第23話
糸瀬の港の
客層が漁師やハカの面々というだけあって、外観も内装も、年季の入った雑な装いの店だ。
壁は漆喰に塗った古いペンキが剥がれてボロボロになっていているし、床は打ちっぱなしで、開店前にバケツで床に水を撒いてブラシがけしたらしく、コンクリートは未だに所々湿っている。
客捌きも雑なもので、店内に入りきらない時は軒先にビールケースであり合わせの座席を作って対応する始末だ。
今も二組がビールケースを2個並べた上に卓上コンロを置いて鍋に火が通るのを待っている。なんなら椅子もビールケースで代用しているから、客の膝の高さに鍋がある状態だ。それでも客は笑って雑談を楽しんでいる。
雑な扱いでも会計は変わらないのに、それでも食べに来るのだから、味はもちろん、皆この店の雰囲気が相当気に入っていやらしい。
証拠に店内には、笑い声や愉快そうな話し声が方々から飛び交い、同じテーブル同士でも会話するのに声を張り気味で話さなくてはならない始末だ。
ラークとトーマは騒がしさからやや外れた、入り口近くの席を確保し、ガラスが嵌まった立て付けの悪い引き戸の横でコラーゲンたっぷりの鶏豆乳鍋を囲んでいる。
トーマは鍋を掻き回しながら対面に座るラークに向けて手を伸ばし、取り皿を渡すように促す。
「ーーで結局どうなったんだ。今日キンジョーさんと話したんだろ。双子の面倒も見るの?」
ラークは背を丸めて項垂れながら、深々と溜息を吐く。
「そうなるかなぁ……。俺は責任持つの嫌なんだけどさ、アーナって子供好きじゃん。」
そしてまた溜息を吐く。
どうやら心底悩んでいるらしく、眉根を寄せた眉間に深々とシワを作っている。
ラークが三度目の溜息をこぼした後、トーマは痺れを切らして取り皿を寄越せと促した。ラークは手元に置かれていたやや歪な形をした器を捧げるようにトーマに渡す。
「確かになー。星の扱い方だとか、ハカの決まりだとかならまだしも、親代わりまで請け負うってなったら話は別だろうな。」
トーマは鍋を取り分けた器をラークへ返しつつ、呟いた。ラークは恭しく器を受け取ると、暖かさに和むようにしばし器を掌に収める。
「けどラークもハカに来たのはあの子達と同じぐらいの時だろ?」
「まぁ、七歳だったっけな。」
七歳といえば、その頃トーマは地元の小学に通いつつ国軍に入る為の養成講習を受けていた頃だ。
学校が終わって遊ぶ時間は無くなるが、走ったり、武道を習ったり、それなりに楽しく過ごしていた。それに将来文官にも武官にも選択肢が広がるので同世代の子供の大半が同じ講習を受けていたから、まさに勉強しながら仲間と遊んでいるような毎日だった。
「七か……。そのときは世話役って居たの?」
「世話役って言われると……アーナ?」
元々ラークは、行き倒れていた所をアーナが見つけてハカに保護された経緯がある。
行く宛のないラークが劉国で生きていくためには、ハカの一員となるのが最も確かな選択だったのだ。
「ならまたアーナに任せておけばいいんじゃないか。経験者なんだし心強いだろう。」
「それもそうなんだけど……。」
ラークがこんなにも悩む理由。
それは、間違いなくハカという組織が原因だ。
何せ幼心にも日々ショックの連続だった事は今でも忘れない。
どんな些細な事であろうとも注意はまず拳から、次に殴られた理由を知らされる。ハカは所謂、鉄拳教育制度なのだ。
確かに自分が規則を破ったり、配慮に欠けた事をしたから叱られるのは当然。とはいえ殴る事はないんじゃないだろうか……。子供ながらに結構悩んだ。なんなら終日アーナにしがみついて過ごした事だってある。
それまで間違いは穏やかに諭してくれる柔和な人々に囲まれて、蝶よ花よと育てられてきた身にとっては、まず殴り飛ばすなんて、ただただ衝撃的であった。
最終的に、自分が規則に忠実な模範となって規則を破った大人を殴ることで復讐を果たしたが、そこに至るまでの浮き沈みは激しく、開き直るまで3年はかかった。
そうやって反骨心を持てたのは、自力では抵抗できない程の理不尽を知っていたからだ。ラークは七歳までに、十分すぎる幸福を知り、真逆の苦難も知っていた。
だからこそ、手加減しているとはいえ、大人が子供を殴って叱るという誉められたものではない拳の指導も、上下関係や団体生活の決まり事を理解し、暴力を鍛錬と思い耐えた。
しかしあの子供達はどうだろう。
どういった経緯があるかは知らないが、あの暗い坑道の中で、双子が何としてでも一緒に居ようと試みたのは母親ではなく少女だった。
きっと双子にとってあの少女は姉であり唯一信頼できる存在だったのだろう。
カシュガノの生活は貧しく、そのせいで暴動が起きた。両親ではなく子供同士が身を寄せ合わなければならないほど過酷な生活の中で、細やかな幸福をみつけながら過ごしてきたに違いない。
そういう環境で育ってきた子供が、自分達で選んで来たとはいえ、教育と称して拳が飛んできたら、どうだろう。
いよいよやさぐれるに違いない。
大人を恨み、反発し、何ならその責任はラークに回ってくるかも知れない……。
青ざめた顔をしているラークをトーマは鼻で笑ってみせる。
「俺たちの事をもう少し信用して欲しいもんだなぁ。器用じゃないかもしれないけどさ、気のいい奴らに囲まれてるなら何も心配ないだろう。」
そういえば、叱られて殴られた患部を冷やしながら俯いていた時は追随して怒られなかったし、落ち込んでいる事を揶揄されもしなかった。
今思えば、皆どう励ましたらよいものか困惑していように思える。
子供とはいえ生い立ちに同情してやる訳にもいかないし、甘やかす訳にはいかない。
子供のやる事なす事いちいち褒めてやるなんて柄でもない。
要するに、子供の扱いが難しかったのだろう。
現に始めて殴り返した時、その場に居た誰もが度胸がついたと笑っていた。
そうこうしているうちに、年齢に関係なく話せる仲間ができて、ルーカーに気に入られて仕事に引っ張って行ってもらうようになった。
お陰で今ではキンジョー直下の精鋭部隊の一員だ。
「それもそうだな。」
一体何を心配していたのか……。数分前の自分が嘘のように胸の内が軽くなり、思わず笑みがこぼれる。
今ならコラーゲン鍋の栄養素を無駄なく吸収し、明日からツヤツヤの肌で過ごせるに違いない。
ラークはテーブルの脇に刺してある箸を取り、器に盛られた豆乳鍋を食べ始める。
既に一杯目を食べきったトーマは、二杯目をよそっているが、明らかに一杯目より多い。
「案外美味いな。」
「だろ。」
締めのうどんまで食べきり、会計をしている時だ。
釣り銭を渡しながら、店主がトーマに話しかける。
「そういやハルト、お前今年の島民体育祭は地元で出るのか?」
「いや、ハカで出るよ。地元は別の奴が参加するはずだけど。」
「そうか。ま、誰かしら助っ人が居るなら楽しめそうだな。」
「俺もできたら地元がよかったけどさ……。今年のTシャツのダサさは半端ないから。なっ!」
突然トーマがラークへ話を振った。
すっかり他人の会話だったので、ラークは適当に相槌を打つ。
話題に上がっている島民体育祭とは、劉国を含む群島諸国の親睦を目的とした、2年に一度のイベントだ。
群島内でも国土が大きい劉は、3つの地域の代表者達と、ハカが強制参加となっている。
ただの娯楽なので、ユニフォームをわざわざ新調したりはしないが、島毎やチーム毎でTシャツを作るのがいつの頃からか慣例となっている。
今年の劉国のTシャツは、礁瓊の知り合いが作ったという。黒や紫色、赤、黄色の劉国旗に因んだ四色を。地域毎に割り当てたのだそうだ。
ハカの分は、黒地に達筆な白い筆文字で『脳筋マリナーズ』と描かれていた。
ダサい。
何故普通に『ハカ』と描かなかったんだろう。
カシュガノから帰還し、報告業務も終わって、娯楽イベントの話に少々浮き足立ったトーマ達の感想だった。
デザイナー曰くそのダサいがカッコいいそうだが、理解できるように成りたいとは思わない。
「何にしても、たまには家に帰れよ!」
店主は笑ってトーマの肩を叩く。
「分かってるよ、明日顔出す。」
トーマの返事に満足したようで、店主は缶入りの酒をテーブルに置いて店の奥へと戻って行った。
どうやら店主の奢りらしい。
店を出て、防波堤越しに波の音を聞きながら夜道を歩いていく。
ラークもトーマも数年前まで宿舎で過ごしていたが、部屋数の都合で追い出され、今は糸瀬の市街地で部屋を借りて暮らしている。
示し合わせた訳ではないが、港までの距離だとか、留守中の管理だとかの条件が良く、同じマンションの棟違いに落ち着いた。
店主にもらった酒を口にしながら、ラークが思い出したように呟く。
「そっか、トーマって
トーマとは6年ほどの付き合いになるが、仕事はトーマの方が呼びやすいので大半がそうと呼ぶ。
劉に戻った時もトーマは糸瀬より北の
ラークがしみじみとトーマの名前の事を呟くので
トーマも興味が湧いた。
ハカには来歴が複雑な人間が多い。だからあえて尋ねないのが暗黙の決まりだ。
しかし今回の任務によって、ラークの子供時代の話を聞く事が多々あったし、ラークも濁さず話すという事は、尋ねても構わない間柄という事ではないだろうか。
「そういえば、ラークはどんな名前なんだ?内海の方の出身なんだろう。そっちだと、ファミリーネームっていうの?」
「んー。長ったらしいからラークさんでいいんだけどなぁ。」
トーマの問いに対して、濁した答えではあるが、答えを拒否している様子はない。きっと酔いも相まって昔のことを話すのが面倒なのだろう。
「いいだろ教えてくれるぐらい。今まで、何か聞いちゃいけないのかなって気がして聞くに聞かなかったんだ。」
するとラークは不意に立ち止まり、不敵な笑みを浮かべる。
「キンジョーに口止めされてるから、誰にも言うなよ。ハカの中でもキンジョーの他はオーナーとアーナぐらいしか知らないからな。」
「なんだよ、もったえぶるなって。」
するとラークは先程までの目が座り気味だった表情を一変させて、自笑するような笑みを浮かべて、任務先で聞くような真剣さを含んだ声で告げた。
「俺の名前はラーク=イブン-アミラデルフィナム=ゾウジャク-ナスルアンアルシャーム。先代アルシャーム頭主の第四子がこの俺だ。」
「え……。」
聞き間違いだろうか。
一気に酔いが吹き飛んだトーマは、改めてラークを足元から頭の先まで見返す。
そして数日前に談笑した事を思い返す。
アルシャーム家の雛と呼ばれた第四子。
単に恵まれた容姿と稚く愛らしい
アルシャーム家の名付けの慣習として、聡明で気高く勇猛である事の誓いとして、子息に猛禽の名を与える事にも起因しているらしい。
言われてみれば、当てはまる点が幾つもある。
先程の豆乳鍋しかり、本人の日々の努力もあるが、ラークの麗俐さはハカの中ないし糸瀬の街に置いても異質だ。
本人のいい加減な人間性はさておき、もしアーナや礁瓊の影がなければ、道行く先々で女性からの誘いが絶えないだろう。
そもそも、あの女帝礁瓊の目に止まった時点で抜き出ている証拠だ。
それにアルシャームの第四子が消えたのは20年ほど前、ラークが幼少期に雛と形容される程愛らしい子供であっても不思議ではない。
現にトーマは小学の頃に一度ラークに会った事がある。
当時ハカの台所を手伝っていたラークが、トーマの地元まで食材の買い付けについて来たのだ。
その女の子達の間「可愛い子が来た」と話題になっていた。
ラーク。雲雀という名の、耳目の流麗な男……。第4子の称は
頭の中では様々な思考が駆け巡っているが、側からみれば、トーマは呆然と立ち尽くしてしまっている状態だ。
滅多に見られないトーマの間抜けな様子が可笑しくて、ラークはケラケラと笑い出す。
「ま、信じる信じないはトーマ君次第でーす。ってな。」
ラークはゲラゲラと笑いながら夜道を、糸瀬の自宅へと歩いていく。
お陰でトーマはハッと我に帰り、困惑を一旦他所に置いて、再びラークと並んで歩き始めた。
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