも留めなかった祭りだ。
だが、実家のギルフォード・カースル5では、この祭りを何となく毎年やっていた。生前の祖父はこの祭りが好きだった。ビルアード・ルームに人が集まり、祖父が粋なスモーキングジャケットを着込んで、スモーキング・ルームに来客と共にはいり、にこやかに葉巻とお酒を嗜んでいる姿をぼんやりと覚えている。
私の頭の中で何かがぼんやりと、記憶の隅で形取っているのだが、それがなんだか分からない。空は青く澄み渡り、庭の薔薇と色鮮やかな紅葉に感嘆のため息をつく。
ドレスを仕立て直すのだ。私のお腹はまんまるに膨らんでいる。ウェスト周りを変えなければならない。1879年の秋も美しかった。前回以上にアンドレア皇太子に愛されて、私は幸せを享受している。
私は繊細な白糸刺繍のレースをぼんやりと手の中で弄んでいたが、そばの机に置いて、お腹を撫でた。
オーガンジーのプリンセススタイルのドレスに縫い付けてあったフランス北部の美しい魅惑的なレースは、今はベルギーでの生産が盛んだ。大流行しているウェストにフィットしてヒップとバストを強調するこのスタイルのドレスを、私は当分着れないだろう。
ヴィーラの皇太子妃は最先端でファッショナブルな装いを纏うが、妊婦でも着れるドレスに仕立て直すのだ。それはそれは美しいドレスに生まれ変わるだろう。ウェストが絞れていなくても、幸せは内面から溢れ出るものだから。纏う装いに関わらず、幸せと充実は内面から私を包み、かつてないこの世の煌めきに心打たれる日々だから。
幸せだ。
アーサーとロイの双子がお腹の中にいるのだ。
兄のショーンが2歳のウィルの手を引いて現れた。リーヴァイ・ドヴォラリティー伯爵と一緒だ。ウィルが「石の妖精」が見えると言うので、ショーンが今日は相手をしてくれていた。私には見えないから。
「あのね、えっとね、ママのカバンにトクベチなボールがあるでちょ?石のヨーセイがオチエテくれたの」
私はハッとしてショーンの顔を見た。「死を回避する球」のことだ。ヴィトンのトランクの中に入れてある。私はナポレオンとユージェニー皇后の婚礼のために作られたゲランの美しいビーボトルを、うっかりジャガークルトの時計の上に落としそうになった。
死に戻りのことは、いまだにリーヴァイしか知らない。兄のショーンですら知らない。
「僕以上の力をウィルは持っているようだ。鉱石の力も凄い」
ショーンがそっと私にささやいた。
ショーンは宝石採掘で得た莫大な富を、農業不況に喘ぐ貴族の所領の譲渡に使っている。鉄道が通り、鉱山から鉱石が発掘されて、ビーチリゾートの建設、ホテル業、手広く多角的に農業以外の収益をあげ始めていた。持続可能な利益を生み出すことを目指して奮闘しているのだ。利益を慈善活動として社会に還元する取り組みだ。高貴なる者の責務。高い使命を持ち、進む。
いまや、リーヴァイとショーンは良い仲間になっていた。
バーバリーのコートをソファに置きながら、ショーンはゆっくりと話し始めた。
「僕の石の妖精が奇妙なことを言っているんだ」
「今、ジェニファーが2度目のこの瞬間を生きていると」
私は絶句した。
さすがだ。
いつも怒ってばかりいる「石の妖精」は的確だ。ごまかせない。
「何があったか知らないが、ジェニファーはよく頑張っている。メッツロイトン家の再興の足がかりを作り、父さんと僕の力を認めてくれたのもジェニファーだ。感謝している。だが、今のお前は無理をしてはならないよ」
ショーンはお腹の子が双子だとは知らない。誰も知らない。知っているのは、私とリーヴァイ・ドヴォラリティー伯爵だけだ。
「えぇ、そうですわね。お兄様、ありがとう。気をつけますわ」
「もしも、ジェニファー、未来で何かが起きるなら、『死を回避する球』をためらわずに使うんだ。二度目ということは、一度目で何か起きたんだな?」
兄のショーンは不安そうに私を見つめている。
「まっさか。お兄様は考え過ぎよ」
私の未来には幸せな事が待ち受けていると信じている。
「ママ、見て」
ウィルが庭を指差した。
その瞬間、ギルフォード・カースル5で幼い頃に見たスモーキングジャケットを着込んだ祖父が、庭の薔薇のそばににこやかに立っていた。ウィルがよちよち走って行く。ウィルはいつの間にか私のトランクから「死を回避する球」を取り出していた。小さな両手に抱えて、一生懸命走って行った。
これだ……。
デジャブだ。
幼い頃、まだ幼い兄のショーンが、私の目の前で、ギルフォード・カースル5の美しい秋の庭園のどこかを指差して、祖父に庭に誰かがいると教えていたのだ。その時立っていたのは、バーバリーのコートを着てブロンドのような赤褐色の髪を靡かせて、小さな3人の子供たちの手を引いた女性だ。
あれは……?
私?
私とウィルとアーサーとロイ……?
小さなショーンが、両手でやはり何かを抱えて走って行く後ろ姿が蘇る。私もよちよち追ったが、全然、追いつかない。小さなショーンは、自分より少し大きいぐらいの男の子に両手にあるものを渡していた。その後、その美しい女性も、3人の小さな男の子たちも一瞬で消えた。その瞬間のことが、私の記憶の中で蘇った。
今、目の前では小さなウィルがスモーキングジャケットを着込んで微笑んでいる祖父に、「死を回避する球」を渡した。祖父はウィルの頭を撫でで、一瞬で姿を消した。後には万聖節の準備を進める庭先で、美しい薔薇が咲いているだけだ。
「思い出した!」
私の横でショーンがつぶやいた。
私の顔を見つめて、涙を浮かべて、「おぉ、ジェニファー……!あれは君たちだったんだ。君たちはこの先未来で……おぉっ……」肩を震わせて、激しい嗚咽を漏らして泣き崩れた。
「死を回避する球」は一族の間でバトンされる。そういうことだろうか。
「お祖父様は、ウィルに助けられたのね」
「私たちは、小さなあなたに助けられたのね」
私は微笑んで、泣き崩れて肩を激しく震わせて泣くショーンを抱きしめた。
「大丈夫よ、ほら、ウィルも、私も、ここにあと2人もちゃんといるから」
私が囁くと、ショーンはハッとした顔をして私を見つめた。
私は力強くうなずいた。
私と兄のショーンは泣きながら抱き合った。
「君は無事だったんだね?」
ショーンは声にならない嗚咽を漏らしながら、私に何度も確認した。
私も泣きながら、うなずいた。
「小さなお兄様に助けていただいたわ」
リリーヴァイ・ドヴォラリティー伯爵は私たちが泣きながら抱き合って、無事を喜び会う姿に涙を流し、そっとハンカチを取り出して涙を拭っていた。
「後で、僕にどういう事なのか、教えてくれるか?僕には何が何だかさっぱり分からなかったから」
晴れ晴れとした笑顔でもらい泣きの涙を拭いながら、リーヴァイは清々しい笑顔を見せた。
どうやら、バトンするさまは、メッツロイトン家の血筋の人にしか見えないようだ。私とショーンは微笑み合い、小さくうなずいた。これは2人だけの秘密だ。私は小さな兄のショーンに渡されたバトンをウィルから受け取り、またウィルに引き継ぐ。
「やあ、ショーン!リーヴァイ!」
美しい庭園の向こうから、グレーのようなブルーのようなグリーンの瞳を煌めかせて、アンドレア皇太子が姿を見せた。彼は歓迎の印に笑顔を見せて、勢いよく走ってきた笑顔のウィルを抱き上げた。
死に戻りする前も、おそらくウィルは祖父に「死を回避する球」を渡したのだろう。ボロボロのカントリーハウスのサルーンが大好きだったウィルを思い出した。ウィルは以前もあのギルフォード・カースル5が大好きで、よく遊びに行ったのだ。
今、私のトランクから消えた「死を回避する球」はおそらくまた、ビルアード・ルームに収められているのだろう。私はそのことを思って、微笑みを隠せなかった。
「なんだ?嬉しいことがあった?」
夫のアンドレア皇太子が私にささやいた。
「えぇ、あなた、きっとこの子たちは無事に生まれるわ」
彼は愛おしそうに私を見つめて、温かなキスをしてきた。私たちの唇が重なった。
顔を上げて、アンドレア皇太子の顔をのぞき込む。明るい太陽の日差しを受けて、彼の瞳が不思議な色合いを見せて煌めき、私を愛おしげに見つめている。ドキドキと期待に満ちた眼差しだ。
「パパ、ママ、ほら!あそこに変なカタチの石があるでちょっ!」
ウィルが庭を走り出し、慌てて笑いながらアンドレア皇太子が追いかけて走り出した。
私たちは幸せだ。
きっと今度は変わる。
こんなに頑張ったから。
私は前回以上に愛されて、幸せだ。
もうすぐ冬がやってくる。どんなどん底になっても、きっと私は今度は幸せになれる。
秋の香りを振りまく日差しは柔らかく、私たちを照らしている。私の心は期待に満ちている。
完
お読み頂きまして、本当にありがとうございました!
たくさんの物語の中から見つけてくださり、感謝申し上げます!
没落令嬢の私のやり直しは、あり得ない最愛皇太子と再び恋に落ちるところから。私は魔女でも正しい令嬢でもありません。2度目も1000%無理目な恋だけど 西の歌桜 @totonoumainichi7ku
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