第4話

 雨上がりの薄曇り。サイドミラーで擦る紫陽花の青。雨露をたたえた若葉から、水滴がぽたぽた落ちている。


 しっとりとした風情もその風圧で吹っ飛ぶ、そう思わせる勢いで背後に迫るのは、おなじみである、今日も私の後ろに車体を左右に揺らす、青色のベンツがいる。今日は一段とオラついていますね、そんな感想だ。地面が濡れる日は学生の送迎が増え、道路が混む。

 いつにも増して速攻であった。


 自動車専用道路へ合流するなりすぐに私の車を追い抜いていく。今日も抜群ですねと嫌味のつもりでちらりと見やった。

 彼は歯磨きをしていた。

 三度見した。歯磨き粉の泡が飛び散るほど一心不乱に歯を磨く姿。いつうがいするつもりなんだろうと、気になり始めたらもうその考えが頭から離れなくなった。


 私はようやく理解した。彼は慌てているのだ。ただ単に、朝の時間が絞られているから、時短のために焦って運転しているのに過ぎない。

 詰まっていた追越車線、一時的に走行車線の流れの方が速くなる。抜きつ抜かれつの状態になり、また、彼の隣になった。


 生き急ぐ彼は随分と老けこんで見える。昨日から一気に皺が増えた。ロマンスグレーは白髪になっている。顔の染みが濃くなった。車が進まないことに苛立って、顔を真っ赤にしている。口の端から垂れた歯磨き粉のせいで、毒を盛り泡を吹いているように見える。


 彼は私と違う時空を生きる。

 彼はただの青となり、車と車の間をすり抜けていく。

 速さを追い求めたメルセデスベンツは超えてはいけない速度を超える。そして物体として存在出来なくなる。バラバラになった。粉末状になった車と運転手は霧散した。

 青が、ぼんやりと前方に広がった。

 青色は残像となった。

 青い顔料を含んだきらめきが、残り香のように舞っていた。


 優しい朝日が目に眩しい。雲間を縫って地に差す晴れは、天から何かが降りてくるみたいに神々しい。

 それから二度と、私がその青いメルセデスベンツを見かけることはなかった。


***


 夏の日差しが強い。ハンドルに伸ばした腕をじりじり焼く。

 青い車が後ろにぴったりとくっついている。

 私を煽るのはやめた方がいいのに。ため息をついて、アクセルペダルをゆるく踏み込んだ。

 とても落ち着いていた。何せ青ってそういう気分になるもので。


end

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