第3話 本当の自分との出会い

アナ姫ちゃんとの出会いから数ヶ月が経った。翔(しょう)の生活は少しずつ変わり始めていた。日常に彩りが生まれ、ただ退屈に過ごしていた日々は、確かに前に進んでいるように感じられた。しかし、翔の中にはまだ何かが引っかかっていた。自分の中の何かが、完全には解放されていないような気がしていた。


そんなある日、翔はアナ姫ちゃんに促されるまま、「うなじろう」の店主と再び話をすることになった。店主はいつものように温かい笑顔を浮かべ、あなご飯を丁寧に準備しながら語り始めた。


「君がこうして店に通ってくれるようになって、私も励まされるよ。最初はこの店を続けることに迷いがあったんだ。妻が亡くなったとき、店を閉じようと思ったこともあった」


翔は驚きながらも、静かに耳を傾けた。店主の話には、これまで聞いたことのない深い思いが込められていた。


「でもね、彼女が残したあなご飯の味を、誰かに伝えたいという気持ちが勝ったんだ。あなご飯は、彼女の愛情と私たちの思い出が詰まった料理だ。この味を通じて、彼女のことを感じてもらえたらって思っているんだ」


その言葉を聞き、翔は胸が熱くなった。自分の人生をかけて守りたいと思えるもの、伝えたいと願うもの。それを見つけた店主の姿に、自分自身がまだ掴めていない何かを感じた。


「あなご飯って、ただ美味しいだけじゃないんですね。そこには、たくさんの思いが詰まっているんだ」


翔の言葉に、店主は優しく頷いた。「そうだね。料理っていうのは、人の心を繋ぐものだから。君がそれに気づいてくれて、本当に嬉しいよ」


その夜、翔はアナ姫ちゃんと話をするために、店の裏手にある小さな庭に出た。月明かりの下、アナ姫ちゃんは小さな光を纏いながら、翔を見つめていた。


「翔、今日の店主さんの話、どうだった?」


アナ姫ちゃんの問いかけに、翔は少し考えてから答えた。


「とても感動したよ。でも、僕にはまだわからない。店主さんがあなご飯に込めたような、そんな大切な思いを、僕は何も持っていない気がするんだ」


アナ姫ちゃんは静かに頷き、優しい声で言った。


「それは、君がまだ自分の心の奥底に触れていないからだよ。今まで君は、自分の気持ちを隠してきた。怖くて、自分の本当の思いと向き合うことを避けてきたんだね」


翔は、その言葉に痛いほど心が揺れた。自分の中にある恐れ、不安、失敗したくないという思い。それらが、彼の心をずっと縛っていたことに気づいた。


「でも、どうやってそれを見つければいいの?僕には、そんな特別なものなんて……」


不安そうに呟く翔に、アナ姫ちゃんは微笑んだ。


「大丈夫。君には、君にしかできないことが必ずあるよ。焦らずに、少しずつ自分の気持ちを見つめていこう」


その言葉に勇気づけられ、翔は自分の中の感情を探り始めた。これまで逃げてきた過去のこと、向き合うことを避けてきた感情。それらを一つずつ思い出し、受け入れていく作業は、まるで心の奥底に降りていくようなものだった。


ある日のことだった。翔は幼い頃の記憶を思い出した。父親と一緒に釣りに行った日のことだ。初めてあなごを釣り上げ、喜んで家に持ち帰ったときのことを。母親がそれを料理し、家族みんなで笑いながら食べた思い出。それは、今でも彼の心に鮮やかに残る、幸せな瞬間だった。


「あの時、僕は家族の笑顔が本当に嬉しかったんだ」


その記憶を思い出したとき、翔は涙が溢れるのを感じた。ずっと忘れていた気持ちが、今になって蘇ってきたのだ。自分が本当に大切にしたいもの、それは人を喜ばせること、誰かの心を温かくすることだった。


「僕、わかったよ、アナ姫ちゃん。僕は、人を笑顔にすることが好きなんだ。あの時の家族の笑顔を、ずっと忘れられなかったんだ」


アナ姫ちゃんは、翔の瞳を見つめながら、優しく微笑んだ。


「それが、君の本当の気持ちだよ、翔。人を喜ばせたい、その気持ちが君の中にずっとあったんだね」


翔は深く頷いた。自分の心の奥底にある本当の願いを見つけたことで、彼の中には確かな決意が生まれた。


「僕も、何かを作りたい。あの時の家族の笑顔を、誰かに届けられるようなものを。まだ何を作るかはわからないけれど、そういうものを作りたい」


その決意に、アナ姫ちゃんは誇らしげに頷いた。


「そう、それが君自身の道だよ。焦らずに、自分のペースで進んでいけばいい。私はいつでも、君のそばにいるから」


その夜、翔は穏やかな気持ちで眠りについた。自分の中に確かな目的を見つけたことで、これから進むべき道が見え始めていた。そして、アナ姫ちゃんの存在が、彼にとってかけがえのない心の支えとなっていることを強く感じていた。


数日後、翔は店主に「自分も料理を作ってみたい」と伝え、弟子入りをお願いした。店主は驚きながらも、翔の決意に目を細め、快く受け入れた。これまであなご飯を食べるだけだった翔が、今度は自らそれを作る側に回ることになったのだ。


翔は毎日、あなごのさばき方から出汁の取り方、タレの調合まで、すべてを一から学び始めた。決して簡単ではなかったが、彼の中にはかつて感じたことのない情熱が湧き上がっていた。


「アナ姫ちゃん、僕はもっと頑張るよ。いつか、この味で誰かを笑顔にできる日が来るように」


アナ姫ちゃんはふわりと翔の肩に舞い降り、そっと囁いた。


「きっと、できるよ、翔。君なら絶対にできる」


その瞬間、翔は初めて自分自身に自信を持つことができた。自分の中にある光を信じ、これからの未来を切り拓いていく覚悟が固まったのだ。


そして、翔とアナ姫ちゃんの不思議な物語は、新たな幕を開ける。翔の作るあなご飯が、いつの日か、また誰かの心に深く刻まれる日が訪れることを信じて——。

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あな姫ちゃん 白鷺(楓賢) @bosanezaki92

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