少年たちの領土拡張作戦

うみべひろた

横須賀の片隅で

 神奈川県横須賀市。っていうと、どんなイメージを持っているでしょうか。


 海軍カレー? ですよね。横須賀人はカレーが大好きです。私も高校の頃、よく学校帰りとかバイト帰りにカレーを食べに行ってましたよ。松屋へ。

 ネイビーバーガー? ですよね。横須賀人はハンバーガーが大好きです。私も高校の頃よく行ってました。ファーストキッチンへ。何故ファーストキッチンか? 近くにマックが無かったんですよ!! 田舎だから!!

 名物に旨い物なし。とはよく言うのですけれど。海軍カレーがおいしいことは横須賀人も知っています。じゃあ何故松屋か。はい。高いからですね。海軍カレーに行くお金で松屋のカレーが3回食べれる! お得! じゃあ松屋だな! これが横須賀人の基本姿勢です。


 昔、横須賀の中心街にはドブ板通りと呼ばれる怪しい通りがあり、そこでは土日になるとそこら中で怪しいアメリカ人が怪しいスペアリブとかハンバーガーを焼いて売っていました。どこもかしこもアメリカ人だらけで、もはや日本とは思えません。

 スカジャンを求めてやってくる観光客と、JR衣笠駅近辺を根城とするヤンキー。そして何の肉だか分からない謎バーベキューを売りつけるアメリカ人。この三つ巴の戦いが繰り広げられていたのです。

 特にヤンキーとアメリカ人(多分海兵隊)の抗争は熾烈を極めました。衣笠チームとワシントンD.C.チーム。その戦いの最前線がドブ板通りだったのです。時には銃などの武力をもって解決することもありました。夜中にドブ板通りでアメリカ人が銃を発砲するニュースを読売新聞の社会欄でよく見かけたものです。

 そう。それはまさに199X年。世紀末の出来事でした。




 そのような世界観の中で。

 横須賀市に住む小学生は、日々秘密基地の開拓に勤しんでいました。アメリカ人との領土争い……というよりも、それは周囲の小学生との戦いでした。横須賀の町は狭く、山から海へ向かう斜面に無理やり人が住んでいる。そんな試される土地であったために領地の確保は困難を極めていたのです。

 秘密基地を開拓しても、1週間後に巡回に向かうと既に破壊され、別の小学生の領土として接収されている。だからこっそり破壊して再び自分たちの国とする。そんな等活地獄のような世界が繰り広げられていたのです。


 だから横須賀市の小学生は領土を外へ求めるようになっていきます。

 こんな狭い世界で争っていても奪い合い、苦しみあうだけ。苦しみなどいらぬ。我々はこの等しき地獄から抜け出さねばならぬ、這い上がらねばならぬのだと。


 幸いにして、筆者が住む町には良い山がありました。

 標高139メートル、横須賀市の小学生ならば必ず遠足で一度は上る(らしい)山。山頂には展望台も整備されており、広場では毎日ゲートボール大会が繰り広げられている穏やかで広い山。

 しかし、山の中腹に暮らす小学生たちは知っていたのです。初心者向けに見えるそのハイキングコース。それは一歩抜け出すとそこには広大な自然が広がっている人類未踏の地、すなわち領土とするに相応しい場所であるのだと。

 だからその時期の小学生は山を根城にしていました。手ごろな木や崖を見つけ次第、段ボールやレジャーシートを運び込み、そこで寝泊まりさえできる場所を整えたのです。それは秘密基地というよりも別荘地。横須賀の山には小学生が整えた種々の別荘が立ち並び、さながらそれは那須や軽井沢のような風情。

 ハックルベリー・フィンもびっくりのクオリティです。


 そんなふうに段ボール別荘地が開拓されていたこともあり、かつ、分かりやすい場所に作った基地は上級生などの強者に破壊され接収されるという世界観のせいもあり。

 小学生は考えたわけです。

『誰も見たことがない場所、そこに約束の地があるのだ』と。


 伸びすぎた戦線は補給を困難にする。そのような戦略の基本など当然知る由もありません。ただ遠ければ遠いほど良いのだ。強いのだ。それだけ。

 そんな考えのもとに結成されたのが、勇者、魔法使い、僧侶で構成された3マンセルの小隊でした。ドラクエであれば戦士も加えた4人パーティが基本なのですが、そうしなかったのは休みの日程が合わなかったからです。小学生の頃から塾とは恐ろしき世界観。横須賀でそれが許されていいのか。


「いつもと違う道にしよう」勇者は言いました。

 普段であれば、ハイキングコースを途中で折れ曲がって山中へ突入する。しかしそんな場所に約束の地は無いのだと。

 山頂の展望台へ登る石段の脇に、怪しい道がある。おそらくそっちが正解であり、この日常の無限ループから抜け出す唯一の道なのだと。


「そんなのあったっけ」

 魔法使いと筆者は訳も分からず着いていきました。勇者が言うならそれが正義なのだろうと。


 果たしてそこには、確かに下り坂がありました。

「勇者凄くね?」当時はそれで終わってしまいましたが、その日初めて下り坂に気づいた理由は、他の日にはイベントフラグが立っていなかったからだということに今ようやく気付きました。

 当日は春休みの一日。まだ冬の空気が抜けきっていない山は落葉樹の葉を落とし、少年たちに束の間の道を示してくれていたのです。夏休みやゴールデンウィークの旅人には決して見せない細い道を。そして真冬であれば地面は霜だらけで、多分生きては帰ってこれなかったことでしょう。


 坂を下っては上り、道なき道を行き。一歩間違えば崖下へ転落するような細い道を通り。そこは明らかに設定レベルが間違っている道ではありました。

 拾った棒切れを装備し、勇者は先頭に立って蔦を払い、木や枝で閉ざされた道の横にまた別の隠し通路を見つけ。ひたすら戦っていました。

 魔法使いは拾った石や小さい棒を持ち、時々襲来するマムシやムカデを遠距離攻撃で追い払っていました。エンカウントするザコキャラは全て一撃必殺の攻撃を持っており、明らかに設定レベルを間違えていることを如実に示しておりました。道中でボスに会ったら全滅は必至です。

 私は僧侶役だったため、缶ジュースとチョコレート、そして何枚かの段ボールを運搬するだけのぬるい役回りでした。


「この道、凄くないか?」勇者はずっと興奮気味に呟いていました。

 普段の秘密基地別荘地である場所は、鬱蒼とした野原とは言えど、獣道のような何かは整備されていました。奥に進めば切通や摩崖仏など、人の足跡を感じられるポイントもちらほらありました。

 しかしこの道にはそれが無い。石段もなければ、崖のきわにロープさえ張られていない。やはりこの道の先には誰も知らない何かがある。

 きっと、古来より人の立ち入ることを禁じられた場所がある。


 途中、秘密基地を作るのにふさわしい空き地をいくつか見つけましたが、もはやそんなものには目もくれず、ただ歩いていくのみ。その先にある場所を目指して。


 進むほどに段々と道は細くなり、ついには岩山に阻まれて完全に進めなくなり。

「崖の下へ降りよう」勇者は言いました。道はありませんでしたが、確かに進もうと思えば行けるくらいの斜度ではありました。

「じゃあこれ使おうよ」筆者は言いました。持ってきていた段ボールです。本来は基地建設の資材だったのですが、ぶっちゃけ重かったので、早く手放したかったから。


 三人で崖を滑り降りながら、「これ、帰り道分からないけど」と思っていました。多分、他の二人も同じ思いだったのでしょう。

 どうやって帰ろう。200メートルくらい滑り降りながらそう思っていると、突然目の前が明るくなりました。

 山を抜けたのです。


 滑り降りた先にはフェンスがあり、その向こうには見たこともない場所が広がっていました。

「サバンナ?」

 そこには芝生が広がっており、川が流れていました。遠くにはグラウンドや高い建物がありましたが、見渡す限り誰もいませんでした。

 まるで打ち捨てられた街のような。そんな場所がフェンスの向こう側に広がっていました。


 フェンスには破れた部分があったため、中に入ることにしました。

 重かった段ボールは捨てましたが、突然ライオンやドラゴンに襲われる危険があるため、装備していた武器はそのままに。


 完全な無音。さっきまで山の中で聞いていた鳥の鳴き声さえ聞こえなくなり、本当に夢の中の世界に迷い込んだようでした。

「川がある」

 完全に涸れた川。人がいそうなグラウンドや建物のほうに向かうためにはその向こうに行かないといけないため、飛び越えて渡ることにしました。

 幅2mくらいの川。校庭の砂場でやる走り幅跳びだったらいつもは楽々跳べるのに、と思いながらジャンプして。


 顔をあげた瞬間、目の前に人が立っていました。


"Stop! Who are you guys?"


 大柄の黒人でした。

 何か言われたような気がしましたが、全然聞き取れませんでした。横須賀の小学生に英語の素養なんてありません。日本語だって怪しいのに。

 そしてそれ以上に、向けられたライフル銃の存在感が大きすぎて。


"Drop your weapon!"


 何を言われたかは分かりませんが、勇者の持つ武器のことを言われていることだけは分かりました。仕方なく捨てる勇者。ライオンやドラゴンには立ち向かえるけれど、ライフルを持った黒人に勝てるわけはないのです。

 そうこうしている間にわらわらと集まってくる迷彩服の集団。全員が重装備で、本物の手榴弾を初めて見たな、間違ったら爆発するのかな、などと、どうでも良いことをずっと考えていました。

 だって周りの言葉が全く分からなかったから。情報が渋滞している割に、いちばん重要そうな情報は誰も教えてくれない。この世界はいつもそうです。


 数十人の屈強な男と3人の小学生。話し合いは明らかに平行線であり、このまま夜になったらどうしよう、帰らないと、と思い始めた頃に一人の細い男が車でやってきました。


 「ベンでーす」


 3人にそれぞれ握手をしました。大きな手。だけど。

 ベンは明らかに弱そう。これならワンチャン勝てるのでは? と思ったのは多分3人とも同じ。

 三人で目を合わせた瞬間にベンは再び口を開きました。


「きみたちは、どうやって、きたのでーすか?」

 

 日本語! 明らかにこいつは自分たちの味方! と思ったからなのか何なのか、小学生たちは口々に言いました。

「山を渡ってきました!」

「横須賀の山の中の町から来ました!」

「っていうかお腹すいた」


「やまのなかから! ターザンしょうねんでーすね!!」

 一人で爆笑するベン。しかし他の誰も笑わない。少年たちはターザンを知らない。屈強な男たちは日本語を知らない。


「ここはアメリカだから、はいっちゃだめ、なのデース! そしてきみたちは、じゅうだいな、てきたいこういを! したのデース! なんだかわかりますか?」

 横須賀がアメリカであるのは分かる。だってそこら中でサングラスをかけた黒人が踊っているし、時には銃撃事件が起きるし。

 しかし敵対行為なんてした覚えは全くない。小学生たちは首を振りました。

「わたしの、ひるごはんをじゃましたのデース! わざわざひるごはんのじかんを、ねらってくるなんて、おそろしいターザン少年デース!」


 罰を受けてもらいマース、と、ベンが運転する車に乗せられて、向かった先は基地の片隅にあるハンバーガーショップ。

「ぜんぶたべおわるまで、かえれまセーン!」

 目の前に置かれたハンバーガーセットを見て、何だこれは、少年たちはそう思いました。量がおかしい。


「ここのポティトゥは絶品なのデース!」ベンはそう言うけれど、そのポティトゥもファーストキッチンの3倍はある。ハンバーガーも3倍。

 かつてなくお腹いっぱいになりながら、少年たちは思いました。


 アメリカは物量の国である。

 こんなのに勝負を挑んではいけない。

 一緒に出されたケチャップは3kgくらいの巨大ボトル。重くて持てない。ハンバーガーを食べるたびに筋トレをしているような世界なのか。


 なお、ハンバーガーはあまり美味しくはありませんでした。

 ファーストキッチンのほうが美味しかった。




 横須賀までの道を車で走らせながら、ベンに色々なことを聞きました。

 ここは米軍基地であり、対空装備はあるが山から攻め込まれることは想定していなかったこと。

「ジャパニーズニンジャの怖さが分かりました、早急にニンジャ対策を打ちマース」


 そして、最初に出会った黒人はライオンに勝ったことがあると。

「なにそれ、どうやって?」

「トップシークレットデース」


 日米の歴史上、アメリカと日本の戦線はニューギニアやインパールなどの南方戦線であり、ドブ板通りであり。アメリカの土地の中へ攻め込んだ小学生は初めてかもしれません。言うなれば小学生たちは初めてアメリカ内での本土決戦に挑んだのです。

 戦いの最前線をドブ板通りから池子の米軍施設内へ一瞬で押し上げてしまった。その戦略的影響は計り知れませんでした。


 当初の目論見通り、確かにそこは古来より人の立ち入ることを禁じられた場所。


 が。少年たちには一つだけ誤算がありました。

 池子は横須賀市ではなく逗子市だったのです。


 逗子市は本物のお金持ちが住んで土日にはシェフこだわりの和牛ハンバーガーを食べ、フレンチの技法を用いて50時間煮込んだフォン・ド・ヴォー仕立てのカレーを食べ、段ボールハウスではない本物の別荘地がある土地。横須賀市とは世界の成り立ちも常識も、何もかもが違います。

 それが少年たちの敗因でした。

 多分、横須賀ヤンキーも逗子や葉山に攻め込もうとは思わない。何故ならば攻め込むためのドレスコードを持ってないから。


 もし池子米軍施設が横須賀にあったならば、そこは少年たちの土地。歴史は変わっていたかもしれません。

 面積2.9平方キロメートルの段ボールハウスが完成していたかもしれません。


 池子が逗子市にあった。ただそれだけの理由で、少年たちの領土侵攻は歴史から抹消され、今の平和な日々があるのです。

 そうでなければ今頃、池子周辺では怪しいスペアリブが焼かれ、スカジャン屋は氾濫し、ヤンキーと海兵隊の抗争が繰り広げられていたことでしょう。

 そして治安が悪化して金持ちは逃げ出し、横須賀の概念が拡張されるのです。


 歴史、そして横須賀 - 逗子間の国境線のいたずらで領土を拡張できなかった少年たちは、その後再び領土拡張の戦火に身を投じるのですけれど。

 それはまた別の話です。

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