【短編】女子高生を拾う話のプロローグ

夏目くちびる

第1話

「お兄さん、ヤラせてあげるから泊めて」



 ……男は、暗い道で出会った突然の出会いに驚いた。美人局ではないかと勘ぐるまでもなく、この少女の明らかな異質を感じだったからだった。



 こいつは、今日までもこうして自分と同じ歳くらいのおっさんの家を渡り歩いてきている。大人にだけ働く、子供への予感が彼の脳裏に走ったのだ。



「なんで?」



 男は、静かに聞く。今どきめずらしい紙タバコ。スーツの裏ポケットから取り出して火を付ける。すると、少女は自分の居場所がないことと、お金がないことを淀みなく説明した。



「ダメ?」

「いや、いいよ。一晩なら」



 都合のいいことに、男の恋人は用事で家を空けている。同棲している女がいるにも関わらず平気な面をして未成年を自らの家に招き入れる彼は、しかしサイコを思わせる雰囲気など醸していない。それどころか、どこにでもいる普通の、そして実際に並な生活に身を置くただのアラサーである。



 ただ、目の前にヤれる女がいるから。それだけの理由で、彼は少女の来訪を受け入れたのだ。



「お兄さん、こういうの慣れてるの?」

「さぁ、どうだろう」



 男は、少女の生き方にさほど興味がなかった。というのも、こんな状況に身を投じておきながら、理由は恋人のことを愛しているからに他ならない。



 ただ、偶然にもタイミングが合致したのだ。



 恋人と喧嘩をして、ムシャクシャしている。別に、犯罪を犯すことに対しても、浮気をすることに対しても、まったく持って許される理由に足りていないのだが。しかし、成人男性から正常な思考能力を失わせるのに必要なのは、こんな些細な出会いとタイミングだけであるのも確かなのだろう。



 少女も、危険を回避するために、いつの間にかそんな無害で後腐れのない男を見つける能力を身に着けている。故に、この二人が出会ったのは、ある意味では必然だったのかもしれない。



「いくつ?」

「16歳」

「へぇ、若いね。もっと金あるジジイんとこ転がりゃいいのに」

「でも、そういう人って危ないことしたがるから。お兄さんくらいの人がちょうどいいんだよ」



 ソファに座るなり、男は早速少女を抱いた。



 少女の見立て通り、男は大して荒いことはしない至ってノーマルなプレイを好んだ。ただ、『使う』という点については、必ずどんな男も同じだ。舐めさせ、挿入させ、果てさせる。それらが、男という生き物に幸福を与えることを少女は知っていた。



 男が抱いた、というよりも、これは少女の奉仕と言ったほうが正しいのだろう。少女は、恋人との喧嘩の罪悪感に駆られ急ぐように律動する男の頭を抱えると、静かに撫でて小さく耳元で呟く。



「大丈夫だよ、まだ戻れるから」



 それは、少女が心の底から欲している男からの優しさであり、同時に言葉でもあった。少女は、押し殺して忘れかけた自分の中の、本当に欲しかった愛情を拾った男たちへ届けている。なぜなら、それしか自分が感情移入出来る気持ちを知らないからだ。



「今日だけだから、安心して」



 明日は、きっとよくなる。



 信じ続けた彼女の末路がここにあるのに、無責任に言葉を言い放って、あまつさえ男を安心させようとする自分が滑稽で仕方ない。しかし、分かっていても求められる快感に抗うことは出来ず、また、そんな生活を送ることしか出来ない自分を、それでも認めなければ崩壊してしまう心を、これだけが誰にも悟られず生きる術だから。



 嘘をつけば、彼女はきっと死んでしまう。だから、仮初の関係にも常に本音をもち、しかし、決して相手へ求めないよう生きるのだ。



「……ありがとう」



 呟いたのは、男だった。



 男は、少女に縋り付くように胸へ顔を埋めている。昨日までは恋人と共に寝ていたベッドで、今日は初めて出会った少女と過ごしている。罪悪感は、自分を正当化する言い訳によって掻き消されていく。大人になってもそうなのか、大人になったからそうなのか。最早、二人にも真実は分からない。



 ただ、この現代社会でまともに生きていくには、自分がまともにいれば壊れてしまうから。



 そうやって、男は嘘をつく。ただ、目の前に訪れた機会を幸運だと盲信して、考えるのをやめて、安心に身を委ねる。少女は、応えるように腕へ少しだけ力を込めた。壁にかけられた時計の針の音だけが、むせ返るような匂いの中に響いていた。



「気にしないで、私も気持ちよかったから」



 与えられるハズの自分が、その実、男たちへ与えていることに気が付いたのはいつ頃だったろう。行為の後、立場が逆転することは彼女にとって珍しいことでもなかった。



 そうでなくたって、事情を聞いて親身になろうとしたり、しばらくはここにいていいと提案されたり。決まっているのは、体を捧げたあとならば、少なくとも男は一晩、自分を裏切らないでいるということだ。



「……どこにも行くところがないのなら、しばらくはいていいよ」



 ほら、やっぱり。



 少女は、男の言葉を無視した。眠っているフリをして、聞かなかったことにして、それで関係は終わりだ。何度も見てきたこの光景が、少女はひたすらに虚しかった。結局のところ、彼は恋人を裏切るような人間なのだから、どうせその言葉だって嘘に決まっているのに。



 そんなふうに言えるほど、少女は冷たくない。だから、嘘はつかず、ただ黙って一晩の宿に恩を返すのだった。



「おはよう」



 朝。



 男が目を覚ますと、少女は既に制服を着ていた。男も、いつも通り仕事に出かける時間だ。特に会話もなく過ぎていく時間の中で、男は少女に抱き着くと首筋にキスをする。これも、どの男も同じ仕草。一度でも体を許すと、必ず見せる行為。



 少女には、これが自分をこの場所へ繋ぎ止める枷に思えて仕方ない。ひょっとすると、自分がここにいてもいいんじゃないかと感じてしまうのが情けなくて仕方ない。だから、静かに離れると柔らかく笑って、他愛のない返事のあと朝のニュースを眺めた。



 内容は、別に理解していない。少女は、ただ頭が悪いのだ。自分の身の振り方を考えない人間が、他人や社会のことなど考えられるハズもない。



 そんな事実に、この二人は気付きもしない。あまりにも滑稽で脆弱な関係が、ただあった。



「行こっか」



 家から出て駅まで向かう途中、一人の女性に出会った。



 その女性は、二人の前に立つと少女を一瞥した後、男に詰め寄って思いっきり頬を引っ叩く。そして、通勤で人通りの多い喧騒の中、雑踏を劈くような叫びをあげ、目に涙を浮かべながら強い言葉を使った。



 ……少女は、振り向かない。



 自分が、二人の関係を壊した当事者になることが怖くて、何も言わずに逃げ去っていく。自分は関係ない。自分は関係ない。そう心の中で唱えて、今までと同じように現実から目を逸らした。



 人混みの中に消えていく背中を、男は言い訳がましい言葉を並べ立て、きっとまだある部屋の少女の残り香を、どうにかしようということしか考えず。それが、更に女性の怒りを煽り立てる。普通なら一目で分かるような一晩の関係を、それも恋人である彼女が察しないワケがないのに。今までずっと近くで見てきた人間の機微に、女である女性が気が付かないハズもないのに。



 まともに強く生きている人間が、そんな女々しい男の違和感に気が付かないハズもないのに。



「ち、違うんだよ」



 まだ、男は自分が助かろうとして、少女に対しての責任転嫁を繰り広げて。そんな、あまりにも情けない男に惚れていた時期があったことを思い出すと、女性は自分の未熟さを嘆いて感情を溢れさせた。



「死ね、カス」



 女性は、公衆の面前で男に言い放ち、来た道を引き返していく。もう、二度とあの部屋には戻らない。置いてあるモノもすべていらない。別の女が触ったかもしれない自分のモノなんて、絶対にありえない。その分の補償なんて求めない。代わりに、男の言い訳も絶対に聞かない。



 聞いてしまえば、許してしまうかもしれない。それだけが、女性の覚えた唯一の恐怖だった。



「……っ」



 男は、街ゆく人々に奇異の目を向けられながら、立ち尽くしてため息を吐く。会社を休むことを決め、電話をしてから踵を返す。自己嫌悪は、冷静になってから訪れる。自分はなんてことをしてしまったのだろうと、それを思わないほど男は愚かな人間でもないのだ。



 ただし、その後の男に語るべき物語などない。彼は、最初から最後まで出来事の流れに身を任せただけの普通の男だった。それだけのつまらない人間に、語るべき点などないのは当然のことだろう。



 ……数日後の夜、少女は一人の金髪の男を見つける。



 男は、少女を心から心配するような視線を向けてから、荒々しい口調で言葉を紡いだ――。

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