第22話
夏国は華州、州都・
州都の北部に聳える、天を貫く山を這い上るように、州城及び夏国の行政府が立ち並んでいる。
岩肌をくり抜き、いく段もの階段と、橋梁をかけて作られた建物群の間には、いつも国官達が行き交っている。
その山の更に上へ、雲の層を抜けると、そこは王の住まいとなっている。
岩を掘り、木材で瓦葺きの庇を継ぎ足して作られた回廊は、山の上にあるとは思えないほどに緻密で壮麗、色鮮やかな装飾が施されている。回廊に敷かれた金縁の赤絨毯の上を、15かそこそこの歳の少女が早足で歩いていく。赤地に黒をあしらった深衣の両端を掴み、足首が見えるギリギリのところまで持ち上げている。
付き従う側近や侍従達は顔を伏せたまま黙々とその後に続く。
彼女こそ夏国九州の長、夏王・
回廊を突き進む一団の中で、誰よりも若いが誰よりも歳を重ねているのだ。
陽玉は庭園へと続く門の前に立ち、見張り役を一瞥して退かせると、やや乱暴に扉を開け放った。
ここまで共に来た取り巻きの中から三人、二人は侍女、もう一人は陽玉の補佐を務める男を引き連れて扉の奥へ、地を踏み鳴らすような足取りで進んで行く。
扉から出てすぐに石造りの橋梁が掛かり、台地のような構造を利用した庭園が広がっている。
池を囲むように三つの建物があり、其れらは池の中央に作られた浮島から枝分かれした道で行き来することができる。
橋梁から真っ直ぐに伸びた石畳を進み、浮島から伸びる道を左へ進む。
目的の宮にたどり着くと、陽玉は入り口の前で起立している侍女二人に何事かを言いつけた。侍女は陽玉が連れてきた侍女達と共に別の宮へと向かう。それから、補佐の男を入り口の脇に控えさせると、陽玉はそっと御簾越しに声を掛ける。
「私だジエン。良いか。」
中から澄んだ心地よい声音が返ってきた。
「おや、陽玉……。よく来ましたね。遠慮はいりません、お入りなさい。」
陽玉がそっと御簾を持ち上げると、その人は寝台に横たえた体を重そうに起こしているところだった。
「構うな、寝ていろ。」
陽玉はその人の背中に手を添えて、肩をそっと押す。しかしその人はやんわりと陽玉の手を退けた。
「寝転がって話すなんてみっともないことをさせないで下さいな。私は病人ではござんせよ。」
「すまない。私は敬老の心が強いんだ。許してくれ。」
陽玉は苦笑して手近な椅子を引き寄せて、寝台の横に腰掛ける。
「人を尊み敬う事は大切なこと。貴方もすっかりお婆様なのに、良い心がけですよ。」
その人と陽玉はクスクスと笑う。
陽玉と笑い合う、この宮の主人である『その人』こそ、夏国の太伯であり、夏王や夏丞相、秋王達に不老の力を与えている存在、ジエン・アンプースだ。
澄んだ声音に相応しいその容姿は、積もったばかりの新雪のように白い肌と白い髪、氷河の断面に映る色と同じ色の瞳を有する。まるで生きた陶器人形。その体の右半分はジエンの瞳の色と同じ、アクアマリンによく似た鉱石で覆われ、腕に至っては鉱石が連なり、宝石の翼と称される程に大きな塊と化している。
ジエンが口元に掲げた左手を目にして、陽玉は思わずその手を掴む。
「ジエン、また進んだのか?」
つい先日まで左腕に結晶などなかったのに、ジエンの左手の甲や腕には、小さな硬貨ほどの結晶がまばらにできている。
「この程度、大した事じゃございませんよ。少々重く捉えすぎです。大丈夫。」
ジエンはやんわりと陽玉の手を退けて、左手を体の前に置き、結晶に覆われた右手で隠した。
言い足りない様子の陽玉が口を開く前に、ジエンが問いかける。
「それより陽玉。急いで来たという事は、何か話があったのでしょう?」
陽玉は本題を忘れていた事を思い出し、歯切れ悪く二、三呟いた後、咳払いして本題に入る。
「二日前撰州•カシュガノの件は蹴りが付ついたそうだ。先程その知らせが届いた。」
「それはよかった。」
ジエンが嬉しそうに微笑むので、陽玉は思わず声を張る。
「良いばかりではない。シャウサンの奴はやはり国土を分断したぞ。お陰で隣国との国境が迫った。それにーー」
「撰秋王にも考えがあっての事でしょう。好きにしたら良かろうと、当初もそのように話しておりましたでしょうに。」
陽玉の言葉を遮るようにそう言ったきり、ジエンは背を伸ばしたまま目を伏せて沈黙する。その話題は受け付けないという彼女の意思表示だ。滅多に彼女を目にしない人間なら、ジエンのただならぬ雰囲気を感じ取り口を慎むだろう。かれこれ250年以上の付き合いがある陽玉でさえ、少々困惑してしまうのだから。
「それはそうだが……。そもそもシャウサンの計画は崩れてしまってだなーー」
陽玉は回廊に控えさせている己の右腕の男、
御簾があるので室内の様子は見えないはずだが、纚煌は陽玉の言葉を当たり前のように取り繋ぐ。
「財政的にも、地理的にも、確かに撰秋王のおっしゃる通り、撰州行政にさしたる影響はないでしょう。むしろ財政支援していた分、十年二十年後には益になるかもしれません。」
ジエンは瞼を持ち上げ、御簾の向こう側に居る纚煌を見る。
「なら良いのではないですか。移住した方々も、これから移住する方々も、撰州ないし、この国がお好きではなかったのでしょうから、結果は安泰でしょう。」
御簾越しでも、ジエンがこちらを見ていると察したのだろう。纚煌はやや頭を下げて、自分の膝先の床石へ視線を落とす。
「しかし一点懸念がありまして、撰州が隣国に治権を譲渡した地域に連邦軍が駐屯しています。」
ジエンは僅かに片眉を上げた。
「おや、あの閉鎖主義のアディスタンが良く許していますね。」
「許している訳ではなく、無理やり居座っているという方が正しでしょう。何せ連邦は今回カシュガノの星を手に入れ損ねています。よって東部国家との国交というを収益を得たいのでしょう。」
「おや、星は連邦政府に渡っていないと……。ならどこに行ったのです。」
ジエンは隣に居る陽玉を見やる。陽玉は、それは改めて話すから今は纚煌の話を聞いてくれと答えた。
「ショウサン様からも報告がありましたが、確かに先日カシュガノは連邦に支援を求めました。しかし結局のところ土地に関してはアディスタンと撰州政府との間で取り決めが成された。懸念していた公国軍の介入もなく、劉国の傭兵ですら雇い損に近い有様です。唯一、カシュガノの鉱山付近で公国籍と思われる星憑きを一組退けた件は、ハカと連邦軍の働きだったようですが……。その他に連邦の名が出るような報告はありませんでした。つまり連邦はカシュガノからの支援要請を受けた事を大義名分にアディスタンとの仲介役や今後の政治的な話し合いの代理人と称して居座っている状態です。」
陽玉思わず鼻で笑ってしまう。
「おそらくアディスタンの国土に入る時も、お得意の国際法を盾に『カシュガノの事態収束まで』と約束して駐屯許可を取り付けたんだろう。だから、いくらアディスタンが契約違反だと言って追い出しに掛かっても、連邦は『事態収束まで』の認識の違いだと主張して居座るに決まっているさ。」
西部国家が異界と称する東部国家の中でも、アディスタンや劉国は世界から完全に分離している訳でない。世界各国から代表者を招集して行われる世界政府協議会に参加し、その協議会が定める国際法を尊守することを約束している。国際法では救援を求める国や民族への支援についての記述や他国への侵攻に関する記載もある。
今回のように夏国政府からの圧政に苦しむ民族の救済は、連邦のような大国にとって義務的行動であり、またその行動を援助する事も国際法に従う国の義務だ。
そもそも、当初カシュガノの住民達がアディスタンへの編入を求めた時、アディスタン政府は難民受け入れという意味でカシュガノの要望を聞き入れた。そこから国際法の外に居る撰州政府とアディスタンとの間で話し合いが持たれ、アディスタンはカシュガノ住民を難民として受け入れの代わりに、主権の不明確だった土地を得る事で決着がつき始めていた。
ところが、あくまでも一国として独立を望むカシュガノは連邦にまで支援を求めてしまっていた事が、今現在の混乱の原因となっている。
アディスタンからしてみれば、隣国からの難民の救済について話がまとまりつつある状況で、連邦軍がカシュガノで起きた抗争を止めに行くというのだから、『事態の収束』とは『抗争が収束するまで』を指すと考えるのが妥当だろう。
しかし、カシュガノから独立するための支援要請を受けている連邦にとって『事態の収束』とは『元カシュガノ住民が自立した生活を確立できるまで』を指していても決しておかしくは無い。
だから、一見連邦がアディスタンに居座りのさばっているように見える事態でも、連邦にとっては法に基づいた正しい行動なのだ。
纚煌は重いため息を零した。
「現状のまま連邦が居座るのであれば、いずれアディスタン国内がこじれ始めるでしょう。何せあの国は黒い噂が絶えませんから、よそ者に居座られることを普通以上に嫌うはずです。もっと悪ければ、北の国が動くかもしれません。」
さすがに陽玉も表情を硬くする。
「そうなれば、撰州ないし、両隣の离州、震州にも何かしら害が及ぶはずだ。そうでなくとも、火種が元撰州の民であるからには、夏国としては知らぬ存ぜぬは難しいだろうからな。」
公国と連邦は成り立ちの経緯もあり、良好な関係ではない。アディスタンとの国境は公国として辺境地域とはいえ、領土を脅かす存在が国土の死角とも言うべき場所に居るのは見過ごせないだろう。
ジエンはしばらく黙した後、ゆっくりと口を開く。
「法の規定に従って動いた以上、連邦も簡単には引き下がるわけにはいかないのでしょう……。ここは見守るしかありませんね。備えの策は万全に。言わずもがなでしょうがね。」
陽玉が咳払いす。
「当然。ジエンが頭を悩ませずとも、我ら『王』とつく者と、纚煌に任せてもらおう。」
丁度その時、侍女達が茶の用意ができたと知らせに来た。
「おやおや、また陽玉に先を越されてしまいましたね。」
ジエンは困ったように笑い、寝台からゆっくりと立ち上がる。
「今日は天気もいいですから、浮島でお茶にしましょうか。ね、陽玉。」
「ああ、それがいいだろう。」
宮の侍女達がそそくさとジエンの側に寄り、ジエンの肩に羽織を掛け、左腕を通させる。
ジエンは背を曲げる事も右に傾く事もなく、手本のように真っ直ぐ立っているが、右腕の結晶は地面に届いていて重くない訳がない。それにジエンが動くたび、腕の結晶が引き摺られて床に傷を作ってしまうのだ。
足も似たようなもので、腕ほどではないが右足の小指から足首、脹脛は結晶で覆われている。
履物を用意してもすぐ破いたり壊してしまうので、数年前から靴を履く事をやめた。
しかし怪我をしないようにとか、行儀が悪いとかの理由で、陽玉が頑なに履物をすすめてくるので陽玉が来た時だけはしぶしぶ草履を履いている。
宮の敷居を跨いで、回廊に出た所でジエンは思いついたように言う。
「もちろん纚煌殿もご一緒なさいますね。それに皆さんも。ね、陽玉。」
ジエンは侍女達を見回してから、陽玉に微笑み掛ける。
陽玉は少々ぶっきらぼうに答えた。
「あぁ、そうしたらいい。」
陽玉がジエンの側まで歩み寄ると、ジエンは一層微笑みを深くして歩き出した。
浮島の東屋には既に三人分の茶が用意がされていて、近くに置かれた
ジエンはクスクスと笑い纚煌も口元を緩めたが、陽玉だけは澄ました顔を突き通している。
各々が席につき、一杯目のお茶を口にした頃、陽玉が咳払いした。
「さて話はもう一つある。むしろこちらの話を伝えるべく急いできたのだ。」
ジエンは一旦茶器を置いて陽玉の方へ体を向ける。
「先程もやや話したが、カシュガノで見つかった星はどうやら連邦の手には渡らず、劉国に居るらしい。」
「劉国……。それは、よかったんじゃありませんか。あの国は穏やかで良い国です。」
「星の宿主が双子の子供だというのは話したな。そして撰州中将キリョウの報告では、双子に憑いた星は十二宮の一つで『
「次元を超える……。」
ジエンは目を見開いたが、陽玉は構わず話を続ける。
「ああ、それで双子の一人が興味深い事を言っていたそうだ。次元を超えた先で、男とも女とも言い難い、黒髪で藍の瞳を持った人が立っていてな。その人はジエンの故郷の唄を歌っていたそうだ。それから子供に言ったそうだよ『聖骨のことは忘れなさい。アカシに触れるのはまだ早い。』と。」
ジエンはしばし目を輝かせながら、何事かを呟く。青い瞳に水膜が浮かび上がると、咄嗟に俯いてしばし黙していた。
それからゆっくりと顔を上げて微笑んでみせる。
「そうですか、その子はお会いできたのですね……。」
ジエンには探している人が居る。
ジエンの血族にとって大切な人らしく、星がこの世に現れた時からのことらしい。
陽玉はずっと昔からその話を聞いてきたが、250年生きている程度の陽玉にとって、まるで神様のようで、現実のものとは正直思っていなかった。
「本当に、ジエンの言っていた方なのか……。」
ジエンは、それは分からないと言って首を振る。そして。
「陽玉、纚煌、私はその子達にあったみたい。その子達を連れてくるよう手配くださいな。」
すると纚煌が身を乗り出す。
「外国民を王都に入れるというのですか。」
「劉国のお人なら構わないでしょう。もちろん国賓として丁重にお呼び立てするのですよ。」
ジエンは涼やかな顔で言うが、纚煌はすんなり承諾できないらしい。物申した気な纚煌を陽玉が制す。
「承った。」
纚煌は陽玉に向けて目を見張るが、今は視界に入れないようにする。
二人の無言のやりとりをジエンが見逃す訳がない。だから、ジエンは感謝を込めて穏やかに微笑んだ。
「子供達が喜ぶように、お菓子もたくさん用意してあげましょうね。」
「承知した。私も暫く市井に降りていないからな。視察ついでに子供の舌に合う物を集めよう。」
陽玉は茶を啜り、茶菓子を頬張る。そして椅子の背もたれに寄りかかり、覗き込むように纚煌を見る。
「なあ纚煌、お前の耳には巷の流行りも入ってくるのか?今の子供達は何が好きなのだ?」
「さぁ……。そういった話題は専門外です。」
纚煌は相変わらず淡々と答えた。
彼もまたジエンに不老を与えられた一人だ。陽玉の支えになるようにと、ジエンの判断で与えた。それが約80年前。陽玉にとっては纚煌も若いが、普通の人間にしてみれば纚煌も老人だ。本人ももはや若かりし頃の熱気も活気もすっかり過去のものとなっている。
「そうか……。流行り物も経済の動きの指標というからな、耳にしているかと思ったんだが……。侍女の誰かを案内に付けるか。」
陽玉は相変わらずの姿勢のまま、菓子を摘みながら呟く。
ジエンは昔から変わらない陽玉の姿を眺めて、クスクス笑う。
「子供達は勿論ですが、私達にも話題の品を買ってきて下さいな。宮の子達が喜ぶでしょうから。」
「あぁ当然。宮中各部署に用意するさ。」
陽玉は東屋の床に向かって両手を叩き、手についた菓子の粕を落とすと、再び椅子に座り直して茶器に残った茶を飲み干す。それから侍女に頼んで一同の茶を継ぎ足しさせた。
話題はすっかり城下の事に変わり、茶会は暫く続いた。
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